第一四九話 強いぞ我らの!

 勇者イクシスさんと蒼飛竜の戦闘は、蒼飛竜の先手で幕を開けた。

 小手調べがてら放たれたそれは、端的に言ってしまうなら、咆哮だった。

 ただし、そこには確かな脅威が含まれていた。

 まずその音量。鼓膜を破るどころの話じゃ済まない。下手をすればそれだけで頭が破裂するんじゃないかと思えるほどの、そんな音の暴力が波となって大気を伝播した。

 私たちが観戦している位置までは結構な距離があるはずなのに、その破壊力は十二分に保たれたままこちらへ迫ってきたのだ。

 恐ろしいことに、本来目に見えぬはずの音の壁が迫り来るのを、視覚にも捉えることが出来てしまった。

 音の壁が迫るのに応じ、地面に転がる石が跳ね、土が舞い、岩がぐらつくのだ。

 そんな音に呑まれてはかなわないと、私はとっさに風魔法にて遮音を施し難を逃れた。

 音は空気の波だ。遮音魔法はその波を問答無用で無効化する効果を持つ。


 しかし、どうやら蒼飛竜の咆哮はただの大声にとどまらなかったらしく。

 その声には副次効果が載っていた。私のMNDがそれに抵抗し、そのせいでMPがごっそり持っていかれてしまった。

 まともに受けていたら一体どんなバッドステータスを浴びせられたか……たった咆哮一つでこんな事ができてしまうのかと、私は早くも背筋に冷たい汗が流れるのを自覚する。

 気づかぬ内に荒くなった呼吸を整えるべく息をつく。と同時にハッとした。

 今の、ソフィアさんは大丈夫だっただろうかと慌てて隣を確認すれば、そこには顔を青くした彼女の姿が。


「ソ、ソフィアさん! 大丈夫ですか!?」

「は、はい……なんとかレジストできましたから……ですがMPを大きく持っていかれたみたいです」

「私もですよ。回復薬どうぞ」


 私はストレージからMP回復薬を一本取り出し、ソフィアさんへ渡した。自らは裏技を活用してすぐさま回復する。

 お礼を言ってそれに口をつけるソフィアさんを尻目に、私は次にイクシスさんの様子を確認した。

 あんな咆哮を間近で受けては、一体どれほどの驚異にさらされるか分かったものではない。

 果たして彼女は無事なのかと、身体強化スキルを視覚に集めて彼女を凝視する。


「……どうやら、イクシス様は無傷のようですね」

「防御スキル……ですか?」


 彼女を包む球体状の障壁は、咆哮の影響を一切イクシスさんに及ぼすことはなかったらしい。

 何なら観戦している私たちのほうが四苦八苦しているような有様だ。

 流石と驚嘆すべきか、マジかと天を仰ぐべきか。あの程度はイクシスさんにとって何ら痛痒を受けるものではなかったらしい。

 さりとて冷静に俯瞰すれば、現状ただ蒼飛竜がうるさく一吠えしただけではある。戦闘と呼べるやり取りとも呼べない、挨拶のようなものか。

 だとしたら、この先一体何が起こるのか。

 恐々とする視界の先、咆哮の波が去って一拍の睨み合いの後、唐突に激突は始まった。


 長くしなやかな蒼飛竜の尾が鋭くしなり、凄まじい衝撃を伴ってイクシスさんの立っていた地面を粉砕する。

 轟く轟音。巻き上がる土砂に岩岩。さりとてイクシスさんの姿は既にそこになく。

 私もそれを一瞬見失ってしまった。が、気づく。彼女は既に蒼飛竜の懐に潜り込んでいたのだ。

 そうして振るわれるのは、彼女が自前のマジックバッグより取り出した武器の一つ。大鎚だ。

 振るった軌跡すら目にも止まらず、気づけばそれは蒼飛竜の脇腹にめり込んでおり、振り切った勢いで蒼飛竜の巨体が冗談みたいに吹っ飛んだ。

 再度迫りくる音の暴威を遮音でやり過ごし、眺めた先には翼が折れて変な方向に曲がった奴の姿。

 イクシスさんは悠然とそれへ歩み寄っていく。


 ゴフッと一つ吐血した蒼飛竜は、いよいよ目を血走らせて暴れ始めた。死物狂いの様相だ。

 奴の喉の奥が青く輝きを灯したかと思えば、それは言わずもがなブレスの予兆。

 そうはさせじと飛び出すイクシスさんへ、再び鞭の如き尾が音速をも軽く凌駕する速度でもって迫ったが、彼女は大鎚を片手で軽く振り下ろす。それだけで奴の尾を地面へ叩きつけてしまった。

