第149話 想い想われ(2)


 夜まで居座られるのが目に見えているので家に上げたくなかったから下に降りたのだが、ほたるはそれはそれでよかったらしい。お腹が空いたからどっか行きたい、と子供みたく騒ぎ出したので、仕方なしにつき合うことにした。


「あーくんはお昼何がいい? ……ていうか、その山盛りの荷物なに?」


「コインランドリーに持ってく服」


「えー今から? ごはんの後じゃだめ?」


「いいけど……それより何か話があったからうちに来たんじゃないんですか?」


「従姉弟が家に集まってすることなんかひとつしかないでしょ。桃鉄九十九年だよ!!」


「その常識、僕は知らないですね」


 二歩後ろをこつこつと鳴らしていたヒールが、ぴたりと止んだ。


 怪訝に思って振り返れば、ほたるがこっちをじとっと半目で見ている。それから、鼻先がふれそうなほど近くまでぐいっと迫ってきた。


「にらめっこ?」


「違ーう! あーくんさぁ彼女できたでしょ。私の目はごまかせないからね!」


「何で知ってんの?」


「ずっとにやけてるから」


「??」


「わー引っかかった!」


 慌てて口許を手で隠すとほたるがクリスマスプレゼントを貰った子供みたいに嬉しそうに飛び跳ねるので、碧は目を眇めてくるりと踵を返す。


「さーてコインランドリーはっと」


「待って待ってごめんね!? るかちーから聞いたから嘘だーって思って鎌かけてみたんだけど、やっぱほんとなんだ」


「あのお喋りめ……」


 次会った時に詰めてやろうと考えていると、逆にほたるに詰められる。


「前訊いた時はいないって言ってたのに。やっぱりこの間あーくんの家に来てたすごく可愛い子? あのひとってどんな子なの?」


「はいはい七十デシベル」


「扱いが雑っ!」


 碧は普段くるみというお淑やかで大人しい子と会話することがほとんどなので、こういうかしましい生き物と対峙すると参ってしまう。


 すんと表情を失くして黙秘権を行使していると、うつむいたほたるがむぎーっと耳まで真っ赤にして——感情を爆発させることはなく、抑えたまま、ずびびと洟をすすった。


「こうなったら自棄だから! わたし唐辛子たんたん本舗の鬼辛で野菜ましましがいい!」


「僕そんなお腹空いてないんだけど……」


 そんな細いお腹のどこに野菜ましましを格納しようというのか。


「いいからほら! 女は! 男は!」


「新しいことわざ生み出すのやめてください」


 ぐいぐい強引に腕を引っぱってくるので、すっかり諦めた碧は、それを振り解いて自分の足で歩くことにした。


 ほたるは華麗な見た目に反して辛い物が好きで、それにつきあわされると大抵ろくなことにならないのだが、学校の人にくっつかれてるところや、あるいは泣いてる彼女を放って帰るシーンだけを切り抜いて見られでもしたら、まぁ面倒なことになる。


 結局、駅前に行ってほたるの希望する店ののれんを潜り、券売機で看板メニューらしい野菜たんたんの中辛を購入することに。


 カウンターの空いてる席に並んで座ると、若い店員が近づいてきた。


「お冷とおしぼりですー……ってあれ、秋矢くん?」


「ん?」


 あろうことか、店員は同じクラスメイトの女子だった。


 彼女の姿を見るにつけ、ほたるがいて今ばかりは助かったな、と思う。


 謎の告白をかましてきた相手と二人きりなんて、対人関係の構築に自信がある碧でも正直さけたいくらいには気まずいシーンだ。


「凪咲さんじゃないですか。なにしてんの?」


「いや見てのとおりバイトだからね!? そんな秋矢くんこそ……」


 茫然と言葉を失ったのは、隣につくほたるを見たからだ。


「あの『嘘でしょ?』みたいな目で見るの止めませんか?」


「いや……だって。えー。えー?」


 空気を読んでか読まずか、ほたるも暢気に会話に交ざる。


「うちらは親戚だよー。このひと私の従弟だから。店員さんはあーくんの友達?」


「あっそう……ですよね? びっくりしたぁ」


 すんなり信じてもらえたのは、碧が日頃から学校でくるみに首ったけなのを隠せてない実績があるからと、血縁だけあってどこか風采が似ているからだろう。とくに子供時代の自分は女の子によく間違えるくらいで、ほたると並べばよく姉妹のようだと言われていた。


