第五三一話 森の奥へ

 翌々日。

 時刻は午前九時。天気は薄曇り。

 町門を出た私は現在、先日同様地図と方位磁石を見比べ、向かうべき方角を確かめているところ。

 これより向かうは、このリィンベルの町にとって目の上のたんこぶ的な存在である、強力なダンジョンだ。

 先日トロルを倒しに入ったあの森。その奥に、目的のダンジョンはあるらしい。

 長年攻略のなされぬまま育ち、とうとう手がつけられなくなったという、危険な場所だ。

 移動には丸二日掛かるとかいう情報も、昨日ギルドへ立ち寄った際にミトラさんから得ている。


「今回は前回以上に体力もMPも温存して臨まなくちゃね。最大の敵は鍛錬不足から来るイライラだろうけど、どうにか我慢しなくちゃ」

「グルゥ」


 私は地図と磁石をマジックバッグへしまうと、少しだけ眉を顰めた。

 昨日はダンジョン攻略へ向けての買い出しを行ったのだけれど、食料を中心に色々買い揃えた結果、マジックバッグの空き容量が些か心許ないことになってしまったのだ。

 我ながら手際の悪いことである。

 ストレージにも一応上限はあるのだけれど、まだまだ頭打ちまでは程遠いため、つい何でもかんでも気軽に放り込んでしまう習慣が仇になった。

 ストレージ感覚でマジックバッグにぽいぽいぽぽいと物を詰めていたら、このザマである。

 宿で一応整理はしたんだ。持っていくべき物とそうでない物を選り分けて、なるべく容量の節約をしようと試みた。

 けれど、それでもやっぱり空き容量は心許なく。

 こんな状態でドロップアイテムを拾っていたのでは、あっという間に満杯になってしまう。

 かと言って、モンスターを倒しておいてドロップを放置する、だなんていうのは論外である。

 そんなのは、動物を狩っておいて肉を食べないっていうのと同義だもの。それは看過できない。


 そういうわけで、体力魔力持ち物と、複数の観点から今回は戦闘をなるべく避けて行動する必要があるわけだ。

 私はマジックバッグを背負い直すと、息を一つ吐いて歩き始めた。

 なかなか大変な道程になりそうである。



 ★



 歩き続けること六時間あまり。

 ようやっと森までたどり着いた私は、早くも精神的にダメージを受けていた。

 理由は簡単。鍛錬が出来ないストレスによるものだ。

 戦闘は当然避けるとして、MP温存のためにスキルトレーニングも出来ないし、スタミナ温存のために走ることも控えた。

 結果として、やり場のない鍛錬欲求だけがもりもりと溜まっていき、ストレスとなって心を苛んだのである。

 もしもこんな時に喧嘩を売ってくる者が現れようものなら、一も二もなく即買いしてしまうに違いない。俗に言う、身体が闘争を求めるってやつだ。


「ギャウ」

「え? ……ああ、確かに。この前の人たちとはすれ違わなかったね。無事町に着いたんじゃない?」


 この前死にかけてた、Cランクの何とかっていう人一行。ゼノワの言う通り、ここへ至るまでの道すがら、すれ違うようなこともなければ何処かで野垂れ死んでるような姿も見かけなかった。