 しかしその一手間を強いられたせいでブレスの発射を許すことに。

 蒼飛竜の顎門より放たれるは、鮮やかな青の炎。なるほどブルードラゴンを彷彿とさせるというのも頷ける光景だ。

 それは馬鹿げた熱量を孕んでいるのだろう。イクシスさんによりふっ飛ばされ、ますます距離の離れた私たちの所にまで、肌を焼くほどの熱波が押し寄せてきたのだ。

 私は秘蔵の【熱魔法】にてMPと引き換えに熱波をただの突風へと変換。どうにか事なきを得たが、心配なのはこれを間近で放たれたイクシスさんだ。

 如何な勇者と言えど、あんなものを直接浴びたのでは塵も残らないだろう。

 目を凝らし、彼女の安否を確かめようとする私だったが、どうやらそれどころではないことに気づく。


「うわ、やばっ! ソフィアさん飛びますよ!」

「は、はい!」


 彼女の手を引っ掴んで、私はすぐにワープを発動。

 飛んだ先は、予備の観戦スポットだ。そうしてちらりと今しがたまで私たちが居た位置に視線を走らせれば、今正に蒼炎の残滓が炙っている最中だった。

 岩石は赤く染まるほどに焼かれ、遠目にもそこに降り掛かった膨大な熱量が見て取れた。熱魔法だってアレの前じゃ意味を成さないだろう。

 なんて冷や汗を流す暇もなく。


「ミコトさん!」

「ぐっ」


 再度、私はソフィアさんとともにワープで飛んだ。

 蒼飛竜は今や滅茶苦茶に暴れており、ブレスも所構わず撒き散らしている有様だ。

 結果、折角ワープした先にもその脅威は迫ったのである。そうなればもう退避する他無い。

 もう一つの観戦スポットへ急遽転移した私は、内心焦っていた。

 何せワープにはごっそりとMPを使う。連続で使用できるのは三回が限度だ。

 急ぎMPの補充を行う必要があった。だというのに。


「また!?」

「退避を!」

「っ!」


 流石に慌ててしまった私は、三度目のワープをしくじってしまった。

 いや、転移自体は成功した。再び迫った蒼炎の脅威は逃れることが出来た。

 だが、転移先を選ぶだけの余裕がなかったのだ。


 結果私たちが飛んだのは、蒼飛竜からは十二分に距離のある安全圏。

 ではあったのだけれど。


「っな……!?」

「ここは……」


 よりにもよって私たちが転移した先は、なんと六体ものワイバーン通常種が屯する危険な岩場であった。

 蒼飛竜を探して探索している最中、マップ上で発見したここは要注意ポイントとして覚えていたのだ。それが動転した拍子に思い起こされ、間抜けにも転移先として選んでしまったらしい。

 私は大慌てでストレージからMP回復薬を取り出すと、裏技を駆使してMP補充を行おうとする。

 が、奴らの挙動はそれよりも早かった。


 唐突に出現した私たちへ、ワイバーンたちは反射的に襲いかかってきたのだ。獰猛な彼らは驚いて警戒するより、驚いたらとりあえず先制攻撃というスタンスを取る生き物のようで。

 結果としてこのままではMP補充も再度のワープも間に合わない。

 それに気づいた私が瞬時に方針を変え、黒太刀での応戦を行おうとしたその直前だった。


「【閃断】」

「!?」


 私たちの正面より迫っていたワイバーンの一体が、唐突に死んだ。

 首が落ち、腕が落ち、足が取れ、翼も落下し、尾も絶たれた。正にバラバラだ。バラバラ殺竜事件だ。

 すぐさまその死体は黒い塵へと変わる。そして異変に気づいた他のワイバーンたちは危険を悟って一旦飛び退った。

 彼奴らの睨みつける先。そこに佇むのは一人の女性。

 私を背に庇い、一歩踏み出したのはそう――。


「私の嫁に牙を向こうだなんて、そんなに死にたいんですか?」

「ソ、ソフィアさん……?」


 自称、私の妻であるところの担当受付嬢、スキル大好きソフィアさんその人だった。

 何だ、今何をしたんだこの人!? ぶっちゃけ何が起こったのか理解できなかった。唐突にワイバーンの一体がバラバラ死体になったとだけ。

 それと、彼女から感じられる憤りと殺意。


「なら、死んでください」

「え」


 一瞬だった。

 次の瞬間には、他のワイバーンたちも最初の一体同様バラバラにされ、そしてドロップアイテムを残して塵に変わったのである。

 あ、あれ……ワイバーンって確か、通常個体でもAランク冒険者がPTで挑むような相手だって言ってなかったっけ……?

 私が内心でビビり散らかしていると、ソフィアさんはゆっくりとこちらに振り返り、見惚れるほど綺麗な微笑みを私に向けてきた。


「ミコトさん、お怪我はありませんか?」

「ぐはぁ!」


 ソ、ソフィアさんのくせに! ソフィアさんのくせに!! うっかり惚れそうな自分が恨めしい!!

 まるで何事もなかったかのようにすまして佇む彼女は、明らかに強者の風格を纏って見えた。

 なんだ、てっきり戦えないと思ってたら滅茶苦茶強キャラだったとか、しかもこれみよがしに無双しちゃって! ポイント高いんですけど!

 しかし実際危ない場面だったのは事実で、そんな状況を一瞬で覆してしまった彼女は、間違いなく凄まじい実力を秘めているのだろう。

 私は不本意ながら高鳴る心臓をおさえ、裏技でMPの補充をしつつなんとか返事を返した。


「怪我はありませんけど、ソフィアさんって強かったんですね……」

「だから言ったでしょう。ミコトさんのPTに入りますって」

「なんで決定事項みたいに言うんですか」

「だって役に立ちますよ、私」

「ぐぬぬぬぬぬぅ、何も言えねぇ」


 実際その力を見せつけられてしまっては、今までのように何も考えず却下することも出来ない。

 っていうか今はそんな話をしている場合でもない。


「ともかく、この話はまた後にしましょう。でもお礼だけは言っておきます。助かりました、ありがとうございます」

「嫁を救うのは妻の役目ですからね。気にしないでください」

「ああ、はい。それじゃ観戦に戻りますよ」


 私は彼女の手を取り、新たに観戦スポットを探してマークし、そこへワープで飛ぶのだった。

 こころなしか、あの恐ろしい蒼飛竜とイクシスさんのやり合う戦場に戻るというのに、先程までの恐々とした気持ちが随分と鳴りを潜めたように思う。

 ソフィアさんが実力者だと分かったからだなんて、自分がそんなゲンキンな性格だとは思いたくないものである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る