第2話 ︎︎悪役との取り引き

「お断りね」


 ︎︎なるべく毅然とした態度で突き放す。

「あなたの事なんて微塵も怖くありません」というふうに、鉈を持つ彼に冷たい視線を寄越す。


「…………そうか、残念だね」

 ︎︎そう言って彼は私に近づく。神聖な学び舎で人様の血を流すつもりなのだろうか。正気の沙汰じゃない。


「だから、足を切り落とされるなんてお断りだって言ってんでしょ」


 ︎︎そう言った瞬間、彼の顔がぱあっと明るくなった。

「……! ︎︎それなら……!」

「結婚どころか付き合うのもお断り。今のあんたじゃ生理的に無理」


 ︎︎彼は怪訝そうな顔をした。私の言っていることが理解し難いようで、じっと何かを考えている。

 ︎︎しばらくして、

「降参だ。君は一体どうしたい? ︎︎言っておくがどっちも嫌は受け付けないぞ」

 ︎︎こっちが告白されている立場なんだから、どっちも受け付けて欲しいが、たぶんコイツはまともじゃないので、ぐっと不満を飲み込む。


「……取り引きしない?」

「とりひき?」


「突然何言い出すんだ」と言った顔で彼が聞き返す。

 ︎︎話に乗ってくれた時点で、私の半分勝ちだ。

「そ。取り引き」


「さっきも言ったけど、私好きな人がいるの」

「許し難いことにな」

「そこは許してよね。…………私さ、まだその人に、告白できてないんだ」

「しなくていい。僕と結婚するんだから」

「だからね」

「無視かい?」

 ︎︎無駄口の多い彼の目をじっと見て、私は続ける。


「私の恋の成就を、手伝ってほしいの」


長い沈黙が流れる。


「……………………は?」


 ︎︎沈黙を破って、彼がたった一言、間抜けな声を漏らした。


「だから、私と私の好きな人が結ばれるように、手伝ってほしいの」

「君、自分の言ってる意味、わかってるのかい?」

 ︎︎もちろんわかっている。舐めないでほしい。

「いや、舐めてないが。少なくとも、まだ君の脚は舐めてない」

「待って今聞き捨てならないことが」

「今君は、自分にプロポーズした男に向かって他に好きな男がいるから、そいつとの未来を手伝ってほしいと言っているんだぞ?」

「もちろん。わかってるじゃない」

「…………正気か?」

 ︎︎うわ、正気じゃない奴に心配された。大変不名誉なんだが。


「もちろん、タダで協力しろとは言わない。だからこその『取り引き』なんだから」

 対価はご用意しているつもりだ。彼にとっての「対価」になればの話だけど。


「交換条件だよ」


 彼の眉がピクリと上がる。話を聞く気はあるようだ。


「あなたは私の恋が成就するように協力する。私がもし失敗したら、あなたの好きにしたらいい。脚でもなんでも、くれてやるから」

 私は指を1本立てて、彼の眼前に突き出す。


「1年。1年だから」


「私の好きな先輩が卒業するまで今日から1年。その1年以内に成就しなかったらあなたの勝ち」


 これでどうだ、と私は彼を見つめる。名前も知らない男はスッと目を細める。

 ガラスのような、冷たい瞳だ。


「僕になんのメリットもない。それにその条件なら、君の恋路を邪魔するほうが得策じゃないか」


「………………あ」


 ポツン、としらけた空気が流れる。

 こんなにかっこよく決めたのに。私の人生史上ベスト4くらいに入る名シーンだったのに。

「はあ……」とため息が零される。

 ちくしょう。なんでこんな男に呆れられなきゃいけないんだ。こちとら一応進学校入学してんだぞこの野郎。

「学歴厨はやめておいたほうがいい。後々しんどくなるぞ」

「うるせえ」


「君はそういえばB組だったね」

「そ、それがなに」

 うちの学校はA、B、C、Dと4つのクラスで分けられている。学力のレベルで分けられており、いわずもがな最もハイレベルなのはA組だ。


「いや、B組だったら肝心なところで論理の破綻に気が付かないの無理はないと思ってね」

「なんだ? てめえも学歴厨か? お?」

「そこも含めて可愛らしいと言っているんだ。いやなに、『夢見る少女』らしくて大変結構な事じゃないか」

「…………馬鹿にしてるとしか思えないんだけど」

 可愛い、という言葉は思った以上に破壊力がある。私ってチョロいのかもしれない。


