第3話 部屋に招かれたストーカー

 マンションまでの距離は、ここからほんの200メートルほどだったが、女性を支えながら歩く距離はまるで何キロにも感じたのだった。




 マンションの部屋に入ると、美羽はゲストルームのベッドに女性をそっと寝かせた。

「ここで少し休むといいわ。今、お白湯さゆをもってくるわね」

 そう言うと、急いでキッチンの電気ポットからお湯をマグに入れ、氷を入れて冷まして白湯を作ると、女性の部屋へと戻ったのだった。


 女性はぐったりした様子で、ベッドの中で目を閉じていた。


 美羽はそっと彼女に声を掛けた。

「お白湯さゆを持って来たわ。飲めますか?」



 女性はうっすら目を開けると、ゆっくりと体を起こして、美羽から白湯の入ったマグを受け取り、冷めている白湯をさらにふうふうと息を吹きかけて冷ますようにして一口、口に含んだのだった。


「ああ、あったかい。ありがとうございました。気分がよくなります」と少し口元に笑みをたたえて美羽にマグを返した。




「よかった。もしお時間大丈夫なら、もう少し眠るといいわ。後で私の彼があなたを家まで送って行ってくれると思うから」




「ありがとうございます……」と女性はまた目を閉じたのだった。





 美羽はキッチンに戻ると、食材を出して夕飯を作り始めた。

 裕星が間もなく帰ってくる頃だ。今日は特別メディア出演や取材などの予定は入っていなかったはずだ。



 手際よくハンバーグのネタを作り、フライパンを火にかけていると、ガチャリと鍵が開く音がして裕星が帰ってきた。


「ただいま、美羽。お、今日はハンバーグか? 楽しみだな」


「あ、裕くん、ちょっとちょっと」

 美羽は小声で裕星を手招きした。

「裕くん、実は……」

 さっき出会ったばかりの女性のことを告げると、裕星はふうんと話を聞きながら「その子は大丈夫なのか?」と訊いた。


「大丈夫だと思うけど、やっぱり病院に連れて行った方が良かったかしら?」美羽は裕星に訊ねた。


「いや、そういう意味じゃなくて、見ず知らずの人間を家に入れて大丈夫かなと、思ったんだよ。具合の悪い人を助けるのはいいけど、その場でスーパーの店員に任せるとか、別の方法があったんじゃないのか?」




「そんな……。とっても具合が悪そうだったのに、そんな悠長なことできなかったわ。もし、危険な人物だったら、わざわざ具合の悪い振りまでしないでしょ? 本当に気分が悪そうだったんだもの」

 美羽は裕星の言葉に少しムッとしたように答えた。自分のした親切が軽率だと言われた気がしたのだ。





 すると、美羽は出来上がったハンバーグと野菜の付け合わせを皿に盛り付けると、


「彼女の様子、見てくるわね」と言って、裕星をリビングに残したままゲストルームのドアを軽くノックした。


 しかし返事はなかった。


「あのぉ……具合はいかがですか?」美羽がドアをそっと開けると、ベッドの布団が盛り上がったままピクリとも動いていないことに気付き、まだ彼女は眠っているのだろうと思って近づいた。



「あの……食事できたけど、食べられるかしら?」

 そう言って枕元に近づくと、布団は枕を覆うように盛り上がって動かなかった。



 美羽がそっと布団に手を伸ばし起こそうとすると、触れた布団がぺしゃりとつぶれたのだった。


「えっ?」

 美羽は驚いて、布団を少しめくった。しかし、その中にはただ枕があるだけだった。



「あれ? トイレにでも行ったのかしら?」

 布団をめくっても女性の姿はなかったので、美羽は今度はトイレのドアの前で声を掛けた。


「あのぉ、大丈夫ですか?」

 しかしトイレからも声はしなかった。





 裕星が美羽の声を聞きつけてやってきた。

「なにやってんだ?」


「さっきの女の子がトイレかなと思って……」


 すると、裕星はトイレのドアをドンドンとノックしたが返答がないので、グイとノブを引っ張ってドアを開けた。

「裕くん、ダメよっ!」

 美羽が驚いて叫んだが、開いたトイレの中には誰もいなかった。





「いないじゃないか」


「変ね。ベッドにもいなかったし、どこに行ったのかしら」


 すると、裕星はふと嫌な予感がして、自分たちの寝室やクローゼット、浴室などをくまなく捜し始めた。


「裕くん?」


「どこにもいないな。どこかに隠れてるのか? もし、そいつが強盗かなにかだったら……」とまだあちこち探している。



 散々あちこち家中探していたが、どこにも女性の姿はなかった。


「もしかすると、さっき裕くんが帰ってくる前、行き違いで帰ってしまったのかもしれないわね」



 すると、裕星は眉をひそめて言った。「いや、そんなはずはない。だって、さっき俺が帰ってきたときは鍵で入ったんだ。もしそいつが出て行ったとしたら、鍵を持ってないのに外からロックすることなんか出来ないだろ」




「ええ? ロックしてあったの?」


「ああ、しっかりな」




「そんな……もうどこにも隠れるところなんてないのに」



「―—ちょっと気味が悪いな。そいつ窓から出て行ったわけじゃないだろ?」


「窓は……鍵を閉めてたし。それにここは25階よ」


 裕星は黙って美羽の顔を見つめていたが、「実は今日事務所で聞いたんだが、他のメンバーがストーカー被害に遭ってたらしい」



「ストーカー?」


「ああ、今のストーカーは昔より巧妙で、後を付けて家を突き止めるだけでなく、家の中にまで合鍵で入ってくるやつがいるらしいからな」



「合鍵? でもどうやって合鍵を作るの?」


「わからない、そのやり方までは。でも、考えれば、色々出てきそうだ。不動産で家族を名乗って作らせるとか、俺たちがどこかの店に行ったときに鍵を忘れてきてしまったとか、まあ色々手口はあるさ」



「―—そんな。でも、本当に具合が悪そうだったのよ。まだ二十歳前くらいの若い子だったわ」



「若い女? どんな顔をしていた?」



「え、と、色白で、まるで昔風の服装。レトロファッションというか、胸で切り替えのある質素なワンピースだったわ。でも、まだ幼い顔立ちで、二十歳かそれよりも若く見えた」


 裕星は美羽の言葉を聞いたまま黙ってしまった。


「裕くん? どうかしたの?」



「そいつ、昨日の昼間俺がカフェで会った女性かもしれない。そのあと、美羽と行ったレストランにもいただろ?」




「え? あの時の人なの?」



「―—これで分かった。そいつは本当にストーカーだったんだよ。美羽を覚えていて、それとなく具合の悪いふりで近づいてきた。それも合鍵を持ってる悪質なやつかもしれないな」




「――本当にそうかしら? そんな悪い人には見えなかったけど……」


「人は見かけによらないからな。とにかく注意しておこう。今晩は二重にロックしておけばいいが、留守のときは危険だから、明日早々に鍵穴を変えよう」





 美羽は裕星の大袈裟すぎるほどの警戒と「ストーカー」の言葉に不安を感じたのだった。

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