第137話 恋人だけが知る言葉(3)
少しばかり時を遡り。
これは、くるみが告白を承諾した後のこと。
初めての恋が転じて、人生で初めての交際へ。
くるみはいまだに現実味が帯びないまま、ぽつりと呟く。
「……ゆめみたいだけど……ゆめじゃないよね……?」
碧から告白をされてつきあうことが決まった後、くるみはホテルまで送ってもらって、宿泊していた少し広めのセミスイート——ぎりぎりの予約でここしか空いていなかった——で日本から持ってきたネグリジェに着替えたあと、同じく実家から連れてきたうさぎのぬいぐるみをぎゅうっと抱きしめて、先ほどまでの出来事を何度もリフレインさせていた。
この日のことを、くるみは生涯忘れない確信がある。
だって、半年も片想いをしていた大好きなひとと、ようやく気持ちがつうじ合い、結ばれたのだから。
本当は、碧が後ぐされなく留学に踏み切れるように、後押しに行くつもりだった。
なのに彼は日本に残って、つきあおうって言ってくれて。
それがいいことなのかどうかの判断はきっとくるみじゃなく碧がすべきで、ただ彼はなんの揺らぎもない真っ直ぐな決心を見せてくれて。だからくるみも……閉じ込めていた「一緒にいたい」という気持ちが涙になってしまって、告白を承諾した。
シーツにごろんと寝転がっても、嬉しさと高揚で、なかなか気持ちが静まってくれない。
結局その日はなかなか寝つけずに、仕事のおかげでくるみよりは海外慣れしている兄にアテンドされ、翌日の朝に空港を出発して夜に日本に到着。
飛行機のシートでもうつらうつらしたものの熟睡はできず、ようやく家に帰ってから、ぐっすり眠ることができた。
ベッドで揺りかごみたいに喜びにゆらりゆらりとあやされ、ブランケットに包んだ体をこれ以上ない幸せに委ねながら、微睡みと共に朝を待ち。
やがてカーテンの隙間から差し込む高い朝日に、ゆっくりと起こされて。
「……やっぱりゆめじゃ……ない」
寝起きでなかなか働かない思考がようやく目覚めてきた頃、碧から深夜に届いていた〈これからよろしくおねがいします〉というかしこまった連絡を見て、そう呟いた。
*
そして、その日の昼すぎにくるみは駅前のカフェにいた。
『えええええ!? 嘘!? 嘘じゃなかよね!? おめでとおおくるみーん!!』
「ふふ……つばめちゃん博多弁でてる」
『あっ!!』
と、ここに至るまでいっぱい相談に乗ってもらったりでお世話になったつばめにメッセージで交際の開始を報告すれば、盛大なお祝いの電話が即座にかかってきて。
いまから会えないか打診があり、こうしてカフェの前に集合したわけだ。
弾む足取りには重力がかかってなくて、二十分も前倒しで着いた待ち合わせ早々、つばめはむぎゅーっと抱きついてきた。
「本当に本っ当に! よかったね〜くるみん!!」
「うん! ……ありがとう」
つばめは若干涙目になりながら頬擦りしてくれる。
テーブルに案内されてメニューを注文した後も、つばめは自分事のように喜んでくれて、くるみは本当にいい友達に恵まれたんだなと、気持ちがいっぱいになった。
「そっか〜♡ それで私に一番に報告してくれたんだ〜♡ 嬉しか〜……」
「だってつばめちゃんにはたくさん相談乗ってもらったりして、アドバイスもいっぱいしてくれたもの」
「実行したのはくるみんじゃん! 碧って今海外にいるんだっけ。じゃあ帰国が待ち遠しいかんじかぁ。ねえねえ、告白ってどっちから?」
「……碧くんから」
「なになにー! なんて言われたの!?」
斜め上の方向に話が発展して、くるみは一瞬きょとんとした。
もちろん言われた言葉は一字一句覚えている。忘れるはずがない。ずっとずっと夢見ていた、碧との恋人関係が実現したのだから。正直今もまだ夢なんじゃないかって、たまに心配になるくらい。
貰った言葉はどんな光よりも眩く、きっとじゃなく必ず、生涯とおして宝箱に仕舞っていく予定で。けどいざその箱から取り出してみると——
「……あれ、くるみん真っ赤。大丈夫?」
思い出し笑い、ならぬ思い出し羞恥。
ぽーっと頬を上気させたくるみに、つばめは手を振って確かめてくる。
「この乙女すぎる反応……碧よほどすごい告白してきたのか。やるなあ……」
その時、パフェが運ばれてきた。
ふたつとも秋限定で、苺に甘栗といちじくをあわせたものだ。
しなやかに舞い踊るバレリーナのように美しいグラスに、世界のあらゆる甘味を詰め込みましたみたいな宝石箱っぽさのあるデザートのミルフィーユたち。
