第9話 別れ道

 草木をかき分けしばらく行くと、小さな泉に行き当たった。


 泉のほとりには、ペグの実がなっていた。


 琥珀狐は、迷わずここに案内してくれた。

 ここは、動物たちのオアシスなのかもしれない、とケイトは思った。


 ペグの実は、甘くて酸っぱくて、絞るとジュースにもなる。

 故郷にも、似た味の果物があったので、ケイトは食べるたびに、ふるさとを思い出すのだ。


 ケイトは、ペグの実が大好きだった。


「やった! 食べ頃だよ!」


 良く熟した実を選んで、手で皮を剥き、二つに分ける。

 大ぶりの葉っぱをお皿にして、琥珀狐の前に置いた。


「いただきます!」


 クゥン!





 一人と一匹で十も食べると、もうお腹はいっぱいだ。

 

「そういえば、自己紹介をしていなかったね。私の名前はケイト。よろしくね」


 琥珀狐が、不思議そうに首をかしげる。


「ねぇ、あなたの、お名前は?」


 答えは期待せず、軽い気持ちで言った言葉だったが、琥珀狐はケイトの想像を超えた反応をした。


 そそくさと茂みに入っていったかと思うと、小枝を口に咥えて、持ってくる。

 そして、ケイトの前に置く。


 何度かそれを繰り返していくうちに、ケイトのくりくりとした目が、驚きの色を持って、大きく見開かれた。


 不規則に置かれたと思っていた小枝が、文字をつづっていたのだ。


 ケイトは、確信した。

 この琥珀狐は、言葉だけでなく、文字を理解していると。


 この国は、識字率はさほど、高くない。

 貴族や商売人を除くと、読み書きを満足にできない大人だっているのだ。


 なのに、一匹の獣が、自分の名前を文字で教えようとしている────。


「レフというのね。きみは、神様の使いなの?」


 レフは、首を傾げたあと、小さな頭を横に振った。


「そう…………。じゃあ、もしかして、公爵さまの…………?」


 街で働くケイトのところにも、「狐のお嬢様」が来た事があった。

 あの時は、お嬢様と、お付きの侍女だけだったけれど。

 はじめての飲食店を訪れる時は、動物入店可能かわからないので、琥珀狐は連れてこないように配慮していると言っていた。


 優しい人だった。

 ただの街娘のケイトにも。

 気さくで、偉いのに、偉ぶらなくて。


(そうか、あの人の…………)


「ねぇ、今日はなぜひとりなの? はぐれちゃったの?」


 もしそうなら、今頃あの人が探しているのではないか。

 矢継ぎ早に問う、ケイト。


 レフは、首を横に振るだけだ。

 名前以外の文字は、わからないのかもしれないし、少ない文字を並べるだけでは、説明が難しいのかもしれなかった。


「お嬢様は、きみが森にいる事は、知っているの?」


 今度もゆっくりと、首を横に振った。


「きっと、心配しているよ。山菜をとりにきて、迷子になった私が言うのも、なんだけどさ。街へ、一緒に帰ろう?」


 クゥン、と鳴く。

 困ったような音に聞こえるのは、何故だろう。


 ケイトは何故だか、不安になった。

 仲良くなれたと思った友達に、一線をひかれたような気持ちになる。


 その予感は、当たっていた。


 レフはおもむろに、自分の尻尾をくわえて…………。


 ブチッ!


 尻尾の毛を、むしり取った。


「きゃ! 何をしているの?」


 慌てふためく、ケイト。


 思わず駆け寄って確かめるけれど、怪我はなかった。

 少し毛の少なくなった尻尾を、そっと撫でる。


「自分の体は、大事にしないといけないよ」


 レフは口に咥えた毛束を、ケイトの前にそっと置いた。

 そして、左の前足で、毛束を勢いよく叩いた。


 ぶわっ!


 金色の毛が、ケイトの前に、舞い散った。


 金色は光になって、ケイトの体じゅうを、包む。


 視界が、ぼやける。


 体のまわりを暖かい風が吹いて、どんどん強くなった。


 眩しくて、風に押されて、目を開けていられない。


  

          ※



 ────またあとでね。さようなら。


 懐かしい人の、声がした。


 でもきっと、気のせいだ。


 あの人は、ここにいるはずかないのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る