第146話 くるみの誕生日(2)

「そろそろいいかな」


 お喋りしながら和気あいあいと料理を取りわけ、皆がそれなりに満腹に近づいてきた頃合いで、碧が土日にいろいろと計画したとっておきを出すことにした。


 くるみとつばめが話に花を咲かせている間に、碧は湊斗に目配せをしてからキッチンへ引っこむ。とはいえカウンターからは丸見えなので、自分の体で隠すように壁づけのワークトップで箱から皿をすべり出させ、最後の最後に失敗しないように慎重にやるべきことを済ませてから、再度湊斗にグッドサインを送った。


 傍で見ていたつばめも合図で察してくれたのか、テーブルをささっと片づけ、湊斗が照明を落とし、碧がケーキのろうそくに火を灯してから運んでいく。


「え? ……あ」


 ふっと辺りが宵闇に包まれたことを怪訝そうにしていたくるみが、目の前にやってきた〈バースデーの象徴〉を捉えた瞬間、思わずといった風情で小さく口を開けた。


 説明なんか不要だろう。ろうが垂れないうちにと、十七本——歳の数だけある柔らかな火を前に、来場者の手拍子が始まる。

 

 ♪はっぴばーすでー とぅーゆー

  はっぴばーすでー とぅーゆー

  はっぴばーすでー でぃあ くるみーん!!

  はっぴばーすでー とぅーゆー

 

 みんなで短い祝福の唄を合唱し終わると同時に、拍手が巻き起こる。


 ちなみにくるみん呼びに統一しているのは、事前に行った打ち合わせの結果で、つばめによる発案である。湊斗はちょっと恥ずかしがってた。


 小さな炎が放つオレンジの揺らめきを映して潤んだように見えるくるみの瞳に、碧は小さく頷くことで、この先の儀式を促した。


「私が……いいの?」


「お誕生日の人の特権だからね」


 くるみは辿々しく、そっと息を吹きかけ——しかしなでるような優しい吐息では火は残ったままなので、追加でもう二度ほどふーっとしたところで、辺りは再び暗闇に閉ざされ、同時に湊斗が明かりを点けた。


 苺の甘く爽やかな香りと、ろうそくが消えた後の独特の匂い。


 テーブルの真ん中にあるのは、歳の数のカラフルなパステルカラーが砂山の棒崩しのようにたくさん突き刺さった、ちょっとだけ不恰好なショートケーキ。


 おめでとう、と改めてのお祝いと再びの拍手が響くなかで、くるみは涙ぐんでいた。


 しかし誰も驚くことはなく、そして何も言うこともなく、ただただ優しく見守る。


 ハンカチで目尻に溜まった雫を拭い、うつむいた。


「こんな……私、こういうお祝いの仕方されたの本当に久しぶりで……すごく嬉しくて」


「んーん! お祝いできたうちらが嬉しいんだよ、くるみん」


 ——そうなんだよな。


 と沁みるように碧は思った。


 以前、くるみはあんまり誰かから贈り物を貰ったりはしないと言っていた。それはきっと誕生日やクリスマスに友達と遊んだりすることもなくて、彼女の家の事情や語ってくれた話と照らしあわせると、多分それは当たっていて。


『心の底からはしゃいで童心に返れるような……』


 あのとき上枝はそう言った。


 裏を返せばそれは、今までそういった振る舞いができなかったということ。


 皆の求める理想であろうとがんばり続けて、完璧すぎるあまり対等な友達関係を築くこともきっとなかなか出来なくて。


 今こうして人数は少ないけど高校の同級生のうちでお祝いできていることに、くるみがどんな心境でいるかを考えると、碧も心の底から、ただ嬉しかった。


「よかったね。くるみ」


「……うん!」


 それから嬉し涙の雨も止ませたくるみは、テーブルの上に視線を戻す。


「ところで碧くん、このケーキってもしかして?」


「うん、僕が焼いたんだよ」


 もちろんバレンタインに焼いてくれたキルシュトルテのように、お店に並んでそうなレベルまではいかなかったけど。


 うちは立派なオーブンが備えつけであるし、妹が生まれてからほんの何年かだけど家族四人が暮らしていた時の名残でキッチン道具はそれなりに揃っている、それでもさすがにふるいやケーキクーラーはなかったので、湊斗から借りた。


