第八話 宿泊

 宿内にある食堂は、オルカの言っていた通り女性専門の宿ということで、騒がしいと言うより姦しい雰囲気があった。

 清潔感に重きを置いているのだろう、特に高級な内装というわけでもないのだが、行き届いた掃除と小洒落たインテリア。さり気なく配置された観葉植物など、女性ウケしそうな気配りが多く見て取れる。

 なるほど確かにここなら安心して泊まれそうだと、私は胸を撫で下ろしていた。あ、別にオルカの言葉を疑ってたわけではない。百聞は一見にしかず、というやつだ。

 それより問題は私の全財産が、果たして宿代という強敵のHPを削りきれるか、というところなのだが。

 っていうか今更だが、お腹空いたんですけど。この世界に生まれてこっち、水しか口に出来てないしな! 水だけで生きてますとかどこの妖精さんだよ!

 

 宿代で全部持っていかれたら、今度は飢えの気配がちらついてくる。

 え、や、ほんと。もし宿代で無一文に戻ったら、少なくとも明日薬草採ってくるまでは何も口に出来ないってことになるのでは……あ、水はギルドで飲めるけど。

 いや、ここでもいける、か? 念の為傍らのオルカに訊いてみよう。


「ねぇオルカ。ここの食堂は、お水って有料だったりする……?」

「ミコト……夕飯くらい、私が食べさせてあげるから、そんな哀しいこと言わないで」

「い、いやいやいや、そんなつもりで言ったんじゃないから! ちゃんと自分で出すから大丈夫だよ! ……足りれば、だけど」


 とりあえずチェックインが先だ。私の命運をかけた戦いが、今始まる!

 食堂を素通りし、宿の受付に声をかけた。ここの娘さんかな? 若いというより幼い感じの女の子が、瞳をくりくりさせながらこっちを見てくる。くっ、邪な感情がっ、魔法の呪文で心を落ち着けるんだ! イエスロリータノータッチ!

 ……ふぅ、危なかった。異世界幼女、恐るべし。などと溜め息をついていると、幼女の方から声をかけてきた。

 

「オルカさんおかえりなさい! そっちの人が着けてるそのお面、オルカさんが前着けてたやつですよね? あげちゃったんですか?」

「ただいま。ミコトには、これが必要だから」

「ミコトさんっていうんですね。私はファナっていいます!」

「ぐへへ、挨拶できて偉いねぇお嬢ちゃん」

「ひっ」

「あっ」


 やってしまった。私はアレか? 新手のコミュ障かなんかなんだろうか? 思えば生前も死ぬ直前までそんなだったような……。

 これも、心に中年オヤジを宿す者の性よ。

 

「ご、ごめんごめん。ほんのジョークだよ! 怪しくないよー、危なくないよー」

「オ、オルカさん……」

「ミコトにこんな一面があった、なんて……」

「やめて引かないで! 土下座でいいですか!?」


 ちまっと、床に折りたたまってコンパクトサイズに収まる私の体。額はしっかり床に押し付けるのがポイントだ。ジャパニーズ土下座である。

 けれど異世界に土下座文化なんてあるだろうか? 変な遊びに見えたら哀しいので、全力で謝罪の意を全身から放つ。うおぉぉぉぉ! 伝われぇぇぇ!!

 

 私の気持ちが伝わったのか、オルカとファナちゃんが慌てて私を立たせようとする。

 嫌だ! 許してくれるまで立つもんか!!

 

「わ、分かりましたから! 許します! っていうかちょっと驚いただけなんで!」

「すごい技。もしかしてスキルの一種……? 異様な迫力を感じる」

「無害なので! 私無害なので嫌わないで引かないで!!」


 私の必死な思いが伝わったのか、どうにかファナちゃんの警戒心を下げることに成功した。したんだよ!

 何事もなかったかのように話は、二人部屋に泊まりたいというものに。オルカが現在滞在している一人部屋を引き払い、二人部屋に移るという話でもある。

 

 オルカの人見知りを知っているらしいファナちゃんは、オルカが私と相部屋をすると聞いて目を丸くさせていた。

 しかも今日出会ったばかりだと聞くと、一層驚きを顕にする。

 幸い部屋は空いていたらしく、問題なく取ることが出来た。問題は部屋代がいくらかという話。私はファナちゃんの口が料金を告げようとするのを、怯えて待った。もし足りなければ、馬小屋にでも泊めてもらうしか……!

