第7話 新妻、視察するってよ
「やはり王都とは景色が違いますね。こっちの方が涼しくて湿度も低いです。標高が高いから気候も少し違うのかも」
季節は夏だが王都と異なり、ここは少し平均気温が低いようだ。冬は寒いのだろうが夏は過ごしやすい。そんなよく晴れた日、一台の馬車がゆっくりと田舎のあぜ道を走っていた。
馬車にはアンダーソン家の家紋が付いている。中には、キャロラインとレジナルドが乗っていた。その後ろを家臣たちの馬車が着いて行く。レジナルドにとっては1ヶ月ぶりの外出になる。外に出るのは嫌だと駄々をこねる彼を、キャロラインが無理やり引っ張ったのだ。
「たった1ヶ月、領地の見回りに行かなかったくらいどうってことないだろ。別に大きな変化は起こらなかったし」
「あら、大ありですよ。領民はそういうの敏感に察知します。領主様が姿を現さないけど何があったんだろうって。しかも結婚されたことはみなの耳に入ってますから、姿を現さなければ変な噂を立てられる恐れもあります。今回レジナルド様は病気療養中で、代わりに妻が領地を見回る。あなたは遠縁の少年ということでいいですね?」
レジナルドは返事をする代わりに窓の景色に目を向けたまま「フン」と鼻を鳴らした。その横顔は生意気な悪ガキそのものである。社交界の伊達男の面影はみじんもなかった。
(本当にこれが女性にモテモテだった社交界の華なのかしら? 外見だけでなく中身まで退行したわけじゃないわよね?)
キャロラインはこちらに来てからというもの、王都で聞いたレジナルドの評判と、直接会った印象が一致せず首をひねっていた。数多くの女性と浮名を流した社交界一のハンサム貴公子、流行の最先端を行く洒落者の紳士。
子供の姿になってもその片鱗が見えるのかと期待したが、常に眉間に皺を寄せ、「ピーマンは嫌いだ」「おい、何をボケっとしている?」などと事あるごとに悪態をつく生意気な少年が一人いるだけだった。
やがて馬車は小高い丘にあるレンガ造りの平屋の工場の前で止まった。この地域随一の産業である製紙工場だ。自然が厳しく農業が振るわないこの地域では、代わりに工業が盛んである。中でも製紙業は、材料が簡単に手に入る森と山からの湧き水が豊富なため、うってつけの産業だった。この工場もすぐそばに川が流れ、地元の子供が魚を捕まえて遊んでいるのが見えた。
「はい、着きました。ここが今日の視察地です。どうです、いいところでしょう。それにしても新しい奥様が領地に興味を持ってくださってよかった。レジナルド様が普段お付き合いしている女性とは真逆のタイプで安心しました……おっと失礼」
セバスチャンは機嫌がいい余りペラペラと喋ってしまい、レジナルドに睨まれ口を押さえた。
「周りは木が多いし、水が綺麗だからここに立地するのは自然なことね。こんなに立派な工場があるとは驚きだわ」
「でしょう、でしょう。2代前の伯爵様がお建てになったものです。その方はとびきり優秀で領民思いだったと専らの評判でした」
彼らは出迎えた工場長から歓迎を受けて建物の中へと入った。工場の成り立ちから作業工程、年間の売り上げ、従業員数、生産量の推移に至るまで詳しい説明を受けるキャロラインをよそに、レジナルドはそわそわと落ち着きがない。
「お子さんにはまだ難しいですかね。退屈されるのも無理ないと思います」
その様子を見た工場長が苦笑しながら言うと、レジナルドはかっとなって言い返そうとしたが、キャロラインが慌てて押しとどめた。
「ええ、その通りなんですの。坊や、あなたは外で遊んでらっしゃい。後で迎えに行くから」
坊やと言われレジナルドは更に険悪な顔になったが、ここでは何も言わず黙って言われた通り外へ出て行った。却って彼がいないほうが視察もはかどるだろう。セバスチャンは工場長と一緒にキャロラインに説明する必要があるため、代わりにジーナに彼の見張りとして付いてもらった。
「設備が古いので生産性が落ちてきているのがネックで……予定外の受注がかかった場合の備えがないんです」
「分かりました。設備を新しくしたいというご要望ですね。私の方からレジナルド様に伝えておきます。その他にも経年劣化で使用に耐えられなくなっているものがあれば教えてください」
キャロラインは熱心に話を聞きながら時折工場長に質問をすることもあった。その横顔をセバスチャンは頼もしそうに見ていた。