 帰り道、上枝が尋ねてきたマイバッグに詰めてたのはそいつらだ。


「湊斗に教えてもらったんだ。見た目はちょっと不恰好だけど味の保証は……あるよな?」


「ん。俺も修行中だけど、教えたとおりなら味はばっちりだから心配いらない。それよりこいつ結構がんばってたから、一言でも感想言ってあげると喜ぶと思うよ」


「えーやばか。ケーキ焼ける系男子ってポイント高い! よかったねくるみん!」


「うん……あの……碧くん、ありがとう」


 そわそわと、しかしながら喜びを隠しきれないきらきらした表情でお礼を言うので、可愛いなと思いつつ、碧も素直にそれを享受した。


「どういたしまして。つばめさんは湊斗のこと誉めてやってな」


「湊斗やるねー!」


「まあこれでも喫茶のバイト歴は長いからな。実家のただの手伝いだけど」


「じゃあこれは僕が切り分けておくから、その間にふたりはプレゼントでも渡したら?」


 とナイフを手にすると、くるみが残念かつものすごく惜しそうな目で見てきた。


 切ってしまうのが勿体ないのだろうが、写真は撮ってあるし来年や再来年の誕生日にも——なんならこの先の人生何度だってまた焼けばいい話だけど、それをくるみに告げればきっと照れさせてしまうので、今は黙っておくことに。


 それに碧の提案もあって、つばめ達はすっかりプレゼント渡しタイムになっている。こんなところでいちゃつく訳にはいかない。


「はいこれ、私たちからのプレゼント! 今開けてみて!」


「ありがとう……つばめちゃん」


 包装された箱を渡されたくるみは、そのリボンの裾を慎重に引っぱる。


 やがて現れたのは、つばめからは女子高生が憧れるであろうハイブランドのリップで、くるみの白い肌にあいそうな淡いローズピンク系。湊斗からは、彼女がやや甘党だという情報を碧が事前に与えていたので、これまたデパートで売っているようなお菓子の詰め合わせ。日持ちしそうなものが多いのは、今日は碧がバースデーケーキをつくることを知っていたから故の気遣いだろう。


「楪さん。俺のことは友達の友達くらいなかんじだとは思うし、もしかしたら困らせちゃうかもなって思ったけど、折角ここに招待してくれたんだしお祝いさせて。お誕生日おめでとう。これは碧と二人でたべてね」


「……いえ、そんなことないです! 嬉しいですありがとうございます。湊斗さんのお誕生日の時にぜひお返しさせてくださいね」


「え? いやいやいーよいーよ!」


「くるみんこんなに可愛いのに……ていうか可愛いからこそ必要ないのかもしれないけど、普段あんまりお化粧しないのずっと勿体ないって思ってたんだよねー! これ私も好きなブランドのだから言えるけどくるみんぜったい似合うよ! 後で塗ってみてもいい? あっそれならちゃんとベースから仕立てたいよね。けど私のファンデあうかなぁ」


「えっと、お手柔らかにおねがいします……?」


 なんとも和やかな空気になったところで、湊斗がこっちを見る。それに釣られるように二人の視線も碧に集まった。


 まあ順番を考えれば妥当だろう。本当はお開きになって、幼馴染ふたり組が帰ってから渡したかったのだが——。


「くるみ」


 クリームのついたナイフを皿に寝かせて、棚の上に隠しておいた紙袋から四角い包みを取り出す。


「はいこれ、僕からのプレゼント」


 受け取ったくるみは包装紙を破かないようにそっと丁重に展開していき、現れたのは一冊の本——ではなく、アルバムだった。


 表紙は余計な柄や絵のないシンプルなデザイン。先日現像した写真たちはすでに古い順に並べ替えて、このアルバムの然るべきところへ収まっている。


「カメラで撮った写真しまうところ、そういえばなかったなって思って」


 これは贈り主のわがままだが、半分以上余っている空白のページは、この先ふたりで撮った写真で埋めていきたい。


 なんて、少し重い自覚はあるから言わないけど。


 だが気持ちは伝わったのか、折角止んだ雨を、くるみはまた降らせ始めたらしい。


 透明度の限りなく高い琥珀石のような瞳に潤みを宿らせる。


 しかし今度は零すことはなく、すんと洟だけ鳴らして、輝くような笑みを咲かせた。


「嬉しい……ありがとう碧くん」


 アルバムを両腕で大切そうに抱いて、くるみは幻視の花をぽわぽわと飛ばす。


 彼女は長い睫毛を伏せてアルバムの表紙に視線を落とすが、贈り物そのものを見ているというよりは、それを通して、積み重ねてきた〈今まで〉と積み重ねていく〈これから〉を見詰めているのだろう。


