第一六九話 一月の結実
恐るべき敏捷性と膂力でもって、ココロちゃんを庇ったクラウ諸共蹴飛ばしたリッチドール。
奴は動きを止めることもなく、すぐさまオルカへと標的を移し、踊りかかった。
なんとか応戦しようとしたオルカだったが、これまでだって三人がかりでようやく対等にやりあっていた相手だ。
それが大きくパワーアップを果たした現状、オルカに成すすべは……無かった。
完璧なタイミングで行われた回避行動は、しかし奴の速さを前には不十分で、リッチドールの繰り出した拳はオルカの腕をかすめ、千切り飛ばす。
「オルカっ!!」
『――――』
「!」
直後だ。
容赦なく繰り出された逆の拳は、狙い過たず彼女の頭を捉え。
砕いた。
肉が、骨が、髪が……。
オルカの、首から上が……あ、ああ、ああああああああ――――
『ミコト』
「!?」
あまりにショッキングな光景に、脳みそが沸騰しそうになった。
けれどそんな私の正気を繋ぎ止めたのは、他ならぬ彼女の声だった。
通話越しに、確かにオルカの声が私を呼んだのだ。
とっさにマップを確認すると、確かにオルカの反応は未だ健在だ。心眼もどこからかは分からないけれど、彼女の存在をキャッチしている。オルカは生きている。
私はがくがく震える膝をどうにか落ち着かせ、抜けそうになっていた腰に気合を入れた。
そう言えばそうだった、どういうわけかオルカは、リッチドールに仕掛ける時から二人に増えていたのだった。
一体全体何がどうしてそうなっているのかは分からないけれど、オルカは二人いた。だから片方がやられても、彼女は生きていると。そういうことだろうか?
いつからオルカはそんな謎生物にジョブチェンジしたのか……って、待てよ? ジョブチェンジ……。
そう言えばオルカは確か、【アサシン】へクラスチェンジする可能性があるって、ステータスで判明していたのだったか。
ってことはまさか……いや、多分間違いない。私の知らない間に、オルカはクラスチェンジを果たしたのだろう。
しかしだとすると、さっきのは【分身】とかだろうか? それってアサシンというか、もはや忍者なのでは……。
もしかしてオルカ、忍者になったの? でも今はステータスを確認している暇もない。
オルカの分身を仕留めたところで、リッチドールが動きを止める道理もないのだ。
これがフィクションなら、奴がここらで立ち止まって余裕の一つも見せる場面かも知れないけれど、残念ながらこれはリアル。
案の定リッチドールは、オルカ(分身体)の頭を殴り抜いた拳の勢いすら利用し、再度クラウたちへ飛びかかったのだ。
一〇メートルはある距離を軽々と跳躍一つで詰め、落下の勢いに任せて拳を振り下ろしてくる。
幸い速度こそ大したことはない。クラウもココロちゃんもオルカがあんな事になったのに、それほど驚いた様子を見せていないのは、事前に彼女が無事であることを理解していたからだろう。
二人は冷静さを欠くでもなく、迫り来るリッチドールへ向けて迎撃態勢に入った。防御や回避ではなく、迎撃だ。
しかしリッチドールは恐らく、コアを破壊しない限り倒せないタイプのモンスターだ。しかも半端にダメージを与えては更にステータスを上昇させてしまう。
そんな相手に対して二人は、一体どう対抗しようというのか。
刮目して眺める先で、その答えは示された。
閃いたるはクラウの聖剣。蒼き聖なる光が一瞬輝いたかと思えば、見事にリッチドールを縦に両断していた。
そして、直後その半身をさきほど同様ココロちゃんが殴り飛ばす。
幸いこの戦法に対する対策は立てられていないようで、まんまとリッチドールは一時的とは言え半身を失う形となった。
そして、二人の攻めはこれに留まらない。
クラウが斬り、ココロちゃんが飛ばす。
身を潜めたオルカによりコアの位置は把握されており、先程の焼き直しと見紛うようなコアの追い込みが行われたのである。
だが、焼き直しというならこの先の展開もまた見えている。
そう。リッチドールによるあの凄まじい自爆。ステータスが上がった今回は、恐らく先程以上の壮絶な爆発が巻き起こるだろう。
それと分かっているだろうに、二人は躊躇うでもなくどんどんリッチドールを半分にカットし続ける。
そしてある時。
「あっ」
ココロちゃんが弾き飛ばしたのは、なんとコアの内包された側の半身だった。
それを弾き飛ばしてしまっては、とどめを刺すことは出来ないのではないか。
そう考えたのは私だけではない。飛ばされたゴーレム自身、一瞬戸惑いを見せたのだ。
それこそが、致命の隙となるとも知らずに。
ココロちゃんが殴り飛ばしたそれは、相変わらず体のどの部位かすらもパッと見分からないような、しかも殴った衝撃で変形した歪な物体。
凄まじい速度で壁まで飛んでいくそれに、ふと黒い輪っかが絡みついた。
決着はそれだけ。実に呆気ないものである。
パカッと。
黒い輪っかはまるで手品の如く一瞬で、薄く平たい板……いや、布か。或いは紙と言うべきかも。
それほど薄くペラペラな何かに変形した。
リッチドールのコアを内包したそのパーツへ巻き付いていた黒い輪は、全周囲より白紙に墨汁が染みるようにパーツを締め付け、食い込み、尚もその幅を狭め。そうしてついに切断へと至ったのである。そう、そのコアごとだ。
そう言えば以前オルカにはアドバイスをしたことがあったっけ。
