第八七話 角

 目線の低くなる体験、というのは存外稀有なものだ。

 座ったり、腰をかがめて視線を低くするのと、普通にしてても目線が低いのとでは明らかに違いがあるのだなと、ココロちゃんの中に入って感じた最初の印象はそれだった。

 がすぐに、胸の内よりふつふつと湧き上がってくる嫌な感情を見つけた。

 それこそが、ココロちゃんを長らく苛んでいる内なる鬼によるものだと、すぐに理解することが出来た。それほどまでにハッキリと、暴れたい衝動というのが内側から湧いてくるのを感じたから。


 私はすぐさま自らに正常化魔法をかけて、その衝動を抑え込む。

 確かに効果があるのを感じた。すっと気持ちが楽になるのだ。

 そうして改めて自身の状態を確認する。間違いなく、ココロちゃんとの融合に成功している。

 自分の体があからさまに縮んでおり、それだけで何だか童心にかえったような気持ちになってしまう。

 そうして周囲の景色と自身の体躯の縮尺を比べていると、クラウさんがぽかんとした表情でこちらを見ていることに気づいた。

 それで私も我に返り、キャラクター操作の制限時間がもう半分もないことを思い出した。

 私は念のため、クラウさんにひと声かけておく。


「クラウさん。もしかしたら最悪の場合、また暴れだしちゃうかも知れないんで、その時はどうかオルカを守ってやって下さい」

「あ、ああ……わかった。任せてくれ」

「それじゃ、ちょっと集中しますので」


 彼女に断りを入れた後、私はその場で座禅を組み、意識を内へ内へと潜らせていく。

 座禅なんて真面目に組んだこともないため、テレビとかネットで知った知識の見様見真似なのだけれど、この際集中力を高められるのなら何だっていいのだ。

 それにしても、オルカと融合したときに比べると、ココロちゃんの存在がどれほどか細くなっているかがよく分かる。

 随分と弱々しく、私の中に存在している。本当に風前の灯がごとし、だ。

 私は声に出すこと無く、心の内で彼女に呼びかける。


『ココロちゃん、聞こえる?』

『は、はいミコト様。すごいですね、これが【キャラクター操作】ですか!』

『良かった、思ったより元気そうで』


 存在こそ消えかかってはいるが、どうやらいつものココロちゃんのままらしい。

 時間もないため、私は早速とばかりに本題へ移ることとした。


『時間がないから単刀直入に言うと、今からココロちゃんには内なる鬼を制御してもらいたいんだ』

『! 制御、ですか……』

『そう。抵抗はあると思うけど、きっとそれが現状を打開するための道だと思うから』


 私は語った。今、ここに至るまでに見て、聞いて、感じて知り得たこと。そこから導き出した私なりの答えを。

 最初におかしいと思ったのは、黒鬼がココロちゃんを鬼だと断言したことだった。

 ココロちゃんが鬼だというのなら、どうしても私には腑に落ちない点が一つあったんだ。

 それは、角の存在。


『角、ですか?』

『そう。鬼と言ったら角が生えているものだって、私はそう思っていたし、実際下級も中級も黒鬼だって、頭に角が生えてたよね?』

『確かに、そうですね』

『なのにココロちゃんにはそれがない。そればかりか、ココロちゃんはそれを不思議に思っていなかった。つまり、ココロちゃんの血縁者にも角はなかったんじゃないかな?』

『は、はい。父にも母にも、村の人達にも、角なんて生えていませんでした』


 鬼なのに、角がない。でも、モンスターになった鬼たちにはそれがあった。

 これは明らかに不自然な点だ。更に言うと、さっき大暴れしていたココロちゃんにも、角は生えていた。

 だけどココロちゃんはまだ、モンスター化したわけじゃない。

 ということは、モンスターになったから角が生えてきた、というわけではないのだろう。


『えっと、つまりどういうことなんでしょう?』

『要するに、私たちが【鬼】と呼んでいたものの正体は、【鬼の角】なんじゃないかってことなんだ』

『!』


 以前聞いた話に、大昔存在した鬼族は、人間とモンスターの間中の存在だというものがあった。

 人とも付かず、モンスターとも付かないものだと。

 私を含め皆がその理由を、鬼族が後にモンスター化したからだと納得した。或いは、癇癪持ちで大暴れし、他の種族に恐れられたからだと。

 でも、本当にそうなのかな? そんな理由で、果たして人とモンスターの間中だなんて表現が用いられるものなんだろうか?

 黒鬼を見て思ったんだ。どうして、そんなに肌の色が黒いんだろうかと。下級の鬼も中級の鬼も、体の色なんて人とそこまで大差なかった。多少浅黒くはあったが、それだけ。

 ボスだからとか、高位のモンスターだから肌が真っ黒なんだ、という見方も勿論出来る。

 でももし、そうじゃないとしたら?

 推測の域は出ないが、もし黒鬼の肌色が、その角に関連したものだったとしたらどうだろう。


 黒鬼は、内なる鬼を制御下に置いた力ある鬼の一人だったそうだ。

 その影響で角が生えて、体が黒くなった。そう考えると、さながらモンスターに近づいたようだ、なんて他の種族からは見えたのではないだろうか?

