第九一話 寝てる間に終わってた
一瞬の暗転。
そうして目覚めた時、私の体には信じられないほどの倦怠感が伸し掛かっていた。
瞬時に理解する。これはアバターではなく、紛れもない自分の体なのだと。
感じるのは極限の疲労。指一本動かすことすら出来ない。動かすのがしんどいとかじゃない、動かないんだ。
そのくせ呼吸は荒く、しかし浅い。背中には嫌な汗がブワッと浮かんでおり、手足の末端が冷たく、寒い。体が弱っているのだと嫌でも理解させられる。
辛うじて動かせるのは視線くらいのもの。それにしたって霞がかっているが。
頭も全然回らず、何なら現状の把握すら曖昧だ。何がどうしてこうなったか、思い至るのに僅かながら暇を要するほどに。
しかし、すぐに思い至ってココロちゃんのことを視線だけで捜す。
私は仰向けに倒れており、見えるのは無駄に高い天井ばかり。苦労して頭をわずかに傾けてみると、いた。
凄まじい形相でこちらを睨み、酷くぎこちない動きでゆっくりと歩み寄ってくる。とは言え、ほんの二、三歩の距離でしかないのだが。
そうして憎々しげに私を見下ろすココロちゃん。ああ、どうやらまだ鬼を制御しきれていないのだろう。でも、その動きのぎこちなさから、もう少しだというのは分かる。
鬼は、さんざん邪魔した私のことが余程赦せないのか、はたまた破壊衝動により、目についた生き物を壊したいだけか。
何れにせよ、不器用にゆっくりと足を振り上げてみせた。それで私の頭を踏み砕こうというのだろう。
想像するだに恐ろしいことなのだが、極度の疲労のせいか、もう抵抗する気力すら湧いてこない。
やれることは全部やったんだ。ここで踏み潰されるのなら、それも仕方ない。せめて一思いにやってほしい。
なんて、諦念すら湧いてくる。
おっかないので、私は目をつぶっておくことにした。
あとはもうどうなるにせよ、ココロちゃん次第だ。
最後にひとこと言いたくて、私は一生懸命喉を動かし、言葉を紡いだ。
「……が……ばれ……ココロ……ゃん」
それで、限界だった。
私の意識はまたも、静かに暗闇へと呑まれたのである。
次はもう、目覚めることもないかも知れないな、なんて思いながら――――。
★
空腹で目が覚めた。
酷く頭がぼんやりして、寝る前どこで何をしていたのかすぐには思い出せなかった。
体は重く怠い。少しずつ、眠る前の記憶を紐解いていき、そのシリアスさを思い出して一気に意識が微睡みより引き戻された。
どうやら、私は死ななかったらしい。倦怠感はあるが、五体満足だし頭もちゃんとある。
あと、すごいお腹すいた。びっくりするくらいの空腹を感じ、そのせいか体にも全然力が入らない。喉もカラカラだし、かなり辛い。
ひとしきり体の調子に思いを巡らせると、次に気になったのはここが何処なのかという点だった。
見上げた天井は、見覚えのあるものだ。やけに高いそれは、意識を失う前に見たそれと同じもの。つまりは、鬼のダンジョン最下層、ボス部屋の天井に違いない。
だけどそれなら、おかしなことがある。
どうして私は、ガッツリお布団に……というか、ベッドに寝ているのだろう。わけが分からない。
もしかして夢でも見ているのか、それともここがあの世というやつなのか。
訝しみながら頭を傾け、周囲の様子をうかがってみると、更にベッドが二つ並んでおり、更には寝袋が一つ。
ふと誰かが談笑する声が耳に入り、そちらを見てみると。
足元にはカーペット。ソファやテーブルも完備されており、快適空間が広がっているではないか。
そして彼女らはテーブルを囲って食事をしていた。
そこには、オルカ、ココロちゃん、そしてクラウさんの姿が。
すると流石と言うべきか、視線を感じたのだろう。いち早く反応してくれたのはオルカだった。
私と目が合うと、血相を変えて立ち上がり、こちらへバタバタと駆けてくる。それに続いてココロちゃんも。クラウさんは遅れて席を立ち、こちらへ歩み寄ってきた。
「ミコト! 良かった、目が覚めたんだ……」
「うぅぅ、本当に良かったです……ミゴドざまぁぁぁ」
「あはは、なんか心配かけたみたいで、ごめんね」
