第120話 迎えた翌日に(2)
自分が目指す行き先と同じ方角に、浴衣の群れがゆっくり動いていく。
丸一日かけて遊ぶと言っていたのでもしかしてと思ったが、やっぱり夕方にクラスの皆が集まるのは、西東京の花火大会の開かれる
くるみには行き先は伝えていない。守ってくれるとは言ってくれたけれど、碧としては、今から何を言われるかも分からないとこに連れていくわけにはいかないからだ。
スマホが教えてくれる時間はまもなく十九時。
ごった返した人混みは、一発目の打ち上げを今か今かと待ち侘びている。
どうせならあまりこういう行事に縁がなかったくるみを連れて来たかったが、クラスの集まりと重なる以上、どの道叶わなかった未来だ。
もしかすると早めに帰れば家のベランダから見えるかもしれないし、人混みが苦手ならそっちの方がいいだろう。
「あ、秋矢くんだ!」
かき氷や綿あめの列を縫い、カラフルなあさがおや紫陽花の柄が咲くうら若き軍団に近寄ると、こちらに気づいた一人が手を振った。
「来ましたねー本日の主役」
「どーも。呼んだのって僕に話があるからでしょ?」
「やだなあクラスみんなの集まりだからじゃん。楪さんは一年の時からこういう行事あまり来てくれないのは分かってたし、ならこっちしかないかなって」
「じゃないほう、ですみませんね」
わざとらしく肩をすくめてみせる。
柳の木の下に集まっている人数はざっと十五人ほど。どうやら半数近くが出席しているようだが、つばめや颯太の姿は見当たらない。
確か彼女は最近モデルの仕事が軌道に乗ってきて多忙だと言っていた。くるみが欠席にしたのは、親友が来られないからだったのだろう。
女子たちは余裕綽々というか、学年一のアイドルにようやく訪れた恋話に逆に安堵している節があったが、男子たちはぽっくり死んでいるか、これまでの比じゃないほどの怨嗟の炎を燃やすかの二択だった。
……ただし、ひたすらこっちの存在を知らんぷりする夏貴くんは除くものとする。
「さてさて秋矢くんは心の準備はいい?」
「何が?」
とぼけてみせるが無駄らしい。あの事件の時と同じ、熱を帯びたまなざしが集まる。
ほぼ全員に共通して言えるのは『あの
はっきりそう分かったのは、早速女子が矢継ぎ早に問うてきたからだ。
「ねえねえ、あれって何語だったの? なんか留学してたって噂あるけど本当?」
「他にも喋れたりするの?」
いっせいに押し寄せる質問に、もうなにもかも諦めた碧は、順番にひとつずつ答えていく。
期待する答えになったかは分からないが、クラスメイトたちはへえーっと歓声を上げた。
「すごーい! 三カ国後話者かあ」
「だから英語の授業でやたら発音よかったんだ。なんか外国語で喋ってみてよ?」
「あーそれ私も聞きたい!」
「ええ……」
これにはさすがに面倒さを隠せない。
つばめが雑誌のQ&Aコーナーで福岡出身と答えたら仕事仲間から『方言喋ってみてよ!』とわんさか群がられたと苦言を呈していたが、嫌な気持ちがよく分かる。
「ねっおねがい!」
「Es ist sehr mühsam.(すげーめんどうくさい)」
「うわっ本当に外国語だ! もっとなんか言ってみてよ!」
「我可以回家了嗎?(もう帰っていい?)」
「すごいすごい! 何て言ったの?」
「今のは『お腹すいたな』って言った」
「えー私なんか買ってくるよ。枝豆と焼きそばでいい?」
「いいよそういうの、話しにきただけだからさ」
なぜか女子ばかりに群がられて、柳の木の下で燻っている男子たちから殺意の視線が飛んできたその時、ぴるるぅと最初の花火が打ち上がった。
どん——とカラフルな光が夜の大気を彩るなかで、ひとりの男子が立ち上がってこちらに歩み寄ってきた。たしか、春の始業式でくるみを盗撮しようとしていた奴だ。
「秋矢、どういうことだよ」
「何が」
「あれが結局告白だったかどうかの話だよ。俺はぜってー信じないけど仮にそうだとして、くるみ様とさっぱり関わりなかったのになんで成功するわけ? 裏でこそこそ抜け駆けしてたってこと?」