 少なくとも、内なる鬼と角の関連性を、私はほぼ確信している。

 そして思い切った推測を述べてしまうなら、内なる鬼を制御するということはつまり。


『角を制御下に置くことで、第二形態を獲得すること。それが内なる鬼を御することだと私は考えている』

『だ、第二形態、ですか!?』

『そうそう。ロマンあるよね!』


 伝承には、鬼族がみんな黒かっただとか、力ある鬼は真っ黒だった、みたいな記述はなかった。

 それはつまり、角のもたらす肉体への変化には、個人差があるんじゃないかということ。

 だとするなら、その多様性もまた、鬼がモンスターに近いとされた理由の一つかも知れない。


『確証があっての話ではないから、全くの見当外れかも知れない。でも、たとえこの仮説が間違っているにせよ、ココロちゃんが内なる鬼を制御することだけが、現状を打開するための方法だと私は思う。それだけはきっと、間違いない』

『ココロが、鬼を制御……』


 内なる鬼を制御するために、黒鬼は百年以上も掛かったと言った。

 それは何故か。内なる鬼が【狂化】というスキルを持っているからだ。

 狂化は凄まじい力を鬼族にもたらす。その反面、強烈な破壊衝動も同時に連れてくる。

 そしてこの破壊衝動は、正常化の魔法を用いることで一時的に退けることが出来るのだ。

 正常化が作用するということは、即ちそれは状態異常であるということ。

 この状態異常に苛まれ、内なる鬼の制御には長い時間を要することになるのだろう。


 力を求めぬ鬼は、その苦行に望むことを諦め平穏に過ごした。その最たるものが、ココロちゃんの祖先である。

 内なる鬼は刺激さえ受けなければおとなしいと言う。

 だからココロちゃんの祖先は皆で協力し合い、心穏やかに、ゆっくりと内なる鬼を、鬼の角を退化させてきたんじゃないかと思う。


『ココロに、果たして制御なんて出来るのでしょうか……』

『黒鬼も言っていたけれど、ココロちゃん一人ではきっと無理だろうね』

『う……』

『でも、だからこそ私がいる!』


 今、ココロちゃんの内なる鬼は、散々に刺激されすぎて最も危険な状態にある。

 無理に手を出せば、制御するどころか意識を喰われ、体を乗っ取られることになるのだろう。

 もしかするとそうした制御に失敗した鬼族の成れの果てが、下級鬼や中級鬼たちなのかも知れない。

 彼らの角は、黒鬼のそれに比べると随分貧相に思えたが、内なる鬼の力を十全に発揮できぬまま呑まれた、というのならそれも納得である。

 それと黒鬼は、ココロちゃんの中にいる鬼は強力だとも言っていたっけ。

 これは、鬼に個人差があるという私の推測を後押しするものであると同時に、ココロちゃんが制御するべき力の危険性をも知らせている。

 ココロちゃん一人でそれに挑もうものなら、あっと言う間に喰われてお終いだろう。


 だから内なる鬼からの妨害や反撃は、全て私が受け止める。

 ココロちゃんには鬼を、自らの角を手懐けることにだけ専念してもらうつもりだ。


『そ、それはあまりにミコト様が危険です!』

『大丈夫。私には正常化魔法があるし、どの道融合していられる時間も残り少ない。短時間で制御を成功させろだなんて、無茶を言ってるのは分かってるんだけど、これを逃せばココロちゃんは本当に鬼に呑まれることになる』

『っ!』

『そうなったらいよいよ、私がキャラクター操作のスキルを解除したところで、蹴散らされて終わりだよ。そんな結末を避けるために、最善を尽くそうっていうんだ』


 ことここに至っては、退路なんてない。

 ココロちゃんと一緒に成し遂げて、二人で無事にこの急場を乗り切る。で、オルカの治療もしてもらわないといけない。

 やっぱり、うちのヒーラーはココロちゃんだからね。私のナンチャッテ治癒魔法じゃ、限界があるって思い知ったし。


『私のことを心配してくれるのなら、一緒にここを切り抜けるために力を尽くして欲しい』

『ミコト様……でも、でももし失敗したら……』

『その時はまぁ、その時だよ。私もオルカも、ついでに力を貸してくれたクラウさんだって、皆自分で選んでここに立ったんだ。ココロちゃんを恨むようなことなんてしないって』

『うぅ……責任重大すぎますよ……』

『その責任の半分は、私も背負ってるんだからね。私たちは一蓮托生だよ』


 突然の無茶振り。しかも失敗したら取り返しのつかないことになる。

 いきなりそんなことを突きつけられて、ビビらない方がおかしいだろう。

 ココロちゃんからは、強い不安感を感じた。直接響いてくるそれに、私も引っ張られて胸が苦しくなる。

 でも、こちらはもう腹を決めてあるんだ。勿論恐いって気持ちはあるけれど、それよりも助けたいって気持ちの方が勝っている。


『私は、絶対ココロちゃんを助けるよ。そのために戦うから』

『……なら。それならココロは、ミコト様のために戦います。ミコト様をココロの巻き添えになんて出来ません。だから、ミコト様を助けるために戦います……!』


 ようやっと、ココロちゃんの覚悟も決まったようだ。

 これより始まるは、存在と命を賭した大勝負。

 負ければ全てを失い、勝てば救われる。

 負けられない戦いが今、始まる。

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