第九二一話 賞品と譲り合い

 頭上のカウントをゼロにし、半ば呆然と立ち尽くしたボクサーゴブリン。

 それと対峙するのは、苦しげに肩で息をするアグネムちゃん。双方汗だくで、殊更アグネムちゃんは今にも倒れそうなほどに疲弊しきっている。

 それでも、気力だけで持ち堪え、この後の成り行きを見守る構えである。


 たった今まで、恐ろしいほどの戦いぶりを見せた好敵手の、そのくたびれた姿にボクサーゴブリンはと言うと。

 にやりと、口角を上げて笑ってみせたのだった。

 けれどそれは、不思議と邪悪な笑みには見えず。諦念と尊敬の入り混じったような、何所か清々しさすら感じられる、そんな微笑みだった。

 すると徐に、アグネムちゃんへ向けて拳を突き出して見せるボクサーゴブリン。

 リング外の私たちは、その意図をうまく測りかねたのだけれど。しかし奴と拳を交え続けたアグネムちゃんには、正しくその意図が伝わったようで。


 彼女も同じく拳を突き出し、ボクサーゴブリンの拳に軽くぶつけたのだった。所謂、フィスト・バンプってやつだ。


 すると次の瞬間である。ボクサーゴブリンの身体は黒い塵へと変わり。そうして、迷宮へと還っていったのだ。

 同時、高らかにゴングが打ち鳴らされ、試合が終了したことをはっきりと告げた。

 リングを囲う障壁は消え、アグネムちゃんがへなへなと尻餅をついたなら、ドサリというその音が私たちの耳に届く。音を遮るものが取り払われた証左だ。


 急ぎリングに上り、アグネムちゃんのもとへ駆けつける私とスイレンさん。

 彼女はまだ息が整わないのだろう。依然として苦しそうにしており、それでも私たちへ向けて、強がりの笑みを見せてくれた。

「えへへ、や、やりました……かち、ましたよ、ミコト様……!」

 恐ろしい量の汗を流し、顔色も良くない。それでも、誇らしげなその声音に私もスイレンさんも涙腺を揺さぶられ。

 よく頑張った、素晴らしい試合だったと、口々に褒めそやしては、急ぎ彼女に水分や塩分等を与えたのである。


 そのように一頻り騒ぎ、アグネムちゃんもタオルで汗を拭って着替えなんかを行ったなら。

 私たちはいよいよリング中央に音もなく出現した、それへと意識を向けたのである。


 天板のやけに小さな、上品な作りのテーブルが三つ。

 三角形を描くかのように配置され、それぞれがアイテムを一つずつ戴いている。

 私たちはフラつくアグネムちゃんを気遣いつつ、それらの元へと歩み寄り、天板の上に乗った賞品と思しき品々を改めて行った。


「これは、地図ですね~。きっと次の課題の場所を示しているんですよ~」

「だとすると、次の課題は私かスイレンさんのどっちかが挑むことになるわけか。覚悟しておかなくちゃね」

「ミコト様なら楽勝ですよ! 間違いありません! スイレンさんは……知らないけど」

「私に素っ気なくないですか~!? もっと優しさがほしいです~」


 一つ目は地図。この場所へ導いてくれた例のフリーペーパーによく似ている。恐らくは予想に違わず、次の課題、延いては二枚目のお札がそこに隠されているのだろう。

 そう、二枚目のお札である。何せ一枚目のお札は、正に私たちの目の前にあるのだから。


「お札ってきっと、これのことですよねミコト様。やっぱり課題の報酬として入手するものだったってことでしょうか?」

「まぁそうだろうね。課題関係なく隠されている可能性もゼロではなかったし、その線が完全に途絶えたわけでもないけど、正規ルートとしてはやっぱり地図に従って課題を巡って、それをクリアしお札を集める。そういう流れなんだろう」

