第一五六話 白九尾
勇者イクシスさんの背に乗って、いつものごとくとんでもスピードで移動すること一時間近く。
やって来たのは竹の生い茂る山の中だった。
この世界にも竹、あるんだなぁと感慨に耽りながら、イクシスさんにおぶさったままフワリと着地する。
彼女の背から降りながら、なんとも和の趣を感じさせる竹林の景色を見回す。緑が目に鮮やかで、シャラシャラとなる葉の音は耳にも心地良い。
暫し浸っていたい気持ちもあるけれど、しかしこの後のことを思えばそんな余裕もない。
私はこの後、白九尾と呼ばれる特殊個体のモンスターと一対一で戦うことになっている。
相手は確実に私より格上。狙うのはガチンコバトルでの勝利。
そしてジャイアントキリングボーナスを得るのだ。
私が落ち着かないのを察したのか、イクシスさんが声をかけてきた。
「ミコトちゃん、大丈夫か?」
「う、うん。まぁ」
「今回の依頼は冒険者からの目撃情報が元だから、近くに村や町はなく、それ故に緊急性も低い依頼だ。が、だからこそターゲットを見つけるのにも骨が折れる。先ずはフィールドに慣れつつ、体と心をほぐしながら探索を進めるとしようじゃないか」
「了解」
マップウィンドウを駆使すれば、多分そこまでターゲットの捜索に時間はかからないだろうけれど、何分イクシスさんの背中で一時間もじっとしていたものだから、少し体をほぐす必要がある。それに緊張も。
なので私たちは敢えて歩きで、竹がにょきにょき所狭しと生えている山道をえっさほいさと散策したのである。
ふかふかの土は思いがけず足を取られることもあるため、歩きながら具合をしっかり確かめておく。
竹は木よりも余程厄介な障害物になりうる。何せ数が多い。
これから戦おうという白九尾は、こんなものを障害物とさえ思わないような化け物なのだろうけれど、私にとっては十分に動きを阻害する厄介なものだ。それも考慮の上で立ち回る必要があるだろう。
そう思うと、なかなか緊張がほぐれてはくれなかった。
「ねぇ、イクシスさん」
「ん?」
「イクシスさんもやっぱり、自分より強大な相手と戦うシチュエーションって幾度となく経験してきてるんだよね?」
「まぁ、そうだな。死線だって飽きるほど潜ってきたな」
「なら、これから強敵と戦おうっていう私に何か、心構えみたいなものとか、アドバイスとか、そういうのがあったら教えて欲しいんだけど」
「むー、そうだなぁ」
ザッザッと落ち葉を踏みしめながら彼女は少し考え、言った。
「月並みなことを言うようだが、心を乱され、崩されないことが大事だな」
「心か……」
「緊張するのも、恐怖するのも、或いは調子づくのも、仕方のないことではある。人間だからな。だが戦いの中で心が不安定になれば、それは驚くほど戦況に大きな影響を及ぼすんだ。戦いには流れがあり、流れを握った者が有利を取る」
「うん、それは分かる気がする」
冒険者をしていてと言うより、生前ゲームをしていてそれは強く感じることが多かった。特に格ゲーとか。
調子とか、流れとか、ペースとか。そういった目に見えない何かがそこには確かにあって、それを一度相手に握られると、たとえ格下相手でもあっさり負けることだってある。そしてその逆も然り。
イクシスさんが言いたいのは、きっとそれと近いことなんじゃないかな。
心が乱れればペースを崩され、流れを握られてしまう。勢いに乗られてしまう。
だから心を乱さず、崩されず、落ち着いて行けと。
「今回ミコトちゃんは格下として戦いに臨むこととなる。しかしだからこそ、流れを掴み手放さないことが重要になってくるだろう。寧ろそうでなくては、勝ち目を見つけることさえ難しいんじゃないかと私は思っている」
「はぁ……なかなか困難なことを言うね」
相手のペースを乱し、自らが流れを掴んで勝負を優勢に運ぶ。そして崩れない。
イクシスさんは白九尾と戦う上でそれが重要だと言う。
正に言うは易しというやつだ。流れというのは実際の戦いの中で常に変化するもの。その流れに乗っかり、崩れないようにするというのはさながらサーフィンのように難しい気がする。
まぁ私、ネットサーフィンくらいしかしたこと無いんだけどね。
「戦略的なアドバイスは何かある? 白九尾の情報とか」
「それに関しては、あまり情報がないな。ただの九尾なら昔、ダンジョンボスにいた気がするが。蹴散らしたから詳しく覚えていない」
「えぇぇ……」
「う、や、その……すまない。尻尾が九本ある狐だった気はする」
「他には?」
「……あ、相手がなにかする前に倒してしまったから」
まいったな。情報が無いらしい。
しかしそれならちょっと疑問が浮かんでくる。
「それならどうして白九尾がそんなに強くないって分かるの?」
「私たちが蹴散らした九尾の特殊個体と考えると、ドラゴンほどじゃないなと思って」
「なるほど。イクシスさんって意外と雑だよね」
「うぐっ、仲間にはよく言われたな……」
そうなるといよいよ、尻尾が九本ある白い狐型モンスターってことしか分からないってことじゃないか。
緊張は少しばかりほぐれてきたけれど、代わりに不安感がずんと肩に伸し掛かった気がする。
「えっと、ええと、あ、そうそう! 狐型のモンスターと言えば、幻術や火を使うものが多いな。それにすばしっこさも脅威だぞ!」
「おお、それそれそういう情報が欲しかったんだよ!」
「白九尾に当てはまるかは分からないけどな」
