第五二〇話 だいぶ弱い

 冒険者ギルドを出た私は、適当な道端で立ち止まると、もらった資料に目を落とした。ゼノワも頭上から覗き込んでくる。

 資料には、トロルの大まかな特徴やあまり上手くはないイラスト、それに肝心の出現場所が地図として描かれていた。

 昨日も宿への案内として描いてくれたし、何気に有り難い配慮である。

 結構ざっくりとした地図なのだけれど、必要な情報はきっちり押さえてあるため意外と分かりやすい。

 総じて要領が良いのだ。ソフィアさんに通じるところがあるけど、無表情ではないし変人でもない。

 ミトラさんを見てソフィアさんを懐かしむ、なんてことにはならないだろう。


 地図によると、どうやらトロルが現れるのはこの町から南にある森の中らしい。

 トロルと言えば以前、やたらムキムキで巨大化するトロルと戦った事があるけど、あんな感じだろうか?

 イラストはちょっぴり可愛くデフォルメされているので、正直実物のイメージは何となくしか掴めない。

 まぁ何にせよ、行ってみれば分かる話だ。


「問題は、現場までどれくらい掛かるかってことだけど」

「グル」

「え、半日って、そんなに掛かるの?」

「ガウ」

「まぁゼノワが言うのならそうなのかな。ってことは日帰りできないってことじゃん!」


 ゼノワ曰く、森に着くまでに半日は掛かるってことなので、そこからトロルを探したり狩ったりして帰るとなると、どうしたって夜遅くになってしまうだろう。

 そうしたら町門も閉じちゃうだろうから、野宿ルートは確定である。日帰り仕事というわけには行かないみたいだ。

 初仕事からして、なかなかのハードっぷりである。

「はぁ……とりあえずお昼用の食料だけ買っていこうか。日持ちしないものでも、お昼までなら大丈夫でしょ。何ならお夕飯の分まで行けるかな……いやいや、お腹壊すのは嫌だしなぁ。やっぱり夜は保存食で我慢するか……」