「なかなか手間のかかることを考えるものですね~。何でわざわざこんなに離れた場所に配置するのか、私には理解できませんよ~」


 やれやれと首を振るスイレンさん。アグネムちゃんも苦笑しつつ、「確かに」と同調。

 その様子を見るに、リアルRPGだ! なんて言って浮かれているのは、やっぱり私だけってことなんだろう。ちょっと寂しい。

 とは言え真面目な話、あまり近くに課題やお札を配置したのでは、せっかくのランダムエンカウントっていう仕組みが活かせず、試練として微妙なことになるのではないだろうか。

 それで言うともしかして、第一の課題をクリアしたことにより、出現するモンスターの脅威度が上る可能性も考えておいたほうが良いのかも知れない。

 次のエンカウントには、一層注意して対応するべきだろう。


「それで、問題はコレだけど……もしかしなくても、“スキルオーブ”だよね? しかも虹色だし」

「すごいですよ~! レア物ですよ~! 迷宮も粋なことしてくれるじゃないですか~!」

「頑張った甲斐がありました。でもコレ、一つしかありませんね……ここはやはり、ミコト様に献上するのが良いと思うんですけど!」


 虹色のスキルオーブは、どんなスキルが飛び出すか分からない、ちょっと特殊なレアアイテム。

 極稀に現れるレアモンスターがドロップする、入手手段からして限定された、なかなかお目にかかれない品である。

 だっていうのに、アグネムちゃんはそれを私に寄越そうとしてくる。とんだ暴挙じゃないか。


「待って待って、気持ちは嬉しいけどそれはどうだろう。っていうかその前に、少し冷静に考えてみよう。このスキルオーブを使ったとして、スキル枠はどうなるんだろうね?」

「あ、確かにそうですねー、私たち既に三枠とも埋めちゃってるわけですから~、ひょっとするとオーブを使ってもこの試練を出るまで結果が分からない、なんてこともあり得るわけですか~」

「でもでもスイレンさん、もしかしたらこのオーブを使用することで、新しいスキルと一緒に四枠目が追加されるかも知れないよ? 何せ賞品として手に入れたものなんだし!」


 アグネムちゃんの言うことも尤もである。リアルRPGめいているくせに、ハクスラ要素が無いだなんていうガッカリ仕様のこの試練。

 しけてる、ケチくさい、ご褒美を寄越せ、などなど。スイレンさんから忌憚のない意見がちょいちょい飛び出していたが、しかしこのスキルオーブこそが成長要素として組み込まれているのだとすると、スキル枠とは関係なく新たなスキルを追加・使用できるって可能性も考えられるだろう。

 或いはもしかすると、オーブを使うことで単純に枠が追加されるだけで、得られるスキルは既に覚えている物の中から選ぶことになる、ないしはランダムで選出される、なんて可能性も無いわけではない。

 何れにしたところで、PTの力を底上げするのに重要なアイテムとなることは間違いない。

 問題はそれを、誰が使うのかという話。無論私としては、今回頑張ったアグネムちゃんにこそ使ってほしいのだけれど。


「虹色のオーブからは、世にも珍しいスキルが出現することもあると聞きます。って考えると、これは是非ミコト様に使っていただくべきだって思うんです! だって、ミコト様が未習得かつ珍しいスキルって言ったら、そんなの激レアスキルに決まってますもん! ここにソフィアさんが居たら、何が何でもミコト様に使わせようとするに決まってます!」

「いやいや、そりゃ一理あるかも知れないけど、今回はアグネムちゃんが使うべきだって思うよ? 頑張って獲得したのはアグネムちゃんなんだし。それに制限を受けているこの状況だもの、もしかしたら既に覚えてるスキルの封印を一つ解いてくれるとか、そういう効果で終わるかも知れないじゃん。もしそれがランダムで選ばれるとしたら、私ハズレを引く可能性めちゃくちゃ高いからね? それこそソフィアさんのせいで、しょーもないスキルも面白半分に取らされてるんだから……」

