第8話 初めてのデート

製紙工場の視察から、少しではあるがレジナルドに対するキャロラインの対応が変わって来た。それまでもっとしっかりしてくださいと叱咤一辺倒だったのが、地元の子供と交流してはどうかと提案して来たのだ。


(どういう風の吹き回しだ? もしやセバスチャンが変な入れ知恵でもしたか?)


レジナルドは訝しんだが、結局のところよく分からなかった。何はともあれ、キャロラインの提案は、レジナルドにとっても悪くないものだった。子供時代やり残したことと言えば、めいいっぱい遊ぶことだ。大人になっても、外遊びする子供らを羨ましそうに眺めることがあった。


そういう訳で、家族が病気療養中のためこの屋敷に預けられた遠縁の子という設定で、地元の子供たちと定期的に遊ぶことが増えた。中身は大人なので、子供相手に意思の疎通がうまくいかないこともあったが、「あなたは大人なんですから多少のことは我慢してください、本当のことが知られたら大変ですし」とキャロラインに言い含められていたし、何より遊ぶことが楽しくてそれほど大きな問題にはならなかった。


「最近顔色がよくなってきましたね。日焼けもしましたがそれだけではないようです」


ある日、執務室で仕事をしていた時にセバスチャンが言ってきた。


「そうか? 別にいつもと変わりないつもりだが?」


レジナルドは、帳簿付けをしていた顔を上げてセバスチャンの方を見た。元からある机は子供姿のレジナルドには大きすぎるので、昔使っていた子供用の机と椅子を引っ張り出して執務室に置いた。最初のうちは恥ずかしいと抵抗していた彼も、今ではすっかり慣れてここで仕事をしている。


「何なら社交に明け暮れていた頃よりもお顔が生き生きとしているように思えます。健康的で充実した日々を送っているせいでしょうか。キャロライン様にも感謝しなければなりませんね」


「なんでキャロラインがそこで出てくるんだよ?」


レジナルドは口をとがらせて反抗的に言った。彼にとってキャロラインは口やかましい家庭教師を思い起こさせた。


「何をおっしゃいます? 事態が好転したのはキャロライン様のお陰じゃありませんか。それまで降りかかった災難を嘆くばかりで、ご自分から何もしようとしなかったところを、色んなアイデアを出して背中を押してくださったのはキャロライン様です。こちらに来てからご苦労をかけてばかりで、少しはサービスしてあげたらどうですか? 愛想尽かされて逃げられでもしたら今度こそ詰みますよ? ヘンリー殿下に顔向けもできなくなります」


確かにここに嫁いで来てから、キャロラインには夫らしいことを何一つしていない。どちらかと言うと、したくてもできないというのが正しいが、普通の夫婦なら優しい言葉でもかけて妻が喜びそうなものをプレゼントしてやるのだろう。


しかし、レジナルドは具体的にどうすればいいのか見当がつかなかった。数多くの女性と浮名を流してきたというのにこういう時何も思い浮かばない。彼が今まで付き合ってきた女性なら、宝石をプレゼントして眺めのいい部屋でも用意してやれば満足してくれた。


だが、キャロラインは今までの女性たちとは明らかにタイプが違う。彼女のような人間はどんなことをしてやれば喜んでくれるのか全く分からなかった。


「どうしよう。俺としたことが、何をすればいいのか分からない。何かヒントをくれ、セバスチャン」


「何と! レジナルド様とあろうお方が、女性の扱いを忘れてしまったのですか!? そんなことが起きるなんて!」


「女性というか、キャロラインにどうすれば分からないんだよ。いや、キャロラインも女ではあるが、チャラチャラしたものは喜ばなそうだろう?」


「それなら、一番賑わっている街を案内したらどうですか? 街の中心部の様子もまだお見せになってないでしょう。ここは一つ初心に返ってデートから始められたらいかがでしょう?」


確かにセバスチャンの言う通りだ。工場や農場などの視察は済ませたものの、街に出て買い物を楽しむといったことはまだしてなかった。王都の街に比べれば見劣りするかもしれないが、それでもレジナルド自ら案内してやれば喜んでくれるかもしれない。


早速キャロラインに提案したところ、ぱっと表情を輝かせ、期待通りに喜んでくれた。


「私もここで一番賑わっている場所の様子が見てみたかったんです。一人で行こうと思いましたけど、レジナルド様が案内してくださる方が嬉しいです」


こんなに喜んでくれるのならもっと早く誘えばよかったとレジナルドは思った。かくして、天気のいい日を選んで、二人は馬車で街へ出かけた。今回はジーナが付き添いとして同行している。キャロラインが言うには「彼女にも街を見せてあげたい」とのことで、レジナルドとしては断り切れず了承するしかなかった。


(せっかくのデートなのにお目付け役が着いて来るとはな。はっ、もしかして俺が子供で頼りないから大人を連れて来たということか? そうなのか?)


