本編続編────第22話 父と娘
「では、いきますよ」
エリアスの一言に、長椅子に寝そべったキャンディが緊張の面持ちで頷く。
マネキンは、ソファにくったりと座らせてあった。
「憑依自体は痛くも痒くもありません。力を抜いて」
「は、はい」
「
エリアスが唱える。
キャンディの身体と、憑依する先のマネキンが、同じ光で包まれる。
キャンディの目がとろんと閉じて、マネキンがキャンディになった。
一瞬のうちに、生きている人間になったのだ。
服装も、本体と同じだ。
レフは思わずキャンディの本体に駆け寄る。よかった、眠っているだけだ。
「成功ですね。ゆっくり、動いてみてください。酔っているような感覚は、ありませんか?」
エリアスの問いに、身体のあちこちを確かめるように動いてみるキャンディ。
「……大丈夫、みたいです」
ほっとしたようにエリアスは笑う。
「上出来です」
そしてヘルンに声をかけた。
「ヘルン様」
「おっけ。では、コラン。エリアス。頼むわね」
「ああ」
「行って参ります」
最後にキャンディの近くによって、優しく肩を抱き寄せた。
「……しっかりね。あなたの命はあなたのものよ」
これから死地に送り出す人間が言う言葉ではないかもしれないが。関わった人間には、幸せになってほしいとヘルンは思う。
全てを救うことは、どうやったってできないけれど。
「ありがとうございます。いただいたチャンスを、無駄にはしません」
キャンディは頷いた。
幕を引くのだ。自分の手で。
コランとエリアス、そしてキャンディが沼地の外に降り立った時、すぐにその視線を感じた。
ずっとこちらを伺っていたのだろうか。
渓谷を挟んだ帝国側から、ひときわ大きな鴉が飛翔するのが見えた。
コランたちから少し遅れて、兵士たちと魔道士団も姿を現す。
少し遠巻きに待機するよう、指示をしてある。
鴉はまっすぐに空を飛び、近づくとともに、その大きさがよくわかる。
大ぶりのワシのような鴉が、キャンディたちの前に、ばさりと舞い降りた。
「おお、キャンディ。我が娘よ。無事だったか」
芝居がかった口調で、大鴉が言う。
帝国側は、
キャンディの前にかばうように立つコランとエリアスをひきとめて、キャンディは自ら鴉の前に歩を進めた。
「お父様。ご連絡すること叶わず、ご心配をおかけしました。今回の事は、誤解です。中央国メソン及びコラン殿下には私の勝手でご迷惑をおかけしたにもかかわらず、道中に起こった事故からも助けていただきました。感謝こそすれ、責める理由はひとつもありません」
「そうか、そうか」
大鴉は本当に聞いているのか、ずいぶんおざなりに相槌をうつ。
「何、お前がまたこうやって私の前に出てきてくれて嬉しいよ」
猫撫で声が気持ち悪いと、キャンディは思った。
「また、帝国のために役立ってくれるのだろう?」
どうして自分は、この人に親の情を期待などしたのだろうか。
いざ相対してみれば、これまでの自分が滑稽ですらあった。
滑稽で、そして、いじらしい。
いま、自分は立つのだ。やっと、自分の足で。
キャンディは背筋を伸ばし、まっすぐに大鴉の目を見据えた。が、黒々とした目はいったいどこを見ているのか、気味が悪いぐらいにわからない。
きっと、キャンディの姿など眼中にはないのだ。昔から、ずっと。
「……お父様。私は、あなたと違う道を生きます」
痛いくらいの沈黙が流れた。
時間にしては数分だろうか。
しかし目の前の存在から放たれる
息の仕方を忘れそうになり、キャンディは唾を飲み込んだ。
「そうか。それは残念だ。まぁ、なんだ。お前の好きにしろ」
吐き捨てるでもなく、淡々と。
別れの言葉があるだけマシか。
興味を失った鴉が、羽を広げて飛翔した。
空高く旋回し、帝国領に戻るのかと思われたが、くるりと方向を変えて、速度をあげた。
キャンディを狙って、急降下する。
「────!」
キャンディは動かない。
エリアスが結界をはるそぶりをみせたが、それよりも鴉の方が早い。
コランが鴉から魔力を吸い取ろうと、手を翳した。
「誰にも望まれない哀れな子よ。せめて最期は私の手で屠ってやる。戦の火種となり誇らしく燃えてくれ」
この一瞬では、奪える魔力にも限界があった。
鴉は少しは失速したように見えたが、大したダメージを受けたようには見えなかった。
────ガッ
鴉の嘴が、キャンディの白い喉を突き刺した。
崩れ落ちるキャンディ。
コランがかけより、その身をひきよせる。
「何を────!」
その横でエリアスがサッとローブを脱ぎ、キャンディにかけた。
人形に戻った姿をみられたら、ヘルンの計画が台無しになる。
すでにキャンディからは興味を失ったというふうに、娘の骸を一瞥もせず皇帝は言う。
「我が娘キャンディは、中央国領で死んだのだよ。儂の目の前でな」
品のない笑い声が、大地に渓谷にこだまして大きく響く。
ひとしきり笑ったあと、ひとつ息を吐いて、鴉は言った。
「貴様らを始末すれば、それが真実となる」
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