「おやおや~、押し付け合いですか~? 仕方ないですねー、それなら間を取って、私が使ってあげてもいいですよ~!」

「「スイレンさんはちょっと黙ってて」」

「ひどい~」


 押し付け合いというか、譲り合いというか。崇拝組の頑なさで、なかなか意見を曲げようとしないアグネムちゃんと、心情的にも打算的にも折れることの出来ない私。

 蚊帳の外に追いやられたスイレンさんは、一人寂しくいじけた演奏を始め。そんな具合に暫し、七色オーブを巡っての話し合いは続いたのだった。

 それから、およそ一〇分くらいが経過しただろうか。

 やっとこさ譲り合いに決着。結論としては、まぁなんということもない。『保留』ってことで合意が成ったわけである。

 それというのも、話の焦点が「次の試練でも賞品がもらえるのか、そしてその内容は何なのか」というところに移ろい。

 もし次も七色オーブが得られるようならば、私が使う必要性は下がるし、逆に賞品が別のものだったり、或いは得られないとなると、私が使った方が良い可能性も高まるかも……と。

 であるならば、次の課題をこなした後で七色オーブの扱いについては決定する、ということで話が決まったわけである。


 話が済んだのならば、早速移動だ。お札と七色オーブをしまい込み、地図を一瞥したなら、先ずはこの洞窟を出ることにする。

 こんな時RPGだと、都合よく外に一瞬で移動できる転移の手段が用意されていたりするものなのだけれど。

 一応二人にそう語ってみたなら、リングのあるこの空間を一通り見て回る運びとなり。

 すると、案の定だった。

 これ見よがしに淡い光を湛えた魔法陣が、最奥にぽつんと描かれていたのだ。

 しかし見つけはしたものの、本当にそれが外に繋がる転移系魔法陣とも見分けがつかない私たち。

 試しに乗ってみる、だなんてそんなバカな判断もないだろう。


 そんなわけで、結局魔法陣に背を向けた私たちは、地道に徒歩にて来た道を引き返すのだった。

 アグネムちゃんはべらぼうに体力を使ったため、疲労からずいぶん身体が重たそうではあったけれど、それでもエンカウントの度にしかと自らの立ち回りを全うし。

 スイレンさんのデバフにより、動きと判断力の格段に鈍ったモンスターを、安全確実に仕留めつつ着実に歩を進めたのである。


 そうこうして、やっとこさ洞窟の出口を潜った私たち。時刻は既に午後一時を回っており、お昼時にしては少し遅い時間帯。

 幸い出口付近でエンカウントがあったため、暫くはモンスターが現れることもないだろう。

 区切りもいいのでお昼休憩である。ストレージやマジックバッグからくつろぎセットを取り出し、腰を落ち着けて昼食。


 食後のお茶を嗜みつつ、改めて地図を広げて皆で覗き込んでみれば、次なるポイントがどうやら海辺であると再認識。

 エンカウントを警戒しながら歩いていくと、到着は明日になるだろうか。時間の掛かる試練である。

 とは言えまぁ、何より重視するべきは鍛錬……じゃなくて安全だからね。アグネムちゃんも疲れてることだし、無理のないペースで行くことに何ら思うところはない。それはスイレンさんも、当のアグネムちゃんだって同じだ。

 それよりも私にとって気掛かりなのは、そう。


「もしかすると、ここから先のエンカウントで出現するモンスター、これまでよりもパワーアップしてるかも知れない。確証があるわけじゃないけど、一応気をつけておいてほしいんだ」


 課題をこなし、本来ならば誰かしらが虹色オーブを使った状態であるはずの私たち。

 なればそれに応じるよう、モンスターの脅威度が引き上げられるのも、試練としては十分に有り得る話だろう。少なくとも警戒しておくに越したことはない。

 そのように簡単な打ち合わせとお昼休憩を挟んだなら、いよいよ次なる課題を目指して再出発である。


 それから程なくして、私たちは洞窟を発って初めてとなるエンカウントを経験するのだった。

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