第五二八話 報告と失敗

 時刻は早朝、そろそろ午前五時を回ろうかという頃。

 春の訪れを感じる季節になっても、冷え込みは依然としてきつい、白み始めた空の下。

 まばらに木々はあれど、概ね見晴らしの良い草原の中に、ぽつんと立ち上る煙が一つ。

 その足元には、焚き火に当たりながらぼんやりと虚空を眺める、ココロとクラウの姿があった。

 傍らのテントでは、オルカとソフィアが就寝中である。


「はぁ……ミコト様、大丈夫でしょうか……」

 何度目になるとも知れないつぶやきを、もはや意図せずぽろりと口からこぼすココロ。

 既に何度と無く上がった話題である。クラウの反応は薄く、ボケーッと彼方の空を眺めながら口を開いた。

「ミコトは大丈夫だ。装備はBでもスペックがおかしいからな……」


 ココロにしても、ミコトがBランクやそこらのモンスターに敗れるとは思っていない。

 それでも、何が起こるかわからないのが冒険者だ。


「ですがもし、大量のモンスターに囲まれでもしたら……」

「日記に書いてあっただろう。茶緑の猿を蹴散らしたと」

「茶緑の猿、恐らくエビルエイプですよね。一度仲間を呼ばれたが最後、群れで風の弾丸を浴びせてくる恐るべきモンスターです」

「ああ。それを無傷で返り討ちにしてしまうようなやつだ、心配するだけ無駄というものさ」

「それは、分かってます……ココロが心配しているのは、他のことなのです」


 胸に抱えた日記を開き、何度も読み直したその内容に再び目を落としながら、ココロは言う。

「ミコト様が……ああ、ミコト様がお一人でお洗濯だなんて!! それにお金の管理も心配です! ミコト様のことですから、うっかりギルドにドロップアイテムを全て売りつけて、おかしな目立ち方をするのではないかと……あああ、ミコト様ぁ」

「言うな。私まで不安になってくる」


 ミコトと別行動を始めてから、今日で四日目。

 事ある毎に話題に上がるのは、あのミコトが本当に普通のBランク冒険者として振る舞えているのかという話だった。

 彼女が置いていった日記により、ミコトに関する話題の種が尽きたり廃れるようなこともなく。

 彼女が日記帳に書き込んだ内容を、そのまま反映して更新される受信日記。

 日が暮れたなら活動のままならないココロたちの、就寝時刻は早い。

 交代で見張りをしながら野営をし、ミコトの日記更新を心待ちにするのである。


 今回新たに更新された日記には、厄介で危険なモンスターとして知られるエビルエイプを一掃した話や、トロルを一撃で昏倒させた話、人助けをした話などが書かれており。終いには洗濯物への憂鬱まで赤裸々に語られていた。

