第16話 届かない声

 本気を出したカーラが、彼に追いつくのは容易だった。

 

 でも、遅かった。


 森で会った彼は、別人のように、よそよそしくなっていた。


 カーラをみて、「きみは誰?」と、言ったのだ。


 すべてが、悪ふざけかと思った。

 でも、そんな意地の悪いふざけかたをする彼ではなかったのだ。


 理由は、教えてもらえなかった。


 すがりつくように問いつめるカーラを、困ったように、どこか疑うように、心揺れながら見下ろす彼の視線に、カーラのほうが耐えられなかった。


 彼は、屋敷に戻ると言った。

 自分の帰るべき場所は、覚えていたようだ。

 

「君は、どうする?」


 カーラを知らないと言った口で、一緒に街へ戻ろうかと優しく問う。


 あぁ、記憶がなかろうと優しい彼は彼だ。


 何度となく、夢の中で聞いた声。

 本当に聞いたら、こんな声だったのだな……。


「まだ、用事があるから」


 森に残る。

 そう言うのが精一杯だった。


 用事なんて、なかった。


 一緒に街に帰るまでの間、涙を堪え切れる自信がなかったのだ。


「っ……っく」


 落ちた涙が、砂に染みる。


 行ってしまった。


 やはり彼だけど、彼じゃない。

 昨日までの彼だったら、カーラをひとり置いて行ったりはしなかった。


「行かないで……っ」


 声と引き換えに、彼は記憶を失ったのだろうか。


 それが、彼の望みだったのだろうか。


 どのくらい、泣いたのか。


「頭、いたい……」


 暗くなる前に、かえらなきゃ。

 家人に、心配をかけてしまう。


 しっかりしろ。早く帰らないと……。


 ────ガサッ


 獣の気配。血の匂い。


 油断した────


 咄嗟に、飛び退って、構える。


「お嬢ちゃん、助けてくれ!」


 精霊だった。

 あちこちに、獣の血がついている。


 そのせいで、この匂いか────。


「死にそうなんだ、俺たちの魔法が効かなくて」


 状況が把握できなかったけど、自分の力が役立つなら使う。

 幼くてもそれが、スマラグドス家の人間だ。


 精霊を追ってたどりついた場所には、血溜まりがあった。

 血溜まりの真ん中にいたのが、レフだった。


 レフのまわりには、どろどろとした黒いオーラが渦巻いていた。

 呪いか、あるいは死者の妄執のようだった。


 カーラは、何が正解か分からないまま、レフに回復魔法と解呪魔法をかけて、回復薬を与えた。


 精霊たちも、必死でカーラのサポートをした。


 どろどろが消え、容体が落ち着いても、レフは目を覚さなかった。

 精霊に請われ、カーラはレフをそのまま屋敷に連れ帰った。


 レフのためでは、なかった。


 自分が悲しみに溺れないように、守るべき存在が欲しかった。


 間もなく彼は、カーラに何も伝えないまま、王都に戻った。

 そのすぐ後、他国に留学をすると人づてに聞いた。

 

 それきり、だ。


 カーラの大事な人は、いまも、この世界で生きている。


 兄からも、彼の近況は聞いていた。


 でも、カーラが大好きだった彼は、まっすぐにカーラに笑ってくれる愛しい人は、もういない。


 あの日、突然、目の前からいなくなってしまったのだ。

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