第六話 本日二度目の窮地

 薬屋のおばあちゃんに貰った情報で、私は現在街を出てすぐの草原を、薬草を求めて散策している。

 天気は雲まばらなれど晴天。広大な緑の大地が光を返し、色鮮やかに映えていた。都会暮らしだった私には、とても新鮮な景色である。

 遠くの方には森も見える。が、私にはまだ早い。初心者は安全第一なのだ。

 しかし安全な採集ポイントならこの辺りがお勧めだと言われたのだけれど、初心者コースなだけあって頻繁に見つけられるわけではなさそうだ。

 時計類がないため、なんとなくでしか時間なんてわからないが、既に一時間くらいは探していると思う。

 収穫は薬草五本。これを一体どれくらいの値段で買い取ってもらえるのだろう? というかそもそもお金の価値も分からないため、不安がもりもり膨らんでいく。

 

「うー、どれくらい集めれば宿代に足りるんだ? 多分まだ全然足りないんだろうなぁ」


 などとためため息を吐きながら作業をしていると、近くに何かの気配を感じ、私は腰を低くした。

 これが初めてというわけではない。私の目の前に現れたのは、まごうことなきモンスターだった。

 

 薬屋のおばあちゃんが言っていた。

 この辺では最弱だが、一応モンスターも出るから気をつけなさいと。

 それを聞いた時は物凄くテンション上がったし、コイツに初めて遭遇した時も胸が高鳴ったものだ。だってリアルにモンスターなんだもん! 実物を見たらドキドキしちゃうのは仕方ないと思う。

 だけどよく考えると、私はゴミステータスの女。下手を打てば怪我どころか、命を落とすかも知れない。

 

 私はその、動く草のモンスターからゆっくり距離を取り、逃走した。

 おばあちゃんの話では、あいつを倒しても薬草はドロップするとのこと。ドロップて!

 すごく興味はあるんだが、今は命大事に。命あっての物種、なのである。

 

 ギルド試験の時のあの感覚は失われ、今はただただ体が重い。

 多分生前の体より貧弱だよ、この肉体。ゴミステータスも納得だね。

 私はぜぇぜぇとご機嫌に息を切らせ、転がるように駆けた。くっそ、足が遅い! 足が遅いってこういうことなんだなってここに来て初めて実感した。必死に動かしてるのに、全然回転数が上がらないんだ。

 それでも力の限り逃げて、ちらりと後ろを確認する頃にはモンスターの姿も見えなくなっていた。

 

 そもそも植物型だし、足はそんなに早くないのかも知れない。

 でも、ステータス的に言えば私のHPは驚きの3だ。

 三回殴られただけで死ぬかも知れない。嘘みたいなホントの話。もしかしたらワンパンもあり得る。

 ああいや、実際HPの減り方がどんなもんかだなんて、調べてないからなんとも言えないんだけど。

 そんな危ないこと、勿論試すわけにも行かない。だから逃げる。必死こいて逃げる一択なのだ。

 

 っていうか武器も無いんだ。つまりはモンスター相手に丸腰なんだよ! そりゃそもそも戦えないって。

 ……いや、待てよ? 私には【万能マスタリー】という強力な力があった。

 ソフィアさんの予想だと、私はどんな装備でも身に着け、使いこなすことが出来ると言う。

 実際試験の時は、自分がやったとは思えないような体捌きを実現できたもんな。

 だとするなら、もしかしてそこら辺の木の枝とかを拾って武器代わりに、とか出来ないかな?

 

 物は試しとばかりに、私は早速近くに転がっていた手頃な枝を拾い上げ、構えてみた。

 ……何も感じない。訓練場で武器を持ったときの、こう……しっくり来る感じがない。

 感覚が告げている。これは武器じゃない。ただの折れた枝だって。まぁ、その通りだが。

 それでも何もないよりは良いと思い、一応持っておく。木の枝を携え原っぱを散策する姿は、傍から見るとまるでガキ大将だな。


「オラオラ! 伝説の聖剣タダノエダが火を吹くぜぇ! 死にたいやつからかかってこいやぁ!」


 ノリノリで叫んでみるが、ひゅうとそよ風が横切って私の頭を冷やしてくれる。

 ……虚しい。遊んでないで薬草を探そう。

 

 

 ★

 

 

