第3話 演劇部の王子

「灰田あ? あー……あいつね、有名人じゃん」


 クレイジーサイコパス――もとい灰田透とのの次の日、私は事の顛末を幼馴染に話した。

 もう幼馴染という代名詞を使うのもいい加減この子に失礼なので名前で呼ぶことにする。私の幼馴染、三城雪みしろゆきは、


「灰田から告白されるとか、罰ゲームじゃん」


 と鼻を鳴らして笑った。

 再び爪を塗る雪に、慌てて作業を中断させる。

「待ってまって! あいつそんな有名人なの? 罰ゲーム、ってなに? いや実際罰ゲームだったけど」

「罰ゲームだったんかい」

 あたりまえだ。「僕と結婚しないなら足切り落とすからよろしく☆」とか、私前世でどんな悪行をしたらこんなことになるんだ。


「あいつねー有名だよ。悪い方向で」

「でしょうね」

 雪は顎に指を当てて何かを思い出すように「うーん」と唸った。


「入学した時はめちゃ人気あったんよ? A組だしイケメンだし。私も正直狙ってたもん」

 ︎︎中学生の時から一度も彼氏を絶やしたことない雪が言うなら相当人気だったんだろう。

「まじか。知らなかったんだけど」

「あんたは女子陸上部の王子だったからね。『よその王子様』には興味なかったんでしょ?」

 うへ、と思わず苦い顔になる。

 まあ、否定はしない。他の女子よりちょっと背が高くて、ちょっと髪が短めで、ちょっと足が速いと、女子しかいないサークルでは瞬く間に王子様デビューできる。これ豆知識だ。

「それでもおかしいっしょ。部活の子、教えてくれればよかったのに」

「そりゃいくらかっこいい女子とはいえ、同性にイケメンの情報教えてライバル増やしたくないでしょ」

「あんたが情弱ってだけ」と続ける。


「それにさ」と雪は私を指さす。


「あんたは『演劇部の王子』しか目にないんだから、灰田なんて知らなくて当然、でしょ?」

「…………まあね」


 なんとなくいじられる流れを察した私は「んんっ」と咳ばらいをして、再び灰田に話を戻す。

「そんな人気者の灰田が、なんで嫌われてんの?」

「イケメンならなんでも許されるわけじゃないのよ理央ちゃん」

 子どもに言い聞かせるようなセリフに若干イラっとしたが、続きを促す。

「そのこころは」

「あいつめちゃめちゃ変な奴でさ。人の脚……特に女の子の脚をじっとみてるの。それはもう授業中だろうが休み時間だろうがお構いなしにね。それで、人の脚見てるかと思ったらスケッチブックにひたすらなんか描いてんの。……やばくない?」

