第3話 私のご主人様はどこ!?

「どうしてヘンリー殿下が直々にお見送りに……? というか、デレク殿下はどうしたんです?」


キャロラインの結婚話は余りにもとんとん拍子に進んだ。一ヶ月もしないうちに話がまとまり、外堀を埋められる形で準備が進められ、辺境伯の領地に旅立つ日があっという間にやって来た。家族と使用人の他に、何と王太子のヘンリー自らが見送りにやって来たのは流石に驚いた。


「デレクは新しい恋人のハンナだっけ? にすっかり入れ込んで今日はそっちに行ってる。どこまでもバカな愚弟ですまない。代わりに僕が見送りに来た。レジナルドを紹介した手前もあるしね。彼によろしく言っておいて。しばらく顔を見ないから元気でやってるか心配なんだ」


デレクの野郎……とキャロラインは心の中で拳を震わせたが、淑女のたしなみで表には出さずに置いた。どこまで行ってもデレクには呆れ果てる。あんな奴と結婚せずに済んで却ってよかったかもしれない。


不甲斐ないと言えば父のウェッジ伯爵もそうだ。娘が婚約破棄されたと知ってショックを受けたのは最初だけ、そのうち手切れ金が高額だったことに顔をほころばせ、新しい嫁ぎ先からも持参金は必要ないと言われ、こんな条件のいい婚姻はないと喜ぶ有様だった。それを見たキャロラインはこんな家一日も早く出て行ってやるという気持ちを新たにした。


「私が出て行ったら、領地経営の仕事は誰に任せますの?」


「ああ、甥のアレンがいるだろう。彼がこの家を継ぐことになるから任せようかな」


キャロラインはそれ以上何も聞かなかった。自分が出て行った後のことなどどうでもいい。ただ嫁ぎ先にまで迷惑をかけて欲しくない。


「随分遠方なので一緒に着いて行くことはできないが、そのうちミランダと一緒に会いに行くよ。それまで元気にしてて」


「キャロラインがいなくなったら寂しくなるわ。故郷が恋しくなったらいつでも会いに来てね」


ウェッジ伯爵の横ではふわふわのピンクのドレスに身を包んだミランダが、レースのハンカチをひらひらさせながら別れの言葉を送った。ウェッジ家の後妻として入って来たミランダは、30歳そこそこだが小柄なため、実際の年齢よりも幼く見える。もっともキャロラインに言わせれば、頭の中も幼児並みと言えた。


「皆さま、私のためにご足労いただきありがとうございます。ヘンリー殿下までわざわざお越しくださり、何とお礼を申していいか分かりません。あちらに着いたら手紙を書きます。それではごきげんよう」


キャロラインが別れの挨拶を終えると、馬車は静かに動き出した。辺境伯の領地まではここから馬車で2日かかるという。辺境と言うだけあって王都から余りにも離れていることに、キャロラインはげっそりした。煩わしい家族から解放されるのは嬉しいが、そこまで行かないといけないのかという思いだった。彼らはさわやかな笑顔でキャロラインの馬車に手を振っていたが、彼女の方は早く角を曲がって彼らが見えなくなって欲しいと願っていた。


幸い天気は良く、馬車は順調に進んだ。途中宿に一泊してまた馬車に乗り、休憩を取りつつまた進み、を繰り返した。


「キャロライン様、ここまで遠方なら伯爵様もミランダ様もそう簡単に来られないと思いますよ」


王都から離れだんだん寂しい風景になっていくのに不安を覚えたが、ジーナの励ましの言葉に少し救われる思いがした。レジナルドなる人物がどういう者なのか全く分からないが、「よかった探し」をするなら筆頭に挙げられることがそれだった。


馬車はいくつかの町を抜けてようやく辺境伯の領地に入った。屋敷まであともう少しだ。キャロラインは痛くなったお尻をずらして体が楽になるようにしながら、気を引き締め直した。流石に疲れを隠せないとは思うが、初対面の人間相手に変なところは見せられない。


昼過ぎになり、遠くに立派な建物が見えて来た。今までに目にした建物より大きく豪華な作りだ。あれがアンダーソン邸に違いない。キャロラインは窓のカーテンを開けて景色がよく見えるようにした。辺境伯という言葉の響きからそれほど期待してなかったが、ここ一帯ではなかなか見ない規模の邸宅だ。国境を守る任務を担っているので、頑丈な作りになっているようだ。


