第五二一話 ソロキャン

 ストレスを感じていた。

 リィンベルの町から目的地である森まで、距離にすると一体何kmあるのか。

 ステータスの影響により、すっかり健脚である私の足でひたすら歩いているって言うのに、お昼を過ぎてもまだまだ着かず。

 それならそれで、普段であれば歩きながら鍛錬なんかをこなすところだけれど。

 しかし装備もスキルも大きく制限されている上にMPも無駄に消費できない現状、いつものような鍛錬はやりたくても叶わないのである。

 MPを使わない系の鍛錬なら、こうしている今もコミコトなんかがせっせと頑張ってくれてるけどさ。

 私にとって、鍛錬が出来ないというのはそれだけで大きなストレスになる。

 それはもう、体調にすら悪影響を及ぼすくらいのでっかいストレスに。


「モンスター……せめて戦わないとやってらんない……どこだ、私の獲物はぁ……!」

「グァ……」


 さっきから、視界にモンスターの姿を捉える度、多少距離が離れていようと駆けていって、ストレス発散……もとい、鍛錬相手として試合を申し込んでいる有様だ。

 試合っていうか、死合だけど。

 申し訳ないとは思っている。得たドロップも戦闘経験も、決して無駄にはするまい。

 それにおかげで、禁断症状が幾らか緩和しているのだ。

 ばかりか、今のこの装備での戦い方というのも大分安定してきたように思う。モンスターを斬った時の重い手応えにも慣れてきた。

 この調子でトロルも経験値の糧に……じゃない、依頼目標もきっちり仕留めたいものである。


 しかしながら、そんな風に道草を食いまくった結果、森への道のりをこなすのに思いの外時間がかかってしまった。

 ようやっと目的の森を眼前に見上げる頃には、既に空が赤く色付き始めており。

 流石にこんな影の濃くなる時間帯に森へ踏み入れようという気は起きなかった。

 かと言って、本当にほぼ移動だけで一日を終えてしまうというのは嫌だったため、せめて森に出現するモンスターの力を確かめておきたいと、私は気配を探り始めたのである。

 するとどうだ。どうやら少し離れた木の上より、こちらを観察している者があるようだった。

 十中八九モンスターだろう。けど、確証は無いため何とも……いや、仮に人間だったとしても、間違えられるような行動をしてるやつが悪いんだ。仕掛けるとしよう。そして鍛錬相手になってもらおう。


 しかし木の上か。オルカなら得意なフィールドだろうけれど、今の私にとってはそうでもない。

 一応高い木の枝に飛び上がるくらいの脚力はあるけど、音もなくシュタッ! とはいかないし。

 そう考えると、木の上っていうのはなかなかどうして、強ポジに分類されるのかも知れない。オブジェクト扱いされる木には迷惑な話だろうけれど。

 下から狙うには攻撃が届かないし、枝も邪魔。相手には高所のアドバンテージがある。

 無理に引きずり降ろそうにも、つかまる枝はいくらでもあるからね。一筋縄では行かないだろう。

 そうなると……。


「MPを使うか……うん。そうしよう」


 今の私に許されている攻撃魔法は、水のマジックアーツスキルが数種類。後は無属性が少々。それだけだ。

 MP総量もINTも、現状剣士設定であるため随分控えめに調整されており、普通にやっては正直、攻撃手段として殆ど使い物にならない。

 そして、今の私には普通にやることこそが肝要であるため、魔力調律なんかを駆使するわけにも行かず。これまた不便さに苛まれてしまうわけだ。

 が、それでもやり様はある。


 私は鞘から剣を引き抜くと、構えをとって森の中へと突っ込んでいった。

 向かう先は気配を感知した、一本の木。

 相手はきっと、自身の位置がバレていると察したはずだ。

 モンスターであるなら、その性質上高い確率で迎撃に出るはず。しかも木の上を選んだ以上、何かしらの飛び道具を有している可能性は高い。

 敵影は、木の幹に隠れているのだろう。まだ目視で捉えることは出来ない。けれど真っ直ぐ向かってくる私のことは捉えているはず。

 その証拠に。


「!」


 飛来したのは風魔法だった。

 圧縮した空気を放つ、貫通力を持った空気弾。

 まともに受けたのでは、良くて身体に突き刺さり、悪いと貫通して風穴を空けられてしまうだろう。

 さらに言えば、不可視のため回避は難しく、そもそも目で捉えること自体常人には不可能な速度で飛来するのだ。

 バカ正直に突っ込んでいけば、そんなのはタダの的である。


 だから当然、ただ突っ込んでいくだけのはずはなく。

 飛来した不可視の弾を、ステップだけでひょいとやり過ごす。

 別に難しいことではなかった。心眼なんて無くても、相手が狙いたいポイントを予測することは出来るし、それに魔力感知は有効なのだ。汎用スキルだしね。

 相手がスキルや魔法を使おうとすればすぐ分かるし、狙い予測と照らし合わせれば回避行動は簡単だ。

 不安材料があるとするなら、相手の命中精度がずさんで、意図せず狙いとは異なる場所に攻撃が飛んでしまう場合。これは流石に避けられない。

 普段ならともかく、今の私にはどうにも避けようのない攻撃となるだろう。精々が必要以上に大きく回避行動を取るくらいしか、対策の打ちようがないのだ。

 しかし魔法で狙いをつけるというのは然程難しいことじゃない。森を縄張りにする飛び道具持ちなら尚の事だ。


 だからこうして、私はまんまと攻撃を避けている。敢えて回避行動も、小さなものを選んだ。

 足元で鋭く腐葉土が飛び散るも、気に留めること無く私は強く一歩を踏み切った。

 前世では考えられないほどの跳躍。冗談のように身体は浮き上がり、視界はみるみる高度を上げた。

 再び魔法発動の兆しを検知。向かう先には、幾らか慌てたような気配があり。

 流石に空中で撃たれたのでは対処に困るため、その前に先制を仕掛ける私。


 用いたのは、以前よく使っていた水魔法。水球を爆ぜさせる【アクアボム】だ。

 地道な鍛錬の成果で、私が既に習得しているスキルや魔法のスキルレベルというのは、軒並み上昇している。

 へんてこスキルの類と比べると、どうやら習得難度の低いスキルはスイスイレベルが上がるようで、今前方に放り投げた水球も、ほんの少量のMPでこしらえた割にはなかなかすごい威力を発揮するのだ。