ココロちゃんがわんわんと泣き始めてしまったため、彼女をなだめつつざっくりと私が寝ていた間の話を聞いた。
私を踏み潰す直前で、何とかココロちゃんは鬼の制御に成功したらしく、今は支障なく自分の意志で体を動かせるらしい。
意識を失った私の傍らでココロちゃんが途方に暮れていると、そこにコソッと様子を見にクラウさんが現れたのだと言う。
彼女はオルカを抱えて階段の方まで避難していたが、様子が気になり入り口から中を伺うと、ココロちゃんがわんわん泣いているのを見つけたのだと。
それに倒れている私の姿を見て、意を決し声をかけたのだそうだ。
クラウさんに連れられオルカのもとへ向かったココロちゃんは、すぐに傷ついたオルカの治療に当たった。
「それにしても驚いたよ。オルカの怪我が、あっと言う間に治ってしまったんだから」
クラウさんはそう言うや、それから先の経緯をやや興奮気味に語ってくれた。
オルカを治した後、三人はボス部屋に戻ってこれからのことを話し合ったらしい。
衰弱しきった私を動かすのは危険だと判断し、ここを動かないと言いはるオルカとココロちゃん。
命を救われた恩を返したいからと、クラウさんも付き合うことにしたそうな。
しかし問題は、食料が不十分だという点。クラウさんの手持ちも心もとなく、オルカやココロちゃんの分は私のストレージに入ったままだった。
どうしたものかと話していると、不意にストレージ内の食料が出現したのだと言う。
オルカ曰く、私の持つ【オートプレイ】のスキルが働いてくれたらしい。
それが可能と分かったなら、心配のタネはなくなった。ストレージに収納しておいた快適空間セットを取り出して、寝泊まりするのに十分な環境を整え、私をベッドに休ませたのだと言う。
私はそんな話を、オルカが作ってくれた麦粥を頂きながら聞いていた。
クラウさんは鼻息も荒く、君はすごいなと目をキラキラさせている。
「アイテムストレージだなんて、私は聞いたこともない。それどころか、ココロと融合したのには度肝を抜かれたぞ! それにあの力、この私がろくに反応も出来なかった! 是非とも次はちゃんと手合わせ願いたいものだ!」
「あの力って、もしかして瞑想中に私なにかしました?」
「ああ、みぞおち辺りに拳の寸止めを一発な。それだけで面白いほど吹き飛ばされた! 血反吐も出ちゃったぞ!」
「それはその、すみませんでした。っていうかなんでこの人楽しそうなんだ……」
どうやらその時のダメージは、ココロちゃんによってバッチリ治してもらったらしいのだが、そこはかとなくソフィアさんと似た匂いを感じるなこの人。
っていうかもしかして、バトルジャンキーの類なのだろうか? こんなダンジョンに単身で潜るっていう点から考えても、それっぽい気がする。
「しかもミコト、君は眠ったままでも魔法やスキルの鍛錬が出来るんだな。こんなに羨ましいことはない!」
「羨まれたのは初めてですけどね……」
「おっと、敬語はよしてくれ。名前も呼び捨てて欲しい。私もミコトと呼んで構わないか?」
「あ、うん……問題ないよ」
女騎士って言うから、もっとこう厳格な人だと思ってたのに、フレンドリーなんだなぁ。まぁ話しやすいのは良いことだけど。
彼女の饒舌は止まらず、聞いてもいないのにアレヤコレヤと自身の感じた驚きを語ってくれた。
そうしている間に食事は進み、ようやっと空になった麦粥のお椀をオルカに渡しながら、折角なので私からも軽く質問してみる。
「ところで、クラウはどうしてこのダンジョンに?」
「無論、私より強い者を求めて」
「ああ、なるほど……」
俺より強いやつに会いに来たってことか……何処の格闘家さんですかね。
ともあれ、彼女がいてくれたのは私たちにとっても僥倖だった。クラウの助太刀がなければ、私は今頃ココロちゃんに撲殺されて、床のシミになっていたところだ。
私がお礼を言っていると、不意にさっきから私のお腹にしがみついていたココロちゃんがもそもそと離れ、そして地べたにヘコっと折りたたまった。
「え、コ、ココロちゃん……?」
「ミコト様、大変ご迷惑をおかけしました‼ おかげさまでココロは元気です‼」
それは、紛うことなきジャパニーズ土下座。何処で覚えたのやら……って私の真似か。
私が顔を上げてと言っても、なかなか言うことを聞いてくれない。
「今回ココロのことで、ミコト様にも、オルカ様にも、果てはクラウ様にまで大変な苦労をお掛けしてしまいました……ココロは、どうお礼をすればいいか、あるいは謝罪をすればいいか、分からないのです」
「むー、少なくとも、私は別にそんなの求めてないけど。あ、鏡花水月に入ってくれたならそれで十分ってことで」
「それ。私もそれでいい」
「そ、それは勿論ですが、それだけではココロの気が収まりません!」
考えてみると確かに、ココロちゃんの抱える問題を何とかするべく、今回は結構色々やったと思う。
実際ドレッドノート戦ほど痛い思いはしなかったんだけど、危ない橋を渡ったのは確かだ。ココロちゃんが恩に着てしまうのも仕方がないか。
「とは言ってもなぁ。ココロちゃんのおかげで、私は色々と成長することも出来たわけだし、悪いことばかりじゃなかったんだよ。だから本当に気にしないでほしいんだけど」
「右に同じ」
「ミコト、鏡花水月というのは?」
「ん? ああ、私とオルカで組んでるPTの名前だよ。ココロちゃんも加入するんだ」
「ほぅ……」
何やらキランと目を光らせるクラウ。それはさておき。
こう見えてなかなか頑固なココロちゃん。未だに土下座の姿勢のままいやいやをしている。頑固と言うか、駄々っ子に見えてきた。
「あ。じゃぁこれは、貸し一つってことでどう? 利子なんてつけないから安心してね」
「私も貸しておく。返さなくても良いよ」
「ちなみに私は、命を救われた身だからな。寧ろ私が恩返しをする立場だと思っている」
「むむむむぅ……」
こうなるといよいよ茶番めいてきてしまい、流石にココロちゃんもこれ以上はワガママでしか無いと悟って折れることにしたようだ。
必ず返しますからと宣言し、ようやく立ち上がってくれた。
それからも話は尽きることもなく、私たちはダラダラとくっちゃべっては時間を過ごし、クラウとも親睦を深めていった。
その話の中で、どうやら私は一週間近くも眠っていたらしいと分かり、たいへん驚いた。
というのも、恐らく私はキャラクター操作の制限時間を超過して、無理やりココロちゃんとの融合を維持したため、疲労を通り越してうっかり衰弱死しかねないほどに消耗していたらしいのだ。
おまけに精神力もゴリゴリに削られたため、本当に危なかったのだと真面目な顔でお説教されてしまった。
とは言え、私に後悔はなく。結果的にアレが最善だったと、私は誰になんと叱られようと言い張れると思う。
が、ふとあることに思い至り、皆に問いかける。
「あのさ。攻略が済んだダンジョンって、消滅するんだよね?」
「「「………………あ」」」
どうやら、快適空間でダラダラしすぎて、そこら辺が頭から抜け落ちていたらしい。
私はまだ力の入らぬ体をぐいと起こし、ベッドから立ち上がると皆に確認した。
「お宝部屋はもう確認した?」
「いえ、ミコト様がお目覚めになってからにしようと皆で話し合いまして」
「よし、すぐ行こう!」
「その前にミコト、これ」
そう言ってオルカが差し出してきたのは、一枚の仮面。また仮面か。
私が首を傾げると、それが何なのかを説明してくれた。
「多分、黒鬼のドロップ品」
「ああ、成程。言われてみると確かに黒い鬼の面だ!」
なんだかスタイリッシュにデフォルメされた、角の生えた仮面だったので一瞬気づかなかったのだが、なるほど確かに。
私は黒鬼のコアを砕いてとどめを刺したし、ドロップ品が装備品だっていうのも全くおかしな話ではない。
とは言え、また仮面か。
「仮面と言えばミコト。ミコトといえば仮面」
「異議なしです」
「もとより私には口を出す資格もないからな」
「そっか……じゃぁ、有り難く使わせてもらうよ」
斯くして、一連の肝をキンキンに冷やすような命のやり取りは終わり、その結果ココロちゃんも私もどうにか無事危機を乗り越え、またもや私の仮面コレクションに凄そうなものが一枚加わったのだった。
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