第7話 龍の卵 ④ 割れた卵
〈
周囲を壁に囲まれたこの空間において、平面的にしか動けないウルズに対してこちらは優位を取れている。
こちらの動きについてこれなくなったところを――。
「! ……いない!?」
先ほどまでウルズが立っていたところは空っぽになっていた。
「どこ見てるんだ?」
ウルズの拳を辛うじて〈
そうこうしているうちに、こちらに飛んできて床に仰向けになっている私にモグラ叩きの要領でパンチを繰り出してくる。なんとかすべて躱しきりウルズの股の間から抜け、背後をとった。仕返しに蹴りを後頭部に一発お見舞いする。ウルズは少しぐらつくがそれだけだ。
私たちは再び間合いをとった。
「その薬、反則じゃない? 私の分はないの?」
「その脚置いてくならひとつくれてやるよ」
「じゃあ結構よ」
もう一度スピードを上げる。このままでは埒があかない。どうする? 視界に映るのは実験機器だけだ。
実験機器?
――うまくいくかはわからないが、賭けてみる価値はある。
進行方向に向かって出力を最大にし急ブレーキをかける。ウルズはもうスピードでこちらへ突っ込んできた。チャンスは一度。肺に大きく息を吸い込み、息を止める。ウルズとの距離はみるみるうちに縮まる。
……まだ。……まだ。……いまだ!
瞬時にしゃがみ込んで向かってくるウルズの膝下に体を当てる。ウルズはたまらず体勢を崩し、勢いよく実験機器に突っ込む。
そう、高電圧装置にだ。
衝突の勢いでで高電圧装置のカバーが破損し、高電圧部分が顕になる。ものすごい音を立てて火花が散った。ウルズは膝から崩れ落ちる。どれだけ薬で身体能力を上げていてもあれだけの電気が体に流れてはではひとたまりもないだろう。
ウルズが動きを完全に止めたのを見て一息つく。ついで〈
「マックス。終わったから出て来て大丈夫よ」
一角から甲高い悲鳴が上がる。
「オオオオオ!!!」
雄叫びを上げて起き上がってきたウルズがこちらに拳を振るってきた。まさかあの状態から起き上がってくるなんて。完全に不意をつかれた。
「しまっ――」
横から誰かに強く押される。
視界の端に映ったのは、マックスだ。
行き場を失ったウルズの右拳がマックスへと向かう。それを華麗に避けたかと思うと、その場でくるりと反時計回りに回転した。左手で勢いのついている右拳を引っ張り、右腕でその肘を固める。一瞬でウルズは宙に浮き、声を上げながら頭から床に叩きつけられた。
最後の力を使い果たしたのか、ウルズはそこから動き出す気配はない。
今度こそ終わった。
「合わせて一本。あんたの負けだ、小熊ちゃん」
「や、やったのか?」
物陰から恐る恐る研究員たちが顔を出してくる。ウルズが床で伸びているのを見ると、どこからともなく歓声が上がった。
「なかなかやるじゃない」
「な? やっぱり連れてくるべきだっただろ?」
「そういうことにしといてあげるわ。それで、このあとはどうするの」
「さあな。またどこかに潜入捜査さ。
応援はさっき呼んだ。証拠もバッチリ。けど、これから先はおれの仕事じゃない。
君は? アリア」
「エラ」
「え?」
「エラ・シンダーベル。それが私の名前。アリアなんて柄じゃないわ」
マックスは口角を上げる。
「うん、俺がつけたのよりずっといい名前だ。エラ、覚えておくよ」
「忘れてくれて結構よ。マヌケな捜査官さん」
右手を挙げ、彼に無言で別れを告げる。それに答えるようにマックスもこちらに大きく手を振った。もう会うことはないだろう。
卵はきれいに割れてしまったのだから。
「報酬はなしだ。エラ」
「納得できない」
グラバーは背後の窓から外の景色を見下ろしている。こちらを見ようともしない。
「ドラコエッグの正体は明かした。その汚い机に広がってる新聞にも大々的に載ってるわ。お望み通り四龍カンパニーは終わりよ」
「あのな、お前にした依頼は『ドラコエッグを借りてこい』だ」
「盗んでこい、よ」
「一緒だよ。ドラコエッグは四龍カンパニーが生きていてこそ意味がある。龍の腹を割いちまったら、金の卵は二度と産まれない」
なるほど。
「……ようするに強請りのネタが欲しかったってこと?」
「人聞きが悪いな。スマートな交渉材料って言ってくれるか」
グラバーは気怠げに立ち上がる。いつものように薄いグレーのジャケットを羽織ってドアへ向かった。
「話は終わりだ。お前は良いことをした。けど、それだけだ」
グラバーはドアノブに手をかける。
「……で、依頼主は誰なの?」
「なに?」
グラバーは足を止める。
「ドラコエッグが手に入らなくてさぞ憤慨してることでしょうね。
まあ、その依頼主っていうのが本当にいるなら、だけど」
「なにを言ってる。依頼っていうのは依頼主がいなきゃ存在し得ない」
「そんなのいくらでもでっちあげられるわ」
マックスのように公的な機関の捜査官も潜入していたくらいだ。四龍カンパニーの人攫いはある筋では情報があったのだろう。耳聡いグラバーがそのことを知っていてもおかしくない。
「でっちあげ? なんのために? おれは金にならないことはしない」
「どうだか」
「とにかく、もう終わった仕事だ。過去を振り返るのはしわくちゃのババアになってからにしてくれ」
グラバーは乱雑に扉を閉める。
彼はついぞ一度もこちらに目を合わせなかった。
「まったく。わかりやすい男ね」
お腹が鳴る。今日の夕飯はフリッタータでも作ろうか。
もちろん、卵はたっぷりで。
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