「グァ」


 そんなこんなで、昨日の散策時に見つけておいたパン屋さんへ立ち寄った私は、お弁当代わりに幾つか惣菜パンを購入。

 包をマジックバッグへ入れて、お店を後にしたのだった。

 その足で町門へと向かい、いよいよ町の外、モンスターと何時エンカウントしてもおかしくないフィールドへ繰り出す。


「さて、いよいよだね。分かってるとは思うけど、ゼノワは私が余程のピンチの時以外は手を出しちゃダメだよ? 手じゃなくて魔法ならオッケー! みたいな屁理屈も無しね」

「グラ」


 マジックバッグの中から、方位磁石と昨日仕入れておいたこの町の周辺地図を取り出しつつ、ゼノワが頷き了承を示したのを認める私。

 地図とミトラさんお手製の資料を見比べて、森の位置と方角を確かめる。

 結構離れてるな……なるほど確かに、これは半日以上掛かるかも。

 それに道すがら、試しに何戦かしておきたいしね。ドロップアイテムをギルドで買い取ってもらえれば、それだけ生活が楽になるもの。


 そうそう、お金と言えばだけど。

 今回のトロル討伐依頼、その報酬はなんと八万デールも貰えるらしい。

 相場的にどうなのかは、正直良く分からないけれど、それだけ貰えるのなら生活が困窮するってこともないだろう。路銀だって存外早く貯まるかも。

 とは言え、欲に目がくらんで足を掬われては目も当てられない。仲間たちに合わせる顔もない。

 もしトロルが私の手に負えない相手なら、無理せず尻尾を巻いて逃げ帰るとしよう。

 作戦は、たとえ私一人でも、相変わらずの『命大事に!』である。


 何とはなしに、腰に携えた剣の柄をにぎにぎして、スゥと息を吸い込む。

 ああ、春の匂いだ。幸いなことにこの体は、どうやら花粉症とは縁遠いらしい。

 遠くを見渡せば、ちらほらと人影のようなものもある。同業者だろうか。

 何だかドキドキする。

「それじゃ、行こうか」

「ガウ」


 時刻は午前九時ちょっと前。

 私たちは南の森へ向けて、進行を開始したのだった。



 ★



 初めてのエンカウントは、出発から小一時間ほど歩いてからのことだった。

 森までは見晴らしの良い地形が続いているため、そうそう不測の会敵などが起こるはずもなく。

 けれど一人旅を始めてから今まで、まだ戦闘を経験しておらず、ここらに出現するモンスターの力も、私自身がどれだけ戦えるかも判然としないままである。

 そこで、道すがら進行方向に居るモンスターは無理に避けず、ぶつかってみようということになり。


 ソロでも基本戦術は変わらず奇襲からの畳み掛け。兎にも角にも狙うべきは、シンプルに確実な勝利である。

 とは言え見晴らしが良ければ相手からも私は見えており、残念ながら不意打ちというのは狙うべくもなかった。

 対峙したのは犬型のモンスター。確かワイルドバウって言ったっけ。

 狼と柴犬を足して二で割ったような見た目をしており、なかなか凶暴そうだ。

 私を見つけるなり、すごい勢いで駆けてきた。当然、じゃれつくのが目的ってことは無さそうだ。

 目を血走らせ、噛み付く気満々の様子。こりゃ奇襲どころじゃないや。

 どうやら奴のテリトリーに足を踏み入れてしまったらしい。目も合っていないのに即戦闘突入である。


「ギャウ!」

 ゼノワが警戒を促してくる。

 返事代わりに抜剣。構えをとって、ワイルドバウを待ち構える。

 普段なら魔法で先制攻撃でもぶっ放すところだけれど、生憎と今の私は裏技も使えず、MP回復薬にも限りがある。

 出し惜しみはリスキーなれど、敢えて今回はガチンコ勝負を選択することに。


 如何にも凶暴な犬が、歯を剥き出しにして突っ込んでくるっていうのは、それだけでなかなかに恐ろしい。

 もし前世でこんなのに遭遇していたら、腰を抜かしていたかも知れない。

 けれど今の私は、あのサラステラさんにしごかれた経験を持っている。

 それ以上に、私の中には骸の経験が存在しているんだ。

 自分でも不思議なくらい、心は平静を保っていた。平たく言えば、全然恐くない。

 奴の動きがよく見えている。地を蹴って得る推進力から、おおよその身体能力を瞬時に割り出せる辺り、たった一年で私も随分変わってしまったものだ。

 相手のスペックに当たりが付けば、自分と相手の実力差も自ずと直感的に理解できる。


 十分、対処可能な相手だと判断した。

 アーツスキルを準備し、間合いを読む。

 狙うは相手の踏み込みの直前だ。

 例えば跳び箱なんかを思い浮かべると分かりやすいだろう。ロイター板を踏むタイミング、歩数や歩幅、足の運びなんかを間違えると、得てして勢いというのはこんがらがるもので。

 私は奴がいよいよこちらへ飛び掛からんとする、その一瞬前にアーツスキルで間合いを詰めた。


 持て余した勢いに戸惑うワイルドバウ。

 振るった剣身は、そんな奴の首を掬い上げるように捉え。

 次の瞬間には、奴の首はくるくると宙を舞っていた。

 胴体はずしゃりと草の上を滑り、直ぐに黒い塵へと還っていったのである。


 呆気ないとは思わない。上手く嵌まればこそ、こうして初手で倒すことが出来たけれど、もしタイミングを僅かにでも見誤れば、戦闘はもっと長引いていただろうから。

 ステータスが低いせいか、首を断った手応えも、ズシンと重たいものだったし。嫌な感触も余韻として残っている。

 私は静かに剣を鞘へ戻すと、溜息を一つこぼした。


「やっぱり私、大分弱いね。こんなんでトロルに勝てるかな……?」

「ガウ」

「むぅ、ゼノワは楽観的だよね。私は心配だよ」


 ドロップアイテムを拾ってマジックバッグにしまいながら、肩を落とす私。

 そりゃ確かに、苦戦こそしなかったさ。けれど、想像以上に手応えが重かったのが気がかりなんだ。

 あれだけ綺麗に入ったのに、あの鈍い手応え。

 剣の質が然程良くないのは分かっているけど、それにしたって嫌な感じだ。

 因みに装備の質に関しては、Bランク冒険者が持っていても不自然にならないものを選んではいるけれど、それ以上にBランク相当のステータスに調整することを優先しているため、装備の質自体はかなり控えめなのだ。

 なので剣も、なまくらと言うほどではないにせよ、スパッと敵をぶった斬れるようなものではなく、どちらかと言えば叩き斬る感じの品となっている。

 そう、分かってはいたのだけれど。


「斬撃に頼りすぎるのは危険かもね。刺突や殴打も駆使したほうが良さそうだ」


 使えそうなアーツスキルを頭の中でピックアップしながら、移動を再開する。

 その後もチラホラと戦闘を繰り返しながら、あれこれ戦い方を研究していった。

 勿論一人旅に出る前段階で、結構この装備での戦いについては予習しておいたのだけれど、実戦はやはり勝手が違うというもの。

 一戦一戦に集中し、あーでもないこーでもないと戦闘を続けていると、いつの間にやらお昼時がやって来た。

 森まではまだ遠く、足には確かな疲労が溜まっている。

 とは言っても冒険者の足だ。午前中歩きっぱなしだろうと、棒のようになったりはしない。


 適当に休めそうな木陰を見つけると、私たちは安全を確かめた後腰を下ろした。

 早速マジックバッグから、今朝買ったパンを取り出したら、食事の前に水魔法で水玉を作り出し、その中に手を突っ込んでこすり合わせる。

 同じくマジックバッグから出したタオルで手を拭いたなら、いよいよお昼ごはんである。

 ぼっち飯。いや、ゼノワは居るけどさ。

 天気は良く、惣菜パンの味も良い。横切る風は少しばかり冷たいけれど、歩き続けて幾らか汗ばんだ身体を冷ましてくれるようで心地よかった。

 だけれど。


「やっぱりちょっと寂しいや……」

「ギュゥ……」


 ゼノワがよしよしと、気遣うように頭を撫でてくれる。

 鏡花水月のメンバーは、みんな元々ソロ活動をしていたそうだけれど、当時の彼女らもこんな気持を味わったのだろうか。

 それとも、彼女らは一人でも大丈夫なタイプだったのか。

 私はちょっと、ソロには向いてないのかも知れないなぁ。

 彼方に霞がかって見える名も知らない山を眺めながら、ぼんやりとそんなことを思った。

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