第四一八話 ソフィアの反抗期

 ハイエルフのソフィアは、幼少の砌より話題に事欠かない人物だった。

 聡き種族にあって尚、とある分野にて比類なき才能を持つと認められた幼き彼女は、さりとて。

 残酷なほどに、自らの適性に対する関心が薄かったのである。


 彼女の興味はもっぱら『スキル』という、この世界の遍く者が行使し、さりとてその原理の判然とせぬ不思議な力や、それらの引き起こす現象に対してにのみ注がれており。

 結局彼女は自らの胸に灯った炎に追い立てられるかのように、いつの間にか里を出てしまっていた。引きこもり気質なハイエルフにはあるまじきアグレッシブさである。

 そうした意味に於いても、彼女は全く話題に事欠かぬ奇人であった。


 里を出てからも、彼女は興味の赴くままに過ごした。

 いつしか冒険者となり、やがて特級の認定を受け、かと思えば受付嬢になっていた。それらの立ち回りを難なく実現させられるほどには、彼女は優秀だったのだ。

 そんなソフィアの長い人生に於いて、こと『挫折』という概念には縁がなかったと言って良いだろう。

 思うように駆け、思うように生き。そしてこの先もそんな時が延々と続くものと疑いもしなかった。


 そんなある日、出会ってしまったのだ。

 運命の相手に。

 未だソフィアの心を掴んで放さぬ、スキルという摩訶不思議。

 出会った彼女はまさしく、その申し子と呼ぶに相応しいような、奇天烈な存在であった。

 しかも、デタラメに外見が良い。

 驚いたことに、気づいた時には既に興味の対象が拡張されていた。

 スキルというものだけに注がれていた探究心は、いつからかミコトという少女をもその興味の内に捉えていたのである。


 そして同時に、こうも思うようになっていた。

 彼女の役に立ちたい、と。

 延いては、PTの仲間たちの力になりたいとも。

 最初は、危なっかしい彼女を保護しなくては、という使命感にも似た感情だった。何せミコトはスキルの申し子だ。決して損なわれてはならない貴重な存在なのである。

 しかし彼女は、ソフィアの想像もしないような速度で力を付けていった。

 護るべき相手から、あっという間に肩を並べ冒険を共にする、仲間へと変わっていったのだ。

 故にこそ、改めて彼女の力になりたいと、そう思った。

 それはもしかすると、彼女に影響を及ぼすような存在になりたい、と。そのような思いから出た気持ちなのかも知れないが。

 何にせよ、ソフィアはミコトの力になりたかった。


 けれどそこで初めて、彼女は壁にぶつかることになる。

 ソフィアはこれまで、魔法と弓、それに豊富な知識を武器に立ち回ってきた。

 それはまぁ、冒険者なんてやっていれば、危機的状況に陥ることなどしょっちゅうではあったけれど。

 しかしそういった壁とはまるで毛色の異なる、正に挫折というものに近しい、これまで感じたことのない難題を前にしたのである。

 それというのは。


「私は、ミコトさんのために何が出来るのでしょう……?」


 ソフィアの愛してやまないスキルや魔法。

 しかしそれらはどんな大層なものとて、ミコトにしてみれば然程の苦もなく自ら再現できてしまうようなものばかり。

 その姿に、かつて幼い頃、周囲が自らを天才だ神童だと持て囃した、あの時の記憶が脳裏を過る。

 今になって、他のハイエルフたちが自らに向けていた視線の意味を知った心持ちだった。


 そんなミコトを、自分はどう支えていくべきなのだろう? 自分がこのPT、鏡花水月に居る意味とは何だろうか?

 魔法、即ちマジックアーツスキルの類は、わざわざ自分が教える意味もない。何なら既に、ミコトのほうが多くの魔法を扱えるほどだ。謂うなれば、ミコトは自分よりも優れた魔法使いであるとすら感じていた。