 あれから薬草を探し回ること数時間くらい。太陽は随分と傾いてきたし、そろそろ戻らないと日が暮れてしまう。

 こんな知らない世界で夕闇を歩く勇気なんて無いので、そそくさと切り上げる決断を下し、街への帰路を辿っていた時のこと。

 街門が見えてこようかという場所で、何やら結構な人数が揉めているのが遠くに見えた。

 不穏な空気に思わず足が止まる。街門の直ぐ側で、数十人の人々が怒声を上げて激突している。時々魔法と思しき光が見えたり、爆発が起きたり。

 しかしあまりの物々しさに、はしゃぐ気にすらなれず私は警戒心を高めた。

 

 目を凝らしてみると、冒険者らしき男たちと身なりの悪い男たち。それらが入り乱れて、本物の武具をぶつけ合っての殺し合いをしているではないか。

 初めて見る人間同士の本気の争いに、少なくないショックを覚えていると、不意に近くから草を踏む音が聞こえ、はっとする。

 急ぎそちらを振り向けば、ボロい服を着た小汚い男が、目をギラつかせてこちらへ突っ込んできていた。


「いた……見つけた見つけた見つけたぞぉぉ‼」

「っ!?」

 

 一気に血の気が引くのを感じる。

 男からは明らかな、こちらに対する敵意や悪意めいたものが発せられていた。

 対岸の火事は終わり、火の手は目の前に迫ったということを強引に理解させられてしまう。

 忽ち一切の余裕は消え失せ、ただただ焦燥と恐怖が湧き上がってくるのを直に感じていた。

 一体何が起きている? え、私ただ薬草採取してただけじゃん。なんでこっちに向かってくるの?!

 

 急に降って湧いたような出来事に、どうしようもない理不尽さを覚えつつ、しかしどうするべきかと即座に考えた。武器さえあれば、うまく退けることが出来たのかも知れない。

 だがやはりというか、未だに持ち歩いていたただの木の枝では、試験の時のようにうまく相手を捌ける確信めいた感覚は生じず、危機感だけが強烈に膨らむ一方である。

 竦みそうな足を無理やり動かし、男に捕まる前に私は踵を返し走り出す。もはや出来ることは逃げること。それしかなかった。

 だが遅い。どんなに懸命に動かしても、足の回転は鈍く。イメージと現実の齟齬に形容しがたい歯がゆさが湧いてくる。

 生前ならもっと速く走れた。試験のときは面白いほど体が軽かった。なのに何なのだこれは。まるで水の中を走っているような錯覚に陥る。

 

 男の駆ける音が、荒い呼吸音が、気持ち悪い笑い声が、どんどん近づいてくる。距離が縮まる。

 嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ! 捕まったらどうなる? なにをされる? 殺される? それとも、もっと酷いことをされる? 恐ろしい。どうしようもなく恐ろしい。

 息が急に苦しくなる。呼吸がうまく出来ていない。過呼吸ってやつだ。

 足がもつれそうになる。姿勢が崩れ、速度が落ち、ますます男が近づく。自分の軟弱さに涙が出るほどの怒りが湧いてくる。それ以上に情けない。低ステータスだから? どうして私のステータスはこんなに低い? せっかく転生したのに、そんな理不尽が許されるのか?

 

 私は男めがけて手にしていた木の枝を投げつけるべく、一瞬振り返りそれを振りかぶった。悪あがきだ。一瞬の足止めにでもなればいい。このままでは確実に追いつかれると思った私の、稚拙な一手。

 

 だがその時、不意にあの感覚が過ぎった。試験のときの、身につけた覚えのない技術の気配。だがどうして?

 浮かんできたのは、物を正確に投げつけられるというイメージ。

 考えている余裕もない。私は最も足止めになりそうな一撃を狙い、全力で木の枝を投げつけた。


 驚くほどの鋭さで男に迫った枝は、さも男が怯むことまで計算の内だったと言わんばかりに完璧に、男の眼球へぶつかった。

 汚い悲鳴を短く上げ、男は目を押さえて蹲る。私はそれを確認することも碌にせぬまま走る。

 今を逃せば終わりだ。終わりの代わりに、最低な異世界生活が幕を開けるだろう。それだけは嫌だ。

 

 しかし体は重い。体力がないのだ。HPと体力は異なるんだなと、どうでもいいことが頭を過る。

 呻いていた男は、しかし痛みを怒りで塗りつぶし、怒声を上げながら立ち上がった。獣のような勢いで再び駆け出す。それを背中で感じた。

 一瞬だけ薄まった恐怖が、再度首をもたげる。もっと痛がればいいのに。どうしてそこまでして追ってくるのか。

 怒ったの? 謝れば許してくれないだろうか? 元々そっちが追いかけてくるのが悪いんだろう!

