足斬りシンデレラ!

柴まめじろ

第1話 シンデレラ系女子

「君のその輝くような脚が好きだ。僕と結婚しよう」


 少しだけ灰色がかった絹糸のような髪。

 病的に真っ白な肌。

 ガラスのような燦然と輝く大きな瞳。

 蠱惑的な笑みで私に笑いかける彼は、


 残念ながら、私の王子様ではない。



 桜も満開を過ぎた、そんな4月の春。

 4月と言えば、何を思い浮かべるだろうか。

 有名なアニメのタイトルを思い出す人もいれば、映画のワンシーンを思い出す人もいるだろうか。

 まあ、たいていの人は「新生活」を思い浮かべるだろう。

 

「新生活」


 新入社員、新入生、転校生。

 なにかと人生の変わり目には、春が付きまとう。

 しかし、私——足立理央あだちりおにとっては、なんてことの無い、いつもと変わらぬ日常の始まりにすぎない「春」だった。


「高校1年生から2年生に変わっただけだもんね」


 そんな特別感のない私の「春」が――1年が、少しだけ色づいたのは、今思えば必然だったのだろうか。


 たいした感動もなく、通い慣れた高校の正門を抜けて、1年生の頃に使っていた下駄箱を開ける。この下駄箱も今日の始業式が終わればお別れだ。だからどうしたって感じだけど。


「……なにこれ」


 履いていたローファーを脱ぎ、そのまま下駄箱に入れる。が、入れる直前で手に珍しい感触が伝わった。

 春という季節にしては、まだ冷たすぎるような、どちらかといえば「夏」が似合う、そんな感触。

「…………ガラス?」

 冷たい違和感に眉間に皺を寄せて、下駄箱の中を確認する。

 朝っぱらから下駄箱の中を覗き込む女子高生に周囲は怪訝な視線を向けるが、そんなことは気にしていられない。


 気にしていられないほど、学校の下駄箱には不似合いなものが入っていた。


「…………なにこれ」


 数分前に口にした言葉が、もう一度喉を突いて出てきた。

 手には同じく数分前と変わらない、冷たい感触。


「わたし、もしかしてシンデレラ?」


 意味不明な事を言っているのは自分でもよくわかっている。

 だけど許してほしい。

 ︎︎誰だって下駄箱からこんなの出てきたら、こうなる。


 私の手には、春の穏やかな光を反射してキラキラと輝く、


 ガラスの靴があった。


「こんなの、シンデレラしか連想できないんだけど」


「それで鞄にガラスの靴入れたまま始業式でたの? ウケるー!」

「ウケるな。もっと真剣に聞け」

 けらけらと楽しそうに爪を塗りながら笑うのは中学から一緒だった幼馴染。

「今年も奇跡的に同じクラスだねー」なんて笑いながら彼女は私の前の席に座った。

 そこは高橋君の席だ。見てみろ、高橋君座るタイミング逃して微妙な顔してるじゃないか。

「ああごめん高橋! 次のホームルームまで貸して」

 対角線上にいる男子のグループ内にいる高橋君にニコニコと手を振る幼馴染。

 彼女が世の中渡れているのは、こういう部分があるからだと思う。


「んでさ、行くの? 結局」

「まあ、一応」

「ひゃあ! 青春~!」

 行く、というのは、音楽室のことだ。この高校では滅多に使われていない。

 昔は音楽科があったのだが、残念ながら「進学校」というありがたいレッテルを貼られているこの学校では、芸術系の学問の人権はとっくの昔に失われている。


 ……演劇部は強いが。


 ︎︎話は戻るが、例のガラスの靴には、小さなメモが入っていたのだ。


「放課後、音楽室まで来てください」


 ︎︎果たし状、の可能性も考えたが普通に考えてちょっと仄暗いあのお誘いだろう。

 ︎︎仄暗い欲望の混じった、甘い告白。


「でもさ、いいの? あんた好きな人いるじゃん」

「……………………」

 痛い所を突かれた。

「でも、行かないと失礼じゃん」

「義理堅いね。陸上部」

「…………べつに」

 幼馴染はにやりと笑って茶化す。


「でもさ、あんた好きじゃん、そういうの」


 そういうの、というのは「童話」のことだ。

 もっと言えば「お姫様」のこと。

「お姫様」が「王子様」に見初められて、結婚して、幸せに暮らして。

 小さい頃から大好きだった、そんなシンデレラストーリー。


「下駄箱にガラスの靴なんて、ロマンチックじゃん。シンデレラ系女子? ってやつ」

「ダサくない? それ」

 なにが「シンデレラ系女子」だ。舐めてんのか。

 ︎︎何が楽しいのか未だにケラケラと笑う幼馴染だったが、休み時間の終わるチャイムが鳴ると、さっさと自分の席に帰って行った。


 ︎︎新しい担任の春とは思えないほど寒々しい自己紹介を聞いて、新学期の心構えとやらを叩き込まれ、クラス全員の点呼が終わった殺し、ホームルームを終えるチャイムがなった。