「……ま、まぁ情報が無いよりはずっと良いってことで」
そんなこんなで暫し山の中を散策した私たちは、一向に白九尾が見つからないということでマップ頼りの捜索に切り替えることとした。
イクシスさんにおぶさり、空から捜索して回るのだ。
すると思惑通り、程なくして白九尾のものと思しき反応を捉えることが出来た。
場所は比較的平らな竹林の中。斜面じゃない分幾らかは戦いやすいはずだ。
私たちは十分距離を置いた位置に降り、最終準備を調えることに。
「ええと、換装スロットの編成は……あ。最強装備って使っても良いのかな?」
「ん、そうだな……白九尾の強さ次第にはなってしまうのだが、出来れば最強装備は控えたほうが良いと思うぞ。使うとしても新舞姫にとどめておくのが無難だろう」
「え、でも全力であたったほうが良いんじゃないの?」
「ミコトちゃんの場合、装備次第であまりにもステータスが大きく変動するからな……特に、この前の手袋なんかを身に着けたとあってはジャイアントキリングが成立しない可能性まで出てくる」
「う。確かにそれは……」
そも、何をもって格下とか、格上なんてものが判定されるのかが不明ではあるのだけれどね。
ステータスが影響するのか、はたまた精神的なものか、或いは戦闘技術かも知れない。
イクシスさんもその辺りは詳しく分かっていないらしいので、なるべく安牌を選ぶ必要があるだろう。
無難なのは、白九尾の力を見ながら私も装備を選ぶことだろうか。
最初は機動性重視装備で様子を見つつ、魔法装備や近接装備でダメージを稼ぐよう立ち回ってみるとしよう。
それできついようなら舞姫を。それでもダメなら最強装備を。
もしそれでもダメだったら、手袋の出番という感じでいいかな。
「しかし、戦闘中に自在に装備を切り替えられるというのはすごいな……便利なスキルを持っているものだ」
「あげないよ?」
「それは残念」
なんて軽口を叩きながら、いよいよ私はターゲットである白九尾のいる方へ歩き出した。
段階的に奥の手は用意しているが、それを出す前に攻撃を受けては元も子もない。それを思うと、事前準備をしたところで気持ちの余裕なんていうのは生まれないものだ。
マップ上で強力な特殊個体を示す『?』のマークが近づくにつれて、私の心臓はバクバクと高鳴った。
「それではミコトちゃん、私は離れた位置から見守っているが、危険な時は助けに入るからそのつもりで」
「危機に陥ることすら許されないってこと?」
「そうなるな。キミに何かあっては、クラウに顔向けできなくなってしまうからね」
「あはは、それはそうか」
「だから、健闘を祈っているよ」
「うん……頑張ってくる」
イクシスさんはバッとその場から離れ、あっという間に姿をくらませてしまった。
心眼やマップで位置は分かるのだけれど、ここから先彼女を当てにすることは出来ない。
私は一度深く息を吐き、呼吸と気持ちを整え、高鳴る心臓をなだめながら、前を見据えた。
「よし、行くか」
一歩繰り出すごとに落ち葉を踏む音や、小枝を踏み折る音が鳴り、それが白九尾の耳に届いているのではないかとたまらずおっかなびっくり。呼吸も自然と荒くなってくる。
思ったより、イクシスさんの言葉は私にとって重たい意味を孕むことに今更気づいた。
彼女が『ミコトちゃんより格上』だと断じたのなら、それは間違いなくそうなのだ。
私はこれから、確実に私より強いモンスターと戦う。
それが、とても怖い。仲間もいない。支えてくれる人がいないというのも、酷く心細い。
負けたところで確かに死にはすまい。イクシスさんが助けに入ってくれるから。
だけれどそれだって絶対じゃない。
いつもの狩りとはまったく違う。
これまで幾度か超えてきた死線。それらは否応なく遭遇した窮地ではあったけれど、私には仲間がいて、切り札があった。
今はそれがない。そして臨む試練も、私が望まねば挑む必要のないものだった。
死線にわざわざ自ら踏み込む。それがとても、不安を駆り立ててくる。
心眼は既に捉えている。白九尾の存在を。
だから奴が私の存在に気づき、こちらを見ていることも私は知っている。
強烈な存在感だ。これまでイクシスさんが対峙してきた、次元の違う化け物たち。
それに準ずるほどの気配を確かに感じる。私よりも高みに存在する者の気配だ。
もしも私がもっとずっとシンプルな戦士だったなら、きっと手も足も出せぬまま敗北し、殺されることだろう。それほどの力の差を、ひしひしと感じ取ることが出来る。
しかしそれでも、私は足を止めない。
震えそうになる体をどうにか制御して、一歩一歩歩みを進めていく。
そうしてついに、私はそれを視界に収めたのだ。
身の丈は私よりも二回りは大きな、美しい獣がそこに立っていた。
鮮やかな深緑の竹林には、幾筋もの木漏れ日が差し込む。
それを受けて、際立つのは白と銀の毛並み。
こちらを油断なく眺めるその青い瞳には、どこか知性の光すら宿って見えた。
長い尾は話に聞く通り九本。
「も、もふもふだ……!」
私は今からこれと、殺し合うのか。
ごくりと一つ、唾を飲んだ。
こんなにも自分がテイマーではなかったことを悔しく思ったことはない。
この子と、殺し合うのかぁ……。
私はギリリと歯噛みし、ゆっくりと構えを取るのだった。
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