第五七七話 口出しとイベントの予感

 屋敷の特級ダンジョン三一階層。

 足元にはフワフワの絨毯、壁も天井もホコリや汚れ一つ無い清潔仕様で、唯一窓らしきものが何処にもないって点を除けば、本当にダンジョンの中だとは思えないような所である。

 現在地は三一階層入り口、セーフティーエリアであり、先日オルカたちを迎えに来た場所。

 そして今回は、彼女らを送り届けるべく此処へ足を踏み入れたわけだけれど。


「行きたくないでござる」


 いざオルカたちを連れて、フロアスキップにてここまで転移してきて、とうとう今暫くのお別れをしようという段階になって、思わず私の口から溢れた言葉がこれであった。

 慌てて仮面の上から自分の口を押さえてみるも、時既に遅し。

 皆の顔を窺ってみたなら、一様に寂しそうな笑みを浮かべているではないか。

 つまるところ、『それは言わないお約束』というやつだったわけで。


「や、ごめん。つい」

 後頭部をポリポリしながらヘコッと頭を下げれば、少しだけ困ったような空気感が漂った。

 取り繕うように私は、異なる話題を投げてみる。


「ところでさ、このダンジョンの踏破にあと何日掛かるとか、見通しは立ってるの?」

 ダンジョンの深さが何階層まであるのか、なんていうのは不明なれど、しかしモンスターの手強さからゴールの近し遠しを予想することくらいは出来るだろう。

 加えて言うなら、ボスフロアは往々にしてキリの良い階層に存在していたりするものだ。

 一〇階層刻みだったり、時々五階層刻みだったり。

 オルカたちの苦戦ぶりからすると、多分そう遠くないはず。三五階層か、深くても四〇階層当たりがボスフロアのはずである。


 そして、私の予想は彼女たちの見解とも一致していたようで。

 それを踏まえた上での皆の考えとしては。

「これまでと同じペースで進むことが出来るなら、早くて四週間ちょっと。遅くても九週間ちょっと」

「ボスフロア攻略に一週間は掛からないはずですしね」

「ああ。だが、恐らくは一階層辺りの攻略スピードは、今後更に落ちるだろうな。ボスフロアが三五階層だったとしても、踏破までに一月以上掛かるのは間違いない」

「ミコトさんがグランリィスに着くよりかは、恐らく遅くなるでしょうね」

 というものだった。


「一階層に一週間以上か……その分ステータスがしっかり上がるっていうのは分かるんだけど、もうちょっとだけ安全には出来ないかな? 例えば、次の階層に降りて少しの間は、二人一組で行動する、とか」

