第5話 甘ったれ夫を調教します
「理不尽な目に遭って怒りたいのはこっちよ! なのにあの態度は何なの!」
風呂から上がった後、ジーナに髪を梳いてもらいながら、キャロラインは部屋の外に聞こえるのも気にせず声を上げた。もっとも、セバスチャンが気を利かせてレジナルドとは離れた部屋にしてくれたので聞かれる心配はなかったが。普通の夫婦のように同じ寝室で寝る前提は最初からないことを、語らずとも誰もがわきまえていた。
「遠路はるばるこんな僻地に来てやったというのになんて仕打ちよ? 寄ってたかってバカにして!」
「どうせここから出て行くんだろうとおっしゃってましたね。まあ普通はそうですよね。正式な夫婦にはなれませんし。婚姻を白紙にするだけの正当な理由と思われます」
「あちらから出ていけと言われたようなものだから、いなくなっても構わないわ。どうせうまく行きっこないし。さっさと出て行きましょう!」
「いえ、私はここに留まるべきと考えます」
眼帯を押さえた格好でジーナがうやうやしく言った。キャロラインは、はっとして鏡越しにジーナを見つめる。
「にわかには信じがたい話ですが、執事の言う通りキャロライン様を排除したいのならもっとましな嘘をつくと思います」
「それはそうだけど、だからと言ってここに残っても——」
「それに、この館には何か大きな謎が隠されているように思えてならないのです」
「な、謎!? この館に?」
キャロラインは思わず身を正してジーナの方に振り返った。
「はい。だって執事の名前がセバスチャンですよ!? 執事と言えばセバスチャンじゃないですか? 本に出てくる執事はなぜかみんな同じ名前なんです! 最初はそれが執事という意味なのかとすら思いました! セバスチャンのいる家には何かあるに違いありません! それに彼自身なかなかのイケオジ……」
「はいはい、分かったから元の話に戻りましょう」
キャロラインは頭を抱えながらジーナを止めた。全く、この女執事は、仕事は優秀なのになぜポンコツなところがあるのだろう。
「すいません、いつもの悪い癖が出て……話を元に戻しますと、確かにレジナルド様は、とんでもないへそ曲がりで性格も最悪で唯一の取り柄である顔も今は意味がありません。しかし、出て行ったら『それ見たことか、お前もよくいる薄情な貴族に過ぎないじゃないか』と言われるのが関の山です。それに、ここを出て行ったところでキャロライン様にはすでに居場所がございません。数日かけて王都に戻るのも……となるど、どうします?」
ジーナに正論で詰められたら、キャロラインも選択の余地がないことを認めざるを得ない。負けを認めたようにため息をつきながら答えた。
「そうね、他にないわね、ここに残るしか」
「とは言え、これで終わりではありません。むしろ始まりなのです。キャロライン様がやられ放しのわけがないでしょう?」
「私が?」
「ええ、甘ったれ坊ちゃんを粛正してやればいいのです」
ジーナの提案に、キャロラインは不敵な笑みを浮かべた。そうだ、自分はこの家の女主人になったのだ。居場所がなければ、自分から作ってやればいい。戦いは始まったばかりだ。
**********
旅の疲れが完全に取れたわけではなかったが、日頃の習慣で朝の決まった時間に目が覚めてしまった。もう少し寝ていたかったが、初日から寝坊するのも外聞が悪い気がして、キャロラインはもぞもぞとベッドから這い出た。
朝の支度を整えてから食堂室へと向かう。レジナルドはまだ起きてこないようだ。使用人に聞くと、いつも朝は遅くて昼近くに姿を現すと聞き、真面目に早起きした自分が馬鹿らしく思えた。
セバスチャンは、キャロラインが家を出て行かなかったのを見ると安心したようで、主人に代わり何度も謝って来た。朝食が終わってから、セバスチャンに屋敷の中を案内してもらった。昨日は来たばかりで分からなかったが、実家よりも立派で歴史の古い建物だ。セバスチャンは、安堵感からかつい饒舌になって建物の意匠を得意げに説明した。
