第124話 家族合宿(3)
そのあとは母に焚きつけられ、すぐ近くの川に本当に釣りをしに行くことになった。
遊漁券の購入と借りた釣具の運搬をしていたら、母がたんぽぽみたいに笑って話しかけてくる。
「本当に可愛くていい子ね、くるみちゃん」
「それは常々思ってる」
どうやら、息子の友人について話がしたいらしい。
ちなみに本人は千萩のテントに招かれてルームツアーをしているようだ。
「今時珍しいくらい、まっすぐで純情な子よねぇ。今からでも娘にしたいくらい。……碧に言ったら叶えてくれる?」
「僕に言われても」
遠回しにはよ恋仲になれ、と言われていることは察するが、敢えて知らんぷりした。
母親の言いつけ——というより楪家の方針、そして本人の完璧主義な性格ゆえに欠点のない優等生として振る舞っていることもあり、くるみはもともと人に好かれやすい。
器量よしで礼儀正しく品があり、そこに加えてピュアで根もいい子となれば、まあ母もまず気にいるだろうとは思っていたけれど、想像以上にべた褒めだった。
「私、碧は旅から旅の根なし草になると思ってたけどなぁ。このままじゃ日本に住みつくんじゃないかしら。あんな可愛いお嫁さんがいたらそりゃあね……」
「先走りすぎだし先がそうなるわけないし、ていうかそれぜったい本人の前で言うなよ?」
「あらあら……そうね。うふふ、下手な根回しはしないでじっくり見守らせてもらおうかしら。今回の旅行で及び腰な息子の代わりに点数稼ぎ出来てそうだし」
「あのね」
「
「何なの、そのごまかしかたマイブームなの?」
釘を刺したつもりなのに母は明確な答えを返さない。柳に風といわんばかりに、こちらが何を言っても無駄な手に余る人なのだ。
「分かってるわよ。息子の本気度くらい。この旅行が終わってしばらくしたら今度はオーストラリアだものね? 本当お父さんにそっくりというか。血は争えないわねえ」
「……その話もぜったいくるみにしないでよ」
「はいはい。あ、くるみちゃん来た来た。千萩も」
振り返ると、二人が手をつないで古い木の橋を渡ってくるところだった。
「くるみって釣りは初めてだよね?」
「うん。大丈夫かな?」
「教えるから平気。ほら、手貸すからこっちおいで」
川のそばは小石や砂利が多く危ないので、細く心許ないサンダルでバランスをとりつつよたよた歩くくるみを迎えに行く。
すぐそこの豊かな森の木々をみなもに映しているのか、川は澄んだエメラルドグリーンで、魚影どころか浅い川底の砂粒のひとつひとつまでもがよく見えるくらい透明。
さらさらとしたせせらぎが耳に心地よく、空もひらけているので、降り注いだ日光がまるで砕けた鏡みたいにきらきらとクリアな光をまき散らして、眩しいくらいだ。
さっそくやり方を教えると、くるみは戸惑いつつ手許とみなもを交互に見比べながら、何度もルアーを投げている。
「難しい……」
真剣そのものの表情で大真面目にロッドを振っているが、大抵はそこらの岩にぶつかったり、違うポイントに向かってしまったりで思うようにいかない。
運動はばっちりこなせるはずなのだが、球技でボールを投げるのとはまた勝手が違うし、今回は慣れていない分仕方がないのかもしれない。
まずは手を貸さずに本人の好きにやらせてみようというところで見守っていたが、やがておろおろと右手が頬にそえられたので、碧は笑いながらそばに寄った。
「怖がらずに振りかぶって、大きく投げてごらん。心配しなくても折れたりしないから」
「大きくってこんな格好で?」
「そうそう。そんなかんじ」
こうやって素直にアドバイスを聞き入れられるのは、くるみの長所だろう。
……それと一発で上手くいくかどうかはまた別の話なのだが。
「うぅ」
「何事も挑戦だから気にしない」
励ましの言葉をかけつつ、まず碧が一緒にやりながらお手本を見せることに。
「ほら、投げる時はこういう風にする。場所はそうだな……葉っぱが浮いてるあの辺とかが水深が浅くて、いいかもしれない」
くるみの後ろに立ち、釣竿を持つ小さな手に掌を重ね、ぐっと握る。
それから導くように竿を掲げ、しならせながら遠くへルアーを投げ込んだ。
びゅんと風切り音を残して、水の滞るとこにぽちゃんと落ちる。まさに狙い通りだ。
「わぁ……!」
失敗続きだったせいか、腕の中にすっぽり収まったくるみは、まるですごいものを見たかのようにヘーゼルの瞳を輝かせる。まだ投げ込んだだけなのになと思いつつも口には出さず、華奢な肩越しに垂らした糸の先に目を瞠った。
すぐそばに整った耳朶があるので、大きな声を出さずささやくようにして指示をする。
「リールをちょこっと巻いて、ルアーを踊らせるように動かしてみて」
「う……うん」
「難しかったらロッドを上下させるのでもいいから。魚が寄ってきやすくなる」
「こ、こう?」
「……そうそう、上手」
「っ!」
と誉めたところで、彼女の耳が赤く染まっていることに気づく。何事か、と回り込んで横から表情を盗み見ると、視線がおろおろと彷徨っていた。やがてそれは、恥じらうような寂しげなような——
なぜそんな奇妙な反応をされるのか分からずに困惑していると、お前らのスキンシップなんかお構いなしだと言わんばかりにロッドがぐぐっと引っぱられた。
「あ! 魚、かかった!」
「わっ……!」
一緒に一本のロッドを握り、ぐるぐるとリールを巻いていく。くるみも力一杯引っぱろうと後ろに仰け反り、その動きが急だったため碧もバランスを崩す。
ひゃあっというくるみの可愛い悲鳴と共にふたり同時にぽてんと尻もちをつき、やがて思ったよりも呆気なく、控えめな飛沫をあげて何かが川から躍り出た。
——その何かが、魚だったら完璧だったんだけど。
「なが、ぐつ……?」
母親が後ろで吹き出すのが聞こえた。
そんなことある?
「ねえ碧くん、長靴が釣れるのってよくあることなの?」
「ぜんぜんよくないかも」
「川……きれいにしたならいいんじゃないのかな、お兄ちゃん」
「喜んでいいのか微妙だ……ん?」
お約束もしっかりこなしたところで、長靴をのぞけば、そこには小さな魚が一匹泳いでいた。跳ねるようにぴちぴちと踊る魚を網で捕まえ、糸を持ち上げて見せてやる。
「イワナだ」
とりあえず、晩ごはんの品数がひとつふえたらしい。
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