 あまつさえ、普通の人間では使えないはずの、ハイエルフ専用の特殊魔法でさえ再現してしまうのだから、正直お手上げだった。

 ならば弓はどうか。

 しかしミコトは【万能マスタリー】の力により、あらゆる武器を使いこなす。

 技量の差は確かにあれど、自身の個性と言い張れるほどの力にはなり得ないように思った。

 では知識は? と考えてみたところで、しかしそれを自身が鏡花水月に居る意味だと認めた場合、それはただの生き字引でしか無いことに気づいた。


 そうしてソフィアは愕然としたのである。

 自分では、他の仲間達と異なり、ミコトの背を支えることが叶わないのではないか、と。

 自分の役割は、他のメンバーで補えてしまう。自身の存在価値が揺らいだような、そんな得体の知れない衝撃を受けた。

 生まれて初めてである。こんなにも自らを無力に感じたのは。

 仲間たちはミコトのために、自らの個性を尖らせる選択をした。

 さりとて自分に尖らす事のできる個性なんて、果たして存在するのだろうか。


 ソフィアは焦り、迷い、悩み、そして考えた。

 自分に出来ることとは何かと。

 スキルのこと以外で、眠れなくなるほど考え込むなど初めての経験だった。

 しかしなかなか答えは出ず。恥を忍んで皆に相談してみたりもした。

 けれどそれでも結果は芳しく無く、悶々とする日が数日続き。

 そうして。


「あ。そう言えば私、アレの天才でした」


 彼女はついに、一つの決意をしたのだ。

 自らが昔、里に捨て置いてきたとある技術。今更ではあるが、それを拾い上げる決意を。


 そして盛大に後悔した。

 何せアレには、まったくもって興味を持つことが出来ず、故に本当に基礎的な知識しか頭に入っていないのだ。

 こんなことになると知っていれば、もっと勉強していたのに。だなんて、言ってみたところで後の祭りだった。

 そう言えば以前ミコトと、ハイエルフに伝わる『特別な技術』について少しばかり話したことがあったけれど。

 あろうことかソフィアは、それに関する才能を自ら投げ捨てたのである。

 正直な話、里を出た当時については、ソフィアにとって黒歴史のようなものなのだ。周囲に不快な期待を寄せられ、やりたくもないことをやらされたことで、一種の反抗期に突入していたと言ってもいい。

