第9話 男装女執事の恋のめばえ
「ああ、先日頼んだ複写の件、もうできたのですか。どれどれ……ふむ、間違いも見当たらないし素晴らしい出来です。ありがとうございます、ジーナさん。奥様は優秀な部下をお持ちですね」
執務室で、セバスチャンは、ジーナから渡された書類を一通りチェックしてから微笑みかけた。眼帯姿に黒のスーツ姿というクールないで立ちのジーナは、その恰好に似合わず乙女のように顔を赤らめた。
白髪の交ったふさふさとした髪に口ひげを生やしモノクルまでかけている、おまけに名前がセバスチャン。イケオジ執事として完璧なその姿に、彼女の心臓は高鳴った。
「いえ……滅相もない……私などまだまだ青二才です」
「ははは、ご謙遜を。新しく来た奥様だけでなくその部下まですこぶる優秀だと専らの評判ですよ。お二人がいらっしゃって、この屋敷も随分明るくなりました」
「あの……すいません。私ったらキャロライン様のお部屋の用事を忘れてました! すぐ戻ってまいります!」
ジーナはそう言うとそそくさと執務室を出て行った。キャロラインは微笑ましく思いながら、そんな彼女を目で見送った。彼女の考えていることは大体想像がつく。セバスチャンに褒められて舞い上がりすぎたのだ。案外中身はウブだったのねと、自分を棚上げしながらふふふと一人笑う。
執務室ではレジナルドを中心に書類仕事が行われていた。キャロラインたちはせっせとレジナルドの手伝いにいそしんでいた。彼女が来てからレジナルドが真面目に領主としての仕事をするようになっている。セバスチャンとしては嬉しい限りだ。
レジナルドとしても、キャロラインに「私も手伝いますから真面目にやって下さい」と言われたら反抗するわけにもいかずおとなしく従っていた。
「キャロラインが来るようになってから領地の見回りばかりするようになったな。父の後を継いで2年になるが、今まではそこまで熱心にやってこなかった」
「どうせ王都に入り浸って遊んでばかりいたんでしょう。見なくても大体想像がつきますわ」
レジナルドはフンと鼻を鳴らしながらキャロラインの方を見たが、図星なので何も言い返せない。
「遊んでばかりじゃなかったぞ。ヘンリーの取り巻きの一人として法案作成にもかかわったし、何より人脈を広げられた」
「でも連絡を寄越してくれたのは結局ヘンリー殿下だけじゃないですか。それにしても殿下に手紙送ったのに返事が遅いですね。公務がお忙しいのかしら」
キャロラインに痛いところを突かれてレジナルドは言葉に詰まってしまった。人間の非情さに直面するのは精神的にきついが、またまた図星なので仕方ないことだった。
「お前少し口が過ぎるぞ。俺が子供に見えるからってバカにしてないか?」
「そんなことないですよ。現に、こないだジーナにも優しくして頂いて感謝しています。レジナルド様の新たな一面が見れました」
「ああ……さすがにいつもじゃないからな。最初にいいところを見せてやろうと思ったんだよ。打算だ打算」
「そういうのを正直に教えてくれるところもいいと思います。正直すぎてちょっと露悪的ですけど」
「べっ別に露悪的なんかじゃ——」
レジナルドは言いかけたが、ふと気を変えて別のことを尋ねてみようと思った。
「そう言えば、あの従者は変わった身なりをしているな。何か事情があるのか?」
「ああ、ジーナのことですか? 彼女には身の回りの世話だけでなく、執事の業務も頼んでいるんです。だからというわけじゃないんですけど」
「執事と言うより、どちらかと言えば友人のような距離の近さを感じたが、実際はどういう関係なんだ?」
レジナルドの目には、2人の関係がそう映っていたのかとキャロラインは意外に思った。確かに普通の主従関係とは違うかもしれない。
「ジーナは元々それなりの家の娘で、うちの遠縁にあたるんです。でも普通に結婚して夫を支えるという生き方を嫌って王都に出たところを、うちで働いてもらっているんです。」
レジナルドは目を丸くして聞いていた。
「普通の生き方を嫌っているということは、どこかで傭兵でもしていたとか?」