 あまりの理不尽に腹が立ってきた。でもだからといって、立ち向かう勇気も力もない。

 

 息が苦しい。死にそうだ。それでも歯を食いしばり、ノロノロと私は走る。

 まるで悪夢だ。後ろから恐ろしいものに追いかけられ、必死に逃げるのに足は思うように動かない。

 それなら捕まる寸前、目が覚めてくれたならどれだけ有り難いか。

 だけど分かっている。現実なんだって。これはもう、私にとってファンタジーなんかじゃないんだ。

 

 体力はとうとう底をつき、足取りは走っているのか歩いているのかすら分からない程におぼつかない。一方で容赦の欠片もなく背後から迫る気配。

 あんまりに苦しくて、もうどうにでもなれという諦めの気持ちが湧いてくる。

 これからどうなるんだ、私は。こんな思いをするために、この世界に来たっていうのか? 世界が違えば、人はこんなに恐ろしいものなんだな。

 なにが冒険者だ。身を守れるだけの力もない。そりゃ見習いのゴミステータスも納得だ。

 

 涙が溢れる。悲しい。悔しい。情けない。

 力が、欲しい。

 試験の時、バームおじさんが言ってたっけ。冒険者に必要なのは、自身を守れる力。その上で、目的を達する力だって。今の私に全く足りていないものだ。


 ぐんっ、と。厳つい衝撃が私の肩を掴む。振り返るまでもない。男に肩を掴まれたのだ。

 必死に振りほどこうと試みるも、肩を掴む手はそうはさせじと食い込むばかり。痛い。


「っ……捕まえたっ! 捕まえたぞっ!! ぜってぇ逃さねぇ!!」

「なんでだ……私に何の用があってこんなことっ」

「あ? 決まってんだろ。あんたを売ればカネになる。しかも目玉が飛び出るほどの大金だろうさ! 皆狙ってんだ、だが俺のもんだ!!」


 男はぜぇぜぇと、ざらついた荒い呼吸を漏らしながら叫んだ。目は血走り、狂気じみた身勝手な主張を恥ずかしげもなく訴える。そんな道理がまかり通るものか。

 だが、逃れるすべもない。腕力の前には言葉など無意味と、怒鳴り散らされた気分だ。

 私は男に力づくで組み伏せられ、地面に頬を擦る。土と草の匂いが妙に印象的だった。

 

「ぐっ……気をつけるんだな。私のHPは3しかない。丁重に扱わないとすぐに死ぬぞ」

「は? 命乞いのつもりか? そんな常時死にかけみたいなやつがいるかよ!」

「おま……言うに事欠いて……」


 こんなタイミングで、そんな新事実知りたくなかったんだが。何だよ常時死にかけって。

 何なら今押し倒された拍子に減ってるかも知れないんだぞ! くそ、無茶苦茶にも程がある!

 この男は私を売ると言った。それってつまり、奴隷とかそういうこと、だよな。そんなことになれば、きっと死んだほうがマシだって思えるような展開が手ぐすねを引いて待っているに違いない。そんなもの、絶対にゴメンだ。

 ……最終手段として、自害も視野に入れるべきなんだろうか。やろうと思えばきっと簡単だろう。なにせ死にかけらしいし。

 でも、嫌だな。恐い。

 

 この世界に来る直前のことがフラッシュバックする。記憶は曖昧だが、形容しがたい強烈な衝撃と痛みを全身に浴びた。一生分の苦痛を一瞬に濃縮したような、そんな苦しみを私は確かに味わったんだ。考えただけで震えが来る。

 死ぬのは、嫌だなぁ。あんなのはもう体験したくない。

 でも、この先のことを思えば果たしてどちらがマシなのだろう?