 若干顔が赤くなった私を見て微笑みながら、彼は鉈を床に置いた。

 これは、惨劇回避だろうか。私の脚の安寧は守られた感じか。

「君、靴は持っているかな?」

 靴? 靴ってあの。

「ガラスの靴?」

 彼は顔を綻ばせた。


「履いてみてくれるかい?」


 いきなり何言いだすんだ。惨劇回避は非常にありがたいが、こいつの言うことは頓珍漢すぎる。

「う、うん。わかった」

 とはいえ断る理由もないので素直に鞄から例のガラスの靴を取り出し、中に足を滑らせる。

 ガラスの冷たさが足に直接伝わる。ガラスの靴は当然透明なので、肌色が透けて、爪に塗った青いペディキュアがうっすらとガラスから見えた。

 カーテン越しに射した西日がガラスに反射していて、肌色と、青と、オレンジがガラスに透けて見えた。

「えっと、これでいい? 履きやすいけど」

 ガラスの靴なんて本来履くもんじゃないから期待していなかったが、足を滑らせたそれは、思いのほか肌に馴染んだ。

 

 まるで最初からそう設計されていたかのように。


「うん。ぴったりだね。設計に狂いはないみたいだ」

 彼が私の足元に傅いてガラスの靴を眺める。

 童話のワンシーンみたいだな。

「あんたが作ったの?」

「もちろん」

 なんでもないように答えて彼は靴の観察を続ける。やがて満足したように頷いた。


「よくわかった。まだ改善の余地あり、だね」


「…………どういうこと?」

 彼は私の質問に答えることなく立ち上がった。そして私の顔をじっと見つめた。


「さっきの取引、応じようじゃないか」


「どういう風の吹き回し?」

 彼はにこやかに話す。さっきまで鉈もってた奴と同一人物とは思えない。

「この靴は急ごしらえでね。プロポーズに応じてくれたあとにもっと良いものを作ろうかと思っていたんだが……やはりそれでは君に失礼というものだ」

「そう? べつにそうは思わないけど」

「君じゃなくて、僕の問題だ。1年、だったね。いいだろう、僕はその間、君の恋路を応援しよう。必ずや君の恋を成就させてみせようじゃないか」

 ありがたい話だが、急に取引に応じるのとこのガラスの靴と何の関係があるのだろう。


「その1年の間、僕は君に送る『ガラスの靴』を作り直す。君がもし好きな人とやらへの告白に失敗したら、問答無用でその靴を履いて僕と結婚してもらう」

「ちょっと待って。ありがたいけど、あんたのメリット? が見当たらないじゃん。どうすんの?」

「靴は一朝一夕でできるものじゃないからね。オーダーメイドとなればさらに、だ。だからこそ、この1年の間に、君を――君の脚を、僕に提供してほしい。ああ、安心してくれ。切り落としたりしないから」


「観察させてくれ、という話だよ」と口にする彼。しかし、わざわざ「この1年間は」と言っているということは、だ。


「私が失敗したら、足は切り落とされる……ってこと?」

「よくわかっているじゃないか。緊張感があったほうが、張り合いがでるからね。怠惰になられても困る」

「僕が欲しいのは君の脚、だからね」と愛おしそうに私の脚を見つめる。大変気持ち悪いが、私の脚を切り落とすのはたぶん本気なのだろう。


 それくらい、命賭けろってこと。


「君は僕の協力のもと、自分の恋を成就させる。僕は君に協力する代わりに、新しいガラスの靴のために君の脚を今まで以上に観察させてもらう。……まとめるとこうだね」

 今まで以上に、という言葉に引っかかったが、大体は合ってる。


「楽しみだね、君の1年後が。僕の作ったガラスに包まれる君の脚、甘美な響きだねえ」

「……ぜったい、履かせてなんかやらないから」

「ああ、やってみればいい。僕も真剣に『協力』してやろう。ご褒美は後にとっておくほど甘くなるからね」

 私の言葉に挑戦的な瞳で返す彼。


「名乗らないのも失礼だからね。ああ、君はいい。君の名前くらい、とっくに把握済みだ」


「僕は透。灰田透はいだとおるだ。君の王子様になる男、と覚えておけばいい」


 お前みたいな悪役、お断りだ。


「楽しみしていてくれ。きっと、ガラスの靴を完成させてみせるから」


「他のなにもかもが色褪せるような、ね」





 


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