 ︎︎いつもならこのタイミングでダッシュで陸上部の部室に向かうのだが、今日は違った。


 ︎︎音楽室に向かう。


 ︎︎もうほとんど使われていない3階の音楽室。何となく深呼吸をして、そっとドアに手をかける。

 ︎︎春なのに、手にじっとりと汗をかいている。


 ︎︎意を決してドアを開けると、そこには


 ︎︎知らない男子生徒が立っていた。


「はじめまして。来てくれてよかった」


 ︎︎中々の美少年である。彼は柔らかに唇を弧にした。


「一目惚れだ。僕と結婚してくれ」



 ︎︎話は現在に戻る。

 ︎︎グランドピアノの前に立つ目の前の男子生徒は自信満々といった表情で私に手を差し伸べる。


 ︎︎少し灰色がかったサラサラとした髪。

 ︎︎真っ白な肌。

 ︎︎そして、ガラスのような輝く透明な瞳。


 ︎︎私に手を差し伸べるその姿は、まさしく夢にまで見た「王子様」だった。


 ︎︎私はその差し伸べられた手を、


 ︎︎跳ね除けた。


 ︎︎パンっという音が音楽室に響く。

 ︎︎男子生徒は目をさらに大きく開けて、驚いた表情を浮かべた。

「なぜ自分が拒否されたのか不思議で仕方がない」と、顔にありありと書かれていた。


「私は名前も知らないやつと結婚なんかしたりしないし、いきなりガラスの靴送りつけてくるやつと付き合ったりなんかしないし、だいいち」


「私には私の王子様がいるの」


 ︎︎幼馴染が言った通り、私には他に好きな人がいる。

 ︎︎私には、心に秘めた大事な王子様がいる。


 ︎︎お姫様にだって、王子様を選ぶ権利があるはずだ。


「だから、申し訳ないけどこの話は無かったことに、ね?」

「………………」


 ︎︎返事がない。ただの屍のようだ。


 ︎︎そんなふうに茶化せないほど、部屋には気まづい沈黙が流れていた。


 ︎︎名前も知らない男子生徒は、ずっと俯いて黙っている。

「……ねえ、ちょっと」

 ︎︎耐えらなくなって私が声をかけたとき、


「…………ははっ」


 ︎︎乾いた笑いが聞こえた。

 ︎︎声の主はもちろん男子生徒で、彼は今も肩を震わせている。


「……そうだ。そうだったね」


 ︎︎彼は突然ガバッと顔を上げ、私の手を掴む。


「名前を言わないのは確かに失礼だ。あんな急拵えのガラスの靴は君の脚には似合わない」


 ︎︎どこか狂気的な瞳でじっと私を見つめる彼。


「でも、最後のはいけない。いけないな」


 ︎︎私の手を掴む力がギュウっと強くなる。

 ︎︎こいつ、やばい。

 ︎︎本能でそう悟った。


「君は――君の脚は、未来永劫僕のものだ。他の男に渡すなんてとんでもない。そんな事をするくらいなら」

「…………するくらいなら?」

 ︎︎恐る恐る彼に聞く。これ以上聞いたらいけないと、心臓が警鐘を鳴らす。


「君の脚を、切り落とす」


 ︎︎ほら、やっぱり聞いちゃいけなかった。

「……さすがに、嘘じゃんね……?」


 ︎︎彼は不思議そうに首を傾げる。

 ︎︎しばらくして彼は何か思いついたように私から手を離して、ピアノの近くに置かれていた鞄から何かを取り出した。


 ︎︎彼の手に握られていたのは、鉈だった。


「なるべく力を入れて振り落とすから、じっとしていてくれ」


「僕とて本意じゃないんだ」とうっそりと笑う彼。


「陸上部のエースの君にとっても、脚は大事だろう? ︎︎僕の告白を受けるのが得策だと思うよ」


 ︎︎前言撤回だ。こいつは王子様なんかじゃない。


 ︎︎悪役ヴィランだ。


 ︎︎悪役は、勝ち誇ったような顔で嗤う。


「君に与えられた選択肢はふたつ。僕と結婚するか、僕に殺されるか、だ」




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