「いやー、今日の視察はとても有意義でした。製紙業は我が領地の資金源となる産業ですので。平地が少ないので農地もそう確保できないし、他の場所に比べて誇れるものといったらこれくらいしか……だから奥様には一番に見てもらいたかったんです」
上機嫌のセバスチャンは饒舌になって喋っていた。どうやら執事の方は、キャロラインのことを大層気に入ったらしい。
「私も父の元で領地経営のイロハは学んでいましたが、実際に工場を視察するのは初めてだったので大変ためになりました。ところでレジナルド様は?」
外で遊んでいいと言われて気分を害してしまったのだろうかと、キャロラインはひやっとしたが、少し探すと川のほとりで地元の子供に交じって遊ぶ彼の姿を見つけた。やんちゃ坊主の顔になって、すっかり他の子供に溶け込んで遊ぶレジナルドを見て、キャロラインは呆れ果てたが、隣にいるセバスチャンはなぜか感慨深げな表情になった。
「私は先代からアンダーソン家に仕えてますが、レジナルド様のあのようなお姿を見るのは初めてです。幼少のころは、それは厳しくしつけられましたから。同年代の子供と遊ぶなんて以ての外でした。大人になってからの放蕩ぶりはその反動なのでしょう。奥様、今少し、レジナルド様をあのままにしてはくださらないでしょうか?」
そう言われては、キャロラインも手出しができない。泥んこになって楽しそうに遊ぶレジナルドを彼女は不思議そうに眺めた。
「レジナルド様の今の様子を見ていると生意気なクソガ……やんちゃな少年そのものですが、彼の子供時代はそうではなかったということ?」
「左様です。ご両親とも厳格な方で、レジナルド様は人々の模範となるように育てられました。少年時代はまだ従順だったのですが、社交界に出るようになりご友人が増えるに従って、枠からはみ出ようとする振る舞いが多くなり……王都に入り浸って領地にも滅多に帰らなくなりました。根が悪い方ではないのですが……そのうち先代が亡くなりお母様とふたりになってから親子の折り合いが余計悪くなったのです。それで、先代の奥様は郊外の別荘に引っ込み、現在はレジナルド様がお一人屋敷に住んでいるといった状況です」
キャロラインはセバスチャンの話にじっと耳を傾けた。何から何まで自分とは対照的な生き方だ。頼りない父に代わって早くから領地経営を学びしっかりしないといけないと思ってきたキャロラインと、厳しい教育を受けた反動でドロップアウトしたレジナルド。ここまで正反対なカップルがこの先うまくやっていけるのかと先が思いやられた。
しかし、1ヶ月も引きこもっていたレジナルドが外に出るようになったのはいいことだ。暗い部屋でうじうじしていたところで結果は変わらないのだから、元気よく遊んでくれた方が健康的と言える。
「視察そっちのけになってしまいすまない……あそこは前に行ったことがあるから同じ説明を聞くのは意味ないと思いつい……」
ようやくキャロラインたちに気付いたレジナルドがずぶぬれの状態でこちらに戻って来た。さすがに少しバツが悪そうにしている。まるで大人に叱られるのを恐れる子供のようだ。
「いいえ、ゆっくり見て回れたのでよかったです。レジナルド様も久しぶりに外に出て体を動かせてリフレッシュできたでしょう。今までで一番いい笑顔をしてますよ」
てっきり苦言を呈されるかと思いきや、あっさりとした態度のキャロラインを見て、レジナルドは反射的に身構えた。
「べっ、別に遊んでたわけじゃ……工場の外の環境を視察していただけだ……」
「遊んでいたとしてもいいですよ。これからも積極的に外へ出た方がいいと思います。まさかレジナルド様だとは誰も気付かないでしょうから、親戚の子供ということにしてあちこち見て回ったらどうですか? 今までと違った景色が見えるかもしれませんよ?」
予想外のキャロラインの反応に、レジナルドは(セバスチャンが余計な口添えをしたのか?)と一瞬考えたが、敢えて尋ねることはしなかった。
「着替えて昼食を食べた後は、書類仕事が溜まってますからそれを片付けましょう。私とジーナも手伝いますので。遊び時間は終わりですよ」
ふと油断してしまったレジナルドに、キャロラインの無慈悲な一言が突き刺さった。レジナルドは悪ガキの顔に戻り「分かったよ」と口をとがらせながら答えた。
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