 だから『スキルに焦がれて里を出た』というのは、非常に認めがたいところではあるが、里を出る際に拵えた言い訳としての側面も確かにあったのだ。

 敢えて卑下するような見方をするなら、勉強が嫌すぎて家出した子供のようだった、と。ソフィアは過去の自身をそのように振り返ることもある。

 だからこそ、ハイエルフの技術については好んで語りたくなかったわけだ。

 それ故ミコトには、何ら詳細を話さなかったし、あまつさえ自分には関係がないように語った。


 けれど今、ソフィアにはその技術こそが必要だった。

 しかしそうは思えど条件は酷く厳しい。何せ彼女の知識は、謂うなれば入門編を履修したところで停止しており、そこから先を何ら学ばぬまま捨て置いたのだ。

 しかもハイエルフの特別な技術である。里に戻りでもしない限り、今更真っ当な手段で学び直すようなことも出来ない。

 ついでに言うと、幼い頃学んだきりなので、記憶も大分曖昧と来たものだ。


 しかし、ソフィアにとってもはや縋るべき藁はその一本きりに思え。

 進退窮まった彼女は、ついに腹を決めたのである。

「私の中に眠る才能とやらが、本物であることを信じてみる他ありませんね……!」

 ミコトもりもり計画の裏で彼女は一人、まさかの我流にてその技術を研究し始め、ひたすらに没頭したのだった。



 ★



 そして骸戦も終えた現在。

 度重なる試行錯誤の成果を携え、イクシスの前に立ったソフィア。

 その胸中に在るのは、確かな自信である。

 離れた位置からは、仲間であり憧れの相手であり、何なら自らの嫁であると豪語してやまないミコトが、期待の眼差しで見つめてくる。流石に緊張を覚えもする。

 さりとて、自信が揺らぐようなことはなく。


 けれど模擬戦が始まる前に、どうしても一つ述べておくことがあった。

 故に彼女はイクシスへ向けて、徐に口を開いたのである。


「あの。私、模擬戦形式だとまともに成果をお披露目できないんですけど。そういうタイプの技術じゃないんですけど」

「む。まぁ、そうか……やはりアレをやるつもりなのだな」


 ソフィアの試行錯誤に付き合い、幾度となくそれを我が身で受けてきたイクシスは、ソフィアがこれより行おうとしている事を素早く察し、納得を示した。

 だから直ぐにミコトの方を向いて、声を飛ばしたのである。

「よしミコトちゃん、ワープだ。どこかもっと広い場所へ移動しよう!」

「へ」

 訓練場も大概広いのだが、それでも不足だと言いたげなイクシスの意を汲み取り、故にこそ首を傾げるミコト。

 その視線は改めてソフィアを一瞥すると、一体何を行うつもりなのだろうかと頭上に疑問符を浮かべた。心做しかゼノワも不思議そうな顔をしている。

 だが何にせよ、イクシスさんがそう言うのならばと素直に了承し、ミコトは皆を伴いいつもの荒野へとワープスキルにて速やかに転移を果たしたのだった。


 相変わらず乾いた空気の漂う、埃っぽい場所である。

 ワープの行使に伴い、一度集合した皆の中からソフィアだけが、一人てくてくと前へ歩み出る。

 傍らのイクシスは、何故か自分たちと一緒になってその背を眺めており、一層不思議に思ったミコトはたまらず問いかけた。

「え、模擬戦するんじゃないの?」

 すると、イクシスをはじめとした皆が訳知り顔であり、口元をニヤつかせながらヒントを寄越すのである。

「アレを直に受けるのは、ちょっと勘弁してほしいな」

「見てたら分かる」

「準備にはちょっと時間がかかりますけど、ソフィアさんのくせにすごいんですよ!」

「私も初めて目にした時は、随分驚かされたものだ」

 とかなんとか。


 皆のそんなぼんやりとした物言いに、一層期待感を煽られたミコトはまじまじとソフィアの様子を観察することに。

 そんなミコトの視線の先にて、数度深呼吸を行ったソフィアは、皆に背を向けたまま両の腕を左右に軽く広げ、静かに自らの両掌へ意識を集中し始めたのである。


 一見それは、フ◯ーザ様を思わせるようなポージングで、一体何をしているのだろうかと不思議に思ったミコトだったけれど。さりとてその魔力を眺めてみたところ、まんまと驚きに目を剥くことになる。

 それは、ミコトがこれまで見たこともないような不思議な魔力操作だった。


 通常の魔力操作と言えば、精々がその強弱を操る程度だ。何せスキルや魔法というのは普通、念じながらその名を唱えさえすれば、自動的にMPが消費されて発動まで持っていけるのだ。

 そのくらい、何も考えずともスキル類は容易く行使出来るものであるため、そもそも魔力操作というものの必要性からして低く、たかがスキル使用に強弱をつけることすら然程一般的な技術ではないのだ。

 そんな常識を鑑みれば、現在ソフィアの行ってみせているそれは、正しく異次元の魔力操作技術である。

 ミコトも魔力操作には自信があったが、彼女が日頃行っているそれともまた様相の異なる、不思議な技術だ。


 喩えて言うなら、ミコトが普段行っている魔力操作は、宙に浮かべた水球を加工して、オブジェクトを模るような操作方法だ。当然他者に真似の出来るような技術ではない。

 それに対してソフィアの見せている魔力操作は、オブジェクトではなく。

 絵……いや、音楽や詩と例えるのが近いだろうか。並べ連ねて一つ一つ意味を紡いでいるような、そんな奇っ怪な技法である。

 しかしミコトにとっては、なんだかもっと馴染みのある感覚に思えて。


「まさか……コマンド……? いや、違う……でも何となく似て……??」


 そう。それはどこか、妖精たちの扱うコマンドに似たものに思えたのだ。

 だが、コマンドとはアイテムに書き込み、そこに魔力を通すことで不思議な効果を発動させるものである。

 対してソフィアのそれは、何かに書き込んでいる様子はなく。だから全くの別物のはずなのだが。

 だけれどやはり、どこか似ている気もしていて。

 結局その正体を掴みあぐねたミコトは、眉根を寄せて食い入るようにソフィアの手を見つめたのである。


 驚くべきは左右の手、其々に全く異なる魔力の動きが存在していること。

 それも、驚くべき緻密さをもって操作されている。それだけで生半可な技術ではないと分かる。

 しかしソフィアは一体、何をしようとしているのか。結局その答えにたどり着けぬままミコトは、息を呑んで静かに観察を続けたのである。


 そうしてミコトをはじめとした皆の見守る先。

 ソフィアはついぞ、それを発動してみせた。

 徐に両の掌を、パンと打ち合わせ。

 そして、さながら挿し込んだ鍵でも回すかのように、合わせた掌をシュルリと捻り、掌底をくっつけ合ったような歪な合掌を作ったのだ。


 その瞬間だった。

 ソフィアが掌に流した魔力は、信じ難いほどの増幅を見せ。それは直後に恐るべき現象を齎したのである。


 雷だった。視界を紫と白にて染め上げるほどの、雷による極大柱。

 天地を引き裂き、大気を破裂させたかのような轟音は、遍く者の聴覚を分け隔てなく破壊し、その暴力的な光は視覚をも痛めつけた。

 雷を、神の怒りとして恐れる。この世界に於いても昔、それは確かに存在した考え方だった。

 昨今は自然現象として知れ渡っているようだけれど。

 しかしソフィアの起こしてみせたそれは、正しく神の怒りが如くあり。


 いつの間にやら展開されていた隔離障壁の内側より、その神話から抜け出したかのような光景を目の当たりにしたミコトらは、押し並べて言葉を失ったのである。

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