「どうしてそんな話になるんですか?」
傭兵という言葉が出てキャロラインは思わず笑ってしまった。
「だってそんな雰囲気だから」
「あらやだ。ジーナのあれはフェイクですよ。定期的に眼帯をする目が変わっているのに気が付きませんでした? あれ、片方だけやっていると視力が低下しやすいから交代で変えてるんです」
「え? そうなんですか!?」
少し離れた場所にいたセバスチャンが思わず声を上げた。
「ああ……すいません。お二人の会話を盗み聞きするつもりはなかったんですが、つい聞こえてしまって」
セバスチャンは執事らしからぬ好奇心を露わにしてしまったことを恥じるように言った。
「別に聞かれても構わないことだから大丈夫よ」
「思わず驚いて声が出てしまいました。申し訳ありません」
確かに驚くのも無理はない。そんな理由で眼帯をする人間がいるなんて普通思わないだろう。憧れのセバスチャンには知られたくなかったかしら? と後から思ったがもう聞かれてしまったのは仕方がない。
「なんでそんなものしてるんだ?」
レジナルドは続きを聞きたくてうずうずしながら尋ねた。
「本人によるとファッションの一種らしくて。私には理解しがたい世界なんですけどね。彼女は読書家で色んな本を読んで影響を受けてるみたいなんです。あの謎めいた雰囲気に憧れる女の子もいて、王都ではファンクラブもあったんですよ」
レジナルドはぽかんとした表情で聞いていた。話に着いて行けない。ジーナもすごいが、そんな変わった執事を側に置くキャロラインも十分理解不能だった。
「二人とも変わってるな……よくそんなの平気でいられるな」
「あら、夫が子供になったことに比べればどうってことないですわ」
けろっと答えるキャロラインに、レジナルドも思わず吹き出した。
「言われてみればそうだな。こんな現実ぶっ飛びすぎて着いて行けないよな」
「でもよかった。レジナルド様が私のことを受け入れてくれて」
キャロラインがふっと表情を改めて妙なことを言い出したので、レジナルドも真顔になった。
「私って変わってるでしょ。社交界にも出入りしないし、普通の貴族みたいに気さくで打ち解けた付き合いもできないし。だからデレク殿下の婚約者になった時、煩わしいことから解放されてよかったって思ったんです。今思えば、もっと真摯に殿下と向き合っていれば婚約破棄されることもなかったかも。後から考えると私にも反省するべき点があったかもしれません」
苦笑いしながら話すキャロラインの横顔を、レジナルドは複雑な思いで見つめた。
「そんなことないよ」
「えっ?」
「俺はそうとは思わない。デレクが100%悪い。キャロラインみたいなしっかりした真面目なお嬢さんがいたのにみすみす手放すなんて目が節穴としか思えない。元々アホな奴と思っていたがそれ以上の愚か者だ。反省なんかしなくていいよ」
「そ、そうですか?」
突然レジナルドが真面目な表情になって意外なことを言い出したので、キャロラインは戸惑ってしまった。彼に褒められるのは初めてなので、嬉しいと言うより不思議に思う気持ちの方が先に立ってしまう。
「あ、ありがとうございます……」
キャロラインは照れ隠しに顔にかかった髪を耳にかけながら小声でお礼を言った。すると、先日レジナルドに買ってもらったバレッタに指が当たる。彼が選んでくれたバレッタは彼女のキャラメル色の髪の上できれいに輝いている。
ただの女たらしかと思ったら、意外に観察力があるし、冷静に物ごとを見ているところもある。レジナルドという人物がますます分からなくなった。
その時使用人が執務室に入って来て、レジナルドに一通の手紙を渡した。宛名を見たレジナルドは顔色を変えた。
「げっ、サマンサからだ。なんで今頃?」
「えっ? サマンサって誰?」
キャロラインは突然知らない女性の名前が出てぎょっとした。せっかくレジナルドを見直したばかりだったのに。アンダーソン家に新たな火種が放り込まれた瞬間だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます