第128話 Le Tombeau de Couperin(1)
キャンプで寝泊まりした翌朝は、鉄板でかりかりにしたベーコンエッグと窯で焼いたパンをフレンチトーストにしたのを朝ごはんとして楽しんだ後、チェックアウトをした。
車で東京へと戻って家の近くで下ろしてもらい、母親たちと別れてから、ふたりは帰路を歩いていた。
もくもく立ちこめる入道雲が、ブルーハワイのかき氷みたいに空に浮いている。
ひとつだけ
じりじりとセミの鳴き声がからかってくるようだ。
だが、見慣れた町の至るところにどんなにあざやかな夏が散りばめられていても、自分はそんな底なしの陽気にはなれそうもなかった。
アスファルトにはくるみの髪の影が、天使の羽みたいにそよそよ揺れている。
その翼が迷うようにふありと風に舞い、こちらに一歩近づいた。
「碧くん?」
不安そうに名前を呼ばれ、自分がぼーっとしていたことに気づく。
「もしかして昨日のこと……怒ってる?」
か細く呟きは、可哀想なくらい震えていた。
しゅんとするくるみに、碧は小さく笑ってゆるりと首を振る。
「ごめん。そういうんじゃないんだよ。何でもないから」
「……」
「ところでこの後はどうする? くるみさんは予定あるの?」
そう訊くとくるみは何かを考えるように天を仰ぎ、
「碧くんも何もないならよければだけれど……うちに来ます、か?」
と、控えめに提案した。
意味を理解しきれず咄嗟に聞き返す。
「う……うちって、鬼はそと福は内のうち?」
「碧くんったらへんな例え。お家のうちだからね? 他に何があるの?」
何を言っているか、分からなかった。
「……今日平日だから。上枝さんがくる午後の契約時間の十六時まで、誰もいないの」
「え。親は?」
「母は学会で広島、父は商談でアメリカだもの。ちなみに兄は一人暮らし」
「今さらだけどご両親ってなにしてる人たちなの?」
「大学教授と実業家」
「さすが華麗なる一族」
ドラマかよと言いたくなるような回答を平坦に返したくるみに思わず突っ込みつつも、重要なところに話を戻す。
だって、昨日の今日なのだ。あんなことがあったのに……。
「僕なんかを家に招いてもいいわけ?」
「もう、そうやって卑下しないの。碧くんは格好よくて優しくて」
「いやそういう意味じゃなくて……」
三秒ほどして理解が及んだらしいくるみは、ほんのり頬を染めつつ、僅かな戸惑いをあらわにする。
「だ、だって碧くんは私に何もしないでしょう」
「何で?」
真正面からいつになく真剣に訊ねると、くるみはまごつき、たじろいだ。
「なんでって、だって……き、昨日も……うぅ……」
「……いや何でもないよ。じゃあお言葉に甘えておじゃまさせてもらおうかな」
別にからかったつもりはないが、このままじゃひどい意地悪になってしまうので、この話はやめることにした。
不本意な話だが、こっちの涙ぐましい努力を気取られていないのも、自分だけがくるみの警戒網から除外されているのも、今に始まったことではない。
「手土産買うからどこか寄ってもいい?」
「わ……私しかいないんだし、そういうの気にしなくていいのに」
碧は優しく笑うも、くるみの狼狽はしばらく解かれることはなかった。
「ええっと、おじゃまします」
到着したくるみの実家は、何度も送って見慣れているとは言え、やはり一歩踏み出すのにためらってしまうような貫禄があった。
立派な造りの門扉といい庭の噴水といい、ドラマの撮影で使われていそうな豪邸だ。
高級住宅街だけあって、その辺を散歩すれば同じような規模の邸宅がいくつも建っているのも驚きだが。
時々見かけるイギリスの高級車は今はいなくて、ガレージはがらんどう。家族が仕事で不在というのは本当なのだろう。
鍵を開け、妙に重厚な玄関のドアをくぐりホームセキュリティを解除すると、他所の家の匂いとひんやりとした空気が下りてくる。