 余計なことかも知れないと思いつつも、そんな提案をせずには居られなかった。

 彼女らの攻略エピソードを聞いて、ずっと不安に思っていたのだ。

 次の階層に降りたその日が、最も危険であると。レベルアップしたモンスターの強さに翻弄され、怪我を負うことも少なくないと。

 そんな話を聞かされては、当然黙ってなんて居られない。


 だが必然、危険であるが故にこそ最もステータスが上がりやすい、謂うなればハイリスクハイリターンなギャンブルタイムでもあり。

 それを取り上げてしまうような提案が、果たして彼女らの為になるのかというのは、正直答えの見えぬ自問だった。

 しかし何れにしても、背負うリスクの取捨選択にはもっと慎重であって欲しいと。そのように思ってしまうわけだ。


「ふむ……まぁ、そうだな。確かに深い階層へ進めば進むほど、このダンジョンのモンスターは大きな振り幅でその脅威度を増してくる」

「そうですね。このまま行くと、やがて何処かで破綻を来すことになるでしょうし。それを思えばミコトさんの提案は、的を射たものであると言えるでしょう」

「ココロは賛成です! ミコト様がココロたちを案じて提案して下さったご意見に、どうして背くことが出来るでしょう!」

「私も異議なし。それに、ダンジョンを出たら連携の仕方を忘れてた、なんてシャレにならない」


 オルカの冷静な意見に、苦い顔をした他三人。どうやら連携の練度低下という懸念には心当たりがあるらしい。

 そんなわけで、思ったより素直に提案を受け入れてくれた彼女たち。

「よかった……それならちょっとは安心できるよ」

 胸を撫で下ろしてそのように述べれば、心配をかけている自覚はあるらしい彼女たち。一様に乾いた笑みを返すと、改めてクラウが明言してくれた。


「相わかった。では、新たな階層に足を踏み入れた際は、最初に二人一組で様子見を行うこととしよう。ソロはモンスターの力を確かめたその後でだな」

 それを承諾するように頷く面々。

 これでどうにか一安心である。



 それから幾らか言葉を交わし、別れを惜しみ。

 さりとて会話が途切れたタイミングを見計らって、私はゆっくりと踵を返してみせた。


「さて、それじゃ私はそろそろ行くね」


 行きたくないでござる、だなんて吐いたこの口が、真逆の言葉を紡いだ。

 これには皆も、小さく笑みをこぼし。さりとてその眉尻は寂しげに下り。

「ミコトも、気をつけて……!」

「届けココロの信仰心! 離れていてもココロは一緒ですミコト様!」

「む。それは妻である私のセリフですが」

「縛りが緩んだからと言って、油断しちゃダメだぞ!」


 皆のそんな言葉を受け、小さく手を振り返し。

「またね、みんな。ちゃんとアルバム更新するんだよ!」



 斯くして、私は屋敷のダンジョン三一階層を後にし、地上へ。

 次に向かうは、一旦イクシス邸転移室。

 改めていってきますをしたなら、いよいよ私も旅の再開である。



 ★



 時は少し遡り。

 朝のルーティーンをこなし、ミコトがいつもより早めにイクシス邸へと転移していった、午前八時頃。

 モチャコもまた、今日の活動を行うべくヒラリとゼノワに跨ると、コミコトとともに転移扉を潜り抜け、旅路の只中へと舞い戻っていた。

 のだが。


「はぁ……なんか、移動ばっかでつまんないんだけど! しかも森の中だし! 代わり映えしない景色だし! 空気は清々しいけども!」


 と、早速愚痴をこぼすモチャコである。

 それというのも、ミコト本体が中間報告会へ向かってからコミコトと入れ替わり、ろくに精霊術の鍛錬も出来なくなってしまったことが主な理由であり。

 加えて言うなら。


「そんなこと言ったって、グランリィスの方向を真っ直ぐ目指すんなら、どうしたってこの森を突っ切ることになるわけだし。そもそも今の私たちって、人目に触れちゃまずいじゃん。まぁモチャコは妖精だから子供の目にしか見えないし、ゼノワはそもそも目撃される心配からしてほぼ無いけどさ、私はコミコトボディだもの。普通の人からすると、勝手に動く人形か、もしくは小人か何かにしか見えないって。だから街道を行くわけにも行かないわけだよ」

「ガウ……」

「むぅ、分かってるよそんなこと!」


 そんなわけで、コミコトとミコトが交代してからの二日は、山の中や森の中といった道なき道を延々と進み、何とも地味な道中を辿ったのである。

 最初こそ冒険気分でウキウキしていたモチャコも、これにはげんなり。

 更に言うなら、モンスターとのエンカウントなんかも努めて避けるように立ち回っていたし、稀に山賊だか盗賊だかの如何にも野蛮そうな人影や気配を見つけると、モチャコに気取られぬようそっと迂回して接触を避けたりなどして、兎にも角にも安全を確保しながらひたすら移動を繰り返していた。

 それが却って、モチャコの退屈を加速させてしまっているわけだけれど。


「あーあ! てっきりアタシは、もっとこう胸躍る冒険を体験できるものだと思ってたのに!」

「モチャコをそんな危ないことに巻き込むわけ無いじゃん……」

「グゥ」

「むー! それならそれで、これを機に精霊術の新技とか教えてあげようと思ってたのに!」

「気持ちは嬉しいけど、コミコトじゃなぁ……」

「ガゥ」


 流石に、コミコトで精霊術は使えない。

 理由のほどは、恐らくコミコトを動かしているのがスキルによる力だからではないかと考えられる。

 精霊術には、スキルによる効果を素通りする、という不思議な特性があり。

 であればこそ、スキルによって動いているコミコトでは精霊術を行使できない、というのも道理だろう。


「つまんないつまんない! なんか面白いこと無いわけ?!」

「って言われてもなぁ」

「ギャウ」

「ん? あ、ホントだ。ほらモチャコ、もうすぐ森を抜けるみたいだよ」

「え! こうしちゃいらんない、レッツゴーゼノワ! こんな退屈な森とはさっさとオサラバだよ!」


 ゼノワを急かし、彼女の背に乗ってスイスイと木々の隙間を潜り抜けていくモチャコ。

 その様は、さながら騎竜を巧みに操る竜騎士が如し。

 これには退屈を持て余していたモチャコも楽しげである。

 そしてコミコトは、飛行スキルを駆使して彼女らの後を飛んで追いかけるのだった。


 程なくして、唐突に森は終わりを告げる。

 背の高い草を飛び越えるように高度を上げ、だだっ広い草原を眼下に収めたモチャコは、その目をキラキラと輝かせた。

「あはは! やっと! やっと森を抜けたよ! 直射日光バンザイ!」

「ギュワ」


 キャッキャとはしゃぐモチャコ。

 しかし、存外それも束の間のことだった。

 むっ、と突然眉を顰めた彼女は、目を細めて遠くを眺める。

 そこへ、後ろから追いついてきたコミコト。そんな彼女へ向けて、モチャコは言うのだ。


「ねぇミコト、アレって……馬車がモンスターに襲われてない?」


 モチャコの指差した先。

 そこには街道が一つ通っており、その只中。

 立ち往生した馬車が一台と、そこに迫る犬型のモンスターが十数匹。

 それに、馬車を守るよう戦う護衛冒険者らしき姿も。


 絵に描いたような、突発イベントであった。

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