第五三九話 オルカ大爆発

 オルカが足を踏み入れたのは、奇妙な部屋だった。

 そこには大量のマネキンが無造作に置かれ、何なら雑に横たえられているものまで散見できるような、物置めいた部屋である。

 モンスターの気配を察知してやって来た彼女だったが、しかし見渡してみても、見受けられるのはマネキンばかり。

 肝心のモンスターは、気配はあれど姿は見えず。


 そうして不可解さと不気味な部屋の雰囲気に、オルカが眉根を寄せていると。

 唐突に、それは起こったのである。


 慎重な足取りの彼女が部屋の中央辺りに至った瞬間、突如マネキンたちが動き出し、一斉にオルカへと襲いかかったのだ。

 しかもそれは、おしなべて恐ろしく高いステータスを発揮してみせた、動くマネキンたちによる凄まじき集中攻撃。

 さりとてそこは流石のオルカ。

 ひらりと僅かな隙間を縫って跳び上がった彼女は、即座に反撃を開始したのだった。


 大量の敵を前に彼女が選んだ攻撃手段は、その首元を飾る自慢のマフラー。これを用いた多彩な攻撃である。

 自由自在に自分の意志で動かせ、大きさすら思うままに変えることのできる強力な装備。

 本来なら防具……と言うか、アクセサリーに類する装備のはずが、その枠を飛び出てメイン武器としての運用すら可能になっている。特殊装備とでも呼ぶべき逸品だ。

 オルカはマフラーの両端を、さながらもう一対の腕のように変形させると、巨大なそれで大量の人形たちを千切っては投げ、千切っては投げ。

 とても隠密特化とは思えない恐るべき戦い方を披露し始めたのである。


 しかし、人形の勢いは凄まじく、それが三六〇度全方位から間断なく襲いかかってくる。

 流石のオルカも、その表情には一切余裕の色がなく。あまつさえ徐々に、彼女を囲う包囲網は、じわりじわりと狭まっていったのである。

 数の暴力とは恐ろしいもので、しかも特級ダンジョンに相応しいほど高いステータスを持ったモンスターたちによるものであれば、脅威の程は推して知るべし。


 せめてもの慰めは、人形らがこれといったアーツスキルを行使しなかったことだろうか。

 その代わり、手足は唐突に巨大で鋭利な針へと変じ、容赦なくオルカの身体に穴を穿たんと四方八方から刺突が繰り出されるわけだけれど。

 オルカの丈夫なマフラーは、それらを一顧だにせず跳ね除けるのだから、これには人形たちも想定を崩されたことだろう。

 しかし、だとしても。

 圧倒的な数を前に、拮抗らしき拮抗はそう長く持たなかったのである。


 マネキンの一体が、防御の隙間を縫って繰り出した鋭い刺突。それがとうとうオルカの右肩を掠める。

 僅かに顔を顰めるオルカ。

 腕には血が伝い、これを機にマネキンたちは一層勢い付いた。

(く……これは、まずいかも……っ)

 先がないと見るなり、逃走を図るべく視線を動かすオルカ。

 するとどうだ。部屋の出入り口への道を通せんぼするように、分厚い人形の重なりが立ちはだかったではないか。

 残念ながら彼女の考えはお見通しであるらしい。


 いよいよ表情を強張らせるオルカ。

 明らかにここまでに戦ってきたモンスターとは脅威度が異なっている。

 単体の強さは確かに、特筆するほどのものではないが、何せ数が手に負えない。

 恐らく罠に嵌ったのだろうと、今更になって思い至る彼女である。

 一般的な、ダンジョンに組み込まれた罠ではなく、モンスターが仕掛けた罠。


 試しに、オルカは人形の一体へ核の位置を暴くためのスキルを行使してみた。

 すると彼女の睨んだとおり、核の存在は検知できなかったのである。

 そこでようやく、現状への理解が足りてくる。

(この人形たちは多分、分体。本体は別に居るはず。私が感知した気配は恐らく、その本体のもの)

 オルカをこの部屋へ招き寄せた気配の主。この人形たちは、そいつが生み出し溜め込んでいたものであると。

 そんな敵の巣窟とすら言えるような部屋へ、彼女はまんまと足を踏み入れてしまったわけだ。

(鏡花水月の斥候として、あるまじき失態……知識が不足してる……!)


