第125話 キャンプの夜(1)
遊び疲れてくたくたになった夕暮れ時。
釣りから戻ると、すでにバーベキューの準備がされていた。
ウッドデッキの上には椅子と熾した炭がおさまったコンロ、煌々と安らげる光を揺らすランタン。それより眩く光る一番星と、白い砂をびっしりばらまいたみたいな天の川が、まだ明るさの残る空で輝いている。
青めいた斜陽のなかで遠くの山でざわざわと木の葉が擦れ、かなかなと鳴くひぐらしと相まって余計に涼しく思えた。
予約したのは持ち込みのプランらしいので、行きで買い出しした具材たちをワークトップに並べる。まだ少し早い時間だが、碧は父に昔仕込まれたのを思い出しつつ火熾しをし、くるみはさっそく持参したエプロンを身につけた。
バーベキューだから肉や野菜を焼くだけかと思いきや、キャンプならではのごはんも用意してくれるらしい。彼女の料理に首ったけの碧からしたらありがたい話だ。
「くるみちゃん、料理上手ねえ」
「ありがとうございます」
もちろん碧も炭を見つつ一緒に野菜のカットを進めるのだが、かぼちゃと戦っていると、後ろから母のそんな感嘆が聞こえた。
振り返れば、手許を見つめられたくるみはやや堅くなりながら、先ほど釣ったイワナを手早く卸し、油を熱したフライパンに投入している。
「くるみちゃんはどういう料理が得意なの?」
「だいたいのものならつくれるので、これといって得意なものは……」
「うわ、そんな台詞言ってみたい人生だったわあ。魚まできれーに捌けるものね。やだ、私より上手じゃない?」
「母さんを比較対象にしたらくるみさんの腕前に失礼だ」
「いやだ、碧こそ失礼しちゃう。私だってたまには野菜炒めくらいつくるわよ」
「ここで野菜炒めが出てくるあたり、我が家の家事スキルが危ぶまれるな」
まあ自分は、くるみに鍛えられているうちにずいぶん上達したのだけれど。
くるみがエプロンの裾をひるがえして言った。
「碧くん、千萩ちゃんがお腹空かせてるでしょうから、先にお野菜とお肉焼いてて大丈夫よ」
「ん? けど料理してもらってるのに悪いし、揃ってからの方がいいんじゃない?」
「私ももうすぐそっちに行けるし、後でもゆっくりたべれるから」
「ほんとかいがいしいというか……。ほら千萩、お兄ちゃんがとうもろこし焼くぞー」
「! 千萩とうもろこし好き!」
すぐそこでカエルを追っかけ回していた妹が、すっ飛んできた。
「お兄ちゃんそれも千萩の? 取っていい?」
「待って。これはくるみさんの。千萩のも焼くから待ってな」
いい具合に焦げ目がついたのを皿に取り、手が塞がっている彼女のもとへ戻った。
「くるみ、ほら」
猫舌なのでふーふー冷ましてやってから口許に近づけると、串の一番上に刺さる具をぱくっと小鳥のひなのように口に含む。たちまちへにゃーんと表情が緩むあたり、よほど気にいったのだろう。
「おいしい? 焼きマシュマロもやってこようか?」
もぐもぐしつつ、ほっぺを右手で抑えてジェスチャーで返事をするくるみ。一瞬また〈甘えたい〉の秘密のサインかと思ったが、シチュエーションからしてそんな訳はないので恥はかかずに済んだ。
「あらあらあらあらあらあらあら」
スマホのカメラでこちらを連写する母は、とりあえず向こうへ行ってもらった。
*
「お姉ちゃんもしかして」
「これぜーんぶ一人で!?」
まもなくして皆揃っての晩ごはんとなったのだが、くるみのお手並み拝見がお初の母娘は、その豪華な晩ごはんに驚きを隠せずにいた。
ダッチオーブンでじっくりグリルした丸鶏のローストに夏野菜のラタトゥーユ、釣った魚のハーブソテー、飯ごう炊さんのパンにバーベキューで焼いた野菜や串。
