第五七六話 水玉と再出発

 イクシス邸大浴場。

 多分一般的な公衆浴場などより余程広いそこでは、現在私たち鏡花水月に、レッカやスイレンさん、蒼穹の地平と、更にはイクシスさんを加えた面子がワイワイと入浴を行っており。

 しかしその顔ぶれ故か、だだっ広い湯船のその上で、何とも異様な光景が繰り広げられていたのである。


 切っ掛けは二つ。

 一つは、私による魔法の鍛錬の一環で、お湯でバスケットボールサイズの水玉を作り、宙に浮かべて回転を維持するっていうトレーニングをしていたこと。

 そしてもう一つは、ソフィアさんがそこに食いついてきたことだ。


「ミコトさんの扱う、『魔法の形状変化』は常識離れした自由度を誇りますが、もしかしてその水玉ももっとイジれたりしますか?」

「んー? まぁ、できるけど」

「なら、もっと大きな水玉を作ってみて下さい。そして可能であれば、私はその中で泳いでみたい!」

「……えらくファンシーなことを言うね」

「ミコトさんのスキルの中に身を沈める……はぁ……はぁ……想像しただけでも鼻血が出そうです」


 鼻血は勘弁願いたいところである。

 が、まぁ面白そうな企画だなとは思った。

 なので、早速湯船の上に縦横一〇メートル近くもある巨大な水玉……っていうかお湯玉を生成し、宙に浮かべて維持する私。勿論回転はさせてない。

 重力魔法も併用しているため、ソフィアさんの言うとおり飛び込めば中で泳ぐことも可能なはずである。


 すると当然、こんなバカでかいものが人目を引かないはずもなく。

 興味を惹かれたスッポンポンの女冒険者たちが、我先にと突っ込んでいくではないか。

 空中水中遊泳という謎のアクティビティに興じる美女・美少女たち。

 さながら、金魚鉢で泳ぐ人魚たちの如しである。見方によっては幻想的な光景だけど、窮屈そうだというのがシンプルな感想だ。

 しかも息継ぎのために、上下左右問わず、ニョキッと誰かの頭が水球から飛び出てくるのがまたシュールで。

 術者である私も、流石に苦笑いを禁じえなかった。



 そんなレクリエーションなんかも一頻り楽しみ、再度私が湯船の端で小さな水球を体の周りに複数浮かべてぼーっとしていると、そこにフラフラと寄ってくる鏡花水月のメンバーたち。