 こんなふうに。


「ゥギッ?!」

「お」


 レベルアップしたおかげか、或いは魔力操作が得意な為か、アクアボムの爆発には指向性を持たせることが出来るようになっている。

 これを利用し、幹の影に隠れている奴を地面めがけてふっ飛ばすように水球を爆ぜさせた。

 野球ボールくらいの大きさをした水球は、しかし見た目にそぐわぬ量の水をぶちまけ、潜んでいた何者かを見事枝の上から弾き落とすことに成功したのだった。

 強かに地面へ体を打ちつけたそいつの正体は、茶と緑の体毛をした猿だった。

 入れ替わるように枝上に立つ私。奴を見下ろしてみれば、足を引きずりながら逃げていく最中である。

 結構なダメージを負ったろうに、タフなことだ。

 が、それを黙って見過ごす私ではない。


 私の水魔法は、アクアボムで水をばら撒いてからが本番だ。

 飛び散った水を利用すれば、さらに少ないMPで魔法を行使することが出来る。ミコト流節約魔法である。

 発動を念じれば、散った水分は忽ち浮かび上がり、風圧に散らされることのない小さな水の弾丸と化して猿へと襲い掛かっていった。

 猿が絶叫する。もしや仲間を呼び寄せるつもりだろうか? それは厄介だな。


 私は枝の上より飛び降りると、アーツスキルにて瞬時に猿との間合いを詰め、その首を刎ねた。

 猿はあっさりと黒い塵へと還ったけれど、嫌な気配が近づいている気がする。

「離れよう」

「ガウ」

 駆け出しながらドロップ品を回収すると、私は一旦森を出ることにした。

 囲まれてからピンチだ何だって焦りたくないからね。凶兆を感じたら、たとえ杞憂でもさっさと退くに限る。


 私は森から幾らか離れた位置まで大急ぎで退避すると、適当な岩陰を見つけて身を潜め、遠目から暫く警戒を続けた。

 オレンジ色の空の下、色付いた木漏れ日の中に蠢く影は多分、さっきの猿と同類のモンスターだろう。群れで行動するタイプだったらしい。

 これは、ちょっと面倒な相手に手を出してしまっただろうか。

 一対一なら対処可能でも、あれが複数で襲ってきては大変だ。今の私じゃ対処に困ってしまう。


「とりあえず、今日のところはここまでだね。明日にはほとぼりが冷めていると良いんだけど」

「ギュゥ」

「え、うーん。まぁその時はその時だよ。頑張って戦うか、こっそり行動するか。それは明日考えるとしよう」


 明日になっても茶緑の猿がざわついていた場合を懸念しつつも、私はこの後のことを考えていた。

 普通の冒険者は、この後野営を行うはずである。

 であれば私もそれに倣い、野営の準備をするべきだろう。

 テントを張り、焚き火を起こし、夕飯を食べるのだ。キャンプである。


 でも、焚き火なんてしようものなら猿に位置バレしてしまうか。

 ならテントだけでも準備しよう。清浄化魔法を使うためにも必要だし。

 いくら人目がないとは言っても、こんな野外でスッポンポンになるわけには行かないからね。

 ああいや、それでも別にいいっちゃいいんだけど、一応私も女子だしなぁ。っていうか女児だしなぁ。

 でも、テントで視界を遮るのは寧ろ危険かな……? いや、どうだろう。うーん。


 因みに野営セットはマジックバッグの中に入っている。

 テントに火起こしの魔道具、光源も抜かりないし、毛布やタオル、それに魔物除けのアイテムなんかも。

 おもちゃ屋さんに帰るには、最低限ちゃんと身を清めて、晩御飯も済ませるのがルールだ。

 身を清めるのはまぁ、嗜みのようなものだけれどね。


 てか魔物除けのアイテムがある以上、テントを張るのに大きな問題はないのか。

 魔物除けもまぁ、色々と種類がある。お香タイプとか結界タイプとか霊験あらたかな御札とか。

 そんな中、私が今回用意したのは魔道具タイプだ。理由は魔石交換で繰り返し使えるから。

 今夜はこれを稼働させたままおもちゃ屋さんに帰ることになる。

 明日の朝戻ってきた時、荒らされてたら事だけど。まぁ、その時はその時だ。

 とりあえず今日のところはさっさとテントを張って、身を清めて晩御飯にしよう。


 マジックバッグから諸々の道具を引っ張り出し、せっせと作業に取り掛かる。

 モンスターがちらほら徘徊する野外で、女児が一人テント設営。

「ゼノワもなんか手伝ってよ」

「ガル」

「むぅ……」


 気づけば空には星が輝き始め、私は保存食をモソモソと口へ運びながら、ぼんやりとそれを眺めたのだった。

 これが噂に聞いた、ソロキャンってやつかぁ。

 焚き火がないせいか、想像してたよりは随分と心細いや。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る