 ってことは恐らく、どうにか町まで帰り着いたのだろう。

 或いはリィンベルとは異なる所へ向かった可能性や、辿ったルートが異なった可能性なんかも考えられるけれど。

 まぁ、別にどうでも良いことである。もし何処かで倒れていたなら、助けた甲斐がなかったなというだけの話。


「今回は、倒れてる人なんかにエンカウントしないことを願うばかりだね」

 なんてことをつぶやきながら、例によって地図と磁石を確認する。

 此処から先は、道なんてものはない。マップスキルも当然使えない。

 磁石の示す方角や、地形などの大雑把な目安だけを頼りに、地図とにらめっこしながら森の中を彷徨うことになるのだ。

 町からダンジョンまで丸々二・三日なんていうのは、スムーズに行ってもそれくらい掛かりますよ、ということだそうで。

 森で迷ってしまったなら、ダンジョンへ至るまでにもっと長い時間がかかるだろうとのことだった。

 マップスキルさえ使えれば、マーカーをぶっ刺してそれに向かって歩くだけの簡単なお仕事なのに……いや、やめよう。考えても仕方のないことだ。


 方位磁石を片手に、いよいよ森へと足を踏み入れていく私。

 注意するべきモンスターは、茶緑の猿ことエビルエイプだ。戦闘になったら危険だし、無事に勝ててもマジックバッグを圧迫する。

「日暮れ前にはキャンプの用意もしなくちゃだしね。サクサク行こう」

「ガウ」

 サクサクとは言っても、磁石の針が示す方角と、気配探知には十分な注意を払っての進行だ。

 先日同様、道しるべがてら木に印を刻むことも忘れない。



 そうして森を進むこと二時間近く。

 テントを張るのにちょうど良さそうな場所を見つけたので、今日の行動はここまでとし、テント設営に取りかかった。

 ここまでの道中、モンスターとのエンカウントは極力避けて来たけれど、森のモンスターは気配を察知するのが上手い。

 離れた位置からでも、音や匂いなんかでこちらを見つけ、わざわざ襲いかかってくるものもあった。

 ので、そういうやつはやむなく撃退させてもらった。

 溜まったストレスが、幾らか緩和されたのは幸いと言っていいものか。


 戦闘に関しては、ミトラさんに『ちゃんと戦えるBランク』として既に認識されてしまったので、自重すること無く立ち回ることにした。

 ダンジョン攻略に於いては、それこそ加減なんてしてる場合じゃないからね。

 無論縛りは守るけど、戦い方は寧ろぶっ飛んでいくべきだと考えを改めたのだ。

 そんなわけでここまでの道程は、ちびちびとマジックバッグの空き容量をすり減らしながらも、エンカウントを最低限に抑えてやり過ごしてきたわけである。


 魔物除けの魔道具がしっかり稼動していることや、テントがちゃんと張れていること、それに周囲のモンスターの気配なんかをしっかり確かめ、早めの夕飯にする。

 森の中、息を潜めて咀嚼するパンや干し肉は、何とも味気ないものだった。

 出掛けに買ってきたお惣菜の残りが唯一の楽しみだったけれど、明日からはそれもない。

 ダンジョン攻略、しんどい戦いになりそうである。



 ★



 寝る前、おもちゃ屋さんにてアルバムを開いた私は、思わずギョッとしてしまった。

 それというのも、今日新たに追加された写真には、何と抗議文章が載っていたからだ。

 地面に書いた文章を写真で撮影したらしい。とんだ変化球である。

 そして気になるその内容はと言えば、案の定私のソロダンジョン挑戦に対し、激しく反対する意を表したものであった。


「うわぁ、みんな怒ってるよ……」

 日記を通して私の状況はなるべく細かく説明しているため、私がダンジョン攻略へ挑むに至った経緯も伝わっているはず。

 その上で、彼女らは今すぐ引き返せというのだ。

 過保護組だなぁ、と、普段であれば苦笑で流すところだけれど。

 しかし彼女らは皆、元々それぞれがソロ冒険者である。

 私が如何に危険なことをしようとしているのか、それを私以上に理解しているのは間違いない。

 であれば、彼女らの忠告をおとなしく受け入れるべきかとも思うのだけれど。

 しかし。


「どの道ダンジョンへは、一人旅中に何処かのタイミングで挑む予定だったしね。それがちょっと早まっただけだもの。みんなには心配をかけて申し訳ないけど、今回はワガママを通させてもらうとしよう」


 日記には今日の報告の他、やっぱりダンジョンへは挑んでみるという旨、それに、こっちのことを心配しすぎて自分たちの活動を疎かにせぬようにと書き添えておいた。

 オルカたちもどうやらダンジョンに潜り始めたみたいだし、私のことより自分たちの安全を優先してほしいものである。

 なんて、心配を掛けておいて言えたセリフではないのだけれど。

 心苦しさや不安なども相まって、今日は寝つくのに少し時間がかかってしまった。

 師匠たちにも心配されたし、明日以降は一層気をつけて行動するとしよう。

 うっかり怪我でもしたんじゃ、それこそみんなに顔向けできないからね。



 ★



 次の日は、丸一日森の中を彷徨い歩いた。

 太陽の位置を確かめるのにも些か難儀する森の中、方位磁石を頼りに真っすぐ歩いたのだけれど、歩けど歩けどダンジョンの入口らしきものは見つからず。

 ミトラさんの話によれば、何と高い崖の中ほどにぽっかり口を開けた洞窟が、目的のダンジョン入り口だというのだ。

 なので崖を探して歩いてみたのだけれど、結果はなかなか芳しいものではなく。

 西日が差し始めてからようやっと傾斜のきつい地面を見つけ、可能性を感じ始めたところだった。

 しかし無理は禁物。潔くテントを張り、味気ない夕飯を頂いてから、さっさとおもちゃ屋さんに戻ったのである。



 そして更に一夜明け。

 天気はぐずついていて、斜面は気をつけて進まねば足を滑らせかねない。

 濡れた服にげんなりしながらも、懸命にダンジョン入口を探し続けること数時間。

 ようやっとそれらしきものを発見するに至ったのである。


 高さは二〇メートルにも届こうかという高い崖。

 そのちょうど中程に、ぽかんと空いた穴が一つ。

 親切なことに、先にここを訪れた冒険者が件の穴より崖下まで太いロープを垂らしたまま残しておいてくれており、それを伝って登れば無茶なロッククライミングは避けられそうだった。

 尤も、ロープの耐久度には心配が伴うわけだけれど。

「なるべく体重を掛けすぎないよう、あくまで補助的なものとして役立てよう」

「グル」

 凸凹した崖を十分に注意しながら登り始める私。ロープが朽ちていないかと案じた結果、結局素手での崖登りを選ぶことになったわけだ。


 雨で滑りやすい上に、変なところに体重をかけるとボロリと崩れ落ちる壁面。

 私は十二分に緊張しながら、おっかなびっくりルートを選んで、どうにかこうにか目的の横穴へと至ったのである。

 やろうと思えば空だって飛べる私なのに、メチャクチャハラハラした。

 途中何度か足場が崩れた時は、「ひぃ」と情けない声が出たものである。

 しかし、それでも私は成し遂げたのだ。


 いや、正しくはようやくここからがスタートなのだけれどね。

「さて、いよいよだね……」

「ガウ……!」


 ソロでのダンジョン攻略が、ようやっと始まる。

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