「確かに、目許のしゅっとしたかんじとか似てるかも?」


 ちろちろと見比べてから、凪咲はうんと唸る。


「……まさか高嶺の花を撃ち落としておいて浮気かと」


「生涯くるみさん以外を好きになる予定はありません」


 きっぱり断言しておくと、凪咲はそういう回答が来るのが分かっていたかのように口角を上げた。


「だよねー。君なら男前なこと言ってくれると思ってた」


「彼女がとんでもなくいい女なんだから、自分もいい男にならないとでしょ」


 静かに笑って返すと、今度はほたるが目をまん丸くさせながら戦慄する。


「えええっ誰!? どちらさま!?」


「僕だけど」


「そうじゃなくて! あーくんのそんな甘々な表情かお、初めて見た……」


「彼女さんのこと思い出したんでしょ? 学校じゃ彼女さんと話してる時いつもこんなかんじですよ」


 凪咲が呆れ気味に言い、ほたるがぴえんぴえんと泣き出す。


「うわああーん! 今後も私とルカちーとあーくんで永遠に仲よしトリオしてたかったのに!! もうデート気分とかいって連れ回すことも出来ないんだあ……」


「はーいご注文のお品お待ちどうでーす」


「あっ私の鬼辛来た! おいしそー!」


 泣き虫になったり腹ぺこになったり情緒がころころ忙しいほたるを見て、凪咲が呆れモードを継続させつつこっちに耳打ちしてくる。


「いとこさんさ、大学生かなって思って敬語にしてたけど……まさか年下?」


「ごめん。こいつすごい子供なの。永遠の七歳。多めに見てあげて」


 聞こえていたらしいほたるは煮玉子を掴んだ箸を突き出して抗議してきた。


「ひょっと待って。十足りへないよ!」


「十二ね。成人済みのお姉さんは口を空にしてから喋ろうね」


 ほたるは言われたとおり黙々と丼を平らげていく。


 喋ると子供だが黙れば美人なので、今の碧を見る人が見ればまるで両手に花だ。


 事実、近くの大学生くらいのお兄さん達が、気になって仕方ないみたいに、ちらちらこっちを見てくる。


 ——うん、僕ももし近くの客だったら見ると思う。


 つまりさっさと帰りたいが本音だった。


「けどほんと、彼女さん限定だけど秋矢くん……つきあい始めてからすごく表情柔らかくなったよね。自信もたっぷりになったし。それもくるみちゃん、のためなの?」


 なのに凪咲がまた会話を振ってきて、それが急ごうとしていた碧の箸を止めさせる。


 考えたこともなかった。


 くるみと会話している時の自分の表情なんて見たことないしな、とすこし首を捻ってから、しかしこれだけは確実に言えることをしっかり答えた。


「別にくるみさんのためじゃないけど。ただ、自信云々はまあ、そのほうがくるみさんが余計なこと言われずに済むんじゃないかなっていう僕の勝手な気持ちなだけだよ」


「なんていうか……そーいうことさらっと言っちゃうのがもうね」


 凪咲はそっとため息を吐く。


「思ったんだけど、秋矢くんって結構かっこいいし、帰国子女でいろんな国の言葉話せるんでしょ。ならその数だけ、私たちよりずっといろんな出会いがあったと思うんだけど」


 どうしてその人達じゃ駄目だったのか、と問われているんだろう。


「……恋愛対象って話なら、人並みには広いと思うよ。公正な目で、可愛いなって思える人は確かにいっぱいいて、けど……それはあくまで僕からしたら平等っていうか。もう唯一を見つけた以上、他の人に選ばれてもしかたがないっていうか」


 正直、その唯一と出会う前のことが思い出せないくらいだ。


「僕にはくるみさんしか居ないし、くるみさんじゃなきゃ駄目だから」


「うん……見事に溺愛だね。聞いたのは私だけどさぁ。なんかもう、ごちそうさまです」


「いいでしょー。私のじまんの従弟なんだ!」


 ほたるがにっこり笑って返すと同時に、彼女のスマホがメロディを鳴らした。


「あっごめん友達から電話! スープものみ干すから下げないでねー!」


「いや塩分……」


 なんてくるみ仕込みの健康論で突っこむ暇もなく、慌ただしく席を外すほたる。


 とたんに碧と、カウンターを挟んで皿洗いをしている凪咲だけが残される。


 さっきまでほたるが居てくれてよかったと思えたのは、こうして二人きりになると、次にそうなった時に白黒つけようと決めていた話——否応なくあの時のことを掘り返さなきゃいけなくなるからだった。


