審判の日

@peipei0726

審判の日

これまで多くの人々を怒らせてきた神だったが、中でもとりわけ皆を怒らせたのは宇宙の創造だったという意見は大方一致している。これのどこがもっとも悪質だったのかといえば、作ったのはほんの気まぐれで、ろくな理由もないままに宇宙を創造したからだった。そんなわけだから、運悪く宇宙に誕生してしまった生命は、自分がどういった理由で生きているのか何がなんだかさっぱり分からず、というより理由なんてそもそもなく、その結果、たいていの生命が不幸せのうちに死んでいった。ある一派の主張によると「逆に理由があってはつまらない」というような呆れかえる意見もあるが、そもそも「理由があってはつまらない」と言っている人は理由がないのでやっぱり不幸せだった。このような連中が生まれるのは文明末期のイカれた種族に多く見られる事はよく知られている。

この宇宙の法則。神がなぜ宇宙をこれほどふざけた設定にしたのか、それはそもそも宇宙の創造に目的がなかったからという理由に他ならないが、これをある哲学書ではこう表現している。

「もしも車が“人を乗せて走る”という目的がなく作られたらどうなるのか?ハンドルは天井にぶら下がり、ボディは裏表が逆になっていて、前輪は後輪に付き、座席は人が座るというよりもビーチバレーに適した形になっていて、さらには…(以下略)。このように、もはや車とは言えないヘンテコな何か、つまりこれが宇宙である」※しかしこの哲学書に記された“ヘンテコな何か”は、とある惑星の文明においてはもっともその星の環境に適した車の特徴と完全に一致していたために、たいへんな批判を受けた。現在では修正が加えられ、“…よりももっとヘンテコな何か”を付け加える事によってこの批判を回避している。

なぜ神はこんなにも呆れかえるほど無能なのか、子供でさえ理由があって泣くのに、なぜ神は理由もなく宇宙を作り、しかも宇宙を“車とはいえないヘンテコな何か、よりももっとヘンテコな何か”にしてしまったのか。なんとなく時間は光と関係があるような意地悪な設定にし、円周率はいたずらに気の遠くなるような長さに決め、雲丹とイクラは大人になると美味しくなるようにして、さらには雲丹とイクラは大人になっても気軽に食べれないような高級品にして、それを気軽に食べる金持ちを作ったのか。どんなに腹を立てたところで、そういうものだと納得するしかしようがない。

しかし、地球といわれる惑星にほんの一瞬だけ星の表面に張り付いていた人類といわれる凡庸な種族は、天文学的な運の悪さで文明がわずかに栄えたその一瞬の間に“審判の日”を迎えてしまったために、神に対する怒りが宇宙の創造よりも審判の日がほんの僅かに上回った。いったいどうすれば宇宙の創造を上回るほどの愚行を成せるのか、一部に存在した神の熱狂的ファン(狂信者)を除いて誰もが呆れかえったのだった。


いつものように工場に向かって自転車を漕いでいたひとりの平凡な男は、けして楽しくもない仕事場に向かって、なぜ自分の意思でペダルを漕いでいるのだろうと、いつものように考えていた。男は自転車を漕ぐよりも湖畔に大きな折りたたみ椅子を持っていって、のんびりビールを飲みながら釣りをする方がどちらかといえば好きだった。しかしその為にはお金と休暇が必要で、お金と休暇をもらうには工場に出勤しなくてはならず、そのために自転車を漕いでいるのだという事は分かっていたが、自転車を漕いでいると横目に映る、働きもせずに川辺でのんびり釣りに勤しむ老人たちを見ていると、どうもペダルを漕いでいる自分の足には別の理由があるように思えるのだった。

ちょうどその頃、ペダルを漕いでいる事を除くといたって平凡な男性とは遠く離れたある家で、メイドがほうきを片手に螺旋階段を全速力で駆け上っていた。メイドは螺旋階段を全速力で駆け上がりながら、なぜ自分が螺旋階段を全速力で駆け上がっているのか、それは考えるまでもなかった。でくのぼうのご主人様が情けない悲鳴をあげてメイドを呼び、何をやらかしたのかはまだ分からないが、どうせまたろくでもない事をやらかしたに決まっているので、前もって大いに腹を立てて階段を駆け上がっているのだった。ドアを蹴り開けるなり開口一番、

「なんでいっつもそうやらかしてばかりなんですか!いい加減にしてください!」

部屋には一人、哀れな老人が震えながら床にしゃがみ込んでいる。

「そんなに怒らんでくれ。だって、まだ何が起きたか知らんだろうに。わしがお前を呼んだのは、まあその、例えば、おねしょをせずに起きられたとか、そういう嬉しい場合もあろうて」