 あ、そうそう。異世界あるあるだけど、宿屋には大抵馬小屋が付いているものらしい。この世界の移動手段の主流が馬(とか馬車)か徒歩だから、要は駐車場のようなものなのかも知れない。


 脱線しかけた私の思考を、ファナちゃんの言葉が呼び戻す。

 そうして発表された、二人部屋の宿泊費は――



 ★



「な、なんとか足りたぁぁ~」

「でもミコト、夕飯本当にあの量で大丈夫だったの……?」

「だ、大丈夫! オルカがおかず分けてくれたからね!」


 宿代は、ズバリ五〇〇〇デール! オルカとの折半で二五〇〇デールだ。因みに硬貨で言えば、銀貨二枚と青銅貨五枚とのこと。

 なるほど銀貨は一〇〇〇デールで、青銅貨が一〇〇デールってことだ。因みに一〇デールは銅貨。一〇〇〇〇デールは金貨らしい。一デール硬貨は存在しないらしく、そのため最低単位は一〇デールとのこと。

 金貨が諭吉って覚えると分かりやすいかもな。日本円を引き合いに出しても仕方のないことなんだけどね。


 私は残った青銅貨五枚で食堂に臨んだ。明日の分も考えると、全部使うわけにも行かない。

 結果、一番安いメニューでお茶を濁したわけだ。量は物足りなかったが味は悪くなかったし、何より明日の朝食代を残すことが出来た。

 異世界一日目、どうにか生き延びることが出来た。某ゲームだと一日目が鬼門だからね。夜になるとゾンビとかスケさん湧くから。うまくベッドを確保できたのだし上出来だろう。


 でもこれ、ゲームじゃないんだよな。ゲームみたいなことが沢山あるけど。

 ステータスがあって、スキルがあって、モンスターがいて。

 実際ステータスの変化が及ぼす、身体能力の上昇とか、スキルの効果とか肌で感じたもんな。

 それらを使いこなしていかないと、きっとこの先やっていけないんだろう。

 そのためには知らないといけないこと、学ばないといけないことが沢山ある。


 日本のそれと比べると固く感じるベッドに仰向けになり、天井を眺めながら思う。

 どうして私は、この世界に転生したんだろう、と。

 結局あの黒封筒のことや、この体を作ったあのゲームのこと。ちっとも何にも分からないままだった。

 この世界で何か分かるのだろうか? それを調べることも、今後の目標にしようか。


 なんてぼーっと考え事をしていると、不意に部屋の扉がノックされた。

 続いて、お湯を持ってきましたとの声。声の主は女性で、この宿の女将さんだ。食堂で少し話したから覚えがある。

 立ち上がろうとするオルカに先んじて、私が扉を開ける。こういうちょっとした雑用くらいは任せてもらいたい。お世話になっているからね。

 扉の向こうにはやはり女将さん、そしてファナちゃんが、湯気の上がる桶を抱えて立っていた。

 その二人が揃って、呆けたようにこっちを見ている。あ、それで気づいた。今仮面つけてないや。


 食堂でも、なるべく仮面を外さないように無理やり食事をしたんだけど、流石に部屋に居るときくらいはいいだろうと思って外していたのを失念していた。

 それにしても、何か言ってくれ。じっと見られているというのは、こう、居心地が良くないので。


「お、お姉さん、ミコトさん、ですよね? すごい美人……」

「ほんと。これはたまげたね……! 道理で顔を隠しているわけだ」

「う、うへへ、よせやい」

「「あ……」」


 自分でデザインした容姿を褒められて、ついニヤけてしまった。それだけなのに、二人揃って何を察したんだ? 言ってみなさい怒らないから!

 私が空咳をついてみせると、気を取り直したように二人は持ってきた木の桶を差し出してくる。

 中身はお湯。小説で読んだから知ってる。これで体を拭ったりするんだ……くっ、つまりお風呂はないってことだな……。

 私は必死に落胆の感情を押し殺し、笑顔でお礼を述べる。

 オルカと二人で桶をそれぞれ受け取ると、おかみさんたちは余計なお喋りをするでもなく戻っていった。


 桶のサイズは少し大きめの洗面器程度。うぅ、湯船には程遠い……体が小さくなるような魔法とかスキルがあれば、このサイズでも十分浸かれるだろうに。なんとかしてそういう魔法とか覚えられないかな……。

 とは言え凹んでても仕方ない。今日は汗もかいたし、しっかり体を綺麗にしないと。


「ミコト。これ、使って」

「お? おお、タオル。ありがとう!」

「明日は生活必需品とか買えるといいね」

「うぅ、がんばりますっ!」


 とりあえず服を脱ぐ。自分の肌ながら、驚くほど綺麗なんですけど。白く透き通るような肌とはまさにこのことか! くっ、鏡! どっかにでっかい鏡はありませんか!? 出来れば姿見サイズ以上を所望する!!

