第12話 秘めた恋心
「おい、例のこと本人に言ってないんだって? それでも彼女はここを出て行かないなんてすごいな!?」
レジナルドが戻って来たのと入れ替わりに、今度はキャロラインが部屋を辞した。そのタイミングを狙っていたかのように、ヘンリーはレジナルドににじり寄った。
「例のことって何のこと?」
「お前が、キャロラインを前から知っていたってことだよ」
「最初の日に舞踏会で挨拶したってことは伝えたよ。でも忙しすぎて覚えてなかったみたいだ」
「それだけ? お前がずっと目をかけていたってことは?」
気を使ってか、声を潜めて話すヘンリーに、レジナルドはしかめ面になりながらおおざっぱに手を振った。
「ああ、そのことは別にいいんだよ。話したところでこんな姿じゃ何の説得力もないだろ」
レジナルドにとっては、今更どうでもいいことだったが、ヘンリーの方はそうではないらしかった。
「それじゃ、僕が厄介払いのために彼女を追いやったみたいじゃないか! もしかしてキャロラインはそう思い込んでるのか?」
「ああ、そういや似たようなこと言っていたな。でも大丈夫だよ。私は私の任務を全うしますとか言ってたから、覚悟はしてるんじゃないの?」
抜け抜けしゃあしゃあと言ってのけるレジナルドを、ヘンリーはぐっと睨みつけた。
「おい! こっちはお前のために、他の誰かにとられる前に迅速に行動したんだぞ! デレクの馬鹿が婚約破棄したと聞いたら、真っ先にお前のところに早馬を出しただろ! 友の必死の気遣いが分からないのか!」
「だって仕方ないだろ。こんな子供の姿であなたをずっと見ていましたなんて言えると思うか? 一笑に付されて終わりだよ。そんな恥をかくくらいなら死んだ方がマシだ。俺が元に戻る日が来たらお前の名誉回復はしてやるから心配するな」
投げやりに言うレジナルドを見て、ヘンリーはため息をついた。そう言えばこいつは昔からこうだった。プライドが高いのに案外小心者なのだ。社交界で話題をかっさらった華の貴公子レジナルドが、子供の姿で領地に引きこもっている現状は、本人にとっても忸怩たる思いなのだろう。
レジナルドがキャロラインを知ったのは、彼女が想像するよりかなり前のことだった。王家主催のこじんまりしたパーティーに、レジナルドはヘンリーの友人として、キャロラインはデレクの婚約者として参加していた。レジナルドの目から見たデレクは、責任のない立場で何一つ不自由しない環境を満喫している温室育ちのお坊ちゃんだ。そのお坊ちゃんが、最近婚約をしたというので、どんな相手か見てみようという好奇心がないと言えば嘘だった。
アホデレクの隣に垢抜けない令嬢が座っているが、彼女がそうだろうか。キャラメル色の髪に緑色の瞳という組み合わせは悪くない。結構愛らしい顔をしている。しかし、これは社交慣れしてないな。王族の婚約者ともなれば、公的な場に出て行く機会が今後増えるはずだが、精いっぱい虚勢を張って今にも心のダムが決壊しそうな危うさをはらんでいる。本人も冷や汗をかきながら必死で持ちこたえているのではないだろうか。こういった場に慣れていないなら、デレクがフォローしてやればいいのに。しかし、デレクの方は、緊張しきっているキャロラインなどお構いなしに、喋りたい相手と会話を楽しんでいるだけである。
レジナルドは、思わず助け舟を出したい衝動に駆られたが、婚約したばかりの令嬢に自分のような放蕩者が声を掛けたらどんな噂が立つか分からないと思いとどまった。却って彼女を困らせてしまうだろう。そう思い遠巻きに観察するにとどめた。
その後も、キャロラインと同じパーティーに出席する機会は何度かあった。その度に彼女を目で追っている自分に気付く。彼女は、だんだんとコツをつかんでいった様子だが、今度は、デレクの保護者の役割をする羽目になった。デレクの不用意な一言で相手を不快にさせたり、教養のない発言をして失笑を買ったりした場合の尻ぬぐいは、決まってキャロラインの役目だった。デレクの世話に労力を取られなければ、もっと生き生きした彼女が見られるというのに。レジナルドは、その様子を見るたび、胸がモヤモヤして仕方なかった。
「レジナルド、さっきからどこを見ているの? ああ、デレク殿下の婚約者が苦労しているわね。まだ若いのにお母さんみたいって専らの評判よ」
ワイングラスを片手にそう話しかけてきたのは、友人のサマンサである。あわよくば自分と結婚したがっている空気を常に感じていたが、のらりくらりと交わし続けていた。レジナルドは思わず反論したくなったが、ここでキャロラインに肩入れしたら変に思われてしまうことに気付き、何も言わなかった。
