第五三〇話 原始的なお洗濯

 ミトラさんから、リィンベルにおける冒険者の人手不足について聞かされた私。

 結果として、ダンジョン攻略への挑戦を決めたのだった。

 そうと決まればしっかりと準備をしなくちゃならないのだけれど、しかし今日のところはお洗濯である。

 予め決めていた予定だって大事だからね。

 ギルドの買取窓口にて、ドロップアイテムを売った分のお金を受け取り、パンパンになった財布に度肝を抜かれ、帰り道でお洗濯に使えそうな洗濯板なんかを購入し。

 そうして小雨の降る中、早足で宿へと戻ってきた。


 時刻は一一時を過ぎ、やがてお昼時という頃。何とも中途半端な時間帯だが、こういう場合初動は早いに越したことはない。

 自室に戻るなり、数日分の洗濯物をまとめに掛かった。

 その作業自体はすぐに済んだのだけれど、問題はここからだ。

 一先ず、宿の人に声を掛けてみなくちゃならない。もしかしたらお洗濯を請け負ってくれるサービスとかあるかも知れないしね。

 そうだったら楽なんだけど、しかし下着を他人に預けるっていうのはちょっと抵抗がある。

 やっぱり横着せず、自分の手で洗うべきだろう。


 私は意を決して部屋を出ると、フロントへ向かった。

 その道すがら、丁度よく宿の女将さんを見つけたので、やや緊張しながらも声を掛けてみることに。


「あの、すみません。ちょっといいですか?」

「! ああはいはい、如何されました?」


 一瞬、私の顔を見て驚いた様子の女将さん。

 どうやらすっかり変な客として認知されているらしい。四六時中仮面をしてたら、普通はこんな反応になるか。

 今まではPTで活動していたし、宿に長く居るようなこともなかったためそんなに悪目立ちした感じは無かったのだけれど、一人だとその辺はシビアなようだ。

 とは言え、ここで私が心に壁を作っては、ますます警戒されてしまうだろう。

 努めて気さくに振る舞わねば。


「お洗濯をしたいんですけど、どこか場所をお借りできませんか? 出来れば桶なんかもお借り出来ると助かるんですが」

「はいはい、お洗濯ですね。ご案内しますんで、付いていらして下さい」


 そう言って、連れて来られたのは宿の裏庭。

 裏口を出て右手には井戸があり、その奥には物置小屋があった。

 女将さんは空模様を見上げると、やや心配げにこちらへ問う。

「こんな天気でお洗濯ですか?」

 私は少しばかり苦笑して、簡潔に事情を語って返した。

「明日から忙しくなりそうなので、出来れば今日の内に済ませたいんです」


 すると、変な客であるところの私について、なにか面白い話でも聞けると思ったのだろう。

 ついでとばかりに一歩踏み込んだ質問をしてきたのである。

「そう言えば昨日は留守にされていましたね。またお出かけになるんですか?」

「ええ、ちょっと。ダンジョンに挑んでみようかと思いまして」

「あらまぁ!」

 返答が意外だったのか、目を丸くする女将さん。

 冒険者がダンジョンに挑むというのは、至極当たり前のことのように思うのだけれど。一体何が意外だったのだろうか?


「お客さん、お名前はなんて言ったかしらね」

「ミコトです」

「そう、ミコトさん。もしかして腕利きの冒険者さんなんですか?」


 曰く、ここらのダンジョンは強力なものが多く、冒険者の立ち入りにはランク制限が設けられているものも多いのだとか。

 なので、この町でダンジョンに挑もうって冒険者は、比較的安全なものを選んでちまちま挑戦する中堅どころか、高難度のダンジョンに挑む腕利きのどちらかだというのだ。

 そして、一風変わった風体の私は、もしかして後者なんじゃないかと当たりをつけたのだと。


「いやいや、私なんて大した者じゃありませんよ」

「そうなんですか? ちなみにランクは?」

「……Bですけど」

「んま!!」

 今度は目ばかりか、口までまんまるに開いた女将さん。

 かと思えば、すたこらと屋内へ駆け込んでいき、すぐに戻ってきた。その手には色紙っぽい厚紙と、インクに筆も携えて。


「サインを一筆下さいな!」

「えぇ……」


 まさかの展開だった。

 生まれてこの方、署名以外でサインを求められたことなんてあっただろうか。多分無いはず。

 途端に、ドキドキと心臓が早鐘を打ち始める。

 だって、これは、アレじゃないか。中二病患者の嗜みとして、密かに考えておいた自分のサイン! それをお披露目する絶好の機会ってことじゃないか!

 いや、でも問題が一つある。

 この世界の文字に対応したサインは、まだ用意できてないのだ。何たる不覚!


