クロノヒョウ

無音



 ――カッカッカッ


 静かな教室に響きわたる黒板を叩きつけるリズミカルなチョークの音。


 ――カサカサカサッ


 みんなが必死で黒板の文字をノートにうつす音。


「ハハハ……」


 そんな教室の音に紛れて開いている窓から笑い声が聴こえてきた。


 つられてグラウンドを見るとジャージ姿の生徒たちが目に入った。 


「はい、みんな集まって~」


 その甲高い先生の声で三組が体育の授業だということはすぐにわかった。


 リオのクラスだ。


 そっと首を左に向け親友のリオを探す。


 いたいた。


 明るい性格のリオはクラスメイトと何やら楽しそうに話している。


「書いたか? ここは大事なところだからな」


 慌てて前を向いた。


 書かれたものが黒板消しでどんどん消されていく。


 音もなく。


 まあいいや。


 後で誰かに見せてもらおう。


 再びグラウンドに目をやるとリオがこっちを見て飛び跳ねていた。


「美咲~」


 そう言って両手を高く上げながら手を振っている。


 ふふ。


 私は小さくリオに手を振り返した。 


 ――カッカッカッ


 右の耳からはまたチョークの音が入ってきた。


「美咲~」


 もう、何度も私の名前呼ばないでよ。


 グラウンドのリオの隣にはリオにジャージの袖を引っ張られている男子の姿があった。


 誰だろう。


「今からぁ、サッカーなの~」


 私は教室をキョロキョロと見渡した。


 大丈夫みたい。


 みんなノートに集中していた。


「美咲~? 聞いてる~?」


 わかったからリオ、名前呼ばないで。


 グラウンドにいる三組のみんなも何事かと興味深い顔をしながら二階の教室の私を見上げている。


「彼~、吉川くん~、サッカー部ぅ」


 そう言ってからリオは彼、吉川くんというクラスメイトのジャージをゆらゆらさせながら何やら話していた。


 サッカー部の吉川くん?


 誰?


 少し体を窓に近付けて見てみた。


 背が高くてまあ、イケメンっちゃイケメンなのだろう。


「尾崎さぁん!」


「は?」


 突然大きな声で吉川くんに名前を呼ばれた私は思わず声を出してしまった。


「ん? なんだ? 外か?」


 先生が気付いて窓に近づく。


「え?」

「なになに?」


 クラスのみんなも何事かと立ち上がりだした。 


「尾崎さぁん!」


 吉川くんが叫ぶ。


 グラウンドでざわめきがおこる。


「俺がぁ、ゴール決めたらぁ、俺と、付き合ってくださぁい!」


「はぁ!?」


「キャア~!」

「おお~!」

「マジか!」


 一気に教室の中もざわめいた。


「ハッハッ、面白いな。吉川か」


 先生も笑いながら窓の外を見ていた。


「ちょっと、待って、何……」


 私は立ち上がり窓にしがみついた。


 みんなも一斉に窓に集まってきて外を見ていた。


 まるで今から三組と決闘でも始めるかのように、グラウンドと教室とで全員が見つめあっていた。


 ――ピーイッ


 三組の担任が笛を鳴らすとグラウンドの真ん中に向かって何人かの生徒たちが走り出した。


 その中には真っ赤になっている吉川くんの姿も。


 吉川くんは一度振り向いた。


 目があった。


 ――トクトクトクッ


 自分の心臓の音が聞こえた。


「すごいね美咲」

「ちょっとカッコ良くない?」

「うん、ゴール出来るかな?」


 友達が楽しそうに外を見ている。


 ゴールすることが出来たら私は吉川くんとお付き合いをすることになるのだろうか。


 どんな人かも知らないのに?


「あのキーパーもサッカー部だぞ」

「マジか。ヤバいな」

「先生、ちょっと見てていいですか?」


 男子がそんなことを先生に聞いている。


「ん、ちょっとだけだぞ。俺も気になるからな。ハッハッハ」


 ちょっと先生。


 みんなで面白がってるんでしょ。


 どうするんだよ、本当にゴール決めちゃったら。


「がんばれー」

「行け!」

「チャンス!」


 相手のボールを奪った吉川くんが速攻でドリブルしている。


「いいぞ!」

「行っちゃえ!」

「いけいけ!」


 足が速い。


 ――トクトクトクトクッ


 私の心臓の音も早くなる。


「わっ」

「ああ~」


 ――ピーイッ


 吉川くんと誰かが転んでいた。


「おおっ!」

「フリーキックだ!」

「やったな!」


 ――トクトクトクッ


 ボールを置いてキックの準備をする吉川くん。


 肩で息をしながらゴールキーパーと向き合っている。


 徐々に重なっていく人の壁。


 ――ドッドッドッドッ


 自分の心臓の音がうるさい。


 私は両手を握りしめて祈るかのように力をこめた。


 入って。


 お願い。


 ――ドッドッドッドッ


 吉川くんが振り向いてこっちを見上げた。


 頑張って。


 目が合うと、私の心の声が聴こえたかのように吉川くんは笑顔で頷いた。


 ――ドッドッドッ


 どうかゴールが決まりますように。


 自分がそう願っていることに気がついた。


 助走をつける吉川くん。


 もう私の耳には何の音も聴こえなくなっていた。




            完





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