第五二六話 普通の敗北

 頭部を覆う水に大慌てする狼を、仕留めることに苦労などはなく。

 幾らかの罪悪感はあれど、数の不利を被るのであればこのくらいの非情な手も解禁ということで。

 私はドロップアイテムをマジックバッグへ詰めると、踵を返してゼノワの元へと小走りで戻ったのだった。


 先程は魔法装備で駆けた距離を、Bランク装備で走ってみると、ステータスの低下を一層肌身で実感することが出来た。

 まぁ足が遅い。身体強化などのスキルを使ったならともかく、通常の駆け足ではウサギとカメほども速度差が出てしまう。

 まるでスローモーションの世界にでも居るような錯覚を覚え、思わず笑いが出た。

 それもこれも、懸念していた最悪の想像が杞憂に終わればこそなのだけれど。


 しかしそれにしても、あの男の人は一体何と戦ってあんな深手を負ったというのだろうか。

 現場の戦闘痕もなかなか激しいものだったし、もしかして変異種でも現れたのか。

 もし彼が目を覚ますようであれば、質問してみるのもいいだろう。


 そんなことを考えながら走ること暫く。

 ようやっとゼノワと、まだ倒れたままの冒険者の男性の元へ戻った私。

「ガウ」

 と、早速私の頭へへばりつくゼノワに、見張りを務めてくれたことへのお礼を言いつつ、男性の様子を観察する。

 呼吸は安定しており、時折痛みからか眉根を寄せるけれど、命の危機は脱している。

 幸いだったのは、四肢欠損などがなかったことか。そのレベルになると、流石にココロちゃんを呼びつけなくちゃ手に負えないところだった。


「さて、それじゃどうしようか。流石にこのまま放置して帰るわけにも行かないよね……」

「グゥ」

「だね。せっかく助けたのに、彼一人じゃ多分森を抜けられないんじゃないかな」


 この人の実力が如何程かは分からない。

 いや、この森で活動していたことや、彼が刺し違えたと思しきモンスターのドロップアイテムから考えれば、彼の実力の程も察しがつこうというものか。

 私は近くに転がっている魔石と素材アイテムに目をやり、それを落としたであろう持ち主を推測しに掛かった。

 いや、よく見たら考えるまでもないことだった。


「これ、トロルのドロップじゃん」

 見覚えのある素材だと思ったら、それはトロルのドロップする骨だったのだ。

 つまるところ、この男の人やその仲間たちは、トロルを相手に激戦を繰り広げ、結果力及ばず撤退した、と。

 しかし逃げ切れず、殿として残ったこの人がどうにかトロルにとどめを刺し、そこで力尽きた。そんなところだろうか。


「ふぅむ……」 


 腕を組んで、唸る私。

 推測どおりだとするなら、この人はCランクかそれ以下の冒険者だろうか。

 PTで戦ったなら、トロルくらい然程危ない相手でもないと思うのだけれど。

 しかし実際、こんな事になっている。

 私は初手で不意打ちをかましたからあっさり勝てたけど、真正面からやり合うとそれ程までに危ない相手だったってことか。

 不意打ちや奇襲の重要性を、改めて考えさせられるなぁ。


 なんてゼノワと一緒にむんむん考え事をしていると、不意に彼が「ぅぅ……」と呻き声を漏らした。

 それからすぐに、ゆっくりと目を開く。

 怪訝そうに眉根を寄せた彼は、確かめるように上体をゆっくりと起こすと、自身の手を見て目を丸くした。


「生き……てる、のか……?」


 状況が呑み込めず、どうやら混乱しているらしい。こちらの存在にすら気づいていない様子だ。何時気づくだろう?

