第121話 迎えた翌日に(3)

 せっかくだからついでに、くるみの喜びそうなりんご飴やらベビーカステラなどのお土産を買って家に帰ると、リビングの方からかすかに話し声が聞こえた。


「……?」


 オートロックで管理人もいるマンションなので、もちろん空き巣や泥棒ではなく、聞き慣れた女の子の声だ。碧が不在になったあと一度帰ったらしいが、料理をするために戻ってきたのだろう。相手は電話に違いない。


 だがいつも涼やかで柔和なはずのそれは、今はどこかぎこちなくて堅い。


 妨げにならないよう物音を立てぬようにリビングに入ると、やはりくるみはここにいない誰かと、スマホで喋っていた。ただ気になるのは、それが仲のいい友人との会話ではなく、話し慣れない相手から唐突にかかってきて困惑しているように聞こえるところだ。


「はい……あらそうなのですね。想像したらすごく可愛いです……あ」


 ラグに横座りしたくるみは、スマホを耳に当てつつ、こちらに気づいた。


「お母様。碧くんが帰ってきました。代わりましょうか?」


「僕? ていうか母さん?」


 くるみがぴょいぴょい手招きする。


 隣にしゃがみこむと、スマホがスピーカーになった。


『あらあら。もしもし碧?』


「なんで母さんがくるみと通話してんの?」


『ちょっとふたりに提案があってね。くるみちゃんにかけたら碧がもうすぐ帰ってくるところって言うから、それまで話し相手になってもらっていたのよ』


「話っていったい何を喋ってたのさ」


あらあらうふふ聞かないほうがいいわよ♡」


「笑いの裏にとんでもない本音隠してない?」


 自分の子供の頃の恥ずかしい話とかしてたらと考えると、少々空恐ろしい。


『さて再来週なんだけど、二人とも予定空いていたりするかな? もしよかったら、くるみちゃんに改めてご挨拶といつも碧がお世話になっているお礼をしたくて』


 一度会ったきりの琴乃からの提案に、くるみは声をやや上擦らせる。


「そんな……いいのです。私が好きでしていることですから。お礼なんて」


『けど今後もお世話になるのかもしれないのだし、一度きちんと打ち解けておきたいのよ。だからぜひ、ね?』


 くるみが眉を下げてちらりとこちらを見る。突然の申し出をどうしたものか迷っているようで「大丈夫かな?」と目が言っている。あの後も、何度かくるみと琴乃の間でメッセージのやり取りはしているそうだが、会うのはやはり緊張するらしい。


「くるみは嫌? 嫌じゃない? 行きたくないなら行きたくないって言っていいからね」


『ちょっと〜嫌とか言わないでよ〜』


「い、いえ! そんなことはないです。嬉しいです。ご挨拶ということであれば謹んで」


 会うこと自体は嫌じゃないらしいくるみが承諾したので、母は盛り上がった。


『来てくれるのね! 実は私には娘もいてね、今ドイツなんだけど、夏休みしばらくこっちに帰ってくることになったのよ。だから四人でどこか行けたらなーって思ってたの』


「千萩ちゃん……碧くんの妹さんですね。お話はうかがっていました」


『あらあら、なら話が早いわね。千萩なんだけど日本語がちょっと怪しいところがあるから、くるみちゃんが教えてくれると助かるのよ。いわば合宿ね!』


「合宿?」


『そう、千萩に日本語を教えこむ夏合宿。一泊二日で行き先は山とかどうかなって! どんな合宿にしたいか考えておいてね』


 梅雨ごろ家に母が帰宅——もとい乱入してきた時のことを思い出す。色々企画していると言ってたのは多分これのことだろう。


 何か重要かつとんでもないことが引っかかった気がしたが、それより今気になるのは、儚げで繊細な笑みを見せる隣の少女だ。


 門限まである名家のお嬢様なら外泊は厳しいのではなかろうか。


「くるみは旅行、大丈夫なの?」


「今まではしたことなかったけれど、もう高校生だし。……親には交渉してみるね。お母様、よろしければご一緒させていただきたいです。ご迷惑にならなければ……ぜひ」


『よかった! 迷惑なんてとんでもないわよ。じゃあ宿の手配とかはこっちでやっておくから、千萩のことも当日ちゃんと紹介するわね」


「私もドイツ語の勉強をしているので、千萩ちゃんとお話できるのは……嬉しいです」


『あらーすごいわね! 私ドイツ語難しくて三日で挫折したのに。それじゃあ、詳しい日程と行き先はあとでグループ立てて送るから目を通しておいてね〜!』


 と、ここまできてようやく、理解が追いついた。


 ——あれ、お泊まり? 家族がいるとはいえ、また一晩一緒ってこと?


 と気づいた時にはもう時すでに遅し、スマホは沈黙していて。


 服の裾がつんつん引っぱられれば、くるみの柔和で穏やかな笑みが突き刺さる。


「交渉はがんばってみるから、碧くんは私に勇気をちょうだい」


 両手の指を絡めてくると、つないだそれを子供の手遊びみたいにぶんぶんと上下に振って、屈託なく笑った。


 どうやらこのスキンシップが丸二日続くらしい——がんばれ僕。


 そうして、くるみとのお泊まりを含めた旅行がきゅうきょ決定したのだった。

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