 どんどん陰鬱な思考が頭を覆っていく。不安で胸を抉られてるみたいだ。

 たまらずまた涙が溢れてくる。

 どうして私が、こんな思いをしなくちゃならないんだ……っ。

 

「か……っ?」

「……?」


 どさっ、と。

 音がした。耳馴染みのない音。そして体が軽くなるのも感じた。

 なにが起きた? 理解が追いつかず、反射的に音の方を見る。

 

 私を組み伏せていた男が、地面に横たわっていた。目を見開いたまま、こめかみから細い棒のような……矢だ。矢を一本生やし、ピクリともしない。

 死んで……いる。もう人間の気配がしない。よく出来た剥製を見たときのような感覚。殺されたのか。一体誰に?

 

「ごめん、捜すのに手間取った」

「! ……誰?」

「オルカ。冒険者。ソフィアに頼まれてきたの」

「!!」


 朱の差し始めた空の下、凛とした彼女の佇まいはあまりに劇的だった。

 彼女は、そうだ。ギルドで見かけた美人さん。必ずお近づきになろうと思っていた人。

 不意に横切るそよ風に、長い黒髪をなびかせて。彼女はおずおずと手を差し出してくる。

 

「……立てる?」

「た、立てる」

「……怪我は?」

「だ、だいじょぶ」


 現代日本に生きていた私。よもや命の危機を救われる、だなんて経験がそうそうあるはずもなく。少なくとも私にはなかった。だから、間違いなく命の恩人と呼ぶに相応しいオルカと名乗った彼女に対し、どう接していいかわか分からない。

 でも、そうだ。まずはお礼だ。お礼を言って、それから、それから……?

 

「その、ありがとうございます。危ないところを助けてくれて」

「問題ない。それよりまずはこれ、着けて」

「? これは、仮面……? かっこいい仮面……!」


 オルカさんは携えていたウエストバッグから、一枚の仮面を取り出し私に手渡してきた。

 それはシンプルなデザインで、狐面に似た黒い仮面だった。くっ、こんなときだって言うのにまた、私の中で少年が狂喜する!

 それからこれも、とオルカさんは黒いフード付きの外套を取り出し、私に被せた。フードに仮面! フードに仮面だ!!

 ダ、ダメだ、つい今しがたまで絶望の淵にいたんだぞ! なのに、ニヤけては……くそっ! 現金なやつと笑われたって、口元がニヤけるのを抑えられない! ちくしょう! そこで人が死んでるんだぞ! だって言うのに、不謹慎すぎる……でも私も一回死んだしな。それを思うと他人の死に対してそれほど心揺るがない。


 きっと、死ぬってことは誰もが一度しか体験できないことだから、酷く恐ろしいことのように思うんだろうな。

 だけれど私は経験者だから、まして私を売り飛ばそうとしたこの男に、必要以上の負い目なんかは感じないのかも知れない。

 だからかな。オルカと名乗る彼女に対しても、人を殺したという忌避感なんかより、助けてもらったという感謝のほうがずっと大きく感じられるのは。


 再度倒れた男を一瞥して思う。この世界では、こんなに簡単に人は死ぬのかと。

 国が、世界が変われば、文化や常識も変わる。だけれど私にとって一番大きな違いは、命の重さのように感じられた。

 

「移動しよう。ここはまだ、安全とは言えないから」

「は、はいっ」


 オルカさんに促され、一歩踏み出す。

 そして感じた。体が嘘みたいに軽い。さっきまでとは別人の体を動かしているみたいだ。

 私は理解する。装備だ。装備がもたらす影響は、私の想像を超えているのだと。

 

 気になり、私は念じた。【ステータスウィンドウ】の発動を。

 それに応え、ぱっと目の前に表示される半透明のウィンドウ。

 その内容に、私はたまらず瞠目した。

 

――――


name:ミコト カミシロ

job:プレイヤー


HP:13

MP:10


STR:2

VIT:20


INT:9

MND:13


DEX:4

AGI:14

LUC:5



魔法・スキル


・キャラクター操作

・万能マスタリー

・完全装着

・ステータスウィンドウ


――――


 前の数字とかよく覚えてないんだけど、多分増えてる!

 仮面と外套を纏っただけで、こんなに違う。いや、数値としては多分常識の範囲内だろう。だけれど体感できる恩恵は驚くようなものだ。


 先程の鈍重な感覚を知っているから、そのギャップで異様に体が軽く感じるのだとしても、決してバカにならない違いを実感できる。

 私にとって装備は、生命線かも知れない。

 そんな確信を覚えた。

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