「あはは。まるで仲良し同盟でも結んでたみたいな言い草だ」
「そんなんどうでもいいから答えろよ」
「……その前に訊くけど、そっちはくるみさんのこと好きなの?」
理解できない、といった表情を向けられる。
「いまさら説明の必要ある? 男なら一度は夢見る理想の彼女ってかんじじゃん」
ん? と眉をしかめる碧をよそに、彼は
「美人で可愛くて賢くてお淑やかで何でも出来る万能で、なのにどこか守ってあげたくなる儚げなとことか、あとやっぱ何より控えめで優しいところとか。あんな天使みたいな子が彼女になったら最高だろ」
「分かる! 俺もくるみ様の彼氏になってお弁当つくってもらったり一緒に勉強会したり夜が明けるまで長電話したりしたい!」
「だよなあ!?」
——それぜんぶ僕はしてもらったって言ったら山に埋められそう。
にしても、と思う。
確かに事実として妖精あるいは天使と言い切れるほどの美少女だが、彼女の人柄を知っている碧からしたら、そんな理由で告白でもしようものなら僅かな苦笑の後にあっさり一蹴されるのが目に見えている。
ああ見えて彼女はわりと合理主義で、自らに不要と判断したものをにべもなく断ち切る
——恋の在り方なんて千差万別だし否定するつもりはないけど、見えるところだけ見ているようじゃ間違いなくくるみを振り向かせることは出来ないだろうし、なんならまずはたった今君らに注がれている女子の冷たい視線に気づくべきだと思います僕は。
「ふーん? あれって告白じゃなかったんだ?」
金魚の尾ひれみたいな浴衣の裾がひらめき、下駄がからんと鳴る。
「なら、私とつきあわない?」
「いやどういう思考辿ったらそうなるの」
思わず突っ込んでしまったが、うきうきで挙手とともに謎の立候補をしてきたのは、終業式のときに話した
今のはさすがに冗談だったのか、苦いビールの泡みたいにくぷくぷ笑う。
「浮いてるから話しかけづらいなとは思ってたけど、前から格好いいとは思ってはいたんだよ? そこにすごい経歴がプラスされて、余計にいいなって思ったかんじ。どうどう?」
「ちょっと今これ以上話ややこしくしないでくれる?」
「きゃー冷たい! 塩!」
「で、どうなんだよ秋矢。答えろよ」
はあと巨大なため息と共に答えた。
「告白じゃないし、つきあってもいないよ。ただ互いに学校の友人のなかじゃ一番って言ってもいいくらいには親密だとは思う。縁というか、きっかけは学外で出会ってからだよ」
別に牽制とかじゃない。
事実を述べたこの回答が最も誠実だから、そうしたまでだ。
「は? じゃあ学校じゃわざと隠してたってことか?」
「言ったらこうなるの分かりきってたし」
「ありえねえ……」
一緒になって聞いていたもうひとりの男子が言う。
「よりによってどうして碧なんだよ。どうみても住む世界違いすぎるのに。仲よくなるにしても、別に秋矢である必要はなかったんじゃないのかよ」
「まーこっちとしてもただの偶然で片づけたくはないわな。お前楪さんになんも言われたりしてねえの?」
言うとおりだ、と思った。
これには答えられずにいると、その時。
さっと庇うように前に出たのは、
「あんまりこいつのこと詰めるなよ」
なんと狐目の彼だった。
意外な助っ人の参上にみなが静まり返るなか、夏貴は堂々と言い放つ。
「教室とかでさ、俺からしたら、どっちかというとむこうから碧に構ってるように見えたけどな。そういう自分らに都合の悪いとこは突かないんだ?」
しんと応答がないのを見て、へらっと笑う。
「……ていうかまあ、気づいてなかっただけか。碧だけはぜったいないじゃん、って前提でいたもんなお前ら」
「だ……だって学年一のかわり者だぞ。そんなのあるわけが」
「そのかわり者の役目を押しつけたのは俺なんだよ」
「押しつけたって……」
「今それはどうでもいい。それよか第一、他人がどうこうじゃないだろ。振り向いてもらえない自分を棚に上げてるお前らになにか物申す権利はあるのか? 文句を言うならどうして今まで高嶺の花を手折るための努力をしてこなかった?」
