第五九四話 ラナク・ラティエ

 それはまるで、星のようだった。


 モチャコの掲げたカバンより、ついに全容を現した透明な水晶。

 全長で言えば何十メートルにも及ぶ、あまりにも巨大なそれは、しかし自然物と言うには不自然なほどに綺麗な球体で。

 その表面たるや、占い師の使う水晶玉の如き滑らかさを感じさせた。


 誰がどう見ても、普通じゃない代物。

 その威容だけで、カオスラットが強烈な警戒感を懐くには十分だった。

 故に、私が連鎖魔法ウロボロスにて子ラットたちを殲滅していようと、それを些事だと言わんばかりに、水晶玉めがけてデタラメに攻撃魔法を投げつけたのである。


 が、その尽くを見事に打ち払ったのは、ゼノワだった。

 スキルに干渉できない精霊魔法は、こと防御に於いて非常に不利である。けれど、精霊魔法が直接的に及ぼす現象ではなく、副次的に起こる余波であれば魔法を妨害することも可能。

 ゼノワは器用に計算を巡らせ、間接的に奴の魔法を妨害したのである。

 モチャコから時間を稼ぐよう頼まれた彼女は、この上なくその役目を全うしてみせたのだ。

 忌々しげに空を仰ぐカオスラット。

 視線の先には何処までも無色透明な、星の如き水晶玉。


 するとその中に、ふと何かを見つけたカオスラット。

 最大限の警戒とともに、ブワッとまたも吹き出す子ラットの群れ。

 さりとてそれは、私が瞬時に駆逐し。

 そのことが更に、カオスラットの精神を追い詰めた。


 目を凝らす。

 すると、背景に背負ったまばゆい空色の中、どうにも見づらいそれの正体がようやっと定かになった。

 光だった。

 水晶玉の中心部に、仄かな光が揺蕩っているのだ。

 ともすれば、吹けば消えてしまいそうな儚く、弱々しい光である。


 けれど、カオスラットはその光にこそ、最大級の警戒心を向けた。

 心眼を通して感じられる奴の胸中には、これまでに無いほどの焦燥が波打っており。

 かくいう私もまた、巨大な水晶にはデタラメに強大で、不思議な気配を感じ取っていたのである。

 さりとて、モチャコはそれを『ラナク・ラティエ』と呼んだ。

 であれば、その正体は既知のものであり。

 実物こそ初めて目にするけれど、それが敵対するものでないことは理解している。

 だからこそ平然としていられるわけだけれど。


 アレを敵に回したカオスラットの狼狽えぶりと来たら、可哀想の一言では片付くまい。

 けれどそれはもう、仕方のないことだ。


 偶然町の中にリポップし、破壊衝動に任せて町の子供を傷つけ、そこにモチャコが駆けつけた。

 せめてさっさとベイダの町を離れていれば、こんなことにはならなかったろうに。

 激突は必然。であれば、この展開も。

そう考えれば、うん。同情の余地はないか。これも一つの、選択の結果である。


 なんて益体もないことを脳みその裏っかわに浮かべて眺めていると、事態は急速に動きを見せた。

 驚くべきことに、危険とみるなり逃亡を図ったカオスラット。

 やはり知恵が回るらしい。衝動的な敵意よりも、保身を優先させることが出来るというのは余程であろう。それとも赤の星四、それもユニークともなればそのくらいは珍しくもないのだろうか?