くるみが新品のスリッパを出して並べてくれたので、靴を脱いで大理石のエントランスに上がると、自分の家と違う濃密な花の香りがした。天井の高い吹き抜けのホールには、優美な弧を描く階段が二階まで続いている。
いくつもの採光窓から差し込む真夏の日差しは、さっきまで碧をじりじり焦がしていたというのに今はまるで別世界のように遠く、ひややかだ。きらきらした埃の一粒すら舞わないほどに空間はしんと厳かで、大聖堂のような神々しさすら覚えた。
——この子はこういう家で育ったのか……。
呆気に取られているとくるみが裾を引っぱった。
「ふふ、そんなに畏まらなくても大丈夫よ。さ、こっち」
広い空間だから、彼女のおっとりしたささやきでもやけに響く。
キャンプ終わりの、真っ白いマーメイドワンピースの裾と涼やかなポニーテールを揺らしながら階段を登っていくくるみの後ろを、はじめて遠足に出た小学生みたいに律儀についていく。
長い廊下の突き当たりから二番目が、彼女の自室だった。
「ここがくるみの……」
白を基調にしたそこは、ひとことで言い表すと、如何にも清楚な女の子が住んでそうな部屋だった。
彼女自身のセンスのよさが如何なく発揮されている。明るい木目調で統一された家具はいずれも明るいパステルブルーのクロスで飾られ、それでいて行き過ぎた華美さはなく、このまま寝転がりたいくらいに居心地がいい。
几帳面で綺麗好きな彼女らしく、碧の家のリビングなんか目じゃないくらいの広々とした床には何も落ちておらず、清潔そのもの。掃除もきっちり行き届いているようだ。
そして本人の寝床でもあるので当たり前なのだが、くるみ特有の甘い匂いがどこかしこからしており、その当たり前ひとつに碧は思考をすっかり鈍らせていた。
くるみは碧を丸いローテーブルに誘導する。
「散らかってるけれど、どうぞ」
「いやぜんぜん綺麗じゃん。おじゃまします」
お決まりの謙遜の言葉に律儀に突っ込みながら毛足の長いふかふかのラグに座り込むと、くるみは「お茶を淹れてくるわね」と言い残して、そそくさ階下に降りて行った。
同級生の女の子の部屋に、ひとりきり。ここに住みたいくらいにはほっとする空間だが、先述の理由からどうしても地に足がつかない心地だ。
ただじっとしているのも暇なので、多少の失礼を承知の上で辺りを見渡すと、やっぱり上流階級の娘なんだなと納得してしまうくらいには調度品の高級さが伺える。
ベッドなんか湊斗が三人寝転がってもお釣りが来るようなクイーンサイズだし、その向こうにはウォークインクロゼットの入り口らしき扉がある。
片手の指で数えられるくらいの服を着回すだけで十分な碧からしたら信じ難い光景だったが、やはり女の子はお洒落してなんぼなのだろう。
田舎者丸出しで眺め回していると、ふと
「あ、これ……」
碧が贈った垂れ耳ウサギだ。
くるみ本人のような淡いベージュと白の毛並みは綺麗に手入れされ、彼女にどれほど大切にされているかを物語っている。
それだけじゃなかった。勉強机の一番よく見える位置には、写真立てのような形状のアクセサリースタンドが、ホワイトデーに贈ったネックレスを陽光の下で輝かせていた。
どれも宝物にしてくれてるんだなと思うと、じんわり心が温まる。
むしろ碧の贈った物以外はほとんど私物が見当たらず、せいぜい本棚に料理本と山のような参考書があるくらいなので、あまり物を溜め込まないほうなのかもしれない。
「あ……これ」
ローテーブルにあったのは、いつだったか、碧がドイツで使われる日常会話をまとめて渡したノートだった。
手に取りぱらぱらと捲ってみると、碧が終わらせた最後のページから続くように、彼女のメモがびっしりと書き記されていた。
冠詞の扱い方や発音やおびただしい量の単語、碧の教えたことに至るまで細かく努力の形跡が文字となって並んでいる。
初めは確かにおっかなびっくりでぎこちなかったけれど、最近になって彼女のドイツ語はみるみるうちに上達している。だから全校生徒の前でふたりだけの会話ができたのだ。