 叶うなら彼女の眼差しの先に、いつだって自分がいればいいなと思う。


「……おい碧、お前の彼女さんなんとかしてくれ」


 湊斗はこういう表情のくるみを間近で見たのは初めてみたいで、その破壊力に怯んだように赤くなって目を泳がせていた。


「どうにもならないよ、可愛いものは可愛いんだから」


「息をするように惚気るな」


「いやー見せつけられたねー……」


「それよりケーキのお供淹れようと思うけど。ふたりは紅茶とコーヒーどっち派?」


「「エスプレッソ!」」


 とふたりが揃って叫ぶので、くるみは赤くなって照れ隠しに笑い、碧は小さく噴き出してしまった。


                *


 ケーキは概ね好評だった。


 湊斗のカフェバーで本当に出しているケーキをもとにしたレシピだけあって、湊斗も及第点をくれたし、味覚が鋭いくるみも美味しいと言ってくれて、インスタに甘味の写真を載せまくっているつばめも絶賛だった。


 くるみに至っては彼氏の手料理というフィルターがかかってるんじゃないかと思ったが、駄目なところは駄目ときちんと教えて一緒に改善してくれる彼女なので、今回は本当にお眼鏡にかなったのだろう。


 ゆっくりケーキを味わいつつお茶のカップを傾けるまったりタイムで、碧はふと、くるみにじゃれついてるつばめに尋ねた。


「そういえば、つばめさんってどうやってくるみさんと友達になったの?」


「あ。俺もそれ気になってたんだ」


 湊斗もさすがに冗談だったらしく、追及することなく新たな話題に乗っかる。


 つばめは口の端にクリームをつけて、まるで昨日のことみたいに話した。


「え? 同じクラスにめっちゃ可愛い子いるーってなって。誘ったら一緒にモデル仲間になってくれるかなって思って声掛けたんだ」


「思ったより現金な理由出てきたな」


「まあ『会ったばかりですしそれはちょっと……』って振られたけど」


「そりゃ当たり前だろ」


「半分建前で……本当は私が目立つのがあまり好きじゃないからなんですけれどね」


「はは。あれだけ学校で持て囃されれば嫌にもなるよな」


 まだ温かさの残るミルクティーにお砂糖を追加しながら、くるみがちょっぴり苦笑いしているあたり、実話なのだろう。


 つばめはモデルをしているし、綺麗なものや可愛いものにさとくなるのは、仕事柄あるあるなのかもしれない。


「じゃあ湊斗とつばめさんは?」


「え、俺ら?」


「幼なじみっていってもいろいろあるじゃん」


 苺を口に運んだつばめの代わりに答えたのは湊斗だった。


「小学四年生だっけ? のときにつばめが福岡から引っ越してきたんだよ。な?」


「むぐ……そうそう。私がまだ博多弁ばっかで標準語がぜんぜん喋れないで、自分に自信持てなくて友達つくれないでいたときに、湊斗が一緒に登下校してくれたんだよね。家が近かったからだけど」


「今のつばめちゃんからはなかなか想像ができないわね。……けどそっか。湊斗さんが」


「昔から優しかったんだな、湊斗」


 大男は嬉し恥ずかしそうにこめかみをかきながらも、首を振る。


「いやー……けどその後がすごいんだよ。自信を取り戻したと思いきや、この身長で中学の時の部活でバスケを選ぶわ、モデルに応募して受かるわで。こーんなちびっちゃいのにな。どっからそういう情熱が湧いて出てるんだか」