 行使する魔法の数々も、忽ち逃走を補助する守りや囮のためのそれへと変わり。

 何なら子ラットを、それこそ囮にするべくばら撒こうとすらした。


 が。当然そんな事は私がさせない。

 子ラットは発生した瞬間にウロボロスが狩り尽くし、何なら逃亡のための魔法すら、ゼノワと連携して薙ぎ払い、逆に奴が逃げるのを妨害までせしめた。

 行く手を阻む壁や天井。地魔法により生成したそれらは、破壊しても破壊しても次々に奴の退路に立ち塞がり、その都度強力な魔法で道を切り開くカオスラット。

 魔法を食べることが出来る奴は、最初行く手を阻むそれらへ勢いよく食らいついた。


 しかしそうと分かっていて、魔力による形状維持や補強などを行ったりはしない。

 即ち奴は、ただの岩石や土塊へと噛み付いたわけである。

 が、驚いたのはそれですら、食らったそばから自身のエネルギーへと変換してしまったことだ。

 それはまんま悪食とでも呼べる光景で。お腹を壊すわけでもなくちゃんと力として取り込めるのは、やはりそういうスキルの成せる業なのだろう。


 このまま進路妨害を行っていては、それだけで奴にエネルギー補給をさせてしまう。

 確かに奴の足を留めることにこそ成功しているけれど、手放しで喜べる成果とは言い難い。

 ので。

 困った時の隔離障壁である。

 切り替えの判断は早く、奴が食らった壁も二枚ほど。エネルギーに変えたと言っても微々たるものだと言っていい。


 さしものカオスラットも、隔離障壁には歯が立たないらしく、今度こそ立ち往生を余儀なくされた。

 デメリットとしては、外側からの攻撃も通らないことだけれど。

 モチャコの準備が整うまで、奴の足を留めておければそれで良いのだ。


 そしてその時は、存外すぐにやって来た。

『ごめん、おまたせ! 障壁解いていいよ!』

 モチャコのそんな声に振り返ってみれば、巨大水晶に揺蕩う光はなるほど、確かにその大きさ・力強さを増し、先程より確かに安定しているように見えた。

 それに何より、息を呑むほどの雄大な気配がそこにはあり。


『……わかった。後はお願い!』

『ガウガウ!』

『おっけー!』


 指示に従い、隔離障壁を解除した、その時だった。

 我が目を疑いたくなるような光景が、事も無げに展開されたのである。


 ポンッ、と。

 水晶玉より飛沫のように、幾らかの光が粒となって飛び出し、空中に水玉が如き光球を浮かべた。

 奇妙で好奇心をそそられる、不思議な光景だった。

 けれど、それも一瞬のこと。


 光球らはそこから一斉にカオスラットへと群がるように飛来すると、触れた端から奴を消滅させていったのである。

 聞こえたのは、短く甲高い声。

 叫んでいる場合ではないと、奴は必死の逃走を試みるも、その尽くは無意味に終わった。


 刹那の出来事だ。

 気づいた時には手足が消え失せ、悲鳴をあげようにも喉に穴が穿たれ、本当にあっという間に奴の体は、塵の一つも残さず光に食い尽くされてしまったのだ。

 いや、正しくは食ったのではない。

 消し飛ばしたのだ。


 が、しかし。

 消え失せたのはカオスラットの合体した姿。

 案の定現れた、子ラットらと変わらぬ小柄な本体は、これまた予想通り爆発的に上昇したステータスを駆使して、この場からの離脱を試みた。

 私の目には到底捉えられないほどの速度。攻撃や防御の能力だって、きっと桁外れなはずだ。まともに対峙したなら、恐らく私なんて一瞬で体中をかじり尽くされてしまうに違いない。

 そう確信を覚えてしまうほどに、奴から感じられる力は凄まじかった。


 凄まじかったのだ、けれど。


 いくら奴の脚が速くなろうと、それでも光を置き去りに出来るはずもなく。

 群がる光の球体たちは、奴を容易く追いかけ回し。私には結局残光たる軌跡しか捉えられなかったけれど、一方的な状況に変化はついぞ訪れなかったらしい。

 今度こそ断末魔を上げたカオスラットは、数秒とせず光に呑まれて消え失せたのだった。

 あまりの呆気なさに、奴のしぶとい生存を疑わずにはいられないほどだ。

 けれどどうしたことか、気配を探ってもマップを確認しても、とうとうカオスラットの存在を示す情報は得られなかったのである。


 即ち。本当に、倒してしまったのだ。


 あれだけ警戒した奴の底力も何のその。真に力あるものは、御託ごと簡単に踏み潰してしまうのだ。

 これが、顕現した精霊の……モチャコの契約精霊、ラナク・ラティエの力。

 ある意味、王龍を前にした時よりも余程、圧倒的であった。

 自分たちの手でこれをどうにか出来るとは、到底思えないっていう、あの独特の感覚。

 くらりと目眩すら覚えるような、絶対的な格差。


「せ、精霊って凄いんだなぁ……」

「グラァ……」


 私もゼノワも、ぽかんと口を開けて暫し、その神々しさすら迸らせる光の精霊に見入ったのだった。

 すると。


「すまない、待たせたな!!」


 だなんて、ようやっと駆けつけた勇者が一人。

 手間取りながらもどうにか水溜りスライムを討伐したイクシスさん。

 そんな彼女へは、一応コミコトを通してざっくりと現状の説明をしてあるのだけど。

 念の為ということで、急ぎ自分も現場に送ってくれとせっつく彼女の要請を受けて、今しがた湿地からこちらへコミコトごとワープしてきたわけである。


 そんなイクシスさんの目には、早速空に浮かぶ巨大な水晶の偉容が飛び込んでおり。

 さしもの彼女でも、暫く言葉を失い立ち尽くしていた。

 が、ようやっと恐る恐るといった具合に声が飛んでくる。


「ミ、ミコトちゃん、あれは……」

「コミコトを通して説明したとおり、あれがモチャコの契約精霊だよ」

「なんと……」


 ちなみに、まだ絡繰霊起だとか、その辺りの細かな説明は出来ていないため、どうして精霊が自分の目に見えているのか、なんて部分はよく分かっていないはずのイクシスさん。

 それでも、想像を絶するその存在感に当てられて、今にも膝を折って頭を垂れそうなほどには、何だかプルプルしており。

 それだけ強い感動を覚えているのだろう。

 或いは、世界そのものだなんて言われる精霊って存在を、ついに目の当たりにした影響だろうか。


 まぁ何にせよ、である。


 斯くして赤の四つ星を誇ったカオスラットは、想像以上の大物だったモチャコの契約精霊の力により消し飛ばされ、その脅威は退けられたのだった。

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