 でも、鏡は高級品だっていうのが定番だよな。自分の、延いては嫁の姿を客観的に確認したいのに!

 しかしあまりヤキモキしていても仕方がない。またオルカに変な目で見られるのも嫌だし。


 お湯が綺麗なうちに、まず髪を洗う。視界に映る自分の髪は、長く垂れた銀髪だ。コスプレでウィッグでも付けているような気分になる。まぁちょいちょい視界に入ってたし、今更ではあるけどね。

 髪の手触りも、信じられないくらいサラサラだ。ぐ、これは確かに他から見たらヤバいかも知れない。肌や髪でこれだ。更に顔もすごく整っているとなれば、私なら初対面から一秒以内にプロポーズしてる自信がある。

 はぁ、なんで私なんかがこの体に入っちゃうかなぁ……。イメージでは、心も外見に負けないくらい綺麗なお嬢さんが搭載される予定だったのに。私にそんなロールプレイは無理だよ。


 じゃぶじゃぶと頭を洗っていると、不意にオルカに声をかけられた。

 何事かと声だけで返事すると、控えめなダメ出しが飛んでくる。


「ミコトは髪も綺麗なのに、そんな洗い方じゃ、ダメ。……私がしてあげる」

「え、あ、ちょっと……?」


 オルカは私の前、桶を挟んだ対面に腰を下ろすと、優しく丁寧な手付きで頭を洗ってくれた。

 髪の手入れに頭皮マッサージと、何だ、プロか? プロなのか!?

 気分は南国リゾート。極上の一時をあなたに。そんなナレーションが脳内再生され……ない! それどころじゃない!

 私の前髪の隙間から、ちらちら見えるのはオルカの肌色! わわわ分かってる、女同士だもの。なんてこたぁねぇ! ねぇのだが、美少女フィギュアは必ず覗く派の私としては、これはいけない!

 ただでさえこの世界の人達は、素で等身大フィギュアみたいな造形をしているんだぞ! その中でもべらぼうに美人のオルカが、一糸まとわぬ姿で……これ以上は規制がかかる! 無になるんだ私!!



 ★



 心を無にした結果、色々終わっていた。気づけば毛布をかぶってそれぞれのベッドで横になっている。眠る準備万端じゃん。

 っていうか私、替えの服がないから今何も着てないんですけど。残り湯で軽く洗濯したから部屋干しナウですし。

 全裸就寝とか初体験なんですけど。落ち着かないんですけど! しかも隣のベッドで横になってるオルカも下着姿だし……私の中のエロオヤジとむっつり少年が、ドッタンバッタンして頭おかしくなりそうだ!


