第五二五話 数の不利
モンスターでも恐怖というものは感じるらしい。
対峙する二匹の狼が、ゴワゴワした尻尾をキュルンと丸めて股の間に挟んでいるのを見て、そのようなことを思う私。
どうやら私の威嚇が効果を発揮しているらしい。存外やってみるものだ。
実際今のガチ魔法装備であれば、奴らを仕留めるのに何秒も掛からないだろう。
野生の勘だか何だかは知らないが、勝ち目がないってことは理解しているらしい狼たちである。
そうであるなら、さっさと逃げてくれたら良いものを。尻尾もそんなにしちゃってさ。
だというのに、奴らは未だその場に踏みとどまり、あまつさえブルブルと恐怖に震えながらも低く唸り声を上げ始めたではないか。
まさか、やろうというのだろうか。この私と戦おうと?
一層の魔力を漲らせ、ズシンと一歩踏み込んでみせる。
クマのように両腕をガバっと振り上げ、分かりやすく威嚇してみた。
ココ今このタイミング! さっさと逃げ出せばいいじゃないか!
そんな私の意を汲んでくれない狼たち。
ビクリと身を竦ませ、それでも逃げずに涙目でこっちを睨んでくる。
勇敢というか、これは、アレだ。
背中を向けたらその瞬間死ぬと確信しているのだ。だから、逃げるに逃げられない。
とどのつまり、脅し過ぎである。
「あー……まずいな」
暫く圧を掛けてみたけれど、結局引き下がってくれない。
ばかりか、いよいよ進退窮まって開き直りの境地に至ったのか、震える足腰に力を込め始める二匹。
こうなってはもう、激突は避けられないだろう。
当然ながら、私に逃げるという選択肢はない。逃げた先には、せっかく一命をとりとめた殿お兄さんが居るのだ。
再びこんな奴らに襲われたんじゃ、次こそ命はないだろう。
「……仕方ないな。私も覚悟を決めるか」
私は奴らを脅して追い払うプランを断念すると、徐に威嚇状態を解き、換装にて装備を元のBランク冒険者のそれへと戻した。
狼たちの目には、さぞ面妖な様に見えたことだろう。自分たちを殺し得る脅威が、どういうわけだか急に平凡な冒険者へと変じたのだから。
一方の私にしても、敵を前にして自ら弱体化するような真似を演じるのには、結構な度胸が必要だった。
それでも、ルールである。ゲーマーがルールを破ってはならないのだ。
命あっての物種、変なこだわりだと仲間たちには叱られるかも知れないけれど、しかしこれは数少ない私の矜持、とでも言うべきものだから。
苦戦を強いられることになったとしても、曲げるわけには行かない。
そんな私のこだわりなんて知ったことではない狼たち。
奴らにしたら、絶望的な状況に突如差した、千載一遇の好機である。
一瞬、何かの罠を疑った様子でこそあったけれど、結局は構わず飛びかかってきた。もっと警戒してくれたら良かったのに。
戦闘開始である。
狼には油断など欠片もなく、寧ろこの場を切り抜けるために死力を尽くしてくる。
窮鼠猫噛ってやつだ。狼だけど。それくらい死物狂いで臨んでいるってことだ。
対する私は、既に気迫で劣っている。冷静である、と言えば聞こえは良いだろうが、下手を打てば呑まれて一気に崩される。踏ん張らねばならない。
何が何でも噛み殺す。そうしてこの場を切り抜ける。
そんな狼たちの必死な形相は、ただでさえ大きな図体を更に一回りも二回りも大きく見せた。気圧されているのだ。
だが、当然負けてなどはやらない。私だって殺されるわけには行かないもの。
剣の柄に手を掛け、抜剣からの振り抜きを匂わせる構えで踏み込みを行った。
必然、警戒する二匹。意識は否応なく剣の間合いの見極めへと移行し。
次の瞬間二匹の目前には、水球が一つずつ浮かんでおり。
そして、爆ぜたのである。
これも高いスキルレベルの恩恵か、魔法の発動スピードも以前よりずっと増しており、こうした一秒未満の即時発動もいつの間にか可能になっていた。
アクアボムは勢いよく狼たちを後方へと弾き飛ばし、殊更向かって右側の一匹には追加でもう一発お見舞いしておいた。
派手に飛ばされた狼らは、出鼻をくじかれたばかりか、吹き飛ばされた距離の違いから連携が困難となり、数の優位を欠いた。
そう、数の優位は恐ろしいのだ。
ゲームでは、プレイヤーが複数の敵を相手に無双する! なんて場面がよくあるけれど、現実問題それは大変に困難なことで。
ああいや、お猿を蹴散らした私が言っても説得力は薄いかも知れないけどさ。
でもリアルは何時だってPvPみたいなものなんだ。
お猿もトロルも狼も、みんな自分の脳みそで思考し、感情を事あるごとに動かして、能動的に肉体を操っている。
隙を見れば強かに突いてくるし、状況の変化にだって柔軟に対応してくる。
心が折れれば動きが鈍ったりもするし、勢いづけば手がつけられなくもなる。
数で有利を取れば、それだけ選択肢も増えるし、精神的にも乗りやすい。
珍しく二対一なんて状況を目の前にしてみて、思ったんだ。こりゃヤバいって。
警戒するべきことが幾らでも思い浮かぶし、それら全てに対応することは困難だ。
だから、まず優先するべきは『分断』だった。
連携を取らせないこと。どうにか一対一の構図を作って維持し、確実に先ずは片方を落とす必要があると。