これだけの邸宅にレジナルド一人しか住んでいないというのが不思議に思える。こんなに広ければ、いくら折り合いが悪い母親でも顔を合わせずに同居するのはそう難しくないだろうに。今日から女主人となった自分がこの屋敷を無事に治めることができるのか少し不安になって来た。
「奥様なら大丈夫ですよ。レジナルド様がこれまで付き合ってきた女性とは違うタイプのようですし」
セバスチャンはそう言ってから、ついうっかり口を滑らせたと言うように手で口を押さえた。
「あの……昨日はあんなことになってしまいましたが、レジナルド様は予想もしない不幸に見舞われて少し自暴自棄になっているところがあります。ああ見えて、本当は根が優しいお方なのです。信じられないかも知れませんが……」
「いいえ、信じますよ」
「そ、そうですか!」
キャロラインの返事に、セバスチャンはぱっと顔を輝かせた。
「使用人が主人を評価する言葉に嘘偽りはないと思っています。あなたがそう言うんなら、レジナルド様は確かにいいお方なんでしょうね。私もここを出て行くつもりはありませんから心配しないで。ただし、言いたいことは言わせてもらいますけど」
「ええ、ええ、どうぞ遠慮なくおっしゃってください。我々にも、レジナルド様にも」
執事からもお許しを得たので、キャロラインは昼過ぎに居間でレジナルドに会っても、何ら臆することなく挨拶をした。むしろレジナルドの方が、キャロラインを見てどぎまぎした表情を浮かべ「お、おう……」と返事をしたきりだった。一人がけのソファに座っているが、身体が小さいので随分座席が余っている。
「午前中にセバスチャンから屋敷の説明を受けました。歴史的価値が高い建物なんですね。こんな美術品みたいな立派な家の女主人になれるなんて誇らしいわ」
レジナルドはキャロラインをじっと見つめた。
「ここから出て行かなくていいのか?」
「私はあなたの正式な妻になったんですよ? ここに住むのが自然じゃないですか。なにか不都合でも?」
何事もなかったかのように答えるキャロラインに、レジナルドはたじたじとなった。
「いや、別に……そうか、金か。確かに不自由はせずに済むからな」
ぼそっと呟いた一言をキャロラインが聞き逃すわけがない。彼女はつかつかとレジナルドのところに歩み寄ると、ソファのひじ掛けに両手をついて、上から覆いかぶさるように見下ろし、彼を逃げられない状態にした。
「昨日から黙って聞いていましたがもう我慢できません。一体私が何をしたと言うんですか? 向こうの都合で勝手に婚約破棄され、追い出されるように新しい嫁ぎ先に来てみれば、金目当てだと侮辱されるし。確かにあなたも可哀そうな身の上かもしれませんが、私だって負けず劣らず可哀そうなんですよ! でも私はあなたみたいに誰かに八つ当たりしませんでした!」
キャロラインに行く手を阻まれ逃げ場のなくなったレジナルドは、白い顔で黙っているしかなかった。
「あなたこの1ヶ月間何してました? 元の姿に戻るための努力をしましたか? セバスチャンに聞いたところでは、部屋から出ずに引きこもっていたと言うじゃありませんか! おまけに誰にも相談した形跡がないし。そのくせ文句だけは言うんですか。本当によくできた坊ちゃんですね!」
「ぼ、坊ちゃんだと……」
レジナルドは思わずかっとなって口走ったが、キャロラインの勢いに押されまた黙ってしまった。
「ええ、坊ちゃんですとも。自分のことは何一つできないくせに口だけは立つんですから。悔しかったら現状を嘆いてばかりいないで、自分から行動したらどうですか? こんなこと会って間もない人間に言われてプライドが傷ついたでしょう? だったら立ち上がりなさいよ、この意気地なし!」
「うるさーい! 黙れ!」
とうとうレジナルドも声を上げて反論した。見下ろされているのがよほど悔しいのか、下からキャロラインをぐっと睨みつけた。
「そこまで言うならやってやろうじゃないか! その代わりお前も手伝えよ。ここまで言うんだからな。俺の妻なんだろう?」
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