第1話 八月半ばにガラガラになるカフェ

 裕星は仕事帰りに友人の経営している古民家カフェに立ち寄り、アイスカフェオレを一口ずつ飲みながら新曲の歌詞の創作をしていた。


 八月初めの昼下がり、真夏の強烈な太陽光線は竹製のウィンドウシェードに遮られほのかに落ち着いた明るさに保たれ、空調の効いた室内は居心地の良い空間だった。


 裕星がペンを走らせ30分ほど集中していると、友人でありこのカフェのマスターをしている小林が、カラカラと氷の音を立ててカフェオレのおかわりを持ってきた。



「どうだ、はかどりそうか?」


「ん? ああ、家に帰ってもポツンと一人きりで逆に集中できなくなるからな。せっかく仕事が午前中で終わったから、お前のとこで残りをやって行こうと思ったんだ」



「今日は美羽さんはいないのか?」



「孤児院の仕事の日だ」


「ハハ、そりゃあ、さぞ寂しいだろうな」

 小林が裕星をからかうように言った。



「何言ってんだよ。お前の売り上げに貢献しようと思ってわざわざ来てやってるだけだ」

 裕星が口の右端を曲げて言った。


「それはそうと、不思議と朝から客があまり入らなくて。可笑しなことだが、毎年この時期にはそんなことが起きる。何かこのカフェにはいわくでもあるのかなと思ってさ」

 小林が眉をひそめて言った。



「夏休みだし、お盆が近いから皆里帰りか旅行にでも行ってるんだろ?」



「ああ、それもそうだな。――お前は今年の盆も親父さんの墓参りに行くのか?」



「まあ、毎年行ってるからな。それと美羽の両親の墓参りもあるから、何日かに分けていこうと思ってるよ」



「そうか。――おっと、仕事の邪魔をして悪かったな。おかわりが必要な時は言ってくれ」


 そういうと、小林は空のグラスを下げてカウンターの向こうへと入って行った。






 裕星は、小林の持ってきてくれたカフェオレのおかわりを一口すすると、またペンを走らせた。



 裕星が一息つこうとしてグラスに手を伸ばしたとき、誰かの視線を感じてふと顔を上げた。

 さっきまで客がいなかった店内に、いつの間に入ってきたのか一人の女性が奥のテーブルに座ってこちらをじっと見ている。


 女性は、色白の丸顔で、ストレートの黒髪が肩までの長さに切りそろえられ、チラリと見ただけでも、まだ二十歳前の若さに思えた。


 裕星は一瞬目が合ったものの、気にせずまたノートに目を落としてペンを走らせた。

 少し書いては二重線で訂正し、また書いてはバツ印をつけ、少しも進まない。

 ふとさっきの女性の視線が気になって、カフェオレを飲みながらグラス越しにチラリと目をやると、女性は何も置かれていないテーブルでさっきと1ミリも変わらぬ姿勢でこちらをまだ見ていたのだった。


 裕星は背筋がゾクゾクする感覚に襲われ、思わず小林を呼んだ。


「どうした? おかわりか?」

 小林がやってくると、裕星はクイクイと人差し指で顔を近づけるようにジャスチャーして、小林の体をたてにすると小声で言った。


「向こうの女性だけど、まだ注文を聞いてないんじゃないのか? さっきからずっとこっちを見てるけど、かれこれ30分何も動きがないみたいだぞ」



「向こうの客?」


 小林が振り返ると、そこに女性の姿はなかった。


「誰もいないけど……?」


「いや、さっきまでいたんだよ。ほら、あの奥のテーブルの前辺り。きっと俺たちが話してる隙に出て行ったんだな。物静かな感じの若い子だったけど。お前、入ってきたのを見なかったのか?」




