第20話 月虹

「首尾は?」


 広間の外で、執事長に問う、カーラ。


「滞りなく」


「引き続き、頼むわね。私は少し、用があるから」


 ひととおり、挨拶にはまわった。


 しばらくは、料理とお酒と、おしゃべりを楽しんでもらおう。

 来客の世話を両親と家人に任せ、カーラは目立たぬように、そっと広間を後にした。


 




 約束の場所。 


 雲ひとつない夜、月の光が心地良い。


 もう少ししたら、彼がここにやってくる。


 ロナルドが、うまく算段をつけてくれた。


 すぐ近くの低木のうしろに、石像がある。

 レフが、念のため側で守ってくれていた。


 プラシノにも、事情を話して来てもらった。

 さっき、低木のあたりがキラキラと光っていたから、そのあたりにいるのだろう。

 

「緊張、する……」


 何から、話せば良いのだろう。


 心臓が、口から飛び出そうだ。


 衆人環視の中、婚約破棄を言い渡された時だって、こんなに緊張しなかった。


 ああ、こんな格好でよかったのだろうか。


 張り切りすぎだと思われるのも恥ずかしくて、落ち着いた草色のドレスにした。

 装飾も、控えめだ。


 王都には、もっと、華やかな令嬢がたくさんいらっしゃるわよね────。


 彼にとって、自分はただの幼馴染。


 幼馴染だったと、聞かされているだけの存在。


 護衛もなしにこんなところに呼び出して、何のつもりだと叱責されてもおかしくはなかった。


「こんばんは」


 久しぶりに聞く彼の声は、記憶の中のそれよりも、大人の青年のもので……。


(当たり前、なのだけれど。ドキドキする)


 夜で、よかった。赤くなった顔を、見られるのは恥ずかしい。

 ついさっきまで心地よかった月明かりが、いまは少しだけ隠れていてほしいと、勝手なことを願う。


 気持ちを必死で落ち着かせ、振り返って、礼をする。


「ご機嫌麗しゅう。コラン殿下。こんなところまで御足労いただき、恐縮でございます」


「お招き、ありがとう。顔を、上げてくれるかい?」


 月明かりの下、金色に輝く髪が風に揺れる。


 空色の瞳が驚いたように見開いたあと、ふわりと優しい色を帯びて、カーラを見つめ返した。


 あの頃はカーラよりも少しだけ高かった彼の目線は、ずいぶん高くなっていた。

 

 十年ぶりに見る彼の姿は、まるで別人のようで。


 でも、その優しい笑顔は、彼の面影を残していた。


「堅苦しい言葉遣いはしなくて良いよ。私と君は、幼馴染だったのだろう?」


「はい」


「ここには、ふたりしかいない」


「ですが」


「誰も、聞いていないよ」


 その声は優しすぎて、勘違いをしてしまいそうだ。

 自分を戒めるようにひとつ咳払いをして、カーラは口を開く。

 

「では……。兄から、どのくらいお聞きかしら」


 コランは少しの逡巡のあと、ゆっくりと話し出す。


「記憶を、取り戻したいか、と。問われたよ」


「はい」


「成功する保証は、ない。試す覚悟が、あるかと」


 ふぅ────。長いため息の後、困ったように笑う。


「ごめんね。私は最初、迷ったんだ。この十年、私は不自由なく生きてきた。記憶が抜け落ちていようがね。腹は減るし、食事は美味しい。生活に必要な知識は無くしていない。これから学ぶ事はたくさんあるし、仕事も山積みだ。夜になれば眠りに落ちる。朝になればまた1日が始まる。────自分の声で、誰かに言葉を届けることもできる」