「おねしょをしなかったんですか?」

「いや、したけれどもその話じゃなくて、まあその…」

「良いニュースなんでしょうね!」

「あの…、その…」

「何をやったんですか?」

「物置きを倒してしもうた」

「なんですって!」

メイドはベッドの黄色いシミは部屋に入った時から気付いていたし、物置が倒れているのにも気が付いていた。というか、床一面にガラクタが散乱していたので気が付かない方がおかしかった。しかし、そこはあえて気が付かないふりをして聞いた方がほんの少しばかりの爽快が得られるような気がして、また一方でその爽快がいかに不利益であるかも気がついていたが、どういうわけだかわざわざ言わずにはいられなかった。これは不条理である。その問いひとつで哀れな老人の心がずさんに傷付けられる量よりも、メイドの快感の方がどう考えても圧倒的に少ないなのは明白だからだ。老人は傷付いた。

「なんですって!」

老人はもう一度傷付いた。

「わしだって頑張っとるんじゃ…。お前に迷惑をかけんようにと、頑張ってご飯を食べて、ひとりで寝床から起きて、おねしょもしないように気をつけて。迷惑をかけんように、わしだって頑張っとるんじゃ…」

ご飯を取り上げられた犬のように、今にも泣き出しそうなしわくちゃ顔はプルプルと震えている。

「いつもそうやって可哀想なのは自分なんだと言い出しますけど、私だって色々と我慢しているんです。私がいないとあなたは何もできないから、休暇だってとれやしない。ほんとうは週に一度の休日で、お洒落して、友達と一緒に買い物にも行きたいし、ケーキ屋さんにも行きたかった。でもあなたがいるから休めないし、ずっと我慢して、気がついたらもうこの歳で…」

メイドの目からは涙が溢れ、いつの間にか頬に刻みつけられたシワに沿ってポタポタと床に流れ落ちた。老人はメイドが急に泣きはじめたのはどういう訳だろうと考えたがよく分からなかった。

「ああ、私の人生なんてなかったんだわ。空っぽな私!ショートケーキだって食べた事ない。イチゴが乗っかった、白くて甘い、三角形のやつ!」

どうやらメイドが泣き出したのは白くて甘い三角形が関係しているらしいと老人は考えたが、どう考えてもそれは泣くほど重要ではないから、やっぱりどうして泣くのかは分からないと考えた。

「私の人生なんて添え物でしかないのよ。しかもなんでよりによって、あなたみたいなボンクラの添え物なの?あなたはいつも私をコキに使って。神様じゃないんだから」

「いや、わしは神様なんじゃが…」

「違う!あんたは自分を神様だと信じ込んでるキチガイよ!」

老人にはやはりメイドの考えは難解で理解ができなかった。自分を神様だと思い込んでいるから自分は神様なのであり、それは郵便配達員もワイン愛好家もキジバトも同じではないのだろうか。メイドはどういうわけでそれをキチガイだと言っているのか、どうやら自分よりも遥かに知能が優れているに違いないと老人はひとり頷いた。

「お前の言う通りかもしれん。でもわしは自分を神様だと思っておるし、その考えは自分ではどうしようもないんじゃ。それに仕事もある。神様としていろんな宇宙を創造して…」

「仕事?いま仕事って言いました?仕事っていうのはね、何かのためになる事を言うんです。あなたのやっている事と言えば、ただ無意味にダイヤルを回して遊んでいるだけ。何の意味もない、ただの趣味よ」

「これは趣味じゃないんじゃ。仕事なんじゃ」

「お黙り!」

もう一度「仕事なんじゃ」と言おうとしたが、喉仏に引っかかって、音になる前に消えていった。老人はみじめに喉をポリポリとかく。

「それと…あの…」

もうひとつ、老人にはメイドにお願いしなくてはいけない事があった。それはおねしょよりも大切で、何がなんでも絶対にやらなくてはいけなかった。ただしひとつ問題なのは、それに何の意味もないという事だ。

「もうひとつお願いが。わしの仕事について。…いや趣味についてなんじゃが」

氷のようなメイドの視線に貫かれ、あわてて言い直す。

「物置きを倒した拍子に、ダイヤルをいつくか回してしもうた。元通りにしたいんじゃが…」

老人が指差す先に、ランチボックスにダイヤルがいくつも付いたような機械が転がっていた。それはランチボックスに食事を入れるという目的がなく作られたような代物で、どこをどうすれば中を開けられるのかも分からない。しかも長辺は3キロメートルもあるので、ランチボックスと言うにはあまりにデカすぎた。つまりランチボックスとは言えない何かだった。ランチボックスではない何かに付いている無数のダイヤルのうち、あるひとつには“重力”と書かれた付箋が貼っていて、その隣りのダイヤルには同じように付箋で“物価”と書かれてあった。次に“戦争”と“頻度”のダイヤルは隣に並んである。“円周率”のダイヤルはずらずらと無数に並んでいて、1億個目のダイヤルには“もっと長く”。1兆個目には“まだいける”。500京個目には“税金対策のため”と書かれてあった。