 一応読み書きは出来るので、自分の名前をただ書くだけっていうんなら可能なのだけれど、果たしてそれでいいのか……せっかくサインを求められているのに、そんなんでいいのか?!

 でも、即興で考えたサインっていうのは、出来ればやりたくない。後から変更しにくいから。

 いや後からってなんだ。この後も書く気満々ってことじゃん! でもそんな機会が訪れないとも限らないし!


 葛藤に呑まれ、さながら彫像のように動きを停止した私。

 それを再起動させたのは、ゼノワによるチョップだった。

 ハッとした私に、目を爛々とさせながら紙と筆を差し出してくる女将さん。

 おずおずとそれを手にとった私は、一先ず言い訳を述べておく。

「サ、サインだなんて求められたこと無いんで、普通に名前を書くことしか出来ませんよ?」

 すると女将さんは、にっこり笑って「それで十分です!」と了承してくれた。

 私は乾いた笑いを一つ返し、それでも若干気取った書体でサラサラと、自身の名前をしたためたのである。


「はい、これでいいですか……?」

「ありがとうございます! 大事にしますね!」


 私としては、そんなものに価値があるとも思えないのだけれど。

 しかし嬉しそうに受け取ってくれた女将さんに、そんな無粋なことを言うのも憚られたので、代わりに質問を投げてみることに。


「集めてるんですか? サイン」

「ええ。宿を長くやっていますと、稀に著名な方にご利用いただける事がありますからね。そういう方にはつい、サインをおねだりしちゃいますねぇ」

「私なんて、ただのBランク冒険者ですけど」

「何いってんですか! Bランク冒険者さんともなれば、十分に有名人ですよ! ……んん? そう言えばミコトさん……どっかで聞いたことがあるような……」

「さ、さーてお洗濯しなくちゃ! 洗濯物取ってきますね!」


 こんな辺境の宿にまで私の悪名は轟いているっていうのか。勘弁してほしいものである。

 ミーハーな女将さんが余計なことを思い出す前に、私は踵を返して自室へ戻ったのだった。

 洗いたい衣類を手提げに詰め込み、買ったばかりの洗濯板を小脇に抱えると、すぐに裏庭へ舞い戻る。

 すると女将さんが、たらいと呼ぶには小さく、洗面器と呼ぶには大きな木桶を抱え、井戸の脇で待ってくれていた。

 私が小走りに駆け寄れば、これを使って下さいと木桶を渡してくれた。

「使い終わったらそこの物置にしまっておいて下さいね」

「あ、はい。ありがとうございます」

 そうして、パタパタと自身の仕事へ戻っていく女将さん。

 私はそれを見送るなり、早速作業に取り掛かるのだった。


 今回は、結局洗剤の類を用意することは出来なかった。石鹸くらいなら売られているので、せめてそれくらいは入手しておくべきだったと今更思うも、今回は諦めることに。

 なのでこれより行うは、井戸水と洗濯板でゴリゴリと衣類を扱き揉みくちゃにする、原始的なお洗濯である。

 小雨の降る中、手間取っていては体が冷えてしまう。洗濯物も増えちゃうし。ちゃっちゃと終わらせるとしよう。


 まずは軽くゆすいだ桶の中に、手提げをそいやと真っ逆さまにし、洗濯物を全て放り込む。

 そうしたら井戸水をせいやと汲み上げ、しかし桶を一杯にするには水が冷たい上に面倒くさくて時間も掛かるため、その作業は中断。

 代わりに魔法で水を出し、桶をざんぶりと満たした。

 そこでふと思う。

「これ、このまま魔法で渦を起こせば、洗濯機みたいに自動で洗えないかな……?」

「ガウ……」

 ゼノワに呆れられながらも、一応試してみた。

 結果、自己満足にしかならないことに気づいて止めた。汚れが落ちているかも、ぶっちゃけ怪しいし。


 そこからは、地道にゴシゴシと洗濯板で布を扱き、絞って手提げに戻すという作業の繰り返しだった。

 こ、こんなので良いんだろうか……?

 全く自信はなかったけれど、ともあれ何もせずに放置しているよりかはずっと良いはず。

 ってことで一通りの作業を終えると、最後に桶を綺麗にゆすいでから、言われたとおり物置に戻し。

 そうして幾らかの達成感を胸に自室へと引き上げたのだった。


 そして。


「どうしよう、干す場所がない。っていうかハンガーも洗濯バサミもない」

 次なる悩みに頭を抱える私。

 取り敢えず女将さんに再度相談してみた結果、裏庭に干す場所はあるけれど、今日は天気が良くないため使えないとのこと。

 代わりに渡されたのは、頑丈な長い紐。これを部屋の中に張って、部屋干しをしなさいとのことだった。


 結果として、私の洗濯物は見事に生乾きになった。

 敗北だ。こうして私は家事の大変さの、その一端に触れたのである。

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