 つばめがもどかしそうに目を伏せるので、そういやこの人は僕に協力して欲しいんだっけなと思い出し、助け舟を出すことに。


「まあ、つばめさんは湊斗のためにモデルになったくらいだからなー」


「ちょっと碧さん!?」


 つばめが叫んだ。


「今も一緒に帰ってるんでしょ。ここまで来たらもう隠さずに言っちゃえって」


「にしても急すぎない!?」


 椅子を鳴らして涙目で詰め寄ってくるのをにやにや笑いで仰け反っていると、湊斗が目を見開いてから、半笑いになる。


「や、それ冗談か勘違いだろ? 碧の。……だって俺」


「ちっ違うから!! あっ。碧が言ったのが違うんじゃなくて! ほんとだから!」


 しどろもどろになっているのを見ると、ちょっと段階を飛ばしてやりすぎたかと思ったが、しかしながら強引な後押しはつばめの多少の足掛かりにはなったみたいで。


「……湊斗、今度いっしょにデート……しよ。行きたいところあるから」


「お、おう」


 真っ赤になりながらお誘いをし、湊斗は押され気味にそれを受諾していた。


 くるみは何が会話されているのか分かっていないみたいできょとんとしている。本日の一番星を話に交ぜてやれないのはよくないので、軌道修正しようとしたところで、照れ隠しとばかりにつばめが立ち上がった。


「あっ碧! コーヒーのおかわりほしいからポット借りていい!?」


「ご自由にどーぞ」


「あ。じゃあ俺手伝うよ。みんなのぶんも淹れてくるからカップ借りるな」


「それなら僕が……」


「はいはいお客さんは座ってる」


「ここ僕の家なんだけど」


 まあくるみと二人きりになれるならいっかと素直に甘んじると、碧の真っ当な突っ込みはスルーして、ふたりはばたばたとぎこちなくキッチンに行く。


 湊斗は事あるごとに、碧とくるみの関係に焦れったいだのと言っていたが。


 ——なんか、やっとその気持ちが分かった気がするな。


 と思っていると、視界で動いたのは、愛する彼女様だった。


 きょろり、と湊斗らがリビングから居なくなったのを確認したくるみは、そそそ……とお誕生日の椅子から、碧の隣に移動してきたのだ。


「ん? お引越し?」


「ふふ……それもいいかも。ただ今だけ……お隣さんがいいなっておもって」


 キッチンに届かないように潜めて、けれどくすくすと喉を鳴らしたくるみは、ぽてりと子供のように碧の腕にもたれて密着してくる。


 どうやら、席の都合上どうしても生じてしまった距離が寂しかったらしい——と彼女の思惑に気づいたとたん、今すぐにでも抱き締めたくてたまらなくなった。


 その情動が居なくなってくれるのを、息を殺して待っていると、いつもより儚いトーンでくるみが言った。


「……碧くん。ありがとう」


「バースデーケーキが?」


「誕生日を覚えてくれていたことも、お祝いの言葉も、プレゼントもぜんぶ。今日こうしてお祝いされるの、ほんとうに久しぶりで、何年振りだろうってかんじで、ほんとうに嬉しかった。だから何度だって言わせてほしい。……ありがとう碧くん」


「あはは。もういっぱいいっぱい? 日づけかわるまでまだ九時間もあるよ」


「だってこれ以上貰ったら……あふれちゃいそう。幸せすぎて、もう」


 全くもって嘘偽りない本心だと、そのピュアな瞳は告げている。


 やばい、と碧は思った。このまま見つめあっていれば衝迫が檻を突き破って、キスの強奪のひとつやふたつ、ためらいなくしてしまいそうだ。


 今それくらい彼女のことが、愛おしくて愛おしくてたまらない。


 気持ちを言葉よりも雄弁に伝えるべく、くるみの降ろした髪とうなじの間に指を忍び込ませる。動かした指の間を、光沢のある細い栗毛は、引っかかるどころか雪解け水のように逃げていく。


 急にもどかしくなった碧は、それから首を引き寄せ——驚いてぎゅっと堅く目を閉ざしたくるみの額に、自分のおでこをこつんと優しくぶつけた。


「今日、お祝いの席が終わった後……ふたりの時間ってある?」


「!」


 湊斗たちに気づかれないように小さく内緒話すると、くるみの肩がびくっと跳ねる。


「……まだ帰したくなくて」


 うっすら半分ほど開いたヘーゼルの宝石は涙目になって、くるみ自身混乱しているようだった。あ、もしかして耳が弱点なのか、と気づいたのは、整ったかたちの耳朶が火傷しそうなくらい熱くなっていたからで。


 それを聞いたくるみは、真っ赤になってぷるぷると震えた後——こくり、と頷いた。

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