 カーラは、静かに聞いている。


 まっすぐに、コランの目を見据えて。


「この声と引き換えに自分の記憶を捨ててきた私が、やれ方法が見つかったからと都合よく記憶を取り戻して良いのか、────君のもとに戻って良いのか、迷ったよ」


 うまく言えないけれど、と言った後で、カーラに頭を下げた。


「やめてください、軽々しくそんな……いけません」


「私の気が、すまないんだ。自分のことばかりで、残された君の気持ちまで、思いやれなかった。情けない」


 ゆっくりと顔を上げて、カーラを見据える。


 優しいけれど、強い視線がカーラをとらえて離さない。


「でも、さっきね。月明かりに浮かぶ君の姿を見たときに、そんな迷いは吹き飛んでいた」


 少年のように頬を染めて、照れたように笑う。


 ころころと変わる彼の表情に、カーラも目が離せなかった。


「きっと私は、今夜、君に一目惚れをしたのだろうね」


「!」


 頭の芯が痺れて、耳まで熱くなる。


 カーラは必死で、平静を装っていた。


 そんなカーラの動揺と沈黙を、コランは困惑と受け取ったようだった。


「何を今更と、思われても仕方ない。でも君の事なら、何だって思い出したい」


「もったいない……お言葉です」


「昔の君が、昔の僕に、どんなふうに笑いかけてくれたのか。思い出したい。この十年の君を知れないことが、残念でならないよ」


「殿下……。私は、私の気持ちをお伝えしたことはありません。でも、ずっと、お慕いしておりました。それに気づいたのは、大人になってからでしたが────」


 ずっと、言いたかった。何度も考えたこと。


「もっと早く私の気持ちを伝えていたら、あなたはひとりで森に行くこともなかったのかと」


 カーラの声も、肩も、震えている。


 震える肩に触れても良いものか。

 おずおずと伸ばしたコランの手が、宙を迷う。


(まだるっこしいわね、この王子! ガッといきなさいよ、ガッと!)


(おい狐、あんまり顔出すと気づかれっぞ……)


(うるさい)


(お前、俺にだけ人格違うよな……)


(気のせいよ)


 何か言おうと口を開いたコランを遮り、「でも!」とカーラは続ける。


「でも、あの後、私には、大切な存在ができたのです」


 コランの顔が、引き締まる。


 こんな仕打ちをした相手だ。ずっと戻らぬ男を待っていてくれる事などないと、わかっていた。


「レフ」


 カーラに名を呼ばれ、レフは颯爽と走り寄る。


 思った展開と違う話の流れだったのだろう。コランの表情がゆるむ。


(カーラったら。また無自覚でしょうけど、王子さまは完全にフラれる覚悟をしていたわよ……)


 レフはカーラに対しては野暮な口出しはしない主義なので、黙ってカーラに寄り添った。


(可愛い可愛いカーラを、十年も待たせたのだ。少しくらい振り回されたら良いのだ、このポンコツ王子は)


 そっちが本音だった。


「殿下がひとりで街に帰ってしまったあと、私は瀕死のこの子を助けて」


 カーラはレフを抱き上げる。

 レフはこれ見よがしに、カーラの頰にキスをした。


「それからずっと、レフが私のそばにいてくれました」


 カーラも、レフの頭に頬擦りをしてかえす。


「だから、私は寂しくなかった。レフも、森に入って……詳細は、兄からお聞きでしょうか」


 コランがレフの方を見て、頷く。


「ああ。君も言葉を賜ったと。その時に、森の精霊に、私の記憶の戻し方を教えてもらったんだよね」


「そうよ」


 初めて、レフが答えた。

 多少ぶっきらぼうになったけれど、仕方ない。

 レフは人ではないので、人のしきたりには縛られないのだ。


「さっき、私は寂しくなかったと、いいました。でも、悲しかった」


 レフは、カーラの頬を伝う涙を、ぺろりと舐めた。

 しょっぱい。

 そして、カーラを泣かせる憎き王子を、キッと睨んだ。


「あなたが一人で決めて、一人で行ってしまったことが」


 カーラは、コランに歩み寄り、その手を取った。


「過去には戻れません。でも、記憶が戻ったら、私の問いに答えてください。どうして、一人で行ってしまったのか」


 コランが息を飲む。


「ああ。なんでもする」


(カーラの涙を止められるのは、あんただけなんだから、しっかりしなさいよ!)


 言葉にはせず、レフは目線でコランに念を送った。

 コランの目には、カーラしか映っていないけれど。

 それで良いのだ。


(がんばったわ! カーラ)


 カーラは、ずっと抱えていた自分の願いを、コランに伝える。


「記憶を取り戻した上で、十年前の私の悲しみを全部、受け止めてください!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る