そう考えると、普段鏡花水月の五人で少数のモンスターをボコす私たちの、何とも卑怯……いや、賢いことか。
ダンジョンボスって基本単体だし、PTを相手に大暴れするのって思ったよりずっと大変なことなんだなぁ。
なんて、益体のない考えが脳裏をビュンと通過していった。
それはそれとして、私はそんな無謀な立ち回りなんてやらないし、出来ない。
そりゃ心眼を駆使したなら、もしかするとアクション映画の大立ち回りをリアルに再現できるかも知れないけどさ、どうしたってそこには必要以上のリスクが生じる。
そんな危ない橋を渡るのは、私の性に合わないのだ。
だから今だって、慎重に奴らが同時に攻撃を仕掛けてこないよう気を配りつつ、こちらから仕掛けていく。
アクアボムで吹っ飛ばしたと同時、私は踏み込みを無駄にすること無く、高速で狼の片方に接近。
ベストは一撃で仕留めることだけれど、今回は敢えてそれは狙わない。
代わりに。
繰り出したるは刺突。
狼の着地を狙った強かで鋭い一撃だ。
見事な身のこなしでそれを躱す狼だけれど、しかし回避は十分ではなく。
私の繰り出したる刃は奴の右前足を深々と突き刺していたのだ。
四足歩行の獣は、ある意味弱点を四つも抱えていることになる。
何れかの足を痛めたなら、それだけで動きに大きな支障をきたすのだから。
これがゲームなら、なんてことはない。ただHPを削られるだけ、或いはバッドステータスが付いたくらいだろうか。
しかし現実は違う。受けた傷は痛みと動作不良を引き起こし、ついでに精神的な負荷も生じさせ、総じて大きなハンデを強いてくるのである。
これがボス級のモンスターであれば、再生能力を持っていることも珍しくないため、あまり効果のある方法とは言い難いところだけど、こいつらはそうではないらしい。
怪我の具合を注視してみる。狼の悔しげな反応と傷口の様子を併せて鑑みるに、高速再生などは起こらないみたいだ。
ならば優位は一気にこちらへと傾く。
私は追撃の刃を狼めがけて振るおうとし、しかしそれを中断して飛び退いた。
魔法だ。遠くに弾いたもう一匹から、魔法発動の予兆が感じられたためである。
すると案の定、直前に私が立っていた地面からは、植物の根が槍のように鋭く飛び出し、危うく串刺しにされるところだった。
これも連携の恐ろしさである。
たとえ距離を離して分断しても、効果的な遠距離攻撃や、何かしらの機転で戦況を一気にひっくり返されかねない。
全く油断のならないことだ。攻めるべき時と引くべきタイミング。その見極めが難しい上、相手の狙いを見抜いて立ち回らなくては、次第に追い詰められることもある。
相手の次の手を読む、なんていうのは難しいことだけれど、しかし今打たれた一手からの行動派生を読むことは然程難しいことじゃない。
そしてそれこそが、次の手を読むことに繋がるのだ。
私は今、魔法による奇襲を避け、狼の手を一つ潰した。
ここから派生して別の攻撃が飛んでくる可能性も捨てきれないため、即座に反撃するにはリスクがあるわけだが。
しかし攻めの手が途絶えたのならば、一転してそれは付け入る隙である。見極めが肝心だ。
魔力の気配を探る。
どうやら、次の手の仕込みは無い。空振りに終わった魔法攻撃だったけれど、私を退かせたことが奴らにとっての利ってところか。
ならば、続く一手は態勢の立て直しか、何らかの追撃か。
であればそこへ移行する前に、こちらから一手挟ませてもらおう。
私は再度魔法を行使。用いるは【アクアリウム】という、何とも素敵な響きの水魔法だ。
アクアボムにて爆ぜた水の再利用で、MP節約も忘れない。
生じたるは、二匹それぞれの頭部めがけて集まる水玉。
それはあっという間に、奴らの頭をヘルメットのように覆う大きな水球となり。
コレにより二匹の狼は、さながら金魚鉢でも頭にかぶっているような、奇妙な姿を晒したのである。
私から見たなら、なんとも地味な絵面。
さりとて彼らの主観では、とても穏やかではいられない恐るべき事態だろう。
何故ならこれは、呼吸を必要とする生物にとって、最も恐るべき魔法の一つ。
水魔法の中でも、凶悪なコスパを誇る反則級の技なのだから。
視界は水の中、目に映るあらゆる物がぼんやりぐにゃりと歪み。呼吸は残念ながら、空気を一方的に吐き出すばかり。代わりに吸い込むのは、水、水、水。
その水にしても、飲まれて減れば私が随時追加するため、脱出の手段などは限られており。
しかもである。
ソフィアさん曰く、並の使い手であれば、対象が暴れると水の追従が追いつかずに逃れられてしまうとのことだけれど、私に抜かりはない。
厄災級アルラウネに無限落下を強いた実績は伊達ではないのだ。魔法のコントロールにはちょっとばかり自信がある上、スキルレベルも十分に高い。
とどのつまり、この魔法は受けたが最後、逃れる術などはほぼ無いも同然であり。
必死に頭を振ったり藻掻いたりして抵抗する狼たちへ、しかし尚も油断しない私は剣を構えて襲い掛かったのである。
隙を晒している相手に、斬りかからない理由なんて無いものね?
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