 体は疲れているのに、全く眠くない。仕方がないからオルカに話しかけてみる。

 せっかくだから、少しでも私の無知を解消するべく色々聞いてみようと思った。

 オルカは寝返りを打ってこちらに顔を向け、快く頷いてくれた。


「いいよ。何が、知りたいの?」

「えっと、それじゃ……モンスターのこととか、あと装備のこと」

「わかった。えっと、モンスターの生体については分からないことが多いの。何故か人里にはポップしないし、どうやって生まれてるのかも謎」

「ポップて!」

「そう。モンスターは何もない場所に、突然生じる。それをポップって言うの」


 本当にゲームみたいだ。現実味の濃淡が酷いな。

 更にオルカの説明によると、モンスターは一定数から増えることも、そして減ることもないと言われているらしい。

 どこかでモンスターが死ねば、どこかでその分だけ同種のものが生まれる。まるで補充されるように。


 そしてモンスターが死ぬ際に落とすアイテムを、ドロップアイテムと呼ぶそうだ。まぁそうでしょうね。

 死んだモンスターは塵になって消え、ドロップアイテムを残すらしい。

 塵になって消えると言えば、試験前に装備しようとした槍が消えた時のことが思い起こされる。あれも塵になって消えたな。モンスターもそういう感じなんだろうか。


「そしてモンスターは時々武具やアクセサリーなんかをドロップすることがある。それが装備品。他にも、宝箱から出てきたり、職人がスキルで作った物もそう」

「なるほど……じゃぁ、スキルで作らなかった物は?」

「ナマクラとか、ガラクタって呼ばれてる。装備品と比べると、驚くほどモンスターに与えるダメージが低かったり、防御力が低かったりするから」

「な、なるほど……」


 木の枝が装備品として機能しなかったことを思い出し、その理由に得心がいった。

 木の枝はドロップ品でもなければ、宝箱から出たわけでもない。ましてスキルで作られたなんてこともなく。

 そう言えばあれを投げつけた時だけは、スキルが発動した感覚があった。

 投げるということは、投擲、だろうか。私の【万能マスタリー】には、もしかすると投擲マスタリー的な効果も内包されているのかも知れない。

 効果は恐らく、装備品、非装備品関係なく、投げつけての攻撃に補正が乗る、みたいなものなんじゃないかな。


 何にせよ、装備を着ければ着けるだけステータスが上がる。

 取り急ぎ装備品を集めることが重要な課題になりそうだ。何よりまずは武器を手に入れなくちゃ。

【万能マスタリー】ってなら、徒手空拳に対応していてもいいだろうに。そんな感覚はないんだよな。

 もしかしてナックル系の装備が必要、みたいな制約があるってことかな? はぁ、何にせよお金が必要だ。

 明日は頑張って、今日より沢山薬草を集めなくては。


 そんな感じでこれからのことを考えている内に、私の意識は微睡みの中に消えていった。



 ★



 朝の草原というのは、緑の匂いが濃く、とても清々しい気持ちを味わうことが出来る。

 昇ったばかりの眩しい太陽を目を細めて見上げ、胸いっぱいに凛とした空気を取り込む。

 お日様のおかげか、やる気が漲ってきた。

 今日は一杯薬草を採取して、色々買い物をするんだ!


「よーし、やるぞー!」

「おー」

「……えっと」


 私は振り返り、どうしても付いてくると言って聞かなかったオルカを見る。

 優しい微笑をたたえ、慈愛に満ちた表情。なんだただの聖母か。

 曰く、ミコトを一人で行かせるなんて出来ない。丸腰なんてありえない。要らないドロップ武器は嵩張るから売ってしまって手元にない。だから私が、ミコトの剣になる! とのこと。

 聖母じゃなくて、私の騎士様だったか。


 妙にやる気を漲らせるオルカに、申し訳ないからと何度も断りを入れようとしたのだが、結局押し切られてしまった。結構頑固な一面もあるんだな。というか、心配性というやつかも。

 

「なんかごめんね、付き合わせて。オルカにしたら稼ぎが減っちゃうだろうに」

「問題ない。薬草採取でも生活費くらいは稼げるし、モンスタードロップも一応狙えるから」

「モンスターか。そう言えば昨日、ちょいちょい遭遇したっけね」

「! だだっだ大丈夫だったの……!?」

「うん。全力で逃げ回ったから」


 努めて事も無げに答えたのに、オルカは整った眉を八の字にしている。困り眉だ。

 と、不意にオルカの姿一瞬ブレたかと思うと、背後で物音。

 何事かと思えば、ポップしたと思しき植物型のモンスターが塵になって消えるところだった。

 モンスターに刺さったらしいナイフと、ドロップ品らしき石と薬草を残し、すぐにその体は塵になって消滅してしまった。なんというか、とんでもない早業を見た。

 オルカはモンスターのポップを察知し、即座にナイフを投擲。一撃で仕留めてみせたのだ。


 オ、オルカってこんなに強かったの!? っていうか、人間の速度じゃないんじゃない!?

 多分地球で同じことが出来る人なんてほんの一握りだろうな。そう思えるほどの早業だった。

 私はぽかんと半口を開けていると、オルカはナイフとドロップアイテムを回収し戻ってくる。


「やっぱりミコトを一人になんて出来ない」

「いやいや、戦力過多だから! 武器を手に入れたら自衛するし大丈夫だから!」

「でも今は丸腰」

「そ、それは、逃げ足があるし」

「だめ」


 言い分はオルカが正しい。オルカ当人がそれでいいというのなら、私が拒否するなんておかしな話だ。

 一抹の申し訳無さを感じながらも、今日のところはお言葉に甘え、オルカと一緒に薬草集めを行うことにした。


 そうして、あれよあれよと数時間が経過。

 彼女のおかげで昨日とは比較にならないほど安全に、そして効率よく薬草を集めることが出来た。

 昨日の苦労を思うと、自分のダメっぷりがよく分かる。早く武器を手に入れて、せめて自衛くらいは出来るようにならないと。

 今日は手伝ってもらえたけど、明日こそは自分の力だけで稼がなくちゃならないんだから。


 結局特にトラブルもなく、その日は一日中薬草集めに精を出し、両手で抱えるほどの成果をあげたのだった。

 こりゃ、オルカに足を向けて寝られないな。

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