オーストラリアに行った時は滞在日数が短かったのと雪が重なったこともあり、ほとんどホテルにいて旅行らしいことはできなかったけれど、やっぱりこういう和の食材は久々ってかんじで落ちつく。はっきり味覚に冴え渡る甘味と冷たさが、夢じゃないよって教えてくれるみたいだ。
ふたりして美味しいとひとしきり盛り上がってから、つばめはそういえば、とトートバッグから雑誌を取り出した。
「私からもちょっとお知らせしたいことがあってね。実は次の発売される号で、特集を組んでもらえたんだ」
「ええ……特集? つばめちゃんすごい」
正直ファッションの世界がどういうものなのかは分からないが、読者モデルだって倍率が高いだろうに専属で数ページに渡っての特集を勝ち取ったつばめは、あっさりして見えて実はものすごいことを成し遂げたんじゃないかと思う。
ぱらぱらと小気味よく捲られた記事には、カラフルなメイクをまとってクールな表情をまとうつばめ。二週間の秋のコーディネートがテーマのようで、くるみは思わず感嘆のため息を零した。
「……可愛くて綺麗。つばめちゃん、やっぱり学校では秘密のままなの?」
モデルをしていることを学校で内緒にしているのは、面倒事になるのが嫌だから——と以前彼女は言っていた。
何年も一途に湊斗のことを思い続けているつばめは、仕事仲間の男の人からもよく誘われて困ってると言っていたので、そういった波紋が学校にまで広がるのはよしとしないのだろう。
が、こうして順調に露出もふえてきてるので、碧とくるみの関係のようにいつかは話さなきゃいけない時が来るんじゃないかと心配していたのだが、つばめはさっぱり気にしていないように明るく返す。
「メイクでほぼ別人だから大丈夫だと思うけど、どうかなぁ。私もそこまで有名じゃないし。……あっほら、こっちはデート特集。碧とつき合って初めてのデート選びに役立つかもしれないしこの見本誌はあげるね!」
押されるがまま、参考になりそうなスポットの説明をじっくり読み込んでいると、つばめがにんまり口許に半円を描かせた。
「つき合う前もくるみん、デートに誘ったりとかすごーくがんばってたもんね」
「だ……だって。振り向いてほしかったから」
「碧も果報者だねー」
生温い目から逃れるように、くるみは机にうつむいて、かつてを思い出す。
碧は時折どこか、遠くを見つめるような眼差しをしていて。その先に自分がいないと知ってしまうのが怖くて、わざと確かめないようにしていたけれど、いつか離ればなれになってしまうことは、何となく分かっていた。
それでも見てもらうこと自体は、諦められなくて。好きになってほしくて。
碧くん思考が読めないから効果あったかどうかは最後まで自信なかったけど、とぼそっとぼやきながら恥ずかしげにスプーンをパフェと往復させていると、つばめは首を傾げる。
「碧大好きっ子ってかんじで可愛かったよ? くるみんは隠してたつもりだったんだろうけど、学校でもあれだけ大好きーって表情でいたらさすがにあの人だって気づくって! だから気持ちが伝わって、こうしておつきあいに至った訳だし」
「……大好きっ子って。私、そんな風に虎視眈々っぽく見えてたの?」
「むしろなかなか進展しなくて焦れったいくらいだったよー。それに虎視眈々ってことならどちらかと言うと私は……逆だと思うけどな?」
「逆?」
「ふふーん何でもない♡ それよりくるみん、明日から夏休み明けで新学期でしょ? やっぱり碧との関係は隠さずに改めてきちんと公表するんだよね?」
「うん。碧くんとは少しだけ話して、そうしようって決めてある」
学校の人たちは、夏休み前の中庭で交わされたドイツ語のやりとりを見て、告白の成立だとすっかり思い込んでいる。
嘘から出た誠というが、つまりは本来訂正すべきはずだったそれが本当になったので、こちらから何かアクションをする必要はなくなったのだ。
つまり、堂々と一緒にいる。それが今の自分たちにすべきことって訳で。
「そっかあ。愛のなせる
「愛……」
「だって碧はもう彼氏なわけじゃん? 学校の人もくるみんが幸せそうにすれば文句は言わないだろうし……ってか私も碧もぜったい言わせないし。だから明日、楽しみだね!」
そうしてつばめは、フォークに刺した和栗をにゅっと差し出す。
されるがままにぱくっと口に含んだそれは、これからの毎日を婉曲に表すような、お砂糖みたいな甘さに満ちていた。
あいだに雪降る夜も挟んだけれど、それでも長かった夏はようやく終わる。
まだ二人で迎えたことのない、初めての季節が、やってくる。
——いつだって私たちの真上には、次の物語を連れてくる大きな空があるんだ。
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