淡々と正論を並べた彼は、きゅぽん、と手に持っていたラムネの栓を落とした。しゅわしゅわと甘い泡があとから溢れてくる。
何を思ったか、それをぐいっとこちらに手渡す夏貴。
「……君、僕のこと嫌いじゃなかったの?」
「うるせえよ。この間の礼だ。黙って聞いてろ」
やば、好きになっちゃいそう。
なんて冗談はおいといて、どんどんと打ち上がる花火の隙間を縫うように、夏貴は言う。
「こいつは本気だった。だから見てもらえた。それがシンプルな答えなんじゃねえの」
「……俺らはうわべしか見てない浅ましい恋愛だったって言うつもりかよ。そもそも夏貴、秋矢と仲悪かったじゃん。なんでこいつの肩を持つんだ」
「碧がこうなるに至った原因の根も葉もないうわさが立ったのが、俺の責任だからだよ。もう聞いただろ、こいつがなんで外国語を話せるかを。そしてそれをお前らが知ることなく今まできたのは俺のせい。だから何か言いたいことあるなら俺に言えば?」
もう誰も、物申してくる人はいなかった。
ただひとつの挙手を除けば。
「それはもう、分かった。けど最後にひとつ聞いてもいいか?」
「僕に答えられることなら」
「……くるみ様は、碧の一体なんなんだよ」
何とも広義で、かつ刃物のように鋭い質問だ。
すぐさま当たりさわりのない回答をしようとして、はっと息を呑む。
この恋情を隠し続けて、いったいなんになるというんだろう? 誰かへの謙遜? あるいは自分が傷つかないための鎧?
——どうだっていい。どのみち、僕らの関係は半分以上公になったようなものだ。
なにより、誰に聞かれたってこの気持ちを否定し続けることで、尊く大切なそれをいつか本当に果てない夢の底へと見失ってしまいそうな気がした。
掌にはラムネの瓶と、その底にころんと沈んだ、澄んだ透明のビー玉。
そこに映し出された逆さまの大きな空を見ながら、言う。
「……多分君たちが思ってるほど、くるみさんは分かりやすい人間じゃないんだ」
「何が言いたいんだよ」
「いやまあ聞けって。淑やかだとか可愛いとか、確かに事実ではあるけど……それ以上に言葉じゃ語れないところにくるみさんのよさみたいなのはあると思う。生き方の美しさとか、透明さとか、そういうところに」
少なくとも碧は、箇条書きに惚れたのではなかった。
誰もが憧れる
その笑みを今思い出すだけで、一生ぶん幸せになれるくらいに。
「僕はスノーホワイトじゃなくて、くるみさんっていうひとりの人間に目を奪われてきた。どころかもうずっと見惚れてる」
「ええと……つまり?」
澄みとおる夜空に、巨大な光の花群れが咲き誇る。
一秒遅れてどんと腹に響く音に、怯むことなく断言した。
「僕はくるみさんが好きだってことだよ」
ぶはっと夏貴がもう一本のラムネを噴き出し、咽せ始める。
「……今の」
「今度こそ本物の公開告白?」
「……え。ええええ!?」
くるみが休み前にくれたのが爆弾なら、こっちは時限爆弾だ。九月に学校が始まれば否が応でも本人の耳にはいるのだろう。
けどもう、それでよかった。
「いや本人不在じゃん! ちょっと今から呼んだら遅いかな!?」
「じゃあ僕は帰ります」
「あ、ちょっと待ってよ!」
「言うことは言ったから。もうあんまり僕らのことで騒ぐなよ」
混乱を残すだけ残してあっさり帰路に就く碧のスマホに、ぴろんと一件のメッセージ。
〈やるじゃん自由人〉
〈どーも〉
〈そういや言おうと思って言えてなかったけど〉
ためらうような十秒の間を空けてから、通知。
〈こないだはありがとな〉
〈なっちゃんもなかなかデレてきたな〉
〈うぜえ! その呼び方やめろ! 言っておくが俺はまだ認めてねえからな!〉
砂をかけてくる犬のスタンプ。
やっぱり夏貴は、通常運転だった。
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