 自らの不明を恥じ、下唇を小さく噛むオルカ。 

 その時である。

 マネキンの一体が、マフラーの猛攻を掻い潜り、とうとう直接彼女へと襲いかかったのだ。

 努めて冷静に、構えた一対のダガーで迎え撃つオルカ。

 が、しかし。生じた綻びはさらなる綻びを生み。

 さながら呼び水のように、ダガーにて切り伏せられた人形の後続が、次々と彼女へ飛びかかってきたのである。


「っ!!」

 右太腿を、人形の太い針が貫いた。

 左肩にも穴が開き、拮抗はあっけなく破綻をきたした。


 死肉に群がる獣が如く、おびただしい量の人形がオルカへ殺到し、執拗に、鋭い針を何度も何度もそこへ突き立てたのである。

 返り血は人形たちを赤黒く染め、グチャリグチャリという生々しい音がいやに鮮明に、部屋の中へ響いたのだった。



 そして、大爆発が起こった。



 肉塊と化したオルカが、凄絶な破壊を巻き起こし、群がる人形の大半を木っ端微塵に吹き飛ばしたのである。

 そう。それは、オルカお得意の分身であり、そうと気づかぬ人形たちはまんまとその術中に嵌ったのだ。

 ならば、当のオルカ本体は何処に居たのか。その答えは、天井の隅っこ。


 気配もなくへばりついていた、巨大な黒繭が一つ。

 それが今、シュルリと解け。その中より姿を見せたのは、頭に獣耳、お尻には艶のいい尻尾を携えた彼女である。

 仲間たちはそれを『スーパーオルカ』と呼んだ。


 そして、決着はいとも呆気なく。


 瞬間かき消えるスーパーオルカ。

 無数の人形が粉々に砕け、そうして彼女のその腕は、一体の人形の胸を貫いていた。

 黒い爪を鋭利に伸ばしたスーパーオルカの貫手は、人形の防御力など容易く無視してしまうようだ。

 引き抜かれたその手に握られたのは、モンスターの核。即ち、胸に穴を穿たれた上に、たった今マフラーによるビンタで部屋の壁に激突したあの人形こそが、本体だったらしい。

 スーパーオルカに変身したことで、一層鋭利になった彼女の察知能力は、見事に数多の人形たちに紛れていた本体を見つけ出したのだ。


 グシャリと、核が握りつぶされる。

 途端に、全ての人形が黒い塵へと還っていった。

 オルカは最後に周囲の安全を確かめた後、耳と尻尾を引っ込め、溜息を一つ。


「こんなのじゃダメ。もっと強くならないと……」


 忌々しげにドロップアイテムをマジックバッグへしまうと、音もなくその場を去るオルカ。

 到底、ソロ冒険者が陥って生還できるような状況ではなかったのだ。

 それを容易く突破して尚、彼女の表情は晴れない。


 さりとて、このダンジョンでの戦闘は着実にオルカを、延いては鏡花水月を成長させている。

 理想は高く、さりとて彼女らの歩みは、当人らが自覚しているよりもずっと速いのであった。



 ★



 クラウの持つ懐中時計が、一八時を知らせる頃。

 一四階層下り階段へ集った面々は、夫々が夫々の労をねぎらいながら、ぞろぞろと次の階層へ続く階段を降りていった。

 安全な階段とは言え、油断などは一切なく。

 しかし気兼ねなく言葉は交わす。


「流石に一戦一戦の歯ごたえがしっかりしてきましたよね」

「そうだな、おかげでとても充実している。ハッピーだ!」

「その調子で新しいスキルに目覚めて下さい。そうしたら私もハッピーです」

「そんなことよりソフィア、私にモンスターの知識を分けて」


 などと、かしましくやり取りをしながらしばらく階段を降りると、滞りなく一五階層へと到着した。

 その様子はこれまでと変わりなく、依然として屋敷の中。

 どうやら今夜も、絨毯の上で眠れそうだと少しばかりホッとしたのは誰だったか。


 一先ず念の為皆で周囲の安全を確かめ、ココロはモンスター除けの結界を張り、オルカは夕飯の準備を、ソフィアはカメラを構えてシャッターチャンスを探し、クラウは元気に素振りを始めた。

 いつもどおりの光景である。

 このダンジョンに入ってからというもの、一日に一階層ずつたっぷり探索と戦闘を繰り返し、それが済んだら階段を降りて、しっかりと休みを取る。そんなサイクルを繰り返していた。

 そして、結界を張り終えたココロがいそいそと日記を取り出し、そこへ祈りを捧げ始めるのもまた、既に皆にとっては見慣れた光景である。

 曰く、「ミコト様に、今日も見守って下さっていたことへのお礼と、明日の安泰祈願をご祈祷させて頂いているのです!」とのこと。

 今更そこにツッコむものは、鏡花水月にはもう存在していなかった。慣れって怖い。


 すると不意に、ブンブン聖剣を振り続けていたクラウが、手を休めることなく言うのだ。

「そう言えば、レッカやスイレンは今頃どうしているだろうか」

 いつも話題に上るのはミコトの心配話ばかりだけれど、自分たちと同じく特訓期間に突入した彼女たちのことがふと気になり、ポロッと気がかりが口からこぼれたのだ。

 そこへ返事を返したのはソフィア。

「イクシス様やコミコトさんがついているのです。まぁ元気に励んでいるのではないですか?」

 なんとも投げやりな返事ではあるが、尤もな話でもあった。


 レッカたちにはミコトの分身である、コミコトがついている。

 しかもコミコトに関してはスキルが制限されていないため、転移なんかもお手の物である。

 それに加えて勇者が一緒となれば、どうにもならないような窮地に陥る事の方が難しいというもの。

 それ故クラウは、それもそうかと素振りに意識を戻し、他愛ない話題へチラホラ派生するにとどまったわけだが。


 丁度同じ頃、皆にとっても馴染み深いイクシス邸訓練場に於いて。

 汗だくになった件の二人が、精も根も尽き果て倒れ伏していようなどとは、当然知る由もなかった。

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