 思えば今日は、彼女らと過ごす時間があまり取れていないので、私としてもウェルカムである。


「明日からは特訓再開。またミコトとは暫く会えなくなる……」

 そう言ってしょんぼりするのはオルカ。

 彼女の言うとおり、明日からはまた其々の場所で、ステータスを上昇させるべく頑張ることになる。

 オルカたちはダンジョン攻略の続き。レッカたちはこれまで同様イクシスさんに付いて回るし、蒼穹のみんなには引き続きお仕事の肩代わりをお願いすることになる。

 そして私はと言えば。


「ミコトは、基本的に陸路を使ってグランリィスを目指すのだったな」

「縛りの緩和も決まったことですし、これならココロも安心です!」

「スキル鍛錬にも困らないでしょうしね!」


 皆との話し合いの結果、リィンベルでの活動によって、ある程度『一般的な苦労』ってものを学んだものと認められ、私に課される縛りの緩和が決定したのである。

 これにより、やろうと思えばグランリィスまでの旅程を一気に縮めることも可能となったのだけれど。

 しかしそれでは、旅というよりただの移動である。

 なので、移動には陸路を使うという新たな縛りが設定された。

 それでも、これまでのようにMPを惜しんで鍛錬を制限しなくちゃならない、なんて状況は改善されたと言っていいだろう。

 というか。


「確かにスキルの鍛錬には困らなくなったんだけど、実は……」

 日記にも軽く書きはしたのだけれど、グランリィスを目指す旅路に於いて、新たな同行者が一名加わったのである。

 私の魔道具作り、及び精霊術の師であり、良き友人であり、自称ママであるところの、妖精モチャコ。

 それが、私の新たな旅仲間だ。


 そして彼女が一緒であるということは、つまり。

「ってことで、旅の間は精霊術も併せて磨こうかなって思ってるんだけど」

 と、声を小さくして皆へ説明した。


 するとまっ先にリアクションしたのはクラウで。

「それじゃぁミコトが、ますます強くなってしまうじゃないか……」

 などと、悔しげな表情を作ってみせた。

 それに続くように、皆も口々にコメントを述べる。

「そもそも、命懸けで特訓してる私たちと遜色ない成長をしてるミコトには、もうちょっと大人しくしてて欲しい」

「そうですか? 私としては、良いぞもっとやれ! って感じですけど」

「何にせよ、ココロたちももっと頑張らねばなりません……!」


 やる気を漲らせるココロちゃん。触発されたように、皆も明日からの特訓へやる気を見せる。

 私としては、そのやる気が災いしないかと、心配で仕方ないのだけど。

「みんな、くれぐれも無茶し過ぎちゃダメだからね……?」

 なんて言葉に、果たしてどれだけの意味があったか。

 否応なく、二ヶ月前にも感じた不安が、克明に蘇ってきたのだった。



 ★



 翌朝。

 時刻は午前九時を過ぎ、私たちはイクシス邸転移室へと集まっていた。

 ベッドにソファにテーブルに本棚に壁掛け時計にティーセットに……と、快適空間を目指して謎進化を遂げている転移室。

 一〇人以上が屯しても、さして窮屈さを感じるでもないくらいには広いこの部屋の中、私は蒼穹のリリたちと向かい合い、転移の用意をしていた。


 マップウィンドウを開き、彼女らが飛びたいポイントにマーカーをくっつけてもらう。

 そのポイントへ向けてリリたちを転移させれば、彼女らの送り出しは完了である。

 以前は自分ごと転移しなくては、対象を送ることも出来なかったワープのスキルだけれど、今は対象だけを現地に飛ばすことが可能だからね。

 それに伴い、リリたちには透明化の魔法も掛けておく。飛んだ先にもし人が居たら大変なので。


「……設定されたマーカー位置を確認。何時でも行けるよ」

 そのように準備完了を告げたなら、リリたちは最後に皆へ向けて宣言した。


「今回は私たちが特訓に協力してあげてるけど、次はあんたたちが私たちに協力するんだからね! それで、絶対あんたたちの誰より強くなってみせるんだから!」


 実に彼女らしいセリフである。

 皆微笑ましいものでも見るように、了承の返事を投げると、リリは鼻を一つ鳴らし、満足した様子。

 聖女さんたちは苦笑を浮かべている。

 そんな彼女らへ、私は改めて口を開いた。


「引き続き申し訳ないけど、依頼の方はお願いね。きっと埋め合わせはするから」

 すると、アグネムちゃんたちは快く頷きを返してくれる。

「お任せ下さいミコト様!」

「天使様のためとあらば、喜んでお引き受けしますよ」

「まぁ、普通に実入りもいいしね」



 斯くして、透明になった彼女たちはワープのスキル効果によって、指定先へ転移していったのだった。

 念の為念話で問題はないか軽く確認するが、特にトラブルはないらしい。

 透明化も三分ほど経てば自動で解除されるようになっているため、彼女らの送り出しはこれにて完了である。


 さて。

「それじゃぁ、次は……」


 静かにオルカたちの方を向く私。

 すると、徐々にソファから腰を上げる彼女たち。

 レッカとスイレンさんは、寂しげにその様子を眺め、イクシスさんに至ってはボロボロ泣いていた。

「クラウ、クラウぅ……無茶するんじゃないぞぉ! ちゃんと五体満足で、生きて帰ってくるんだぞぉ!」

 と、その有り余る不安を隠しもしない。

 一方のクラウは、苦笑しながらも。しかしその言葉を大袈裟などとは言わず。軽んじるでもなく。


「大丈夫だ母上、ちゃんと理解している。何はともあれ、生きていなければ強さに意味など無いからな。どんな強者も死すれば最弱。我々は、強くならねばならないのだ」

「生還は大前提」

「生きてさえいれば、どんな大怪我だってココロが綺麗に完治させてみせるのです!」

「スキル探求のためにも、死んでいる場合ではありませんからね」


 イクシスさんへの返答として投げられた言葉は、しかし必然、私やレッカたちにも響いた。

 オルカたちがこれより挑むのは、特級ダンジョンの深層。

 近頃は一階層当たり、楽に攻略できるようになるために一週間もの時間を掛けて慣らしを行っていたという彼女たちである。

 この先の階層は、きっともっと大きな危険が伴うに違いない。


 けれど、彼女らの言葉は、立ち込める不安の幾らかを確かに晴らしてくれたのだ。

 少なくともクラウたちに油断はない。それはしかと伝わった。

 なれば後は、彼女らの力を信じるだけである。


「いってらっしゃい。皆の帰りを待っているからな!」


 イクシスさんのそんな言葉を受けながら、私はオルカ・クラウ・ココロちゃん・ソフィアさんを伴い転移を発動したのだった。

 飛んだ先は屋敷のダンジョン入り口。

 そして、フロアスキップにて三一階層へ。

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