馬車の中でレジナルドは一人疑心暗鬼になったが、向かいに座るキャロラインはただ晴れ晴れとした表情で馬車からの景色を眺めているだけなので、深いことは考えないように努めた。


馬車は街の広場で停まった。だだっ広い石畳の広場には、多くの人が行き交って、屋台が並んでいる。手回しオルガンの周りには子供が集まり、鳩が舞い降りて餌をつつく光景に、キャロラインは目を奪われた。


「王都よりこぢんまりしてつまらないだろう? これでも隣国を繋ぐルートの中継地でよく栄えてる方なんだが」


「そんなことないです。王都とはまた違った趣で興味深いです。外国の方も多いし、文化も王都とは少し違うんでしょうね」


キャロラインは変わった装束を着た人たちが歩いているのを目にした。一枚の布を体に巻けたような服で、こちらよりも装飾品が多い。一目で隣国の人間だと分かった。


「うん。食べ物も少し違うかも。そうだ。屋台で買ってみようか」


レジナルドはそう言うと、食べ物屋が並ぶ屋台へ行ってそのうちの一つで買い物をした。


「坊ちゃん、そんなに一度に持てますか? 隣のお姉さんに渡しますね」


屋台の主人にそう言われ、自分が10歳の子供であることを忘れていたことに気が付いた。苦笑しながら受け取ったキャロラインから一つ受け取る。


「これ3つありますよ? もしかしてジーナの分も買ってくれたんですか?」


「だって従者にもこの土地のいいところを教えてやらなきゃだろ。いいから、いいから。ただし、たくさん働いてもらうからな。高く付くぞ」


素直になり切れないレジナルドが面白くて、キャロラインは楽しそうに笑った。


「ところでこれは何なんです? 普通のソーセージのように見えますが」


「いいから一口食べてみな。王都のとは少し違うから」


「これ……! スパイスが違います! こっちの方が色んな風味がします」


「国境沿いの街だから外国の文化と融合しているんだよ。ソーセージと一口に言っても肉の種類や配合されるスパイスやハーブで個性が違う。どうだ? 口に合う?」


「はい……! すごくおいしいです! また他に何かありますか?」


正直なところ口に合わなかったらどうしようと心配していたレジナルドは、キャロラインの反応が上々なのを見て密かに胸をなでおろした。


「次は焼き菓子だが、ここら辺でよく取れる果実がゴロゴロ入ってる。これも珍しいと思う」


「ああこれ! 本で読んだことあります。すごく鮮やかな赤い色をしてるんでどんな味がするんだろうと思ってました。結構酸っぱいんですね! 何て名前ですか?」


目をらんらんと輝かせるキャロラインを見てレジナルドは成功を確信した。


「喜んでくれてよかった。王都に比べたら地味かもしれないが、ここにはここの良さがあるんだ。と言っても、俺も王都に入り浸りで余り来なかったんだけどな……」


そう言うとレジナルドはバツが悪そうに鼻の頭をかいた。


「キャロラインは胃袋を掴めばよかったのか。他の女みたいにアクセサリーとか服には見向きしないと思った」


「あら、私そんな風に思われていたんですか? きれいなものも好きですよ? 女ですもの」


「へ? そうなの?」


「そんな、私のことなんだと思ってるんですか? こう見えても年頃の若い娘ですってば」


頬をぷくっと膨らませたキャロラインを見て、せっかくうまく行ったと思ったレジナルドはあたふたした。


「ごめん、そんなつもりじゃなかったんだけど。じゃ作戦変更だ。むしろこっちの方が俺の本領が発揮できる」


レジナルドはそう言うと、キャロラインの手を引いて別の店に案内した。今度は女性用のアクセサリーを売っている店だ。店内は女性客でいっぱいで、男性と言えば夫か恋人で、付き添いで来ている者だけだ。子供姿のレジナルドは明らかに浮いていた。


「やはり王都の店に比べると品揃えが見劣りするな……他を当たった方がいいかな」


レジナルドがぶつぶつ呟いているところに、キャロラインは一つのバレッタを手に取った。


「私これがいい。ちょうど今使ってる物が壊れてしまったんです」


「バレッタならこれよりもっといい物買えるのに。しかも普段用じゃないか。いいんだぞ遠慮しなくて」


「私これがいいです。デザインが気に入ったんです。値段やどんな石が使われているかは関係ありません」


やはり変わった女だとレジナルドは思った。彼が知っている女性はとにかく高価でブランド的に価値あるものを欲しがった。レジナルドは、バレッタをまじまじと見つめ、キャロラインに似合うかどうか想像してみた。


「じゃあこっちの色違いの方が髪の色に合う気がする」


レジナルドはもう一つの色違いの商品を手にしてキャロラインの髪に当ててみた。キャロラインは鏡に写った自分の姿を見て驚いた、確かにレジナルドの言う通りだ。差し色効果でバレットに使われている色石が鮮やかに見える。キャラメル色の髪には、濃赤色と藍色の石よりも山吹色と黄緑色の色の組み合わせの方がぴったりだ。こんなところに気が付く男性は今まで会ったことがなかった。


「でもどっちでもいいよ? 男に指図されるより自分で選ぶ方がいいだろう? 気を使う必要はないから……」


レジナルドは自信なさげに呟くと、視線を地面にさまよわせた。この人なら「俺の方が正しい」と自分の意見を通すイメージがあるのに。意外な言葉にキャロラインは目をぱちぱちさせた。彼の新たな一面を見た気がする。


「確かにあなたのおっしゃる通りです。色違いにするわ」


「だから好きな方でいいって、遠慮するなよ」


「遠慮なんかしてません。私もこちらがいいと思ったんです」


キャロラインはそう言うと、バレッタを店員に渡した。


(レジナルド様にとっては、こんなやり取りもどうってことないんだろうな。女性慣れしてそうだし)


あどけなさが残る少年の横顔を眺めながら、キャロラインはレジナルドという人物についてあれこれ考えを巡らせた。

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