第八八話 心の世界

 思えばそれは、試練のようなものなのかも知れない。

 生前、テレビで何処かの国の成人の儀、みたいなものを何度か観たことがある。

 高いところから飛び降りたり、狩りをしたり、タトゥーを彫られたり。いずれも海外の話だったけど。

 鬼族にとっては、内なる鬼を制し、角を手に入れることが力ある鬼になるための試練だったんじゃないかと、ふとそう思えた。

 まぁ成人のための試練にしては難易度が高すぎるため、勇者を選定するための試練、みたいな位置付けだったのかも知れないけど。

 何れにせよ、ココロちゃんは今からそれに挑まなければならない。


 失敗すれば自我を喰われ、今度こそココロちゃんという人格はこの世界から消え去ってしまうことだろう。

 それに、再び暴れだした彼女を抑えることは、きっともう出来ない。

 キャラクター操作の反動で、私は行動不能に陥るだろう。オルカもなんとか一命をとりとめた程度で、到底戦える状態じゃない。

 頼みの綱があるとすれば、クラウさんだけ。しかし彼女とて、ソロで黒鬼に挑んで敗北し、あまつさえその装備もボロボロな状態だ。

 黒鬼以上の力で大暴れするココロちゃんを、彼女一人で何とか出来るとは到底思えなかった。

 だから、ここで失敗すれば一巻の終わり、ということだ。

 正直恐いって気持ちはある。私の役目は内なる鬼から、ココロちゃんを守ること。負担の一切を請け負って、彼女には制御に集中してもらうんだ。

 もしそこで私が鬼に屈するようなことがあったなら、たちまち計画は体を保てなくなる。

 責任重大だ。命がけの一発勝負なんて、私はそんなスリルなど求めてない。出来れば平穏にまったり過ごしたいタイプなのだから。

 でも、平穏やまったりを守るためなら、頑張ろうって思える。


『ココロちゃん、準備はいい?』

『……はい。大丈夫です』


 私もココロちゃんも気持ちを整え、腹をくくった。

 内なる鬼の攻略を始める。


『それでミコト様、具体的には何をすればいいのでしょう?』

『そうだね……まずは、動きやすくしようか。ここはココロちゃんの精神世界だから、今はお互い意識だけの状態だもん。何をするにもこれだと踏ん張りが利きにくい』

『た、確かに』

『なので、とりあえずアバターを用意しよう』


 アバターだなんて言われても、当然ピンとこない様子のココロちゃん。

 そこで百聞は一見にしかず。私は自分の姿を強くイメージし、精神世界に自身の体を再現することに成功した。

 何せ私の体は、もともと私がゲームに用いるアバターとして作ったものだからね。それを脳内再生することなんて容易い話だ。

 ココロちゃんは「おお」と感心し、ならば自分もと頑張って自らの姿をイメージした。


 結果、スラッと背の高い、やたらプロポーションに秀でたセクシーで美人なお姉さんが姿を表す。

 アバターがリアルと全然違う、なんていうのは異世界でも似たようなものだということか。というか、もしかしてそれがココロちゃんの理想体型だったりするのだろうか。

 私は今のままのココロちゃんも好きなのだが、乙女心は複雑だ。下手なおだて方は貶すよりも気持ちを抉ったりするものさ。何も言うまい。


『出来ましたミコト様! 次はどうしたらいいですか?』

『う、うん。次は、フィールドを作ろうか。空があって、地面がある。とりあえずそれだけで十分かな。イメージしやすい場所なんかがあれば、そこを思い浮かべてみて』

『それなら、ギルドの訓練場なんか印象深いですね。それでいいですか?』

『じゃぁそれで。私も手伝うよ』


 ギルドの訓練場には、スキルを磨くためによく入り浸ったものだ。修行中も結構足を運んだし、私にとってもイメージしやすい場所ではある。

 二人で協力し、精神世界に訓練場を再現した。細部は曖昧で、ぼやけている部分なんかもあるが、動き回れるフィールドが出来たのだから十分だ。


『さて、フィールドも整ったなら、いよいよ内なる鬼をここに呼び出すよ』

『! そ、そうですよね。でもどうやって……?』

『ココロちゃんが内なる鬼に抱いているイメージを、なるべく具体的に形にする。そうやって、奴にもアバターを与えるんだ』

『う……それだと、とんでもない姿になっちゃいそうですけど……』