 そう、衝撃の〈私とつき合わない?〉宣言だ。


「凪咲さんさ」


「うん?」


「別に今までどおり……ってほど話したことあるわけじゃないけど、気は遣わなくていいですよね?」


 遠回しに念のために確認をすると、あっけらかんとした答えが返ってくる。


「いいよーぜんぜん。けど振った相手にそれ言わせるって秋矢くん鬼だねー」


「だって凪咲さん、あの時のってぜんぜん本気じゃなかったでしょ」


 虚を衝かれたように目をぱちくりさせるあたり、多分当たってるのだろう。


 なので、そう思った根拠を碧は述べる。


「口調が嘘っぽかったし、僕が本気にしないこと分かってた。目線はずっと僕じゃない男子にむかってた。……あれ自体なんかの駆け引きの小道具でしょ?」


「うわ。鋭いね。秋矢くんって何者なんだ?」


 やっぱり正解だったらしい。


 言い当てられた凪咲は、キッチンの店長に「私もう上がりなんで賄いおねがいしまーす」と伝えると、ぐるっと回ってカウンターの隣に座った。


 心做しか今までより砕けた語調で、理由を赤裸々に語り始める。


「実は……わたし同じクラスに彼氏いてさ。実はあんときばりばり喧嘩中で、別れ話まで出てたんだよね。だからあいつの目の前で憂さ晴らし……っていうか後悔させたくてつい」


 それから謎の一人芝居を始める凪咲。


「ねえ秋矢くん私とつき合わない? いや急だなちょっと考えさせてよ! えーぜんぜん待つよ♡ みたいな会話期待してたのに……秒で振られてだっさすぎだし私!!」


「なんかごめん……」


「いやこっちの台詞! 夏休み前にちょっと話して、あー実はいいひとだなーとは思ってたからさ。しかもあのとき皆が集まってて注目されてたし、冗談でも彼氏が少しは焦ってくれるかなーって期待してたんだよね。もうほんっとごめんね! 迷惑かけたよね」


「うーん。まあ迷惑はかかったけど」


「そこは否定しないんだ!?」


「あの時は僕も彼女いなかったし、いいんじゃないかな。今は同じことされたらすごく困るけどさ」


 正直あまり理解はできないが、彼氏を好きだからこそもう一度見てほしかったから、ああいう行動をとったのだろう。何があったか知らない以上、彼女の有り様を尊重して下手に口出しするのは止めた。


 世の中にはいろんな考えの人がいて然るべきだ。


「さすがにしないって。他人様の彼女に嫌な思いさせるほど根性捻じ曲がってないのよ私も。まあ私に彼氏いなくて、君にも彼女がいない世界線ならありよりのありだったけど」


「え……うん、聞かなかったことにしておくね」


 なんかさらっと、とんでもないこと言われた気がする。


 困惑し尽くす碧に、凪咲は笑った。


「もしもの話だよ。私もさすがに他人の恋路をおじゃましたくはないし、好きで言えば今の彼氏だしさ。けど秋矢くんは気をつけたほうがいいよ。知ってる? 最近すでに女子の間でうわさされるのが多いってこと」


「すでにじゃなく前からの間違いじゃない?」


「そうじゃなくてねー……こう、人気急上昇ってな意味で。なんかいいよねって言ってるんだよ。私の友達とかも、秋矢くんのこと」


「誰かに好かれようが嫌われようが、くるみさんが僕の彼女なのにかわりはないけど」


 と言うと、凪咲はなぜだか、は痒そうな目でこちらを見た。


「いやー……そういうとこなんだよね。君が彼女さんを可愛がって大事にすればするほど女子の株があがるっていうか。秋矢くんとつき合うとあんなに大事にしてもらえるんだーって宣伝して回ってるようなものだし……」


 言いたいことは何となく察した。


 しかし、そんなことを言われても困るのは碧だ。


 大事にするのは相手がくるみだからだし、知らない女の子にはさすがに困っていたら手を差し伸べるくらいはするけど、余計な優しさを振り撒いたりはしない。


「要するにさ、くるみちゃんがいる以上は表立って告白してきたりはないだろうけど……私が言いたいのは、君らはお互い隙見せちゃ駄目だからね? ってことだよ」


 丼を持ってきて箸を構える凪咲に、碧は水のグラスを置いて答える。


「心配はありがたいけどさ、そういう話なら、言われなくても僕らの間に隙なんかないってことは、お互いに惚れあってるの見てて分かるでしょ?」


「うわ油断したの私のほうだった。このひと隙あらばじまんしてくる!!」


「じゃなくてただの事実だって」


「はーこれだから。……くるみちゃんたいへんだろうなぁ」


 と、最後に小さくつけ加えられた呟きの意味は理解できなかったが、くるみが碧を大好きだということはきっと彼氏の立場じゃなくとも、誰が見ても分かるものだ。


 言葉と仕草と表情ぜんぶに目一杯に滲み出てて、謙遜する方が却って毒だろう。


 それと同じくらい、いやそれ以上に碧もくるみを心底好きでいて、自分のほうは愛する彼女様にだけ伝わればいいんだけどな、と静かに嘆息した。


「……けど、愛されてるって断言できるっていいね」


 凪咲は尊いものを見るように瞳を細めた。


 叶った恋の裏で、叶わずに破れたものや理想どおりにいかないものがあることを、碧は改めて知る運びとなった。

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