さらにはわざわざ千萩のために焼きりんごまでつくってくれたらしく、千萩はまたたびを貰った仔猫みたいに目をきらきらさせてスプーンを握っている。
「いえ、私もキャンプごはんは初めてで慣れてなかったのですけど、碧くんも一緒にしてくれたので。家でもいつも助かってます」
「ごめんねー……任せきりになっちゃって。片づけは私と千萩でするから!」
「母さんほら、冷やしてたビール。僕ら未成年は
「あーありがと! じゃあ四人の初旅行を祝してかんぱーい!」
からんころんと涼やかなグラスの音を響かせた。
くるみは母に手料理を振る舞うことにそわそわしていたようだが、文句なしの絶賛をうけてからは、ほっとしたように穏やかな笑みを浮かべていた。
そして千萩は、碧が初めてくるみの玉子焼きを味わったときと全く同じ反応をしており、兄妹の血のつながりに苦笑させられた。
星空の下で和気あいあいとごちそうをゆっくり時間をかけて楽しんだあとは、お言葉に甘えてふたりに後片づけを任せ、近くの温泉に行くことに。
汗や砂埃を落としてさっぱりして戻ると、母がひとりノスタルジックに焚き火の前で晩酌をしていた。
「母さんそれ何杯目?」
「んー碧? 女の人に数字を聞くのは失礼にあたるのよー?」
「あいかわらずすげー酒豪」
明日の運転に響かなきゃいいけど。
千萩は一日遊び疲れたのか、すぐそばのハンモックで涎を垂らして爆睡している。後で寝床に運んでやるのは自分の仕事だろう。
近くの丸太のチェアに腰かけると、母が言った。
「千萩がね、お兄ちゃんみたいに日本の高校に進学したいって」
驚きこそしないが、意外な話だった。
「へー。母さんは賛成したの?」
「もちろん。本人の意志は尊重したいもの」
「あー……それで千萩に日本語を教え込むための合宿って言ってたわけか」
「そ。今のままじゃ日常会話はよくても、高校の授業についていくのは厳しいからね」
ようやく合点がいき、碧は唸る。
「碧が高校卒業してオーストラリアに留学するなら、その時がちょうど千萩が高校入学のタイミングだから、今のマンションは千萩と私が住むことになるわね。さすがに女の子だから、碧みたいに危ない一人暮らしはさせてやれないし」
「そっか。じゃあ僕も、千萩に日本語の特訓してやらなきゃな」
「碧はどう?」
母が尋ねる。
「日本に来てよかった?」
「まあ……概ねは」
きっと筒抜けであろう照れ隠しに、そっかそっか、と母は和やかに笑った。
「碧ってちょっと目を離したらふらっとどっか行っちゃいそうでしょ? 多分お父さんは生まれ育った国である日本を碧の家にしてほしかったんだと思う。いつでも帰って来れるように。人生で一番繊細な時期に暮らした街での思い出って、心の拠り所になるものだし」
「……うん、分かってたよ。父さんの考えは何となく」
「ならよかった。でも少しだけ思うところがあるのよね。日本を家にした今、碧はオーストラリアに行って本当に後悔しないかって」
そうぼやいてから、慌ててつけ足す。
「あ、夢を否定してる訳じゃないわよ? 寄り道もしないで自分で決めた正解だけに一直線で進んでいくのは偉いしすごいことだと思う。けど誰だってどうせ完璧には生きられないんだから、人生の不確実ささえも楽しめる人間にもなってほしいなってね」
「まあ……けど、約束したことだからさ」
天を仰いでそれだけ言うと、母は諦めたように笑い、碧に倣った。
「今日は晴れてよかったわね」
「うん」
氷が詰められていたワインクーラーはいつのまにか、半分が水になっている。
空の果てでは
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