心がじんと熱くなった。
「こんなに……がんばってたんだ」
一体誰のために? ——ここで彼女自身のためだなんて謙遜するほど、碧は自分を客観視できていない訳じゃない。
碧と一緒に旅行へ行くために、日本語の得意じゃない妹と話すために、そして何より碧のことを尊重してもっと知ろうとしているから……日本で生きていくのになくて困らない言語を、こんなに努力して勉強してくれていたのだ。
彼女の健気さと確かに伝わる深い愛情に、勝手に口角が上がってしまう。
「おまたせし……え、どうしたの碧くん」
ばっと振り向くと、ころんと涼しい音のするティーセットを両手に持って戻ってきたくるみが困惑して立ち尽くしていた。
ふとドレッサーの鏡に映るふがいない表情の自分に気づく。このままじゃ、人生で初めて女の子の部屋にあがって舞い上がった可哀想な人みたいじゃないか。
「くるみちゃんが私のこと大切にしてくれて嬉しいナー」
照れ隠しに何の罪もないウサギを目の前に掲げて、下手くそな腹話術で喋ると、くるみはおかしそうに喉を鳴らした。
「ふふ……もう、言いづらいことをマールちゃんに代弁させないの」
どうやらこのウサギには名前をつけたらしい。可愛くて、何だか悪のりしたい気分になって、つい調子に乗って腹話術を続ける。
「毎晩抱きしめて一緒に寝てくれてマールは嬉しいナー」
ぴたり、とくるみの動きが止まる。
「な……なんでそのことを知ってるの?!」
「なんでって、自分で言ってたじゃん。電話した時に」
「え……う。嘘! たっ確かにぎゅーして寝てるしたまについつい話しかけちゃう時もあるけどその話はした記憶が……な……い……?」
己の失言に気づいたのか尻すぼみになるくるみに、再び思わず笑った。
「やっぱり語るに落ちてるよね?」
「碧くんのばか」
「可愛いからいいんじゃない? 小さい子みたいで」
「……!」
でた、罪と罰。
照れ隠しの一挙一動もいちいち可愛いなと思いつつ、そろそろ話を戻すことにする。
「それで」
冷静さを取り戻さんとばかりにアイスティーのグラスをこくこく傾けるくるみが、頬に赤みを残しつつこちらを見た。
「僕を家に呼ぶなんてどうしたの?」
碧が尋ねれば、ふたつのヘーゼルの瞳に、烟る睫毛の影が差す。
それはどこか寂しげに揺らいでいる気がして。
「えっと、ね。あと二時間……ううん、一時間もすれば上枝さんが帰ってくるから、それまでの間だけど」
ポニーテールを
くるみが続きを言う前に、何を求められているのか理解する。
「……旅行中に、碧くんに何かあったのかなって」
「僕に?」
なんとなく予想できた話に、くるみには勘づかれたくなかったなとか、こんな表情させるなんて自分はまだまだだなとかを遠くぼんやり思いながら聞き返すと、彼女はおずおずと距離を推し量るように、慎重に切り出した。
「キャンプ場で二日目の朝から、なんだかそわそわしてた。ずっと何かを考えているようで、笑い方もいつもと違くて」
「何って……はは。別にいつもどおりだし平気だよ」
「そう見えないから呼んだの」
言い切った彼女の双眸は、今度ははっきり揺れていた。
どう返せばいいか分からず、なんとも言い難い沈黙が落ちてくる。
ただこのまま黙っていていいとも思えないので、哀しそうにするくるみの細い髪を、絡ませないようにそっと撫でてみる。もちろんそれが正解だなんて思ってはいないが、他にどうすればいいかも分からなかった。
「碧くんって私が想像しているより、どこか繊細なところがあるのかもしれないなって。私に楽しい思い出はたくさん聞かせてくれるけど、あまり自分の深いところは話さないもん。考えてることもなかなか読めなくて…………そう、謎めいてる」
「僕はなんでもオープンで開けっぴろげなつもりだけど」
「なら、どうしてそんなに泣きそうな目をしているの?」
