第5話 レフの決意

 ────こつん


 レフの前足にぶつかった小石が、転がった。

 見上げた先には、深い森。

 その最奥に、一際大きい木が生えている。

 

 ────あそこに、精霊の里がある。


 琥珀狐として森で育った記憶が、レフには無い。

 レフにあるのは、幼いカーラに助けられた日からの記憶だけ。


 しかし、レフの中に眠る獣の本能は覚えていた。

 あの木の下に、たくさんの魔力がある事を。


 もし、里に辿り着けたら。


 この地に伝わる、御伽噺のように。

 精霊の魔石を手に入れた魔獣が、その主人と言葉を交わすようになったという。

 

 もしかしたら、レフだって、カーラと話せるようになるかもしれない。

 いや、そうしないといけない、そんな気がするのだ。


 転生してから、徐々に意識は今世の体と馴染んできた。

 冷静な大人の自分が溶けて薄まり、迷子の子供のような、もどかしい焦りのような気持ちが首をもたげてくる。


(なぜレフは、不安に思うのだろう)


 前世の自分が、そう問うてくる。

 しかし、レフ自身にもわからない。


(ねぇ、あなたは────私は、何を怖がっているのかしら?)


 レフは、10年前、カーラと森で出会った。


 その日、レフは傷だらけで、もうこのまま死ぬのだと思っていた。

 視界に入るのは地面と、虫と、植物と、精霊たち…………そして、流れ出た自らの血の色だった。


 どうして、そこまでの深傷を負ったのかは、覚えていない。

 本来、気まぐれなはずの精霊たちが、その時はレフのために回復魔法をかけようとしてくれたけれど、うまくいかなかった。


 目を開けている力も無くなりそうな時に、精霊が誰かを連れてきた。


 それが、カーラだった。


 カーラは、レフに向かって、必死で何かを叫んでいた。

 温かい手の感触に、安心した。

 レフは、そのままカーラの腕の中で意識を失い、一の月の間、目を覚さなかったらしい。


 それからは、カーラとずっと一緒だった。

 記憶を辿っても、平和な日々を、過ごしてきたと思う。


 しかし、不安は澱のように心に沈んで、拭えなかったのだ。

 

 カーラと出会う前の記憶に、大事な事が眠っているのではないか。


 靄がかかったような、記憶の底の、何か。


 いまはまだ、思い出せないけれど。


 いまの自分に出来るのは、カーラやシーミオと意思の疎通ができるようになること。


 何かが起きた時、レフがカーラを守れるように、レフ自身に力をつけること。


 レフは、そう結論づけたのだ。

 

(行ってやろうじゃないの!)


 カーラのためなら、どんな一歩も怖くはなかった。



          ※



「レフ?」


 朝から、姿が見当たらない。

 お散歩に出ても、昼には戻ってくるのがいつものことなのに。

 昼が過ぎても顔を見せに戻らないなんて、初めてのことだ。

 過保護かもしれないと思いながらも、嫌な予感が拭えない。


「どこに行ったのかしら」


 屋敷の中も、庭も、物置まで探したが、姿が見えない。

 心当たりの場所を調べ尽くし、カーラは庭の東屋の椅子に座り込んだ。


 元は野生の、琥珀狐だ。

 街で人間と暮らしている方が、異常なのだ。

 自分は心配しすぎかもしれない、とカーラは思う。


(少し、遠出しているのかしら)


 もしかしたら、仲間のところに会いに行っているのかもしれない。

 カーラはレフの家族だと思っているけれど、琥珀狐の生態には分からない部分も多い。


 レフがカーラのことをどう思っているのか。

 家族だと思っているのは、自分だけではないのか。

 そんなことはないと、思いたいだけではないのか。


 よぎる不安を、自分を鼓舞する事で払拭する。


「大事なのは、私がどうしたいか、よ」


 カーラは立ち上がる。

 家族がいなくなったら、どうするかなんて決まっている。


「探しにいくわ。私はレフに会いたい」

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