「やばい。限りなくヤバイ」


 かなり濃い情報を渡された。普通に知りたくなかった。


 改めて音楽室での彼を思い出す。


 灰色がかったサラサラとした髪に、ガラスのような大きな、透明な瞳。

 真っ白な肌に端正な顔。声も男子高校生にしては少し高い、しかし決して五月蠅くない――例えるなら風鈴ような綺麗な音だった。

 見た目だけなら間違いなく童話に登場する王子様だ。


 そんな奴が、人の脚をじっと見てなんかスケッチブックに描いてるのか。


 ………………やばいな。

 イケメンでフォローしきれない気持ち悪さだな。


「それだけなら『キモイ』で済む話なんだけど」

「まだあんの!?」

「去年の夏くらいね、告白されたの。灰田」

「告った奴どんなメンタルしてんの?」

「まあ顔だけはいいからね。顔だけは」

 そのセリフは実際には顔以外にもいい所がある奴に使うというのに、嘆かわしい。

「灰田さ、告白してきた女の子、振ったんだよね」

「数少ないチャンスだったのに?」

 私を無視して彼女は続ける。

「んで、振った時に言ったセリフが」

 ゴクリ、と唾を飲み込む。なんでこんなことに私が緊張しているのかわからないけど。

「『君の脚は100点満点中4点だ。出直してきてくれたまえ』」


「……………………」

 そりゃ嫌われるわ。


「そっから『灰田やばい』って1年全員に広まったわけ。まさに『残念系イケメン』って感じだよねえ」

「残念にもほどがあるわ」

 ほんとに顔しかいいとこないじゃん。


「え……どうしよ。やっぱ今からでもちゃんと振った方がいい?」

「いやいや、鉈持ち出してきたんでしょ? ︎︎足切り落とされてもいいの? ︎︎絶対やるよ、アイツ」

 ︎︎自信をもってNOと言えないのが悔しい。昨日鉈を持ち出したのはほんとだし、今の話を聞いてますます確信が持てた。


 ︎︎あいつはやる。絶対に。


「まあでも、あんたが演劇部の王子と結ばれれば、あのサイコパスに殺されずにすむんでしょ? ︎︎しかも手伝ってくれるって話だし。ガンバ!」

 ︎︎とてもいい笑顔で匙を投げられた。

 ︎︎他人事だと思いやがって……あれを説得するのにどんだけ怖い思いしたと思ってんだ。

「……あいつに人の恋路を応援できると思う?」

「思うわけないよね」

「わかってんじゃん」

 ︎︎わかってて私のことを見捨てようとしているのか、こいつ。幼馴染が聞いて呆れる。

 ︎︎私の恨みがましい視線を感じたのか、雪は少し考えて言った。

「……現在彼氏持ちの私が手伝ってやらんこともないけど?」

「よろしくお願い致します雪様お師匠様」



 ︎︎放課後、私は陸上部の部室……ではなく演劇部に向かっていた。

 ちょっと事情を話してお休みをもらったのだ。「お腹が痛くてこのままじゃ短い人生が終わりを告げてしまうかもしれない」と。

 部室棟の3階の右端。そこが演劇部の部室だ。演劇の練習用の場所はまた別にあるらしいが、ここは思いのほかこじんまりとしている。


「うち演劇部、強いのになあ」

 誰に向けてでもなくそうぼやいて、ドアに手をかける。

 春だというのに、手にじっとりと汗をかいていた。

「緊張、するよなあ」

 そりゃそうだ。これから好きな人に会いに行くのだから。

 すう、と息を吸い込んで胸に手を当てる。ドクドクと早い鼓動が手に伝わってきた。大会前でもこんなことにはならないのに。

 いざ、とドアを開こうとする。ガララっと勢いよく音が鳴ると、

「非常に不愉快だね。まあ応援するといった手前、協力しないわけにはいかないからね。ああ不愉快だ」

「なんでいるの」

 後ろから聞き覚えのある声がした。

 完全に勢いがそがれた。全部こいつのせいだ。


「今日から部活が始まるだろう。だから君の部活が終わるまで陸上部の部室で待機しておこうと向かったら、君は今日は休みだというじゃないか。だから急いで君を探しに来たというわけさ」

「なんで陸上部で待機なわけ?」

 灰田はきょとん……とした顔であざとくこてんと首を傾げた。

「そりゃあ……一緒に帰るためだろう? ああ! 安心してくれ。君の家は把握済みだし、僕の家の通り道だ。君が気に病む必要はないよ」

「気に病まないし世間ではそれをストーカーというのよ覚えておきなさい」


「はあ……」と海より深いため息をついて灰田を睨みつける。

「もういいから先に帰ってくれる? 私これからここに用事あるの」

「知っている。演劇部の王子とやらに会いにいくんだろう?」

「引退記念公演のヒロインオーディションで」と意地悪そうな笑みを浮かべる灰田は、まさしく悪魔そのものだった。

「……なんで知ってんの?」

「君に関する情報はすべて把握済みということさ。好きな人のことは知っておくべきだ」

「ドン引きなんですけど」

「好きな人」という単語になんの感情も抱かなくなったのは間違いなくこいつのせいだ。


「とりあえず、もう帰って」

「帰らない」

「チッ……なんで?」

「当然、君と僕が一緒に帰るためだ。夫婦関係を持続させるコツは、一緒にいる時間を大切にすることだからね」

「一人でいる時間を大切にするっていうのもあるけど」

「僕は都合の悪い話は信じない事にしているんだ」

 コイツ……ああいえばこういうな。

 どちらにしろこのままじゃ堂々巡りだ。こいつは私が「一緒に帰る」と言わない限り梃子でも動かなさそうだし。

「……じゃあここで待ってて。いい? 中にはぜったい入らないで」


「私と先輩の、大事な時間だから」


 とは、言えなかった。


 演劇部の部室。

 黒板には次の公演の予定と配役が書かれ、「来週までに台本を覚えておくこと!」と二重線で書かれていた。

 灰田は少し不満げだったものの、演劇部の部室にまでついてくることはなかった。

 おかげで比較的落ち着いて演劇部に足を踏み入れることができた。

 好きな先輩に会うという一大イベントに緊張しっぱなしだったが、アイツの登場により若干リラックスできたとこもあるので、そこだけは感謝している。そこだけは。


「……意外と、こじんまりしてますね」

 私の言葉に、一人の青年が振り返った。

 彼は台本を読んでいたらしく、少し大きくて、角ばった綺麗な手ですべるように台本を閉じる。


「わざわざ、ごめんね」


 何の変哲もない言葉も、彼が口にすれば飴玉みたいに甘い、麻薬となって脳に響く。

 少しくせのある柔らかな髪に、優し気に細められた瞳。とろけるような甘い感覚が全身を包む。


 これが、私の王子さま。

 私だけのものじゃない、みんなの王子様。


 水無瀬零みなせれい先輩。


 こっそりつけられた渾名は、


「演劇部の王子」だ。








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