「はあ」

メイドはため息ではなく明確に「はあ」と言った。

「なんで私が」

「一生のお願いじゃ。なんでもするから」

「何にもできないくせに?」

「うぅ…」

老人は小さくなった。ほら、自分はこんなに申し訳ないと思ってますよ、可哀想ですよ、と見えるくらいに精一杯に小さくなった。

「くだらない」

効果がなかったようなので、今度は、ほら、自分はこんなに精神的に参っていて、自己嫌悪によってこれ以上攻撃されないように自己防衛してますよ、と分かるように更に小さくなった。

「わかったわ」

メイドも負けじと、私は心底ムカついていて、あなたがそうやってわざとらしく自己嫌悪を見せつけるのも嫌いだし、それでも仕方なくやってあげてるんですよ、とわかるように呟いた。

「適当にやっときますから、何もしないでじっとしていてください。お願いだから」


奇跡的に運が悪く審判の日に生きていた平凡な男は、いつも通りに仕事をしながら、ぼんやりと今日はどこかおかしいと考えていた。ボルトを回す方向が、いつもは右回りなのに左回りに変わったのはどういうわけだろう。そもそもなぜ右回りが当たり前なんだっけ?しばらく手を止めて考えてみたが、ボルトの回す方向なんてどうでもいいし、右回りのボルトが一般的だというのが自分の勘違いだったような気もしてきて、深くは考えないようにした。世界がおかしいわけがない。多分俺がおかしいんだ。

それにしても、電信柱にとまってピーピー鳴いているのがキジバトじゃなくてティーポットなのはどういうわけだ?始業前にタバコ部屋で雑談した相手が、上司じゃなくて観葉植物だったのはいつもの光景だっけ?どうして俺はプカプカ浮いているんだろう?時間がくるりとUターンをして過去に進んでいるし、どうして過去に進んでいると分かるのかもわからないな。

この日から宇宙はヒッチャカメッチャカになった。以前の物理方程式はどれも通用しなくなり、また新しい設定に対応した方程式を見つけなくてはならなくなった。ニュートンもアインシュタインも、1日にして過去の遺物になった。

元々ふざけた設定だった宇宙に人々は頑張って順応し、ぐずぐず文句を垂れながらもせっかく慣れてきた今日この頃。多くの人がこれが普通だと思いはじめたのにも関わらず、再び宇宙は物置きを倒したようにひっくり返った。審判の日が宇宙の創造以上に多くの人を憤慨させたのは無理もない。

平凡な男はこの日の仕事を終え、ぷかぷか漂いながら帰宅した。帰り道に見た光景は、これまでの世界と比較すれば呆れるくらいにふざけたものだったのと同時に、これからの未来においては普通の光景だった。

川を渡る時、銀行の電話受付係の群れが上空を通り過ぎ、決まった文句を繰り返し叫びながら遠ざかっていった。夕陽は青色で、何度か出たり引っ込んだりしてカメラマンをからかっていた。公園にいたスーツ姿の男性はおもむろに財布からお札を取り出して、こんなものはただの紙切れだと言ってビリビリ破りだし、左隣にいたスーツ姿の男性は、それについては元々そうだったと必死に止めていた。2日後に分かった事だが、円周率はなんど計算しても6ぴったりだった。

何もかも最悪だと男は思った。神様はまた余計な事をしてくれたと思った。よかった事といえば二つ、ひとつは帰り道に寄ったスーパーで、生雲丹が駄菓子並みに安かった事。もうひとつは、生まれてはじめてぼんやりとした幸福を感じた事だった。人生を覆っていたモヤモヤした霧が晴れ、くっきりとした生きる目的があったような気がした。それははじめて味わう素晴らしい気分だった。これからは朝起きて歯を磨く時、なぜ自分は生きているのかと疑問を抱く必要はない。自転車を漕ぐ自分の足に向かって、なんで漕いでいるのかと聞く必要もない。何をするにも、その先には生きる目的があり、やるべき事は明確なのだ。ただし、その目的がとんでもなくつまらなく、どうやらイチゴの乗った洋菓子に関するものらしいというのは置いておいて。

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