第五八九話 カオスラット
ベイダの町。
その中心部に設けられた、噴水のある大きな広場。
平時であれば行き交う人も、憩う人も少なからず見受けることが出来たはずだ。
しかしそんな穏やかな景色は現在、見る影も無く。
噴水は無残に破壊され、ベンチや街路樹は派手に荒らされており、立ち並んでいたであろう出店に至っては、殊更酷い有様だった。
周囲の建物も損壊したものが多く、火の手も町のあっちこっちで上がっている。
それに何より目を引くのが、地面の到るとこに見受けられる赤黒い痕。
血痕であることは疑うべくもないだろう。
それも、おびただしい数だ。
そのくせ何故か、倒れた人というのはまるで見受けられず。そのことが不思議であり、それ以上に不気味に思えてならなかった。
血の痕から鑑みるに、どれ一つとして出血の量は致死のそれを下回らず、大勢の人が命を落としたであろうことは間違いない。
目を覆いたくなるような光景とは、正にである。
そして。
そんな広場の中心、破壊された噴水の前。
そこに、巨大な一体のモンスターの姿を見つけることが出来た。
即ち、この惨状を生み出した元凶であり、脅威度で言えば赤の四つ星を誇る、正真正銘の怪物。
ユニークモンスターの可能性が極めて高い、最大級に警戒するべき難敵である。
そいつは、見上げるほどに大きなネズミだった。
姿形から察するに、奴がユニークだとするなら、ラット系統のそれに違いない。
特筆するべきは、そのデタラメな体色だろうか。
カラフルと呼ぶには暗い色のチョイスが多い、無茶苦茶にインクを塗りたくったような奇妙な柄と配色。
強いて言えば、マーブリングに失敗したような混沌とした色。
仮にカオスラットとでも呼んでおこうか。
そんなカオスラットの首筋に、一縷の光がガツンと突き刺さっていた。
モチャコ、渾身のドロップキックである。
私の手の平に乗るほどに小さな妖精のモチャコ。
そんな彼女が幾ら勢いをつけて蹴っ飛ばそうとも、本来であればその威力など高が知れている。
だからこそ、それは驚愕するべき光景だったと言えよう。
体格比で言えば、人間とゴ◯ラ程も違うモチャコとカオスラットである。
にも関わらず、モチャコは何と奴を凄まじい勢いで吹き飛ばしたのだ。
「グラァ……!」
「これが、モチャコの宿木の力……!」
モチャコ本来のささやかな膂力を、ここまで大きく膨らませるのだ。流石としか言いようがない。
流石、モチャコ師匠である。
そして私の師匠なればこそ、追撃にも余念がなく。
吹き飛ばしたカオスラットめがけて、一切の容赦なく更に突っ込んでいったのだ。
が、しかし。
私は同時に、警戒感も強く懐いていた。
カオスラットの首筋へ、確かに突き刺さったモチャコの蹴り。
さりとて、モチャコの脚は確かに奴へめり込みこそしたけれど、その体表を突き破るには至らなかったのである。
まるでコミックの一コマのように、大袈裟に奴の体を凹ませ、凄まじい勢いで吹き飛ばした。
一見するとモチャコの凄さが際立って見えるが、カオスラットの耐久力も相当なものなんじゃなかろうか。
そんな私の懸念などお構いなしに、モチャコは建物に突き刺さり、瓦礫に埋もれていたカオスラットを、次は上方向へと蹴り上げ、空中コンボを仕掛けたのである。
不自由な滞空の最中、ドカスカとピンボールが如く重い攻撃を無数に叩き込まれるカオスラット。
一方的である。
いや、一方的に見える。
が、心眼は奴の余裕を確かに捉えており、嫌な予感が拭えない。
だから私は、怒りのままにカオスラットをボコボコにしているモチャコへと、大きな声で告げたのである。
「モチャコ! 場所を変えよう!」
その一言で、意図はどうやら正しく伝わったようだ。
ゴンと最後に一撃、突き上げるような衝撃が襲い、高く放り出されるカオスラット。
私はその間に黒宿木を発動し、モチャコとカオスラットへワープを仕掛けた。
飛ばす先は、すっかりお馴染みとなった『いつもの荒野』である。
模擬戦などでよく使っているあそこなら、どれだけ暴れても問題ないだろう。
スキル発動と同時、フッとその場から姿を消すカオスラットとモチャコ。
