第15話 昔話

「カーラ。大丈夫?」


「ええ。取り乱して、ごめんなさい」


「10年前の事、聞いても良いかしら?」


「いいわ。あなたにも話すべきね。レフは、どんな事を覚えている?」


「傷だらけで、死にそうな時に、カーラが助けてくれた。それだけ」


「あの日、私は────」



          ※



 出会ったのは、ロナルド十歳、カーラ八歳の年。

 彼の齢は、十一歳だった。


 カーラと出会った時、すでに彼は、言葉を持たなかった。


 音は聞こえていた。

 大きな音には驚いていたし、小鳥たちのさえずりには、にこにこと耳を傾けていた。


 彼は、王族だった。


 この国を導く存在になる、はずだった。


 ある日、幼い彼は他国の刺客に呪いをかけられたらしい。

 命はとりとめたものの、彼は言葉を失った。


 民への言葉を伝える術を持たない彼は、唯一の王子にも関わらず、継承権第二位に甘んじていた。


 いつしか王都の人々の目から隠されるように、スマラグドス領にある王族の別荘で暮らすことになった。


 彼は、友達だった。


 カーラやロナルドとともに野山をかけ、川で遊び、ともにいたずらをして、ともに怒られた。


 カーラは、彼が好きだった。


 彼の金色の髪も、空色の目も。

 優しい眼差しも、好きだった。


 兄への好きとは、違っていたのだと、思う。

 きっと、幼い初恋だったのだ。


 ずっと、一緒にいると思っていたのに。


 カーラにとって、彼が話せないことは重要ではなかった。

 はじめて会った時から、それが彼だったから。


 だから、本人は周りが思うよりずっと悩んでいることに、子供のカーラは気づけなかった。


 それは、スマラグドス領に住まう人間なら、皆知っている御伽噺だった。

 風の精霊の魔石を使えば、獣だって話せるようになる。

 

 ならば、人間だって────。

 いつしか、彼がそう思うのも無理はなかった。


 穏やかな日々は続き、カーラは十歳になっていた。


 今日は遊べない。


 あの日。

 老齢の執事は、言った。


「坊ちゃまはお風邪でして、本日は皆さまとは遊べないとお伝えするよう、申しつかっております」


「そう。仕方ないわね。じゃあまた治ったら遊んでねと、伝えてくださる?」


「承知いたしました」


 しかし、王都からやってきたばかりの執事は知らなかった。


 目の前の小さなレディが、とんでもない魔力を秘めた魔法の使い手で、二階の部屋に忍び込むなど朝飯まえにやってのける、はねっかえり娘だということを。


 そしてカーラは、その魔力の恩恵なのか、風邪などひいたことがない。

 山に遊びに行けないなら、彼の部屋へ遊びに行くまで。


 当然のように軽々と二階までジャンプして、バルコニーに降りたつ。

 

「あれ?」


 いつもはカーラが入れるように開けられている鍵が、今日は閉まっていた。


 こんなこと、はじめてだ。


「ねぇ、いないの?」


 声をかけても、ガラスを控えめにたたいても、返事はない。


 しかし、ここで諦めるカーラではない。

 

 髪飾りの宝石を支えている針金を抜いて、棒のように伸ばす。

 窓枠の隙間からそれを差し込み、中の鍵を跳ね上げて解錠した。

 

「おじゃましまぁす」


 誰も、いない。


 部屋を見渡す。


 いつもは、もっと片づいているのに。

 今日は、机の上に、本や地図が広げたままだ。


 机に近づくにつれ、嫌な予感がした。


「精霊の魔石の伝承の本、北の森の地図、魔物との戦いかたの本…………」


 彼は、森の奥へ行ってしまったのだ。

 たぶん、たったひとりで。


 いつも森で平気で遊べるのは、カーラが一緒にいるからだ。

 魔力の強い人間がいるといないでは、危険度が全く変わってくる。

 彼も、そのことは知っているはずなのに。


 何故、何故────。


 カーラは窓からそっと飛び出して、彼の後を追った。

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