『どんな姿になったとしても、別にそれで強さが変わったりはしないはずだから大丈夫だよ』

『わ、分かりました。やってみます……』


 セクシーココロちゃんはむんむんと唸って、眉間にシワを寄せながら内なる鬼に姿を与え始めた。

 すると広い訓練場の中央に、何やら禍々しいオーラが発生し、少しずつ何かの形を取ろうとしている。

 形が出来上がっていくにつれて、プレッシャーが膨れ上がっていくようだ。凄まじい力を感じる。

 黒をベースに、暗い赤や紫、藍色なんかを混ぜ込んだ、いかにも邪悪なそれはいよいよ形を安定させた。


 全身を黒いモヤで覆い隠し、その姿はシルエットでしか判断がつかない。

 ただ、目だけは衝撃的なほどに赤い光をたたえており、さながらホラー作品にでも出てきそうな外見をした、人型の何かがそこに顕現した。

 更に特徴をあげつらうとするなら、やはりその角だろうか。完全に縮尺を間違ったような巨大な角が、どーんと額から二本生えている。

 それと、角とは裏腹なその小柄さも特徴的だった。

 あのサイズ感は、よく知ってる。リアルココロちゃんと同じくらいの背丈だ。

 セクシーココロちゃんと見比べてみて、ふと思った。もしかしてセクシー体型への憧れだけじゃなく、小柄な背丈をコンプレックスに思っていたのかも知れないなと。

 勿論、言わぬが花であるが。


『ミコト様、なんとか出来ました……!』

『うん。ご苦労さまココロちゃん。でもここからが本番だよ』

『はい、承知しています!』


 ようやっと準備は整った。対峙するべき相手と、ついに向かい合うことが叶った。

 後はコイツに打ち勝つことが出来れば、ココロちゃんを救うことが出来る。

 しかしそれも一筋縄では行きそうにない。姿の定まった奴から感じられる力は、底知れないものがある。

 よくもまぁココロちゃんは、長らくこんなものを抱えながら過ごしてきたものだと、驚愕を禁じえないほどだ。


 と、不意に奴の赤い目がカッと光ったかと思えば、驚くべきことが起こった。

 ビームだ。目からビームを撃ってきたのである。

 私は咄嗟に、正常化魔法を展開。するとそれは障壁……いや、ここは敢えてバリアと表するべきか。

 そう、私の前に輝く壁を生成したかと思うと、ビームを完璧に防いでみせたのである。

 とっさの判断だったが、やはりあれは内なる鬼の放つ【狂化】を視覚化したもの。であれば、正常化の魔法が有効だと睨んだ私の判断は正しかったらしい。

 それにしてもビームか! 分かってるじゃないかアイツ!


『くぅっ! 私も出せないかなぁビーム!』

『ミコト様……そ、それでこれからどうしましょうか?』

『おっと、そうだったね。ココロちゃんには今からアイツを、なんとかして手懐けてもらわないといけない』

『ええっ、た、倒すんじゃないんですか!?』

『制御するわけだからね。倒すんじゃなくて、手懐ける……或いは、アイツから力を吸い取るイメージでもありなのかな?』


 正直私にも、正しい制御の仕方なんてのは分からない。というかここまでだって、おおよそ推測を頼りに動いてきたわけだしね。もし何処かに私の考え違いがあれば、あっと言う間に詰んでしまうことだってあり得る。それくらい危険な橋を渡っている最中なのだ。

 今しがたのビームだって、うっかり対処を誤っていればどうなっていたことか……。

 なので、あまり適当なことは言えないのである。可能性があると思ったことを並べ立てるくらいしか、私には出来ない。


『ただ一つ言えるのは、仮にアイツを倒して無理やり力だけ奪ったとしても、多分暴走は再発するんじゃないかってことくらいかな』

『……それは、どうしてですか?』

『力を受け入れる過程で、ココロちゃんにも変化が求められるからだよ』

『変化……』


 私の推測が正しいとするなら、内なる鬼とは鬼の角になるものだ。それ自体が角の大本なのか、或いは体に何らかの作用をもたらして角を生やすのかは分からないけれど、ともかくアレの力を引き出す過程で、必ずココロちゃんには何らかの影響が出るはず。

 ただ闇雲にアイツを押さえつけて、体よく力だけを奪うことが出来たとしても、正しくアイツと向き合い、受け入れられなければその変化についていけないんじゃないかと思うんだ。