しかし、その反面私たちはこの場に留まっており。
これにはゼノワが首を傾げ、「グラ?」と小さく疑問の声を投げてきた。
「ちょっと念を入れておこうと思ってね」
彼女にはそのように返事を返しつつ、開いたのはマップスキルだ。
すると、案の定。
「あった。もしかすると、コレが奴の余裕の理由かな……?」
町の中には、よく見ると他にもモンスターの反応があるのだ。
身を潜めるように、瓦礫の下や路地の奥、それに下水道などへ入り込んでいるそいつら。如何にも怪しいじゃないか。
ふと思ったのだ。ネズミと言えば、その特徴の一つが『強い繁殖力』である。
それにこの町の惨状。奴が単体で起こしたとするには、被害が散らばりすぎているように見える。
だとすると、もしかしたら奴の『子』が存在するんじゃないかと。
或いは分身体だろうか。その辺はまぁ、まだ判然とはしないけれど。
しかし、何かしらの保険があるんじゃないかと。そんな予感があった。
だから、それを確かめるべくマップを開いたのである。
すると結果は、思ったとおり。
町のあっちこっちに見える、小さな反応たち。
きっとこれらを見逃せば、大変なことになるのだろう。
『モチャコの方も心配だし、ちゃっちゃと手分けをして片付けよう。ゼノワ、行ける?』
『グラ!』
一秒でも早い行動が望ましいため、ここからは念話である。
私が敵の位置を示してやれば、早速隠れている奴らの反応を捉えたらしいゼノワ。
すぐさま二手に分かれ、町の中に潜むそいつらの駆除へ取り掛かった私たち。
遠視と透視を駆使し、そいつの姿を捉えた私は、納得とともに眉根を寄せた。
そこに居たのは、カオスラットそっくりの小さなネズミだったのだ。
予想通りではあるのだけれど、嫌な感じである。
もしも奴が保険としてコレを残していったのだとすると、カオスラットには、
『子ネズミが一匹でも生き延びていたら、そちらに本体を移すことが出来る』
なんて能力が備わっていても不思議じゃない。
私は念入りにマップを調べ、子ラットの反応を徹底的に潰して回った。
と言っても、遠隔魔法を駆使すれば数秒である。装備は当然、魔法特化型に換装済み。
『ガウガウ!』
ゼノワが暴れ足りないと抗議してくるけれど、精霊であるゼノワは、捕捉した相手に距離も数も関係なく攻撃を仕掛けることが出来る。
そのため、きっちり半数近くは彼女が始末してくれた。のだが、それでもまだ消化不良らしい。すっかり強く育ったものだ。
『よし、ならモチャコのところに急ごう!』
『ガウ!』
気がかりなのは、子ラットの強さ。
小さいくせに、その耐久力は想像以上だった。黒宿木の発動中だったから、問題なく遠隔魔法で一網打尽に出来たけれど、そうでなかったら結構な出力で魔法を放つ必要があったはずだ。
子でそれだけ厄介だったのだ。ならば本体であるカオスラットの力は、決して侮って良いようなものではない。
モチャコの身を案じながら、私たちは直ちに彼女の後を追って、荒野への転移を果たしたのだった。
転移は瞬く間に済み。
荒野の硬い土を靴の裏に感じながら、私たちが最初に目にしたのは。
天変地異が如き、魔法の応酬だった。
多属性を操るらしいカオスラット。
視線の先では、奴によってデタラメに大地は巨大な生き物の如く暴れ、世界樹めいた竜巻が土埃の柱をうねらせ、氷の槍が雨のように降り注ぎ、不規則に巨大な爆炎が発生しては、戦場を赤く彩った。
対するは、光の猛威である。
モチャコ自体が、光の速度で縦横無尽に飛び回り、あらゆる脅威をやり過ごしている。
それでいて振るう精霊魔法は、スキルによる防御を一切受け付けない極光。
天より注ぐ光の柱は、的確にカオスラットを射抜き、その体を着実に削っていった。
一見して、優勢はモチャコ。
さりとて未だ、カオスラットに焦りの色は無く、何かしら手を隠しているように見える。
『グア!』
『うん、加勢しよう!』
胸を過る一抹の不安。
それに煽り立てられるように、飛び交う超常なる猛威の中へ、私とゼノワは果敢に飛び込むのだった。
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