「俺はカウンターにずっといたけど、客は誰も入ってこなかったぜ。じゃあ、きっとあれだ。お前のファンの子だよ、きっと。

 ここにお前がいつも来るのを知っていて、俺が見てない隙に入って来たんだろう。

 でも、気を付けろよ、ここを知ってるなんて、相当な情報通の追っかけファンだぞ」


 小林が笑いながら言うと、裕星は口をゆがめていぶかし気に言った。


「ファンにしたって、俺と目が合っても逸らしもせずじーっとこっちを見ていて、随分と変な子だったな。

 しかし、ここが俺の親友のカフェだということを知られたからには、もうしょっちゅうは来れなくなるな……」



「いやいや、来てくれよ。もしファンの子たちで店がいっぱいになるようだったら、俺がすぐに知らせるからさ」




「――まあ、そうだな。何も悪いことしてないんだから逃げ隠れする必要はないか」


「そうだよ。それに、お前のファンは図々しくは傍には来ないみたいだし。お前にしても他人に見られることには馴れてるだろ? もし、こんなことが頻繁ひんぱんに起きるようなら、個室を作ってやるよ。お前専用のな」と笑った。









 夕方、5時過ぎに裕星は書き上げた歌詞ノートを閉じて、多すぎるほどのカフェオレ代を置いて店を後にした。



 マンションに向かう途中の車の中で、裕星は昼間に会った女性のことが頭にぎった。


 ――あの子、どこか変わっていたな。今どきの子にしては随分と地味な服装だったし、髪も染めず化粧気もない。俺のファンだとしても、サインをねだるわけでもなく黙って見てただけだったしな。





 裕星がマンションの地下駐車場に車を停めて、専用エレベーターに乗り込むと、すぐに美羽に電話を入れた。


 美羽はもうマンションに向かって帰っている途中だった。


 <裕くん、もう家に着いたの? 今ちょうど孤児院を出たところなの。今夜の夕飯は何がいいかな? スーパーに寄ってから帰ろうと思って>



「夕飯ね……なんでもいいよ。美羽が作るものなら文句を言わないよ」



 <ふふ、そうじゃなくて。献立を考えるのが大変なのよ。ねえ、何がいい?>



「――う~ん、じゃあ、ハンバーグで」


 <了解!>




 こんな他愛のないやり取りにも裕星は幸せを感じていた。




 部屋に着くと、すぐエアコンのスイッチを入れテレビのリモコンをオンにした。すると、ちょうど6時のニュースが流れてきた。



 ニュースは、8月とあってかお盆に関することが多かった。今年の帰省ラッシュが始まりそうだとか、地方の夏の行事や夏休みを利用して旅行をしている客にインタビューをしている映像だ。最後は終戦記念日が近いために、特番の番宣が繰り返し流れていた。



 裕星はテレビをつけたままにして浴室に向かうと、ポイポイと服を脱ぎ捨ててシャワーの蛇口を捻った。


 頭から熱いシャワーを浴びると、日中の暑さで汗びっしょりになった体に、水の粒が転がるように落ちて行く。

 緩くパーマを掛けた裕星の柔らかい髪が、シャワーに濡れしっとり顔に覆いかぶさった。

 頭から足先まで一緒に使えるシャンプー剤でモフモフ泡立てながら洗い、一気にシャワーのお湯で流した。

 白い泡が流れ落ちると、薄く筋肉に覆われた肢体したいがさらに艶を増し水を弾いた。



 シャワー室から出ると、裕星は有名タオルメーカーのロゴが入った大判の純白のタオルで体を覆ってリビングに向かった。

 裕星は、脱衣所に置いたケータイの受信ランプが点滅しているに気づいてメールを開いた。


 ――ん? 美羽からだ。なんだろう。




『裕くん、さっきまでスーパーにいたんだけど、ちょっと疲れちゃって……これから作るのは大変だから、もし良かったら、今から外で食べない? 実はもうレストランに向かってるのよ』



「珍しいな。どうしたんだろう? まあ、夕方までと言っても孤児院の子供たちの世話で大変だもんな。疲れが溜まってたんだな」


 裕星は早速美羽にメールを打った。

『いいよ。すぐにそっちに向かう』


 裕星は着替えを済まし、美羽のメールに添付されてあったレストランへと向かったのだった。

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