 たとえ肉体が順応できたとしても、精神が持たないんじゃないだろうか。


『……ってわけなんだけど。勿論確証があっての話ではないから、断言はできないけどね』

『いえ……仰ることはよく分かります。ココロにも、そんな漠然とした予感はありますから』

『アイツへの忌避感は、そう安々と拭えるものじゃないよね。難しいことを言ってるのは百も承知の上で、それでも』

『ここで目を逸らしてしまえば、先は無いんですよね』

『だね……』

『…………』


 言うなればそれは、長年自身を苦しめてきた大嫌いな相手と、今すぐ和解して手を取り合えと言っているようなものだ。

 それも、上辺だけの和解ではない。これから先、ずっと共に歩んで行けと。そういう話である。

 それを受け入れるには、凄まじい懐の深さが必要だろう。

 本来なら少しずつ歩み寄り、徐々に馴染ませていくようなそれをたった今、ここでと。

 たとえ狂化による妨害がなかったとて、とんでもなく無茶な要求である。

 紛れもなくこれは命がけの話なのだけれど、死ぬ気でやってもどうにもならないようなことだってある。

 死んだほうがマシだ、なんてのは存外よく聞く話だしね。

 ココロちゃんにとってそれは、正しく死んだほうがマシだと思えるほど辛い事かも知れない。

 だけど、そこに私の命運も乗っけてしまった。酷いことをしていると思う。死ぬことは許さん! と、無慈悲な言いつけを投げつけているようなものだもの。


 ココロちゃんは瞑目し、何度も深く呼吸をした。一生懸命気持ちを整えているようだった。

 曇天の空は、そんな彼女の心情を映す鏡のように思える。

 それでも彼女はゆっくりと目を開き、私に頷いてみせたのだ。


『ココロ……やります』

『……ありがとう。辛いとは思うけれど、お願いするよ』


 私たちは改めて、内なる鬼へと向き直った。


『まずはアイツのもとまで行こうか。文字通り、心の距離を埋めるんだ』

『ふふ、洒落がきいていますねミコト様』

『でしょ』


 軽口を言い合い、私たちは揃って一歩を踏み出した。

 その瞬間である。突然、鬼を中心に幾重にもドーム状の障壁が展開され、私たちの接近を拒んでみせたのだ。

 しかも、ビームを乱発してくる鬼。それらは平然と障壁をすり抜けてこちらへ襲いかかってくる。私はそのことごとくをバリアで弾くも、これでは前に進めない。

 試しに壁を壊そうと殴ってみても、全く意味をなさなかった。向こうの攻撃だけ一方的に通るとか、ズルいったらない。


『くっ、何だこの障壁! これじゃ近づけない!』

『ミコト様、ここはココロが!』


 そう言って私の横に並び立ったココロちゃんが、拳を振りかぶって思い切り障壁へと叩きつけた。

 拳が障壁に触れた、その瞬間である。突然、私の脳裏に強烈なイメージが過ぎった。

 それはココロちゃんが過去、体験した出来事。内なる鬼を憎む理由たる景色。

 大事な宝物を、自らの手で壊してしまった悲しい記憶。


『……っ! これって……』

『ミコト様にも、見えるんですね……。そうです、ココロが過去に体験した辛い記憶です』

『……つまりこの障壁は、心の壁。ココロちゃんが、鬼を許せない理由たち』


 幾重にも連なる障壁は、途方もなく鬼への到達を困難なものにさせている。

 この壁を突破するためには恐らく……。


『ココロちゃんが、赦すこと。それがこの壁を破る方法なんじゃないかな』

『赦す……難しいですね、ミコト様』

『そうだね……しかも、アイツに近づくにつれて壁はより分厚くなっているように見える。進めば進むだけ、より辛い記憶を思い出すことになると思う』

『それは、ミコト様にも嫌なものを見せてしまいますね……』

『私のことはいいよ。それより、行けそう?』

『正直、自信はありません……でも、やります。幸い今のココロには、辛い過去よりも、大切にしたい今があるから!』


 バリンと、障壁が一枚砕けて散った。

 ココロちゃんは私たちの今を守るためならば、鬼への恨みを水に流すと。そう心から思ってくれているらしい。

 それが私にとって、そしてオルカにとってもどれ程嬉しいことか、彼女に伝わるだろうか。

 涙が出そうになるのをこらえ、私は鬼からの妨害をひたすら弾いた。

 次の壁も、その次の壁も、ココロちゃんがそれを砕こうとする度に、辛い記憶、悲しい気持ちが私の胸にも去来した。

 それでもココロちゃんは、今のほうが大事だからと突き進む。

 鬼の攻撃は進むにつれて苛烈さを増し、壁が見せる記憶もまた、どんどん悲惨なものになっていった。

 それでもココロちゃんは進み続け。


 そうしてついに、彼女の足は止まってしまったのである。

 目の前の壁は、あまりに分厚く強固だった。

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