オルカは黒い苦無を用いて、何でもかんでも切断する方法を編み出した。その方法とは、苦無を一度輪っかに変形させた後、そこから板へ形状を変えるというものだ。
これにより、輪っかの内側は鋭い板の辺に全方位から圧迫され、切断されるという仕組みである。
しかし以前のそれは、今見せた紙の一重よりも薄いヒラヒラのそれではなく、もっと分厚く硬質な板であった。
その技術をもっとえげつないものに出来るかも知れないと、私は彼女へ粒子だの分子だのという概念を教えたのだ。
今見せたそれはきっと、オルカなりにその概念を解釈し取り込み、技術へ発展させた成果というところではないだろうか。
空中で見事に断たれたリッチドールのコアは、勢いそのままに壁面へ衝突してめり込んだ。
だが、最後の悪あがきかめり込んだ壁から凄絶な爆発の予兆が現れ、一瞬私の背筋も冷えた。
しかしそこに終止符を討ったのは、クラウだった。
『これで終いだ!』
そんな言葉とともに、私の視界を横断せしめたのは眩しき蒼の閃光。
幅にして二メートルほどはある光の柱が、クラウより放たれコアの刺さった壁を穿ったのである。
それが如何なる原理にて破壊をもたらしたのかは分からない。
けれど、その蒼が収束した後、件の壁面にはどこまで続いているとも知れない大穴がポッカリと空いていたのである。
ダンジョンの壁って確か、とんでもなく頑丈で、しかも自己修復する仕様だったはずだ。
そこにこんな穴を空けたことも驚きだったが、その穴が修復されないこともまた、一つの事実を告げていた。
それを証明するように、リッチドールの破片たちが片っ端から黒い塵となり、世界へ還元されていくさまを私は確かに確認した。
『やっ……た……?』
通話の先で、誰かが恐る恐るつぶやいた。
私はそれに応えるべく、事実を述べる。
「マップ上のボスモンスターの反応……ロスト。ならびに、お宝部屋の出現を確認!」
『『『…………っ』』』
初めに、聖剣を突き出した姿勢のまま残心していたクラウが、その場にペタンとへたり込んだ。
そんな彼女へココロちゃんが飛びつき、そして言葉にならない歓喜の叫びを上げ、抱き合う。
他方でオルカはと言うと。
「ミゴドぉぉおおお!!」
「ぐぉっふ!!」
どこからともなく現れた彼女は、私の腹部にタックルを噛ましてきた。
私はどうにかそれを踏ん張り受け止め、嗚咽を漏らす彼女の背を撫でてやる。
「やっだ……やっだよ……」
「うん、頑張ったね。すごかったね。みんなすごく強くなったよ……!!」
気づけば私も、つられて目頭に熱を覚えていた。
彼女たちが一月以上もこのダンジョンに留まり、人知れず死線を潜り続けてきたことを私は誰より知ってるんだ。
正直私は、一般の冒険者PTがどんな戦い方をするのかなんて知らない。だから彼女たちが成し得た、この人喰の穴という恐ろしいダンジョンを、たった三人で制覇せしめたということがどれ程の事なのか、正しく理解は出来ていない。
だけれど、リッチドールは間違いなく彼女たち個々人の戦力を遥かに圧倒するほどの脅威だった。
普通に三人が一致団結したところで、本来なら話にもならない。瞬殺されて然るべき相手だったと確信を持って言える。
現にオルカの分身は、完璧な回避を行ったにもかかわらず、掠めただけで腕を千切られ、拳のぶつかった頭部は容易く砕き飛ばされるという憂き目に遭っていた。
あれは分身だから能力が本体より低かったせいだ、だなんて言い訳も出来ないくらいの圧倒的な力の差を示している。
奴の一撃がまともに入れば、三人の内誰であれ良くて重傷、そうでなければ即死だったはずだ。よく見れば、奴の一撃を防いだクラウの黒盾は大きく変形し、そこに掛かった衝撃の凄まじさが在々と刻み込まれている。
一撃必殺の攻撃を、恐るべきスピードで的確に繰り出し続ける相手。しかも生半可なダメージを与えては、強くなって再生するという悪夢めいた難敵。
しかし彼女たちはそんな奴を相手に、三位一体が如き恐ろしいまでのチームワークで見事対抗してみせたのだ。
さながら脳みそでも共有しているかのような、紙の一重も挟み込む隙間のない連携。
完全に、私の持ち得ない強さだ。
それを得るために、果たしてどれほどの努力があったのか。しかもほんの一月で、ここまでの成長を見せたのだ。それは進化とさえ言える大きな変化だろう。
そうしなくては生きながらえられなかった。きっとそれほどの窮地を幾度となく越えてきたのだ。
なのに、私の前ではあんなにも自然体で居てみせた。それがどれだけ凄まじい胆力のなせる業か。
もし今もう一度彼女たちと模擬戦を行ったなら、私はたちまち敗北を認めざるを得ないだろう。
それほどまでに、今の彼女たちは強い。その事実が、私の胸を熱くしてやまなかった。
どう表するのが正しいのか。
嬉しい気持ちもあるし、負けていられないという対抗心もある。純粋な尊敬心や感動もあれば、安堵の気持ちも強い。
そんな様々な気持ちが一緒くたになって、気づけば私もその場に膝をつき、オルカと抱き合って泣いていた。
改めて思う。
私の仲間は、こんなにも強い。
私が憧れ、目指すべき冒険者たちなのだと。
するとそこへ、顔面をダバダバにしたクラウとココロちゃんがおぼつかない足取りでやって来て、抱きついてきた。
そうしてまた皆で、わんわん泣き合う。
落ち着きを取り戻すまでには、少しの時間が必要だった。
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