 日記を回し読んだ鏡花水月の面々は、悶々としながら一夜を過ごしたのである。

 しかもミコトは、自分のことを普通のBランク冒険者として自然に立ち回れているものと、信じて疑ってすらいないようなのだ。

 危なっかしい。絶対近々何かしでかす。

 ありありとそんな未来像が見えるからこそ、皆は盛大にざわついたのである。


 まぁ、とは言え。

 一方のクラウは自分たちの映っているアルバムを開き、眉根を寄せる。


「確かにミコトのことは心配だが、我々もあいつをとやかく言えないくらいには苦戦を強いられているぞ」

「あぅ……ですね。未だにダンジョンにも辿り着きませんし」


 ミコトと別れてから始まった、リーダー不在の鏡花水月特訓期間。

 初日に開拓拠点へと立ち寄り、そこで挑戦する特級ダンジョンに目星をつけ、意気揚々と出立したは良いものの。

 歩けど歩けど目的地は遠く、マップがないため進んでいるという実感も薄い。

 それにフィールドでエンカウントするモンスターも凶暴で、気づけばもう四日目である。

 道中何度、「マップスキルさえ使えたら……」と口をついて出そうになったかも分からない。

 皆はその言葉をぐっと飲み込み、曖昧な地図を頼りにダンジョン入口を探し、今日も今日とて歩き回ることになるわけで。


「ダンジョンに着いたなら着いたで、苦戦は免れ得ないだろう。ミコトの抜けた穴は、想像していた以上に大きい……」

「流石ミコト様……です」


 ミコトと活動を共にするようになって、すっかり彼女のスキルの恩恵に慣れてしまっていた鏡花水月。

 いざそれを失った時のストレスというのは、彼女らの想像していたそれよりも尚キツいもので。

 皆は日を追う毎に、着実に精神的な重みを溜め込んでいた。


 空はじんわりと明るさを増し、今日の始まりを告げようとしている。

「今日こそは、ダンジョン攻略に取り掛かりたいものだな」

 白い息とともに、クラウのそんなつぶやきが朝の空気に吸い込まれていった。



 ★



 時刻は午前一〇時を過ぎ、ギルドの混み合う時間帯を抜けた頃合いである。

 のんびりと町中を歩いて冒険者ギルドを訪れた私は、朝のラッシュを乗り越え、幾らか疲労の色が見える受付嬢のミトラさんと、カウンター越しに対峙していた。

 アイテムの買取窓口にて、トロルのドロップと引き換えに受け取った納品証明書を差し出せば、彼女はにっこり笑って言う。


「すごいですねミコトさん、お怪我の一つも無いようで。安心しました」

「怪我しそうな依頼を初手で斡旋してくるとか、なかなか強気なチョイスじゃないですか……」

「私もそうは思ったのですけれど、ミコトさんったら躊躇いもせずお受けになったので、別案を出すタイミングを逸してしまいました」

「…………」


 一昨日のやり取りを思い返してみる。

 あの時は、まだ朝の混んだ時間帯だったし、私の後ろに並んでる人も居たんだよね。

 だから受諾を渋るのは良くないなと、端から拒否するって選択肢を持ち合わせていなかったように思う。そりゃまぁ、流石にドラゴンを狩ってこいとか言われたら断るけども。

 でもまさか、トロル討伐依頼が私の顔色を探るためのジャブだったとは……。


「私はミコトさんのことを殆ど存じ上げませんからね。担当として、探りを入れるのは当然のことです」

「ぐぅ……」

「ガウ」

「ですがしかし、想像以上でした。仮面のBランク冒険者ミコトさん」

「? ……もしかして私のこと、何か知ってたりします?」

「まぁ、風の噂程度になら聞き及んでいますね」

「あぁ……そうでしたか」


 辺境の町とは言っても、冒険者ギルドの受付嬢さんだものね。

 噂になってるような冒険者の名前なら、小耳に挟んだことくらいはあるか。

 っていうか噂になってるのか。嫌だなぁ。


「ちなみにどんな噂を聞いたんです?」

「曰く、稀代のペテン師。有力な冒険者を口車に乗せてPTに引き込み、ギルドと癒着してランクを強引に引き上げたとか何とか」

「悪名じゃん!! しかもとんだデタラメだし!!」


 そりゃまぁ、鏡花水月メンバーはみんなすごい人だし、私が異例のスピードでBランクまで上がったのも、何ならグラマスであるクマちゃんにお願いして特級PTの認定を受けたのも事実だけどさ。

 事実だけどさぁぁぁ……。


「あ、もしや今回の納品物も何処かで仕入れたものとか?」

「おいやめろ! 変な疑いをかけるんじゃない!」

「冗談です。ところでお仲間の方は如何されたのですか? もしやボロが出て解散?」

「違うから! 何だボロって! みんな仲良し!!」


 デキるお姉さんだと思ってたのに、何だこの人。

 心眼がなくても分かる。私のことイジって遊んでるじゃないか!

 真面目な表情の下で、こっそり笑ってるに違いない。なんで私は、この人が担当に付くことを認めちゃったんだろう……大失敗だ。


「ふ、ふふ……っ」

「む。ボロを出したのはそっちじゃないか!」


 とうとう笑いが口端からはみ出したミトラさん。

 私の担当受付嬢になる人って、どうしてこうも普通じゃない人ばっかりなんだ……。

 げんなりして肩を落とすと、ゼノワが頭を撫でてくれた。荒んだ心が少し落ち着いた。


「失礼しました。思いがけずミコトさんが愉快な方だったので……ふふっ」

「さては笑い上戸ですね?」

「とんでもありません。鉄面皮のミトラとは私のことです。私を笑わせたら大したものですよ。ミコトさんは誇ってどうぞ」

「何だこの人」

「ギャウ」


 いよいよ私が白い目を向けると、コホンと咳払いをして澄まし顔に戻るミトラさん。

 そうしてすっとカウンターの上に差し出してくるのは、今回の報酬金である。

 八万デール。つまりは金貨八枚。

 命懸けで依頼をこなして、このお値段。これがPTとかだったら、やっぱり不足を感じるのだろうね。

 なかなか世知辛いものである。

 その点私はソロだからね。お財布は潤った。

 と言うかそれより何より、やっぱり自分で稼いだお金というのは嬉しいものだ。

 仮面の下でニヤニヤしながら金ピカの硬貨を受け取ると、早速お財布へしまい込む私。

 それを認め、改めてミトラさんが口を開いた。


「それで、どうでしたか? トロル討伐は。やはり苦労しました?」


 担当受付嬢としての聞き取り調査である。

 この問答により、次回以降斡旋される依頼のグレードというのは変わってくる。

 私はどう返答したものかと目を泳がせながら、当たり障りのない受け答えを繰り返したのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る