「王子の婚約者だと言うのに、最新の流行で身を飾るとか、そういう気遣いがないのね。そう言えばあの家、義理の母親の浪費が激しくて、家計が苦しいみたいよ。だから自分は贅沢できないのかしらね」
レジナルドは、ここで何を言っても無駄だと自分に言い聞かせ黙っていたが、そう言えば、彼女のことが気になるだけで何も知らないことに気付いた。それで後日調べてみたら、父が新しい妻に骨抜きになっていること、父に代わって領地経営の仕事をしていること、女性に人気のある従者がいることなどが分かった。しかし、それが分かったところで何になるのだろう。既にデレクの婚約者なのに。
若い未亡人と浮名を流すことに罪悪感はないレジナルドでも、王子の婚約者をかどわかすつもりはなかった。と言うか、自分のような者が近づくだけでキャロラインの評判に傷をつけてしまう気がして、おいそれと話しかけることができなかったのだ。
半年前の舞踏会。この日も、キャロラインはデレクの尻ぬぐいでせわしく動いていた。レジナルドは、自分に色目を使って来る女性陣を軽くいなしながら、横目でキャロラインを観察していた。
「おい、麗しい女性陣がこんなに熱視線を送っているのに、レジナルド辺境伯は簡単に摘める花では飽き足らず、高嶺の花を狙う気か? それはいただけないな」
いつの間にか、隣にヘンリーが立っていた。レジナルドとヘンリーは学生時代からの付き合いで、王太子という身分ながら、お互い気の置けない関係を築いていた。レジナルドは、自分の思考が見透かされたことに気付いて、咄嗟に顔が赤くなった。
「バカ言うな。そんなんじゃないよ。ただ、デレクの相手も大変だなと思って。何だいあれは、さっきから見ていればぺこぺこ頭を下げてばかりで。肝心のデレクはそんなことすら気付いてないじゃないか。兄ならちょっとは助けてやれよ」
「兄弟といえども不可侵の領分というものがあってだなー、お前の言うことはもっともだが、そう簡単に手出しはできないんだよ。まあ、キャロラインの家もそんなに裕福じゃないみたいだし、彼女にとって悪い話じゃないんじゃないの?」
レジナルドは、ヘンリーの薄情さに腹が立ってフンと言って顔を背けた。
「まあ、そんなにへそを曲げないでおくれよ。そうだ、お詫びにお前のことキャロラインに紹介してやろうか? 僕から言えば何ら不自然なことはないだろう?」
「おい、よせよ。そういうのいいから」
しかし、ヘンリーは嫌がるレジナルドを引きずって、キャロラインに近づいて行った。この時、キャロラインは、デレクが名前を間違えた相手に謝っているところだった。それも絶対間違えてはいけない相手なのに。当のデレクは既にフラフラと別のところへ行ってて、姿はなかった。
「キャロライン、ちょっといい? 紹介したい人がいるんだけど」
ヘンリーはそんな空気にもかかわらず、キャロラインを呼び止めた。レジナルドは、変に緊張しながら自己紹介をしたのを覚えている。これでは、社交界に出たばかりの少年ではないか。レジナルドは、魚が海を泳ぐように社交界を渡り歩いている自覚があったので、こんなに緊張する自分が信じられなかった。キャロラインは、半分上の空で、でも礼節は保ったまま挨拶を返してくれた。果たしてこれでよかったのだろうか? その時心配したことが、後で事実と判明する。キャロラインが自分を覚えてくれなかったことを思い出して、レジナルドはまた胸がむしゃくしゃした。
「おい、ヘンリー。俺にも酒を寄越してくれ。飲みたい気分になった」
「ちょっと、体は子供なんだから飲んだらまずいだろう。悪酔いしたら僕がキャロラインに怒られちゃう」
「ちぇっ、ケチ! もういいよ!」
「でも、よかったな。まさか本当に結婚できるとは思わなかっただろう? 内心複雑だろうけど」
ヘンリーがしみじみとした口調で話題を変えたので、レジナルドも悪態をつくのをやめて、ヘンリーを見た。
「正直言ってまだ現実感がない……夫らしいこと何一つしてないし、これじゃ姉と弟みたいだし。それに、キャロラインがここに来た時、被害妄想こじらせてかなりきつく当たってしまったんだよな。次の日にこっぴどく反撃されたけど」
「あはは、なんだ、それなりにうまくやってるじゃないか。ならよかった。僕も引き合わせた甲斐があったよ」
「うん……それについては感謝している……いきなり結婚!? とは思ったけど、そうでもしなければ見込みなかったし。こんな俺でも優しく接してくれてるし」
空を見上げると弓なりになった月が神々しく輝いていた。二人ともしばらく黙ったまま外の風景に見入っていた。
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