哀傷の染み込んだ眼差しに問われ、思わずはっとして目許を擦ってしまった。
なぜだか、くるみにはいつも白旗を上げてしまう。どうにも勝ち筋が見えない。
「……ちょっと昔の人から手紙が届いたんだ」
「手紙?」
届いた紙たちを彼女に渡した。
目を通し終えた頃を見計らって言う。
「僕がピアノを教わったのは、この手紙の送り主。同じベルリンに住んでいた日本人。そしてこの楽譜は僕がそいつに習った最後の曲だよ。まあ、ラヴェルは難曲だからまともに弾けずじまいだったけど」
「碧くんと同じ……」
「いろいろあってさ。その時から何となく僕は、泣けないんだ。何をみても涙が出ない。だから春に君から本音の話を聞いた時……あれは自分でもちょっとびっくりした。自分にもそういう人間らしいところが、まだあったんだなって」
話をしているうちにくるみの表情がたちまちひどい後悔を滲ませはじめ、そんな表情をさせてしまったことに対して、碧もまた同じ感情を抱いた。
彼女の心を傷つけるかもしれない話なんか、したくはない。
「そんな目しないでよ。大した話じゃないから。別にそいつとは今も友達だし、ずっと会ってないってだけで。何かあったって訳でもないからさ」
動揺を自責というとんぼで均したような、淡々とした説明。重なるのは、上っ面だけを取り繕う言葉。そこにさらに上塗りするように、できる限りの笑みをよそおう。
本当のことは言えない。言えるはずがなかった。
だって、琥珀という名のその男は。
——碧が本気で海外で働くことを目指すようになった、全てのきっかけだから。
早い話、自分の志は彼に約束したものだ。
国境へむかって走るとある列車のなかで出逢い、同じ感情を共有し、ルカと並ぶかつての親友となり、碧がピアノの練習によくつき合ってやってた彼は、世界平和という共通した夢を追いかける同士であり、もっと言ってしまえば〈今の生き方をするようになった理由〉そのものだった。
けどもう二度と、彼の演奏は聴くことはできない。
だから自分もピアノからずっと離れていた。
代わりにふたりぶんの
これはそういう話だ。
そして彼女はまだそのことを知らない。話してないから、知るはずない。
こちらの都合で勝手に隠したことで、この期に及んで頼って縋って甘えることは、許されるはずがない。
——自分から始めた嘘だろ。
——卒業まで貫くと決めたんだろ。
——ならせめて、最後までその矜持くらい守ってみせろ!
心のなかで殴るような発破を掛け、巨大な感情の奔流を抱えながら拳を白くなるほど握りしめると、くるみの小さな手がすっと伸びた。体温の低い掌が、ひんやりと優しく両頬を包み込む。
哀切を秘めた、くるみの繊細な面差しをぽかんと見つめていると、
「碧くん、こっちにおいで」
謎の指示が下った。
立ち上がったくるみは、おもむろにベッドの縁をぽんぽんと叩く。昨日彼女を押し倒してしまった事件を思考のかたすみに追いやって、言われるがまま座ってみる。
「あとは目を瞑ること」
「……えっ」
「いいから閉じる!」
何をするか予想もつかずためらわれたが、くるみがやや語調を強くするので、碧は言われるがまま視界のブラインドを下ろす。
「……?」
まだ何も起こらない。やはり意図は読めなかった。
ただ、視覚を休ませたぶんだけ互いの呼吸の音がやけにはっきり聞こえる。一寸先の空気がふっと押し寄せる、誰か——といってもひとりしかいないけど——の身動きの気配。ここが好きな女の子の実家に二人きりなことを思い出し、心拍が鼓動のペースを上げる。
「……よし」
その呟きはくるみのもの。
何かを自分に言い聞かせるようなそれを残して、束の間。
肩を後ろからぽんと押されるがままに、ふらりと上体が倒れる。
それでいて衝撃がなかったのは、落ちた先が柔らかなクッションの上だったから。
……いや違う。慌てて見上げると、ベビーブルーのサマーニットパーカーに包まれた道中のゆたかな丘を挟んで、くるみの可憐な面差しがすぐそこある。