 少し黙って様子を見ていると、次いで辺りを見回し始めた彼が私の姿を捉え、分かりやすく肩を震わせる。何なら「おわっ!」と声まで出た。

 その拍子に身体が傷んだのだろう。盛大に顔を顰める彼。

 半端にしか治してないからね、そりゃ辛かろう。

 謂うなれば、瀕死の戦闘不能状態からHPを黄色ゲージまで回復させたようなものだ。

 実際は体力も落ちてるし血も大分失ってる。貧血で目眩でも感じているのか、分かりやすくフラフラしている。


 彼は暫し驚きに硬直し、じっと私を難しい表情で眺めた後、徐に問うてきた。

「な、何だあんたは……?」

 何だと来たもんだ。失敬なやつである。

「通りすがりの冒険者だよ」

「ガウガウ」

 ゼノワの声は聞こえていないだろうけれど、律儀に彼女も返事をする。うん、真面目かわいい。

 しかし案の定彼の目線が私の頭上を向くことなどはなく、困惑したように視線を彷徨わせたり、こっちをチラチラ見たり。頭がうまく回っていないのだろうか。

 それでも根気強く逡巡した彼は、ポツポツと現状を理解し始めた。


「俺は……確か、トロルを狩りに来て……それで、勝ち目がなくて……足止めを……そう、そうだ!」

 ブツブツ言っていた彼は、どうやらようやくあれこれ思い出したらしく。

 それ故にこそ、私へと問うてきた。

「な、何故俺は生きてる……? いや、もしかしてここはあの世か?」

「あの世じゃないよ。生きてるよ」

「バカな。助かる傷じゃなかったはずだ……」


 そりゃね。あんだけ酷い状態じゃ、確かにいつ死んでもおかしくなかった。

 それが生きているというのだ。必然、彼はまじまじと私を見て、確認してきた。

「もしかして、あんたが助けてくれたってのか? 死の淵に居た俺を、引っ張り戻したと?!」

「そうだよ」

「ど、どうやって? まさかそんな怪しいなりで、とんでもない治癒魔法の使い手なのか?」

「チガウヨ、オクスリヲツカッタンダヨ!」

「ガウ」


 ゼノワにツッコまれるが、誤魔化しはほんとに苦手なんだ。

 案の定彼も訝しげな顔をするけれど、しかし私が腰に剣を携えていることや、魔法使い系の装備を身につけていないことを認めるなり、どうにか納得する気になったらしい。

 もしも私が凄腕の治癒魔法使いだったなら、剣ではなく杖系の武器なんかを携えていて然るべきだからね。

 治癒魔法使いではないのだとすると、薬を使ったという私の言葉に信憑性が出てくる。

 私のことは訝しんでいるようだけれど、かと言って他にこの状況を説明できる要素が見当たらないため、彼は私の証言を信じることにしたようだ。


「そうだったのか……礼を言わせてくれ。あんたは命の恩人だ!」

「ど、どういたしまして」

「俺はロンド。あんたの名前は?」

「……名乗るほどの者じゃないよ」


 一期一会もいいけれど、私の場合無闇に他人と関わると、余計なボロが出かねないからね。

 これぞ! と思った人以外とは、なるべく関わりたくない。ので、適当にはぐらかす。


「そんなことより、さっさと森を出たいんだけど。歩ける? せっかく助けたんだし、森の外までなら同行してもいいよ」

「ホントか! それは助かる……っ」


 私の提案に、早速立ち上がろうとするもまだ身体が痛むらしい。

 未だ顔色の優れない彼は、腰のポーチから回復薬と思しき瓶を取り出すと、それをグビグビと煽り始めた。

 どうでも良いけど、マジックバッグを持っていないのなら瓶で持ち歩くのって不便じゃないのかな? 割れそうで怖いんですけど。っていうかなんで割れてないんだろうか。不思議だ。

 次いで丸薬を取り出した彼は、それも服用。多分増血剤だ。血を失いすぎてるからね。

 増血剤が効果を発揮するまでには流石に時間がかかるだろうけれど、回復薬は早速効果を示したらしく。

 えらく心許ない動作で立ち上がると、ヨロヨロと歩き始める彼。体の痛みは緩和したらしい。

 徐にドロップを拾い上げると、彼はその場で暫し黙り込んだ。

 そんな後ろ姿に、私は問いかけてみる。


「それ、あなたが倒したの?」

 グッと、トロルの骨と魔石を握る手に力が入った。

「……最近調子が良かったんだ。今の実力なら、Bランクのモンスターにだって通用するって思ってた。……考えが甘かったよ。仲間たちも怪我をした。あいつらを逃がすために俺が殿を務めて……とても倒したなんて言えるようなもんじゃない。やけくそで投げた剣がたまたま深く刺さって、どうにかHPを削り切ることが出来た。そんだけだ」

「投げたって……」

 イクシスさんが聞いたら憤慨しそうな話である。

 まぁでも、それで命を拾ったっていうんだから、とんだ悪運の強さだ。


「あなたのランクは?」

「C。仲間たちもな」

「…………」


 CランクのPTでトロルに挑んで、この結果か。

 これが、へんてこスキルを持たない冒険者の普通。

 PTで挑んだって、こうして負けることもある。負ければ命の保証はなく、十中八九訪れるのは死。


 リアルの戦闘は、ほんの些細なことが、勝敗をひっくり返す要因にもなりかねない。

 彼らの場合はどうだったんだろう。

 単純に彼らの実力が足らなかっただけかも知れないし、運悪く戦闘中に不測の事態が起こったのかも知れない。

 何れにせよ、彼は生死の境を彷徨ったし、PTとしても大打撃を受けたことは間違いない。

 けれど結果として生き延びたのだから、何だかんだできっと運だけは良かったのだろう。

 これもまた、ある意味で『普通の冒険者』の常か。


 それにしても、彼にとって今握りしめているそのアイテムが、果たしてどれだけの価値を持っていることか。

 討伐の報酬額を思えば、きっと割に合わないことだろう。

 にもかかわらずトロルへ挑んだのは、やはり彼らが『冒険者』だからか。


 彼らを反面教師とするなら、冒険者活動の基本とは、安定して勝てるモンスターをたくさん倒し、戦利品を換金して生計を立てるっていうのがベターなように思える。

 そう考えると、メインの討伐対象と同じくらい、道中で狩ったモンスターのドロップも重要だってことだ。

 それで言うなら、私今回結構頑張ってるなぁ。マジックバッグもそれなりにパンパンだし、思ったより稼げてるのかも知れない。


 それに、そうした諸々に気づけた事こそが、わざわざ彼を助けた甲斐ってものだろう。

 私ももっと安全な立ち回りをするべきか。っていうか初手でトロル討伐の依頼を斡旋してきたミトラさんは、一体何を考えているのやら……。

 何にせよ、森での用事は済んだ。

 斯くして私は、足元のおぼつかないロンドさんとやらを引き連れ、森を後にしたのだった。

 道中でモンスターに遭遇しなかったのは幸いだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る