アンダーソン邸の敷地に入り邸宅に到着すると、使用人たちがずらりと並びキャロラインたちを出迎えた。


「遠路はるばるようこそおいでくださいました。長旅でお疲れのところを失礼します。わたくし、アンダーソン家執事のセバスチャンと申します。どうかよろしくお願いします」


口ひげにモノクルといういかにも執事といういで立ちのセバスチャンは50代くらい、髪には白いものが交り、声は低く心地よく響き、落ち着いた物腰の紳士だった。続いて家政婦長、メイド長が出て来て丁重な挨拶をした。今日は疲れているのでまずは部屋に向かいましょうという話になった時、キャロラインは何か変だということに気が付いた。


「主人のレジナルド様はいないの?」


ここにいなくてはならない一番重要な人物が欠けている。なぜ未だに自分の夫が出てこないのか? キャロラインも気付くのが遅かったが、余りにスムーズに事が進むため危うくスルーしてしまうところだった。


「あの……それが……」


セバスチャンは、先ほどまでのジェントルさをあっさり捨て、目を泳がせ適当な答えを探し始めた。何かおかしい。キャロラインが警戒心を強めて身をこわばらせた時、視界の隅に少年の影を認めた。少年は腕組みをした状態で、階段の手すりに寄りかかって立っていた。


親戚の子供だろうか? レジナルドは一人暮らしと聞いていたが? 少年に目を向けると、相手はぷいと目を逸らした。年は10歳くらい、色素の薄いプラチナブロンドに緑色の目をした少年は、子供ながら顔立ちが整っており、大人になればそれなりの美男子になりそうな素材を持っていた。


しかし、眉間にしわを寄せしかめ面をしていたのでせっかくの素材が台無しだ。着ている服も上等なので高い身分のはずだ。これだとますます彼の立ち位置が分からない。


キャロラインは少年に目を逸らされたので再び使用人たちに向き合ったが、今度は少年の方がこちらをジロジロ見ていることに気が付いた。それなら目を逸らさなければいいのに。彼女は面倒に思いながらまた少年の方に目を向けた。するとまた逸らされる。しばらくその繰り返しになり、しびれを切らしたキャロラインはとうとう声を上げた。


「あの、階段のところに座っている少年を紹介してくれません? どうやらきちんとしたお家の方らしいし」


しかし、セバスチャンはこんな簡単な質問にも答えられないようだった。だんだんキャロラインは苛立ちを隠せなくなった。いくら何でも女主人に対して無礼すぎではないだろうか。勝手に婚約破棄されたと思ったら王都を追い出され辺境伯に嫁がされる、こんなに理不尽極まりない扱いでも今まで何一つ文句を言わなかったが、旅の疲れも相まってここに来てとうとう堪忍袋の緒が切れてしまった。


「いい加減にしなさいよ! みんな私のことを馬鹿にして! レジナルド・アンダーソンはどこにいるの!? コソコソしないで出てきなさい!」


「レジナルドは俺だ!」


突然少年が叫び声を上げた。キャロラインはえっと驚いて少年を見つめた。緑色の目は怒りに満ちこちらを睨んでいる。一体どういう訳なのか全く分からない。キャロラインは、助けを求めるようにセバスチャンを見たが、セバスチャンは背を丸めて縮こまるだけだった。


「何言ってるの、大人をからかうのはよしなさい。あなたは黙っていて」


「嘘じゃない。信じられないのは仕方ないかもしれないが——」


「この家はどうなっているの? やっとの思いで到着したと思ったらこんなおもてなしを受けるなんて。レジナルド様は誰もが羨む社交界の華で、どこに出しても見劣りしないと聞いていたけどすっかり騙されたわね。これ以上馬鹿にするのなら出て行きます!」


キャロラインはそう言って踵を返そうとしたが、セバスチャンがたまらずに消え入りそうな声を上げた。


「いえ、奥様。その方が我が主人、レジナルド・アンダーソン様でございます。1ヶ月前から今のお姿になってしまわれたのです、信じられないでしょうが……」


キャロラインはえっと声を出して少年を二度見した。この生意気そうな少年がレジナルド!? 苦労の末到着した辺境伯の館で受けたおもてなしは、とんでもないものだった。

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