つまりこの格好は。
「あっ。ちゃんと目を閉じてなきゃ駄目なんだから」
ベッドの前に立つくるみに、抱き寄せられていた。
混乱に目を見開く碧に、くるみは
「は……くるみさっ……なにを」
「いい、いいの。今は何も言わずに、ただ……私に甘えてくれればいいから」
どう捉えようもない発言にひゅっと息を吸えば、お腹から花のようなミルクのような甘い香りが喉にながれこみ、幸福と錯乱で咽せそうになる。
こちらより一歩早く平静を取り戻した彼女は、耳許に口を寄せ、ひたすらに優しい慈愛のこもった口調で言った。
「何か私に言えないことがあるの、見てれば分かる。分かってるの」
「僕は……そういうんじゃ」
「確かに碧くんは謎めいてるし、いつだってひょうひょうとしてる。けどそれでも、私はちゃんと分かってるから」
本当のことは一度も語ったことがないのだから、くるみが知ってるはずもないのに。
根拠なんかどこにだってありはしないのに、子供を宥めるようにそう何度も繰り返すくるみの語りかけは、まるで本当に碧のぜんぶを理解して赦しを与えるかの如く、途方もなく温かかった。
その訳の分からない温かさに際限なく甘えてしまいたくなるが、貫くと決めた矜持がそれを許さない。
髪に指をすべらせてくるどこまでも優しい手をそっと跳ね除けようとするものの、くるみはそれをさえぎるように、抱き寄せる腕に力を込める。こんなに細くて嫋やかで折れそうなのに、決して弱くなんかない体がそこにはあった。
「私には、これくらいしか出来ない。けどこれくらいでも碧くんの支えになりたいとも思ってる。少しでもあなたの力になれたらと思ってる」
「くるみ……さん」
このままじゃ駄目だ。
本能でそう予覚した碧は最後の力を振り絞って抗うべく首をもたげ、そして目を瞠る。
澄んだヘーゼルの瞳に、うっすら涙が浮かんで見えたからだ。
「……そういうくるみさんが、泣きそうになってるじゃん」
「だ、だから見ないでって言ったのに」
真っ当な碧の言及に、ゆらゆら儚げに瞳を揺らしながら。
「——碧くんが泣きたくても泣けないのなら、私が代わりに泣いたっていいでしょう」
それを聞いて碧は、息が詰まる。
——ああ……もう無理だ。
気づかない振りをしていたけど、もう限界だった。
隣に立つため困難に打ち勝てだなんて言い聞かせておいて、結局自分は言い訳ばかりだったのだ。
今後の歩む道が違いすぎるからって。生まれや身分が違うからって。いつか離れて傷つけたくないから、今はただ彼女との約束を守って隣に立つためだけだからって。
告白しない理由をどんなに自分に言い聞かせても、本音だけはどうしたって……嘘ものには出来なくて。
そんなの、もうとっくに分かっているのに。自分の気持ちなど、他のどんな人間の心情より明確なのに。
——この子はもう、僕の人生で手放せないのに。
誰にも渡せない。譲りたくない。泣けない自分のために泣いてくれている、この愛おしい少女を。生涯かけて自分だけのものにして、ずっとずっと大切にしたい……だなんて。
〈好き〉を明確に自覚してから四ヶ月、分かりすぎるほどに、分かっていた。見ない振りをすることが出来ないほど、溢れて溢れて仕方がなかった。
何だって受け止めてしまいそうなこの女の子に、強がる自分の代わりに泣いてくれる彼女のために、不誠実な嘘を貫き続けるなど、もう出来そうになかった。
「……くるみさん」
「私は離れないから」
「事情は分からない。でも、昔は違くても、
「うん」
碧はそれだけ返すと、くるみの肩を押し、静かにベッドから立ち上がった。
今度は逃げずに自分から、提案する。
「……覚えてる? いつか遠い日にした約束。一緒にこの曲を弾こう」
この嘘の行きつく終着点。
そしてこの気持ちの本当の
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